マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2010.09.08
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カテゴリ: 生活雑記


 バスは再び米沢市へと向かう。昼食会場の料理屋は名産の米沢牛を扱う店だった。奥のホールが団体用の席で、清潔な空間が心地良かった。用意されていたのはすき焼。普通バスツアーの昼食などは料金が安いため質素なものが多い中、この店のは高級な肉ではないものの良心的な内容だったことに驚いた。味も量も満足だったが、ご飯がもう少し多いと嬉しかった。

 店を出ると、誰かが庭の垣根を観て「ウコギ」だと教えてくれた。米沢藩中興の祖である上杉鷹山公が推奨したこの木は、摘んだ若い芽が食用になる。120万石だった会津から4分の1の米沢に転封された上杉氏だが、家臣の数は減らさなかった。このため荒れ地を開墾して田を増やしたほか、堀では鯉を飼って貴重な蛋白源とした。

 鷹山公の様々な改革断行が、何とか藩の財政を立ち直らせ、家臣の生活を守ったのだ。その上杉家の廟所が一瞬バスの中から見えた。バスはさらに南に向かう。福島の会津地方へ抜ける国道121号線だ。前方を新潟ナンバーのバスが走っている。この道は米沢から磐越道への近道でもある。昔の大峠は厳しい山道だったようだが、今では立派なトンネルで楽々通過出来る。

 目が覚めた時は喜多方市内だった。どうやらその間にグッスリ眠ったようだ。喜多方は福島県会津地方にある小都市で、人口は5万人ほど。この小さな街に4千以上の蔵があると聞けば誰でも驚くだろう。ここには新潟と山形県境に聳える飯豊山(いいでさん)の伏流水が湧くようで、その水を利用して醸造業が盛んだったようだ。また北の米沢や南の会津若松へ向かう街道の町でもある。

 かつて町は大火で甚大な被害に遭った歴史がある。その時に燃えなかったのが昔ながらの蔵。それを観て、町の人はこぞって蔵を建てたのがこれだけの数になったようだ。今も住まいとして使われている蔵。店として使われている蔵。中には貸倉庫になった蔵もあった。さらに住居性を改善した現代の蔵の家まで造られていた。

 耐火性を高めるために、明治以降はレンガを用いた由。その積み方よって、フランス式、イギリス式、ドイツ式の3つに別れる由。江戸時代の蔵には防火性を高めるため、3重の扉を持つものもあった。火事の怖さを心底味わった経験からの工夫なのだ。それらの話はガイドから聞いたもの。今や喜多方市の蔵は、立派な観光資源。蔵の中に入ると、敷かれた割り竹の床がヒンヤリとして心地良かった。



 次に向かったのが北会津村のナシ農園。今年は猛暑で玉の太りが悪いとか。悪いのはナシの成長だけでなく、園主の態度。取って良いのはわずかに3個だけ。それを園内で食べるか、持ち帰るかのいずれかを選ぶ由。ラーメンを食べたばかりなので、迷わずお土産として持ち帰ることにした。全部で6個のナシは結構重たかった。

 ツアーの最後に寄ったのが、猪苗代町の「世界のガラス館」。チェコ、イタリア、ドイツ、イギリスなどの優秀なガラス製品が数多く陳列されていたことに驚いた。中には「何でも鑑定団」で知った著名なガラス工芸家であるガレの作品もあった。イギリス製のガラス容器のデザインが気に入った。

 今回の旅では、果物だけでなく蔵やガラス工芸品まで見ることが出来て満足だった。それに車中では本当に良く寝た。それだけ疲労が溜まっていたのだと思う。心身共にリフレッシュ出来て良かった。妻は「良くそんなに眠れるねえ」と呆れていたが、眠れるほど気持ちが寛げたのだと考えよう。<完>






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Last updated  2010.09.08 18:02:06 コメント(6) | コメントを書く
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