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白い倍音の魔法使い

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白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

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November , 2025
April 12, 2010
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カテゴリ: 死別
 昨日、法事が終わった。

 法事の日までは、何か憂鬱で行くのを止めようかと思ったくらい。
母の供養ということなら、命日に一人で充分したつもり。

 でも妹も来るし、だんだん行ってもいい気になって、行ってきた。
夫も仕事が休みだったので、貴重な休日だったけど一緒に行ってくれた。

 終わって帰る

 なんだろうな~、不思議な感覚だ。
妙な高揚感というか、充実感、というのか、
何かポワポワした気持ち

確かに分かるのは嫌な重苦しい気分ではない、ということ。
 家族みんなで集まって過ごしたせいか????
それだけではないだろう・・

 母の命日が過ぎたら
去年の今頃は・・と思うことが辛くなくなった
去年の今頃は「あぁ、もう母はいないんだ」
そう思うと、辛いというより、心がもう過去に振り回されなくなる
母がいないのは、もう去年も今も同じだから
今に気持ちが戻っていく、過去にとらわれない。
 何が、一番辛かったのか

 去年の今頃は、と振り返るとき

その母の面影があまりにリアルに生々しく思い出されてしまうから、
会いたくて恋しくて
泣かずにはいられなかった。

 今は、去年も今も同じ現実「母はもういない」
これが一年経つということなのだ


 こんな話を聞いたことがある。
インドの昔話だっただろうか

 昔、昔は、今日しかなかった、
今日という日がただあるだけだった。
あるとき、愛する人を亡くした女性が
「彼が亡くなった」といつまでも忘れられず嘆き続けるので、
神様が過去を作られた。
そのため彼女は「昨日彼が亡くなった」「2日前彼が亡くなった」「一週間前彼が亡くなった」と嘆くようになり、だんだんその悲しみを癒していく
という話らしい・・

 一年過ぎて、私の中で何かが少し変わった気がする。

 もしかしたら、私の中に、母の居場所を見つけたのかもしれない。

 最近、母が夢の中に出てくることがある
メッセージ性のある夢とかではなくて
 まるで普通にそこに母がいる夢、
だから目が覚めると、まだ母は生きている気がする。

 以前はそれが辛かった、
でも今は、そういう夢を見ることは辛くない
むしろうれしい気持ちになる。

 もしかしたら
私の中に、母の居場所が出来たのかもしれない。

 外に求めるのではなく
自分の中に母の居場所を造ってあげること

 こうして喪失は癒されていくのかもしれない。

 まだ、よくは分からないけれど

でも、
 命日にさんざん泣いたせいかもしれないけれど
今は気持ちは穏やかだ













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Last updated  April 12, 2010 02:49:37 PM
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