40日の旅

40日の旅

母子家庭2



離婚、2年目くらいに姉から「岐阜でこの教会に通ってみたら~」と電話があったので、行ってみました。
「岐阜キリスト教会」でした。

子どもと通えなくては・・・と教会学校に連れて行きました。
同じ年代の子もいるから大丈夫!と思っていたら、なんと大嫌がる我が子。
どこでも、気後れしないで入っていくあの子が・・・信じられない・・・
少し通ってみても、挙句には脱走・・・
子どもがウロウロして私も礼拝を落ち着いて聞けない・・・
・・・脱落・・・

教会に行くのは、長野に行く時だけのイベント化しつつ。

でも、そんな事も重要性を感じず、日々を過ごしていました。
が!なんとも言えない不安感からはどんな時も逃げ出す事が出来ない自分がいつもありました。理由は全く解らないのですが・・・


保育園時代には、園の先生方の絶大な支援が支えとなっていました。
我が家の家庭事情をよく理解してくださり、夜9時半まで保育してもらった事もありました。
怪我して毎日消毒に病院に通う必要がある時、近くの外科に先生が自転車に乗せて通ってくれる。
保育中に発熱!普通なら「すぐ向かえに来て」と連絡が入るが
他の子と隔離して保育しました、と仕事を抜けられない私の事情を把握していて下さる。
小学校に入ってからは、学校が終わって友達の家に「ただいま」と帰って行き、その方の都合が悪い時はもう一人の方のお宅、又は保育園、と。
本当に助けて頂ける方が必ずありました。

それも、私が頑張っているから皆さんに支えて頂けるのだ、と信じていました・・・

母子家庭である事で、嫌な思いをした事もあります。
私に対して言われる事は我慢するしかないのですが、子どもに対して言われると、もう黙ってはいません。

ある日、保育園に子どもを迎え、車に乗せたらあるお母さんが「これお父さんと食べや~」と子どもに玉子(なぜ玉子?)を差し出しました。
我が子は無言です・・・とっさに「玉子はアレルギーで食べられないのでごめんなさいね」とお断りして運転・・・
「ん?ウチが母子家庭って知ってるだろうが~~~!!!」
怒りがメラメラ!自宅に着き、思わず保育園に電話をして「一言、あの方にお話しさせて頂きたいのですが」と事情を説明すると「何たる事!はっきりおっしゃってくださいね!全面的にフォローしますから」と電話番号を教えて下さいました。
まともな話しにはなりませんでしたが・・・

色んな事がありましたが、私自身、益々高慢になり「がんがん稼いで、子どもを養って行くんだ~!」って体育会系の精神が高まって行くばかり・・・
職場で「辛抱のツワモノ」とか「陰なる最強の女」と言う異名を取ったのはこの頃でした。






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