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2007年01月26日
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6,7歳の頃、食糧難時代であった。主食は沖縄イモで、それに生味噌をつけての一日2食であった。時々、アメリカからミルクや缶詰、小麦粉などの救援物資があったが、現金に変えられて口にすることはほとんど無かった。

その上、衣類の物資も乏しく、年中同じ半袖の上着を着けて、4キロほど離れた小学校へ素足で通っていた。帰ってくると休む間も無く野良仕事へ狩り出される。

南国沖縄といえども真冬は風が強くて寒い。子供達は半袖姿で紫に変色した唇を震わせながら働かされたのであります。

しかし、それでも子供達は明るかった。互いに相撲をとったり、裸馬に乗って競争したり、海に潜ってシャコガイなどの貝や魚、蛸などを取ったりした。

子供達にとって最も嬉しい時は正月であった。何故ならその時だけ、米のご飯が食べられるからであった。その上、カマボコがあり、餅があり、豚肉が出される。一年に一度の動物性蛋白源摂取可能の時でありました。子供達は無我夢中で食べた。そして、食べ過ぎて苦しくなり動けなくなる。

その後は全員集まって凧揚げでありました。各自手作りの凧を持ち寄り、その出来栄えを自慢し、競いあった。形はほとんど長方形で、両サイドに三角形の紙の羽根を十数枚つける。それが上空で、風を受けて波立たつ様は壮観でありました。

ある正月、市会議員の祖父が偉い方々を集めて新年会をしていた。泡盛の肴は鯖の缶詰であった。私は二人の姉と共に離れた所で待機していた。目的は空き缶を回収して、その底に残った汁を舐めて飲むことであった。それだけ鯖の缶詰は当時としては大ご馳走だったのです。

母が空き缶を回収し、台所の隅に置いた。三人は脱兎のごとく飛び出してその空き缶を奪い合った。しかし、一番上の姉が強く、独り占めにして逃げた。次女姉と私は懸命になって彼女のあとを追った。

「待てー、泥棒―、欲張りの馬鹿野郎―、ひとつぐらいよこしてもいいだろうー・・・」



・・・これは信じられないような昔の話です。今では贅沢、ご馳走が有り余って、正月といえども、喜びが昔ほどこみ上げてこない。

貧乏と苦しみ、逆境を乗り越えられる人が100人いるとするなら、豊かさと平和を人間らしく乗り越えられる人は、1人ぐらいかもしれない。最近の日本を見つめたとき、そういう思いが致します。





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最終更新日  2007年01月26日 16時40分21秒
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