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白い倍音の魔法使い

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白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

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November 14, 2008
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カテゴリ: 治療記録
 母の悪性リンパ腫について、あるHPの掲示板に書き込んでアドバイスを受けている。

 その中で、とても心に深く響いたコメントがあったのでここに紹介します。

 私の母は自分は「悪性リンパ腫」という血液の癌だと知っている。医師が告知をしたからだ。

 ただ、医師は私達家族には母の余命については言うけれど、母には言わない。
 母の延命治療について問われたときも、それゆえに苦しんだ。
母のことを家族とはいえ、他人の私が決められない、母に本当のことを告げたいと言った時、医師に「それであなたの気持ちは楽になるかもしれませんが、聞いた本人の気持ちはどうなのでしょう」と言われ言葉に詰まった。

 掲示板でも「本人に告げるべき」「自分ならやはり言えない」と様々なご意見をいただいた。
 本人に告げるべき、というのは、やはり自分の余命について知ることは、この先自分はどう生きていくのかに大きく影響するからに他ならない。
 そういう意味で、私も本人が余命を知るということは重要なことではないかと思っていた。悔いのない生き方をするためにも。

そして私自身も余命を告げることに疑問もあった。
本来人の余命など誰にもわかるはずがないのだから。

 そんなとき、掲示板のコメントでこんな言葉をいただいた。
母と同じ病気になったある方が、主治医に自分の余命を尋ねた時の、主治医の言葉だ。

 「私は余命という言葉はないと思ってます。
なぜなら人の命の長さを測るなんて誰にもできないのです。
神様というのがいるとしたら、その神様が知っているかもしれませんが・・・
 私が今から話すのは長い医師としての経験の中、この病気でこの状態の人だったら次はどのようになり、治療した時と治療しなかった時どれくらい生きていたかというデータでしかありません。
あなたの命の長さを測る時の目安にはなるかもしれませんが、
あなたの寿命の残りということではありません。
あなたの寿命はあなたが生きられる長さだけあります。

それは誰にもわかりません。
だから私もあなたも私とあなたの寿命の長さだけ生きてます。」

 読んでいてとても感動してしまった。
臨床上、予後は推測出来るかもしれないけれど、それはデーター上のことでしかない。
 命の長さを測る目安にはなるけれど、それは寿命の残りではない。


 自分の命は、誰かに測られるものでは決してない。
私は私の命を生きる。

 私が生きられる長さまで。

 こう患者に伝えれる医師の人としての深さを想う。

 それまでは、母に余命を伝えること、伝えないことで悩んでいた時期があった。

 母の病名、現在の病状、今後の予測、治療法は伝えることは出来る。

 でも、やはり余命は伝えない。

 人はその人の命を限りあるそのときまで生きるのだから。

 そしてそれは、誰にも決して測ることは出来ないのだから。








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Last updated  November 16, 2008 05:07:25 PM
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