一緒に歩こう

一緒に歩こう

PR

Profile

白い倍音の魔法使い

白い倍音の魔法使い

Calendar

Comments

白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

Archives

November , 2025
April 27, 2008
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 昨日、夫の叔母からいただいた本「なぜ生きる」を読んでいて、惹きこまれつつも、実感としてはよくわからないと思うこともあった。

 例えば、「目先の趣味などに生きがいを見つけてもそれは所詮、苦痛を一時的に忘れるための時間潰し」だとか、
「苦悩の根源である無明の闇が破られたとき得られる大歓喜。未来永遠の幸福・・」について。

 「人生の目標を成し遂げても、その目的達成とともに、寂しく虚しい感情を抱き始める人は多い。」
これは夫がそうだった。

 私にはわかるような、よくわからないような、
でも興味が引かれる、もっと突き詰めてみたい衝動。

 「なぜ生きる」の元になっている親鸞についてもっと知りたいと思い、図書館で本を探した。
どの本がよいのかわからなかったけど、選んでみたのは

「ひろさちやの法然を読む」
(法然は親鸞の師であった)

 ここだけ抜粋すると、誤解を招いてしまいそうだけど
法然は、
「南無阿弥陀仏を唱えることで、極楽浄土で往生しよう」
念仏とは、この世のために唱えるものではなく(この世で願いを叶えるためではなく)、死後の極楽往生のために唱え続けるものだと言う。
 私が驚くのは、死後の世界をこのように確信して迷いなく言い切るところ。

 私は死後の世界についてどう思っているのだろう。
死に向かって生きているのに、死なないようにと生きている。少しでも長生きしたいと願いながら生きている。
あらゆる恐怖の元は死に繋がっている。その恐怖を避けるために生きる工夫が凝らされる。


でも意識はどうなんだろう。

 あっ、今思った。
もし、意識も肉体と同時に消えてしまうなら、死を恐れる必要はない。恐怖を抱える意識は「生」の間しか存在しないのだから。

 でも、死後も意識だけは残るとするならば、

 日本の仏教の本を読むことはめったにない。

他に思い浮かぶのは、空海、最澄、日蓮、道元、蓮如、
名前だけで、それぞれどんな教えを説いているのかよくは知らない。それぞれ何を説いていたのか。

 しばらく、読み続けてみようと思う。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  April 27, 2008 10:08:46 PM
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: