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6月に友達の梅畑で梅をちぎらせてもらって、教えてもらったとおりに砂糖漬けにした。それが2.5リットルのペットボトルに2本できた。冷蔵庫の中は麦茶、ウーロン茶、紅麻茶でいっぱいだ。自然、梅ジュースは追いやられ、台所の棚の隅にひっそりと並んでいる。水で割って飲むとオロ○ミンCのような味だとわたしは思っている。 作ったもののまだ何杯も飲んでない。一度は寒天で固めてゼリーにしてみたが、一向に減らない。 食事が終わった後、夫が、『梅ジュースは、売れんのぉ~』と言った。『飲む?』とわたしが聞いた。『飲まんことはない』と夫は答えた。『飲むん?』ともう一度聞いた。『どうないと・・・』『飲むん? 飲まんのん?』 あえて深追いせんかったら、おっちゃん、寝てしもうたでぇ。
2006.08.31
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以前にも喪服を着た襟足がきれいだから、ぜひ後姿を写真に残しておくべきだとほめられた(?)ことがある。今日もエプロン姿の、それも後姿がかわいいと歌の文句じゃないけどほめられた。後姿だけ?と茶化して言ったら、『この人は昔は細くてきれいだったんよ』と言われ、喜ぶべきか・・・やはり喜ぶべきか! 兄の娘は親が言うほどきれいだとは思わないけど、きれいになったなあと言うと、義姉が、『そやろ? あの子、あんたが高校生のころとそっくりやわ。やっぱりパパ似やよ』とほんの少し落胆の意を込めて言った。 姪がわたしに似てるとも、高校生のわたしがあんなに(?)きれいだったとは知らなかった。高校生と言えば、一番コンプレックスのかたまりで、特に容姿について自信もなく悩みのタネだった。 振り返れば、わたしがいつも祖母に聞いていたのは、『赤ちゃんの時、かわいかった?』と言うことだった。祖母の答えはいつも同じで、『いんにゃ、ブサイクじゃった』だった。 小学生の頃も、大抵かわいい子が先生にひいきにされ、やっぱりわたしはブサイクだから、とひがんでいた。 中学生になった頃は、割りと成績がよかったので、回りからも注目されていたが、陰から聞こえてくるのは、『頭よさそうな顔じゃないなあ』だった。 高校生のころ、青春真っ盛りの頃も、通学途中『それでも顔かぁ』と言うことばに傷つき、これから先わたしが笑うことはもうないだろうと本気で思っていた。 姪がわたしの高校生のころに似ていると聞き、アルバムを開いてみた。暗い! たいてい目を伏せている。どう贔屓目に見てもかわいいとは言い難い。 高校を卒業したばかりの時に、写真を趣味にしていた人が望遠レンズで撮ってくれていた写真がある。この一枚はカメラと腕がいいからよく映っている。(あれ? 私もなかなか捨てたもんじゃないなあ)と写真嫌いなわたしに思わせてくれた一枚である。 そう言えば、岡田奈々に似ていると言われたことがあるじゃないの。(写真を出さなくていいからって、調子に乗ってます。陳謝!) 若いっていいなあ、それなりに輝いている。気づかずに通り過ぎたけど、若いときはそれなりにきれいだった。あ~、もったいないことをした。 命短し、恋せよ乙女。赤き唇褪せぬ間に♪
2006.08.29
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介護するに当たって、介護される側の気持ちになってみようということで、『わたしはこんな人です』という資料を作りました。『わたしは本を読むのが好きです。 字を書くことも好きです。 毎日、日記をつけています。 歌を歌うのが好きです。 人とおしゃべりするのも好きです。 時にはわたしを誘ってくださいね。 わたしは腰が曲がっています。 最近は歩くのもしんどくなりました。 少し肥っています。 だから動くのに時間がかかります。 ちょっと手を貸してもらえると助かります。 わたしはお風呂が好きです。 少し物覚えも悪くなりました。 お風呂に入ったことも忘れてしまいます。 何度も同じことを言っても怒らないでください。』(Tさんについて) 例の如く、トイレ誘導をしてもTさんはなかなか動こうとしませんでした。その日の朝も失禁していて床を自分の衣服で拭いていたのをひどく叱られたようでした。自室からデイルームのソファに腰を下ろし、Tさんは尻に根が生えた如く座りっぱなし。『家に帰りたい』と職員に訴えました。『家に帰りたいって、あなたの家は大水に流されてもうないでしょう! 何もできないくせに帰りたい帰りたいって』と職員は言いました。 その日、Tさんは朝食を半分しか食べませんでした。『この人はきつい人じゃなあ』とTさんは隣の席のおばあちゃんに言いました。『ほんと、ほんと』と相槌を打ちました。 それを聞いた職員は、Tさんのトレーを下げて朝食の残りをシンクのゴミ箱に捨てたのです。『食べたくないのなら食べなくてよろしい。二人のことは私はもう知りません。勝手にやってください』 これは翌日勤務の職員がTさんから聞いた話です。Tさんはすっかり意気消沈して、『もういつ死んでもいい』と言っていたそうです。 信じられないけど、これは人よりたくさん勉強して一つも二つも余計に資格を持っている職員の言葉です。以前、わたしはその職員さんとワイドショーを見ていました。俳優さんが肺がんの手術を受けていたという話題でした。『死ねばいいのに』とケロっとしてその人は言いました。こういう言葉が心の中にあるというのも信じられないけど、それが口をついて出るのも信じがたい。 この職員は、自分が発した言葉を利用者が口外するとは思ってないのでしょうか?『私は利用者を自分の親だと思っています。姑が1日も患わずに死んだから、姑を看なかった代わりに今こうして介護の職についています』といつも私に言っています。そして、こうも言いました。『私が利用者に、あなたは根性が悪いから嫌いですって言った覚えもないのに、言ったと上から注意を受けた。もし誰かに聞かれたら、そんなことを言う人ではないと言ってね』 それを言ってるのは、わたしはこの耳でちゃんと聞きました! でもね、その職員さんはすごくよくしてくれるんですよ。夜中だろうと時間外だろうと気持ちよくお年寄りのために動いてくれます。(フォローもしとかなくちゃね) 介護の仕方について、その人から度々注意を受けます。あなたは甘すぎると。そうでしょうか? 人それぞれですが、利用者は話を聞いて欲しがっているように思います。じっと耳を傾け触れ合うのも大切だと思うのですが。 昨日のTさんの様子を聞いていたので、休みの今日、キーボードを持ってTさんを訪ねました。 Tさんはソファに一人座りうたた寝をしていました。『Tさん、一緒に歌を歌おうか?』と声をかけるとパッと顔を上げ、『何でも歌うでぇ!』とやる気満々です。わたしのおぼつかないキーボードはやたらに脱線しますが、Tさんはついてきてくれます。『風邪ひいとるけぇ、ええ声が出ん』とTさんは咳払いをしています。『じゃあ、ちょっと休憩、黒飴でもねぶろうか』 黒飴を一つずつ口に入れ、おしゃべりタイム。『わたしはなあ、総入れ歯じゃけえ、なかなか飴が溶けん』と目を瞑ってTさんは神妙な面持ちで飴を舐めています。『みかんの花咲く丘』『村祭り』『りんごの歌』『炭鉱節』『海』『茶摘』・・・たくさん歌いました。『さぁ、そろそろお昼じゃけえ、歌はもうおしまいにしよう。また一緒に歌おうな』 帰り支度をするわたしにTさんが言いました。『あの人(例の職員)、昼から来るん?』『1時になったら来てくれるよ』 そう答えると、『あの人はきついなあ、あの人が社長さん?』『ちがうちがう、校長先生!』『はあ!』と目を丸くしてTさんも一緒に笑いました。『おしっこ、早めに行って、昼ごはん食べたら自分の部屋でちょっと昼寝をしぃ。』 Tさんは、ウンウンと頷いていました。 わたしがやっていることは、職員の邪魔をしているのかもしれません。でもわたしはわたしなりの介護をしているつもりです。 あったかい気持ちでホームを後にしました。わたし、間違ってますかねえ?
2006.08.26
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夫は無口である。若い頃は、夫婦喧嘩をしてわたしが黙ると、『わしはいつまでしゃべらんでも平気じゃけど、お前は辛かろうが』と痛いところをつかれる。食事時、わたし一人ぺちゃくちゃしゃべっているので、『あんたも何か言って』と言ったら、『ちょっと黙れ!』と一言。 ただ、しゃべるのがキライだからしゃべらないのか、キライだから話すのがヘタなのか、夫の話は無意味に長いか思い切りはしょっているかのどちらか。 結婚前、プロポーズをしているのに気づかないほど話が長く要領を得なかった。海岸端をドライブしながら、岬を二つも三つも曲がって家並みが見えるころになって、やっと結論を話し始めた。『ほんじゃけえ、ついてきてくれるか?』『はぁ~? どこへ行くん?』 話が見えてこない。『ほんじゃけえ、ついてきてくれるか?』 それがプロポーズと言うものだと気づくまでには時間が必要だった。話が長すぎて、途中をわたしが聞いてなかった。 40、50になってまあまあしゃべるようにはなったが、やはり未だに長いか極端に短いかのどちらかである。食事をしながらの夫婦の会話。 夫が言う。『きょう、トシ君とナンジャ~カンジャ~言うて・・・』『ナンジャ~カンジャ~て何?』 とわたし。『いろんなことよ』『はぁ、そう!』『ナンジャ~カンジャ~言うて・・・』『まぁ、ええけど。もうちょっと詳しく言うてくれたら返事のしようもあるんじゃけどなぁ』 話が長いのも困りもんだけど、はしょるのもなんだかねえ・・・。
2006.08.22
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義妹は極度の怖がりです。子供のころ、一緒に遊んでいた子と別れたすぐ後その子が事故で死んで、その恐怖で一晩のうちに体中の皮膚が剥けた経験があります。 仏間に入るのも怖がります。父がまだ元気なうちから、死んでも絶対に出てこんといて!と頼んでいたくらいです。その父が死んだ後、広い家に一人きりになって怖いと言うので、兄貴(私の夫)が1ヶ月ほど泊まりに行きました。 兄弟は3人いますが、ほかの二人は父の夢は見ませんでした。たった一人妹だけが見ました。夢の中で父が妹の名前を呼んだと言うのです。 ひとり暮らしにもやっと慣れてきたのに、又妹の怖い怖いが始まりました。 今朝、仏前にご飯とお茶をお供えして、線香を立てようとして灰に硬いところがあるのに妹は気づきました。探ってみると燃え残った線香でした。灰と線香を混ぜて線香を立てて、一時してその線香立てを持とうとしたらすごく熱かったんだそうです。燃え残っていた線香に火が付いていたのです。危ないと思って妹は線香立てを水につけて冷やし、出勤時間が迫っていたので仏間のテーブルの上に置きました。その時にそばにあった紙袋を、又熱くなっても危ないからとテーブルの下に置いて出かけたのです。 仕事から帰ってきて、線香立てを仏壇の前に置こうと仏間に入ると、線香立てはもう仏壇の前に置いてありました。(兄が来たのかな?)と思い電話すると、来てないと言うのです。 確かにテーブルの上に置いていったはずだし、鍵をかけて出かけたのだから誰も入れないはずです。 16日の灯籠流しの夜、父の灯籠を流していると、3歳になる姪の子供が『ひいじいちゃんが手を振ってる・・・』と言ったそうです。幼い子供や動物には霊が見えると聞いたことがあります。 姪の子供の話を聞いて、父はあの世へ帰っていった、と妹は胸をなでおろしました。だから、父はもう家の中にはいないはずだと。だったら、誰が線香立てを仏前に・・・。 妹の恐怖は頂点に達していました。夫に泊まりに来てほしいとぶるぶると震えながら頼みにきました。 妹の思い違いに間違いないのですが、夫は泊まりに行きました。 私は私の父が死んだ後、幽霊でもいいから父に会いたいと思いました。夜遅く生前父が乗っていた漁船のそばを通りかかったとき、乗っていたバイクがボン!と大きな音を立てて止まったのです。思わず、『お父さん、出てこんといて!』と言いました。幽霊でもいいから会いたいと思ったのは嘘でした。 怖い話のついでに、たまたまふっと近所のおばあさんのことを思い出したら、その日がおばあさんのお葬式だったことがあります。 父が死んだ夢を見て2ヵ月後に本当に父が死にました。 長男がおなかにいるとき、天然パーマの男の子を産んだ夢を見ました。 また、夢の中でもう亡くなっている叔母さんに、女の子がほしいと頼みました。するとおばさんは、女の子を産ませてあげると言ってくれました。ついでにベッピンを生みたいとお願いすると、おばさんは私のほっぺたをぺろっと舐めて、これでベッピンが生まれると言ってくれました。 本家が火事になる夢を見ました。すると本当に火事になりました。 これは何なんでしょうねえ。 偶然? やっぱり思い違い? たった今、兄から電話がかかってきました。妹が余りに怖がっているので、拝み屋さんに拝んでもらったのだそうです。すると・・・・ 台風で墓の周りに木の葉やゴミがたくさん落ちているから父が墓の中に入れないから、それを知らせるために来たのだと・・・お~怖い怖い。 思い違いってことでは許してくれないのでしょうか? あなたはどう思いますか?
2006.08.21
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べっぴんさんです。 まだ1度もうちに泊まったことがないので素顔を見たことはありませんでした。いつもきれいに化粧してるから、息子に、『○○○ちゃん、化粧の時間が長いじゃろう?』と要らぬことを聞いてしまいました。『そんなことないでぇ。化粧に時間はかからんでぇ』 息子はそう言っていましたが、いつ見ても完璧でした。 今日は入院中なので素顔でした。 お見舞いに行って今日初めて気づきました。 うちの嫁さん、化粧が上手! 帰りに、『あぶと観音』にお参りに行って来ました。 近いのに1度も行った事がありませんでした。ここは『おっぱいの神様』で有名です。母乳がよく出ますように・・・と、おっぱいをたくさんお供えしていました。 安産のお守りと、もちろんおっぱいのお守りも買ってきました。明日、嫁さんと娘に送ります。
2006.08.20
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3人いる子供のうち一番最初に結婚した次男が離婚して子供を連れて帰ってきているが、娘は1昨年結婚して秋には母親になる。今年元旦に結婚した長男にも秋には子供が生まれる。一人リタイヤしているが、一応片付いた、という所。 世間的にはヤレヤレという所だが、そうはいかないようだ。昨夜長男から電話があった。腸に穴が開いたとか、感染したとか、果ては破れたら命にかかわる病気だとか言って、自分にもしものことがあったら後は頼みますと。 長男は30歳だが、今までに何度最後の挨拶をしてきたことか。劇症肝炎で救急車で運ばれた時も、もう死ぬんじゃないかとおろおろしていたっけ。居眠り運転でパトカーとぶつかった時も、もうわしはおらんもんと思ってくれと電話してきたはず。虫垂炎で腹膜炎を起こす寸前だった時も・・・。昨年は出張先のフィリピンで腹痛を起こし死ぬかも知れんと大騒ぎして急遽帰国し、結局は尿道結石だった。 おかげで夕べは心配で眠れなかった。今朝仕事の行きがけに電話してみると、点滴をしてもらって今は家にいる、嫁が早産しそうだから入院すると聞かされた。心配が又増えた。 夕方電話すると、長男の病気は『憩室炎』だという。1週間通院でいいらしい。どういう病気なのか調べてみると、大腸の壁に穴があく(ポリープの反対)病気で、心配な病気ではないらしいのでひとまず安心した。嫁さんはやはり入院したという。最近は、妊娠何ヶ月という言い方をしないらしく、妊娠31週とか言うので、さて何ヶ月なのだろうとはっきりしないのだが、出産予定日が10月初めなのに子宮口が開いてるらしい。胎児の体重がわかるようで、1200グラムしかないから早産しないように入院安静にしていなければいけないと言う。 何はともあれ、明日は長男の所へ様子を見に行ってこよう。心配は絶えないね。
2006.08.19
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入れ歯の具合がよくなくて、今日はお粥にしてもらったKじいちゃん。お粥の入った茶碗をじっくり睨んでいつものように職員を呼んだ。『このお粥を見てみろ! これでこのお粥は1合あるのか』 普通お粥は1合で4人分となっている。『一人分ちゃんと入れてますよ』と答えると、納得がいかない様子のKじいちゃん。『君達! お粥は一人分が1合ということを覚えておきたまえ。昔から、粥なら1合、飯は2合、寿司3合にもち4合と言うんだ!』 出たぁ~! Kじいちゃんの諺!『なになに? 教えて! 粥1合? それから?』 コホンと咳払いをしてKじいちゃんはゆっくりとさっきの諺を繰りかえす。『粥1合、飯2合、寿司3合に4合もち。成人男子ならこれくらいは食えるということだ』 先ほどまでの怒りをKじいちゃんはすっかり忘れたようだった。 Kじいちゃんをお風呂に誘導した。浴室まで歩きながら,Kじいちゃんはいつもこう言う。『あ~あ、歩くのがやっとだ。どうしようもない!』 服を脱ぎながら、『若いときは肥ってたのに、もうこの有様だ。どうしようもないね』と骨が浮き出た体を眺めながらいつもつぶやく。『わしは何番目に入っとるの?』と聞くじいちゃんに、さてどう答えたものかと一時考えて、『一番風呂よ』と答えた。すると、目を据えてたたみ掛けるようにじいちゃんが口を開いた。(出るか、諺!)『一番座敷に、2番風呂、と言うんだ』『座敷は一番?』『そう! まだ誰も入ってない座敷に一番に座るのは気持ちいい。反対に風呂は2番めがいい。湯加減はちょうどいいし、湯も柔らかい』『へえ~! そうなん? いいこと教えてもらった、ありがとう』 じいちゃん、まんざらでもない様子で、ばあちゃんとの馴れ初めを話し始めた。この話が始まると機嫌がいい証拠。しかし、ばあちゃんによるとこの話はまるきり嘘で、『あの人の話はうそばっかり。どうしようもないわね。どうしてあんな嘘言うんだろう』と呆れている。 3時のおやつに水羊羹を出した。『おいしいねえ。おいしいねえ』とKじいちゃん何度もつぶやきながら食べている。食べ終わってもまだ、『あ~、おいしかった。おおいしかった、きらまけた』(はあ?)『なになに? キラマケタって?』『おおいしかった、大石が勝った、きらまけた、吉良が負けた!』『あ~あ~、大石と吉良ね!』 Kじいちゃん、水羊羹がおいしかったようで、『あ~、おいしかった! ありがたいねえ。 蟻が鯛ならイモムシゃ鯨!』 食事のときにトレーに薬を乗せておくのだが、今日はお茶を注ぐときに薬袋にお茶がこぼれていたらしく、濡れているとKじいちゃんひどくご立腹。『なんだ、この薬は!どうなってるんだ!これじゃあ薬が飲めないじゃないか!』 じいちゃんが怒るのも無理はない。『ごめんね、今度から気をつけます。私が飲ませて上げるから口を開けて』と薬を口に持っていこうとすると、じいちゃんはまだ怒りが治まってないらしくなおも何か言おうとしている。粉薬がこぼれて、ますますじいちゃんが怒っている。 異常なくらいきれい好きなじいちゃんは、ズボンにこぼれた薬を見てますます怒る。『ここの職員はどうなってるんだ!薬も満足に飲ませられないのか!』 ズボンの粉薬を拭いている私を見ながら、じいちゃんは鼻をひくひく動かしている。『どぉ~しようも、ないね!』
2006.08.18
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8月16日は精霊流し、我が島では灯篭流しと言って、新仏の家では1メートルくらいの漁船の模型を流します。船には色紙で飾り付けをし、船頭と船方の人形を乗せ、生前故人が好きだったものを乗せます。我が家では今年は舅の新盆だったので、そうめんときゅうりなます、果物と柏餅、ちまき、何より好きだったタバコを乗せました。船の中央には帆を上げ、帆には『極楽丸』と書きます。 お坊さんのお経をいただいた後、海に流します。 波打ち際でたくさんの人とともに船を見送っていると、5歳くらいの女の子と父親の会話が聞こえてきました。『お父さん、船にはなんて書いてあるの?』『極楽丸』『何で、ゴクラクマルって書くの?』『極楽へ行くようにだよ』『ゴクラクってなに?』『天国のことだよ』『何でゴクラクじゃないといけないの?』『地獄へ行きたくないからだよ』『ゴクラクってかいたら 天国へ行くの?』『そう』大きい極楽丸に火がつけられました。『お父さん、何で燃やすの?』『早く極楽へ行くようにだよ』『燃えたら 何で早くいけるの? テンゴクって煙の中にあるの? お父さん! 煙って テンゴク?』『・・・・・』
2006.08.17
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うちの冷蔵庫には、3種類のお茶を冷やしてある。息子が会社に持っていく『ウーロン茶』。家族みんなの『麦茶』。コレステロール値を下げるために体重を落とさないといけないと言ったら、米屋さんがくれた『紅麻茶』。これはわたし一人が飲むお茶。それぞれペットボトルに入れ、キャップに名前を書いてある。おっちゃんが大声で叫んでいる。『お~~い! このお茶は 痩せるお茶かぁ~?』痩せればいいんですけどぉ。
2006.08.16
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『ばあちゃん、うきぶくろ ちょうだい!』と水着で出て行ったゆいかが又家に帰ってきた。浮き袋、浮き袋・・・確か押入れで見たような・・・。 押入れを探していると、ガムテープをぐるぐる巻きにした紙袋があった。これかな?と思って振ってみると、なんだかカタカタと音がする。これじゃあなさそう。これかな? 袋に入れてある浮き袋をゆいかに渡し、もう一度さっきの袋を手にした。どうも気になる。 ガムテープをはがして中を見てみると、写真立てが出てきた。次男(ゆいかの父)の結婚写真。18歳と19歳の幼い二人がにっこり笑って写っている。心なしか色あせた写真。 離婚した時にスナップ写真は全部処分したと言っていた。ゆいかのお宮参りの写真は捨てられなかったので、押入れの奥にしまってある。 他に箱が3個入っている。一つは表に《ティファニー》と書いてある。指輪だな・・・と思い開けてみると、やはり結婚指輪、それも息子のだけが一つ。お嫁さんの指輪が納まっていたところは空いている。(悲しいなあ・・・)そっとふたを閉めた。 残りの二つの箱にはそれぞれペンダントが入っている。二人がペアで買ったペンダントだろう。このペンダントをはずした二人の気持ちに思いをはせて、またそっとふたを閉めた。(悲しいなあ・・・) そう言えば、離婚して帰ってきた次男からこの袋を渡された記憶が蘇ってきた。『他の写真は処分したけど、この中に結婚写真が入っている。お母さんが処分して』と息子に手渡されたものだった。ガムテープの巻かれた袋を、処分できずに私が押入れにしまったものだった。 離婚の理由をあれこれ言うつもりもないが、なんと悲しい。愛の残骸とでも言うか、今まで目を瞑って見過ごしてきた現実に胸が傷む。あの時1歳だったゆいかももう4歳、もうすぐ5歳になる。 母を知らずに育ったゆいかの表情、歩き方が母親にそっくりでドキッとする。
2006.08.13
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朝礼に少し遅れてNちゃんが入ってきた。『すみませ~ん、遅くなりました』 見ると、エプロンの下から栄養たっぷりの素足が見えている。あわてんぼうのNちゃんのこと、ズボン穿き忘れてきたかなあ?と思いそばに行き耳打ちした。『Nちゃん、ズボン、穿いてないよ』『ウンウン、暑いけえ穿いてこんかった。おかしいかなあ?』 とNちゃんはエプロンの裾を手で押さえながら自分の後の裾を体をねじって見た。エプロンには背中にボタンが4個ついていて、本来ならウエストから下は開いていたのを裾を15センチほど縫い残してスリットにしている。『パンツ、見える?』『・・・見えんことはないよぉ。どうにかしたとき見えそうよ』『えッ! そうぉ? そうかなあ? 涼しいんじゃけどなあ』 納得がいかないような素振りでNさんは部屋を出て行き、更衣室から入浴介助のときの半パンを下に穿いてきた。 Nちゃんがどんなお弁当を持ってくるかが、わたしの楽しみの一つになっている。昨夜のキムチ鍋の残りを小鍋に入れて持って来、うどんの玉を一つ入れて温めてふうふう言いながら食べたりする。『くさいけど、ごめんよ~』 ある時、Nちゃんがテーブルに広げたのは大小さまざまの密閉容器。何が出てくるかと興味津津で見ていると、卵焼き、ゆでたほうれん草、かんぴょう、アナゴ、ご飯、海苔・・・そう、これは巻寿司? 巻き簾を敷きごはんを広げ、具を置きくるくるくる~っと巻いていく。『ハイ、初めての巻寿司~!』 巻き上がった寿司を包丁でパパパ~っと切ってお皿に並べた。初めてだけあって具は真ん中に入ってない。あはは・・と笑いながらNちゃんは巻寿司をみんなにも勧めている。『欲しい人は、自分で巻いて~』 テーブルにお弁当を広げている時に、Nちゃんの手元から何かが床に落ちた。『あら? 何かなあ?』と拾い上げると、『あ~、干し柿』と言うが早いか、手でささっとほこりを払い口に放り込んだ。(あちゃ~~・・・) 日に何度も雑巾がけしているとはいえ、土足同然の床である。呆気に取られて言葉が出ない。『食後にみんなで食べよう』と言ってNちゃんが梨を取り出すと、Sさんがさっと席を立ち包丁を持ってきた。『Nちゃんに梨を剥かしたら、せっかくの丸い梨が四角になる』『アハハハ、ごめん』『早いんよ、Nちゃんが剥いたら。そのかわり、四角!』『アハハハ・・・』 コーヒーカップにコーヒーと砂糖ミルクを入れ、食べ終わった割り箸でくるくるまぜながら、気にする風もなくNちゃんは笑っている。Nちゃんの手元を見て、みんなが呆れて笑っている。 こんなNちゃんのムードが大好き。実はNちゃんはれっきとしたホーム長なのだ。誰からも好かれるようじゃ一人前のホーム長じゃない!と前述のUさんは言うけれど、Nちゃんがいるだけで場が和むし、のんびりしているようで段取りはいいし、私は大好き。 女ばかりの職場はとかくごたごたが多いが、嫌いだと思っている人にもきっと得るものを持っているはずだから、キライ!と決めつけずもう少し温和な気持ちで接してみましょう、とNちゃんはいつも言う。
2006.08.13
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おばあちゃん二人の入浴介助をどうするか? 『昼から会議があるから、会議の後私が入れます!』 確かにUさんはこう言い切って帰ったはず。だから私は入浴介助をしませんでした。午後からの会議の後、あれよあれよと言う間に荷物を片付けてUさんはさっさと帰っていきました。私はあっけに取られてかける言葉を忘れていました。 今日。何で入浴させなかったの?と聞かれました。『はぁ? 会議の後Uさんが入れるって言いましたよ』と私は言いました。『そんなこと言ってません!』『言いましたよ』『いいえっ! 絶対、言ってません!』 そう言ってUさんは帰っていきました。 その後、午前中にわたし一人で入浴介助しました。昼からUさんがやってきて、『さぁ! 入浴介助するよ』『私が入れましたよ』と答えると、『私が入れようと思ったのに、なんであんたが入れたん?』 参ったなあ。今日は私の勤務なんですけどぉ。 キッパリ言い切るのは何? 私、何か間違ってますかねえ。
2006.08.09
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田舎では、何よりあいさつが大切です。だから、あいさつをしないって言うのは何より許せないことなんです。お年寄りにはなおさら。 生まれてからずっとこの田舎に住んでいるわたしにとって、すれ違う人全員にあいさつをするのはちっとも特別なことではありません。『こんにちわぁ』『こんにちわ。どちらへ?』 この問いへの返事は、『はぁ~い』だけでもいいし、『ちょっとぉ~』でもいいし、なにも『ちょっと血圧が高いんで今日は病院へ・・・』などと正直に答えなくていいのです。そもそも、あいさつなんですから。 町で暮らしている人には、この『どちらへ?』が非常にうっとうしいらしい。どこのどなたかわからない人にあいさつをすると言うこと自体が受け入れられないことのようです。 妹は長い間田舎を離れていました。もともと人に興味がないと言うのが根底にある人なんですが。親の介護をするために田舎へ帰ってきて2~3年になるでしょうか? 父が亡くなって今年は新盆です。近所からお供え物が毎日たくさん届けられます。今日もうちへ届けられました。『ちょっと外へ出てきてくれる?』と近所のおばちゃんがおいでになりました。外に出てみると老人カーに熨斗の付いた箱が載せられていました。『このうちはお父さんが亡くなってさびしゅうございましょう?』『大変お世話になりました。ありがとうございます』『近くに住むあんた達がご苦労じゃったね。○○ちゃん(妹)は帰ってきて何年もなるけど、いっぺんもあいさつしたことはないよ』『ごめんねえ。あの子は町で暮らして隣近所と付き合いをしてないけえなぁ』『いやいや、そんなことは通用せん。郷に入れば郷に従えで、顔が合うたら挨拶くらいはせにゃあ』 妹があいさつをしないのがどうにも許せないようで、おばちゃんの話は終わりそうにないのです。本当は父の仏前に線香をお供えして拝みたいけど、直接届けないでうちへ持ってきた、ひとこと言いたいから、とおばちゃんは言いました。『おばちゃん、ごめんよぉ。妹によく言うとくけえなぁ』 おばちゃんの老人カーのお供えものをいただいて本家へ持って行きました。妹に、『よくお礼を言うときぃよ。会うた時には大きい声で挨拶しいよ』とだけ言いました。これ以上は言えませんでした。 看板にまで挨拶してしまう私が妹の分まで挨拶しても、やっぱり二人分にはならないんですよね。
2006.08.08
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夫『年金はどうなってるんだ?』妻『貯金通帳に入ってるわよ』夫『今、いくらあるんだ?』妻『たくさんあるわよ』夫『使ってるんだからなくなってるだろう?』妻『なくなってないわよ』夫『そんな暢気なこと言っててどうするんだ?』妻『使ってもなくならないわよ』夫『・・・・どうしようもないね』妻『だって、ほんとのことよ。あなた、もう年金のことは言わないで』夫『何で言っちゃあいけないんだ?』妻『あなた、毎日年金のこと、言ってるわよ』夫『・・・そうか? 頭がパーになっちゃってるんだ』妻『どうしようもないわね』
2006.08.08
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母がお世話になっている老人ホームから電話がかかってきた。『土曜日の夕方夏祭りがあるのですが、来て上げていただけませんか?』 夏祭りがあるというのは義妹から聞いていたので、即参加の旨を伝え、ゆいかを連れて行くことにした。 6時過ぎに行くと、ホームの前庭の真ん中にはやぐらが組まれ提灯が下げられ、入所者とその家族がテーブルにつき食事が始まっていた。 ちょうどバルーンアートが終わった所で、次の出し物のエイサー踊りの人たちが玄関ポーチで出番を待っていた。寮母さん達は浴衣やアロハを着てお盆に料理を載せめまぐるしく動き回っていた。『こんばんわ。今日はありがとうございます。あのぅ、母は・・・』『お母さんは寮母室にいると思うんですが・・・』 寮母主任に聞いていると、リクライニングの車椅子に乗せられて母が玄関から出てきた。『今日はお母さんは機嫌がいいですよ』 見ると、目もパッチリ開いている。『お母さん、カヅ子さん! 今日は祭りよ。太鼓、聞こえる?』 うつろなまなざしは、祭りの提灯の上あたりに出ている白い月のほうを見ている。『カヅ子さん、月を見てない? 車椅子をもうちょっと起こしてあげようか?』 そう言って寮母さんが背もたれを少し起こしてくれた。でも母の視線はやはり月を見ていた。 エイサー踊りに続いて、町内の踊り保存会による『うつみ音頭』、浴衣をドレスに変えて『フォークダンス』と続いた。玄関ポーチで母の車椅子の隣に腰を下ろして踊りを見ていると、通りがかりに寮母さん達が声をかけてくれる。『カヅ子さん、今日は娘さんが来てくれてよかったね』『カヅ子さん、踊り、見りょうる?』 母の耳元に口を寄せて、ほっぺたをさすりながら声をかけてくれる。 フォークダンスを終えた人たちが玄関へやってきた。中の一人が母に声をかけてくれた。ヘルパーを長い間していたしーちゃんだ。母は直接介護をしてもらってはいないが、しーちゃんには母だけでなく姑もかわいがってもらった。母親を早くに亡くしているから、おばさんたちのことは母親のように思っている、としーちゃんはいつも言っていた。 しーちゃんは母の耳元で、『おばさん、しーちゃんでぇ、わかるぅ?』と何度も言った。最近は私が声をかけても表情は全然変わらなくなっているのに、しーちゃんの声に母の目が生きたような気がした。『おばさん、わかる? おばさん、えらい目に遭うたなあ』 母の足を案じてしーちゃんがそう言うと、母の左目から涙が一筋つーっと流れた。 私は驚いてしーちゃんと顔を見合わせた。 一時、言葉が出なかった。母の涙を指でぬぐって、しーちゃんに、『ありがとう』と私は言った。それしか言えなかった。 やぐらの周りには『炭鉱節』の輪が出来ていた。私は、施設長に手を取られ踊るゆいかを目で追った。ぼんやりと赤い提灯が風に揺れている。 母のまなざしの向こうで、月はもう黄色くなっていた。
2006.08.06
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先週娘の住む徳山へ行ってきた。娘は只今妊娠8ヶ月。4月に里帰りした時はまだ4ヶ月でおなかはペタンコだった。母心としておなかの大きくなった娘の姿は見てみたい。それとは別に、こっちに戻って出産するように説得する目的もあった。 徳山に着き改札を出たところで、息せき切って階段を上ってくる娘が見えた。私とゆいかが違う改札を出やしないかと慌てて階段を駆け上がってきたらしい。大きいおなかをかばうようにハアハア肩で息をする娘がまぶしい。ジーンズにトルコブルーのタンクトップ、白の綿ローンのチュニックで相変わらずおしゃれに決めている。『おなか、大きゅうなったなあ』と言う私に、『あんたにはまだ負けとるじゃろう』と返答する。ゆいかもおなかの大きい娘を遠巻きに見ている。 車に乗り、早速例の話題に入る。『病院へはお父さんでも弟でもおばちゃんでもいつも誰かが連れて行ってくれるよ』『そんなこと言うけどなあ、誰もおらん時に痛くなったらどうするん?』『その時はタクシーで行けばええがぁ』『徳山のほうが病院が近い』『福山でも20分で行けるわ』『20分は無理じゃろう?』『ん・・・25分』『25分は無理じゃろう?』『・・・30分あったら行ける』『あんたがどう言うても徳山で産むよ』『たけちゃん(だんなさま)がおらんかったらどうするんよ』『立ち会ってもらっても産みの苦しさはだんなにはわからん!て、ナオミちゃんが言うてたよ』『それじゃあ徳山で産むとして、退院後その足で車で福山へ帰るんは無茶よ。それならお母さんが徳山へ来るけえ、せめて2週間はじっとしとき』『だいじょうぶっ!』『だいじょうぶじゃないって!』 この繰り返し。買い物中に娘がちょっと離れた隙に婿に、『岩みたいに強情な子じゃねえ』と言うと、『ハイ、強情です。あんまり言うと黙りますから』と全くよく辛抱してくれていて頭が下がる。 水曜日に検診に行ってきたと娘から電話があった。『先生に退院後車で実家に帰るって言ったら、別に問題はないでしょう、って言ったよ』『まっ!なんちゅう医者!』『乳母がついとればっちゅうことよ』『わたしか?』『そういうこと!退院の時にこっちへ来てぇ』 昔のことを言うと嫌われるが、私が産んでた頃は、産後は大変だった。アクの強いもの(なす、ごぼう)は食べちゃあいけない、産後一ヶ月はお風呂にも入っちゃあいけなかった。 親戚の長老というべきばあちゃんが私の髪の櫛目を目ざとく見つけ、『髪を梳かしたんか? 産後髪を梳いたら先になって髪が抜けてはげる』と怒り、母に買ってきてもらった赤飯を食べていると、『産後あずきを食べると裾から空気が漏れる(?)』と怒り、字を見ていても、目が上ると言って怒った。 座るときにも裾に冷気が入らないように気をつけろとか、肘をついて寝てはいけないとか、毎日やってきては産後の私を怒ったものだ。 今の娘にこんなことを言うと、『汚ぁ~っ!』と言われるのが落ちだ。産後には病院からお祝いの膳が出ると言うし、シャワーは許可されてるし、昔とは偉い違いだ。 胎児に栄養が行くようにと食べて食べてどんどん肥って、産後は産後で、母乳がよく出るようにと栄養のあるものを食べてどんどん肥って(これは私のことです)。 『これ以上体重が増えるといけないのでカロリー制限出されたよ』と娘は言っている。そう言えば、私は出産までに20キロ肥って4キロ近い子を産んで、産むたびに体重を増やして今に至る。今の妊婦さんはスマートだもんね。 で、結局娘の出産は徳山で、退院の日に私が徳山へ行き車で一緒にこっちへ帰ってくる。産後の世話はこっちで見る、ということになりそうだ。
2006.08.05
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職場のSさんは、料理好きらしく調理器具を買うのが趣味と言っていいくらい通販で買うのが好きだ。テレビショッピングで圧力鍋を注文したと昼食時にその圧力鍋がどれほど優れているか話して聞かせてくれた。届いたら料理して食べさせてあげるからねと約束してくれた。 まず『豚の角煮』、次に『さんまの生姜煮』、『煮ごぼう』と持ってきては披露してくれた。どれも柔らかくおいしかった。これが何分、これが何分で出来たと説明してくれるのを聞いていると、だんだん欲しくなってきた。1個だといくら、2個買うと少し安くなるとかで、私とKさん、Tさん、Nさんの4人がまとめて注文することで話がまとまった。 圧力鍋が届いたのが7月23日。届いたその日にわたしは箱を開けて鍋を出し、説明書保証書はちゃんとファイルに挟んで戸棚にしまい、鍋はいつでも使えるように棚に置いた。 4人が一堂に会したのは7月31日。開口一番Kさんが、『圧力鍋、使った?』と聞いてきた。私は『説明書読むのが面倒だからまだ使ってない、使い方教えて』と頼んだ。『もう信じられな~い!』とKさんは呆れて笑った。Nさんに、『鍋もう使った?』と聞くと、『まだ車に乗せたままだ』と答え、『わたしが一番ひどい、すみません』と謝るので又笑った。『Nさん、血液型、A型?』と聞くと、『そう、A型。A型らしくないA。』『わたしもA型。』とわたしとNさんが顔を見合わせて笑っていると、Kさんも、『わたしもA型』ウンウン、Kさんは確かにA型らしいA型。納得・・・。ならTさんは?絶対にまだ使ってないだろうと聞いてみると、これが以外や以外、もう何回か使ってみたらしい。ちなみにTさんは自宅が空き巣に入られたのに何日も気づかなかった人だ。気づいて被害届を出したら、なんと2回も入られていたらしいと暢気に笑っているような人だ。『Tさんは何型?』と聞くと、『A型よ』と答えたのには全員ひっくり返った。 血液型診断のなんといい加減なことよ。
2006.08.03
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実家の庭の草取りをしたのが確か土曜日。その時草に混じって15センチほどの丈のウルシらしきものを抜いた覚えが・・・。よく日曜日にはお墓参りに。その時は蚊の大群がまとわりついたっけ。 月曜日に出勤前に鏡を見ると首にポツポツ赤い斑点が出来ていた。(昨日蚊にやられたかな?まさかこの歳でキスマークだとは思われまい、ムフフ・・)と気にもせず仕事に出かけた。 火曜日。首の斑点が広がってぶつぶつになり、ピリピリ痒くなってきた。夕方にはほっぺたや顎、口の周りまで赤くなってきた。(掻きすぎたかな?)そう思いながら4時に保育所へゆいかを迎えに行った。 ゆいかと同じクラスのさえちゃんのお母さんは看護士なので首を見てもらった。『ウルシか何か触ってない?』『そう言えば土曜日に・・・』『病院へ行ったほうがいいよ。どんどん広がるよ』 それで慌てて帰りに病院へ行ってみた。その時の私の格好が、痩せる予定で買っていたけど結局痩せなくて着ているMサイズのTシャツ、二の腕ぴちぴち、息子のお下がりのハーフパンツ、おなか回りが隠せると思って着ているエプロン、実は昔の妊婦さんに見えてるらしい、首にはタオル、化粧はとっくに落ちている。 診察室に入ると先生が、『どうした?』と聞いた。『先生、ウルシを触ったみたいで・・・』と首を見せながら椅子に腰をかけた。『そんなもん、触っちゃあいけんどぉ。薬を塗っとけ。リンデロンと・・・』と横にいる事務の人に薬の指示を出している。『はい』と診察の終了を告げる先生。『先生、注射は?』とわたし。『薬を塗れば治る』『はい・・・ありがとうございました』 お辞儀をして立ち上がる私を上から下まで見て先生が言った。『風呂に入ってウルシを洗いながさにゃあいけんどぉ』『はい』と返事はしたものの、(何で風呂?)と思いあぐねながら診察室を出た。 一体私は先生の目に(世間の目に)どう映っているんだろう?たった今まで草取りをしていたように見えたのかなあ。
2006.08.02
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狭い島だからいい事も悪いこともすぐに周知のこととなる。 母の足の手術のことも誰に教えたわけではないが知れ渡っているようで、先日も聞かれ、又今日も聞かれた。『お母さんはどうな?』『あんたがわかるか?』『それでお母さんはどの辺から足を切ったんな?ここか?この辺か?』 矢継ぎ早に質問してくるそのおばあちゃんが舌なめずりでもしているような顔に見えたのは私の僻みか。『おばちゃん、お母さんは元気よ。』と言う私に、『お母さんはもう丸ボケか?』と畳み込むように聞いて来る。『足はどの辺から・・』なおも聞いてくるおばあちゃんの丸い背中を抱きかかえるように、わたしは答えた。『おばちゃん、悪いとこがなくなって楽になったと思ってやって。』 おばあちゃんは母よりかなり年上だと思うが、母とはカラオケ教室で一緒だったらしい。『あんたのお母さんとカラオケへ行っておもしろかったのにのぉ。わしゃあ、かわいそうで・・・へてから、どの辺から・・・』『おばちゃんにはようかわいがってもろうて、ありがとうなぁ』 まだ聞きたそうなおばあちゃんの背中をさすりながらそう言って、私は店を後にした。 僻んで取れば不幸が増えるだけ。 笑って過ごしましょうでぇ!
2006.08.01
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やっぱり今日も朝から口を開くと『帰りたい、連れて帰って』の連発だった。私の顔を見るや、『さよちゃん、あんた車の運転できるんな?』とチエコさんは聞いてきた。 『私は帰らにゃあいけんのんよ。大阪から弟が帰って来とるんよ。ごはんして食べさせにゃあいけまぁ』 チエコさんは私の手を取りさすりながら話し続けた。『チエコさん、弟さんは帰って来とらんよ。姪御さんがそう言ようったよ』『そう? あの子がそう言ようった?』『この前来たときにそう言ようったよ。きれいな子じゃね』『そうよ、べっぴんなんよ、さよちゃん』 話が横にそれてほっとしたのもつかの間、『あの子はなあ、母親が死んでからずっと父親の面倒を見てきたんよ、嫁にも行かんと。家に帰って私があの子に嫁に行くように言うてやらんと。私しか言うてやるもんがおらん』 又話は元に戻っていくようだ。『さよちゃん、つれて帰ってちょうだい』 勝手に連れ出せないと言うと、タクシーを呼んでくれと言い出した。チエコさんの家はここなんよ、と何度言っても、『なぁ~に言ようるんな、わたしの家であるもんか』 午前中いっぱい繰り返し、昼食を食べたあともチエコさんはデイルームを動こうとしない。いつもトイレ誘導をしても根が生えた様に動かないチエコさんが、一人でソファから立ち上がりトイレに行っている。乾いた洗濯物を各部屋に配っている私を捕まえて、チエコさんが言った。『さよちゃん、あんたに暇乞いをせにゃあいけん、バスで帰るけえなぁ』 はぁ?と呆れる私に構わずチエコさんは自室に入り、ベッドの上のラバーシーツやタオルケットをたたみ、棚の紙パンツやパッドを紙袋に入れ始めた。しばらく好きにさせておいて、見に行くと汗びっしょりかいてまだバッグに着替えを詰めている。『チエコさん、暑いじゃろう?クーラーかけようか?』 そう言う私に一瞥くれただけでチエコさんの作業は続く。 4時になり引継ぎのUさんがやって来たのでチエコさんのことを報告すると、Uさんはチエコさんのところに行き、『いいよ、チエコさん、帰りたかったら帰り。そのかわり一人で帰るんよ』と大きな声できっぱりと言った。(なんと言う冷たいことを・・・)と私はチエコさんがどんなに悲しむだろうと気遣った。しかし私の心配をよそに、『帰ってもええ?』とチエコさんの顔がパッと明るくなった。 帰りたい、帰りたいと言う人に、帰っちゃあだめと言ったら益々帰りたくなる。帰りなさいとキッパリ突き放したほうがいい。そのほうが頭がすっきりするのだと教えてくださった。 朝から殆ど一日中チエコさんの帰りたいに付き合って、どうしたものかと考えあぐねて説得してきたのは徒労だったわけだ。又一つ私の頭の霧が晴れた。
2006.08.01
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