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椿荘日記
マリのブードゥアール
さて、このお話は、今からずうっと昔、でも気が遠くなるほどでもない昔のお話です。
美しい山々や森林、湖に囲まれたとある王国に、一人の若いお姫様がおりました。
そのお姫様は長く艶やかな美しい髪を持ち、星のように輝く機知に富んだ瞳と、透き通るような白い肌、形の良い可愛らしい唇、誇りある一族であることを示す筋の通った鼻梁の、比類ない美しさでしたけれど、とても傲慢で我侭でした。
お姫様は17歳のお誕生日を迎え、そろそろお婿さんをお迎えするには決して早くはない年齢でしたので、早速父上である王様は、有力貴族、大臣や廷臣といった宮廷の方々のご子息にお振れを出し、求婚者を募ることに致しました。お姫様の美しさと賢さを思い、しかも次の王様になれると知った、若き貴公子達は色めき立ち、我こそはと、盛装で王宮の大広間へと集まります。
その様子に王宮のはずれにある高い塔の天辺の部屋で、古い書物を広げ読んでいたお姫様は、首を傾げ、ため息をつきました。
「まあ、お父様ときたら、あの鶏のように着飾り、驢馬の様に間抜けな連中に私を娶わせようというのかしら」
お姫様は侍女に助けられ、美しい髪を結い、一番威厳のある素晴らしい衣装に着替え、宝石を散りばめた髪飾りを付けて大臣に導かれ大広間と向かいました。
玉座を中心として、大理石の柱が立ち並ぶ、見事な綴れ織りの壁掛け布に覆われた大広間には、名の知れた大貴族は勿論、ありとあらゆる宮廷人とその夫人が華麗な服装でひしめき、その中央には、多くの貴公子達がお姫様のお出ましを今か今かと待ち受けておりました。そこに大臣が先触れを勤め、多くの侍女に傅かれたお姫様が静々とやってきました。
お姫様は玉座に座る王様とお后様に軽く会釈をすると、居並ぶ人々に向かって艶然と微笑んで、その可愛らしい唇を開きました。
「諸侯、諸氏並びに奥方殿には、わざわざ集まって頂き、大儀に思います。私の夫を選ぶにあたっては、少しばかり質問をさせて頂きたいたいのです。宜しいですね」
早速広間に机と椅子が用意され、両脇に厳めしい学者達を従えたお姫様は、机に軽く両肘を着き、胸の前でほっそりとした腕を組み、一人一人を呼んで椅子に腰掛けさせました。
何しろ、教養と学識で名高い姫の質問ですので、貴公子方は自分の番ではないのにも係わらず、つい固唾をのんで耳を欹てます。一番最初の求婚者は、王様の弟君である大公殿下のご嫡男でした。お姫様の愛らしい唇が、再び夢見るように開きました。
「海に生っている苺は幾つ?」
大公殿下のご嫡男は一瞬耳を疑いました。「はて、海に生っている苺とは・・?」。栄えある大公殿下のご嫡男の困惑としどろもどろの対応のうちに、お姫様は即座に「結構ですわ」との答えを出し、次から次への求婚者たちはそれぞれ余り変わらぬ反応でお姫様の拒絶に出くわし、ある者は辛うじて「・・それは海ほうずきのことでは・・?」と答えようとしたのですが、やはり他の貴公子方とそう変わらぬ対応で一蹴されてしまいました。こうして、宮廷中のすべての求婚者は、お姫様によってお婿さんに相応しくないとの判断を下され、王様は頭を抱えてしまいました。
「それならば」と今度は国中の騎士、郷士、果ては市井の学生まで候補として集められましたが、やはり誰一人としてお姫様の問いに答えられず、こうして国中の若者は全てお姫様に拒まれてしまいました。
流石の王様も、お姫様の傲慢さに激怒し、王宮の地下に昔から住む魔女に頼んで、宝石の中に閉じ込め、森の中に捨ててしまいました。
その宝石は鶏の卵ほどの大きさで、海のように深い青色をし、中に居るお姫様からは外の世界ははっきりと見えるのですが、外側からは、しっかりと見つめなければお姫様の姿は見えません。お姫様は余りのことに驚き悲しみながらも、仕方無く、ころころと山野を転がって行きました。昼は鴉や野犬を避け、夜は野鼠や大蜘蛛の恐ろしい姿に怯えながらも、山道を転がって行きますと、やがて大きな町に辿り着きました。世間知らずのお姫様は、この町こそ父上である王様が治めている国の、城下町とは知りませんでした。
物珍しさと、恐ろしさで人目を避けながら、とある閑静な、大きな屋敷の立ち並ぶ広い通りにでました。固い石畳の上を、あちらへ転がりこちらに転がりしていると、その中でも一際豪華なお屋敷の前に止まりました。
お姫様の住んでいた宮殿よりは流石に見劣りがしますが、お屋敷の正面には華麗な装飾が施され、かなりのお金持ちのようです。
これからこのお屋敷の持ち主が出掛けるのでしょう、四頭立ての鹿毛の馬に引かせた美しい馬車が、玄関に横付けされています。宝石のお姫様は、気が付いてもらえるよう、ころころと、馬に踏まれぬよう注意しながら馬車に近づいて行きました。
やがて、美しい身形の紳士が優雅に階段を降り、馬車に乗りこもうと従者の手を借りて踏み台に足を掛けた時、足元に輝く青い宝石を見つけました。
「おお、これは珍しい」歓声を上げながら、お姫様の入った宝石を拾い上げると従者に拭かせ、嬉しそうに目を近づけました。「ほう、なんと珍しい、中に美しい彫刻が忍ばせてあるではないか」。この屋の主であるお金持ちの名士は、外出を取りやめ、宝石を大事そうに抱え、部屋に戻ることにしました。
金の縫い取りのある緞帳で飾られた美しい部屋の、彫刻の施された机の上にある絹の小布団に、宝石のお姫様は恭しく乗せられました。凝った部屋着に着替えた名士は鼻歌交じりに宝石を取り上げ、鏡に向かって胸元に当てたり額に飾ったりと、自慢の美貌と取り合わせることに余念がありません。おまけにすっかりお姫様のことを彫刻と思い込み、何度話しかけようとしても、全く聞いてくれる様子はありません。
「おお、美しい宝石よ。汝は我不滅の美貌にぴったり、じゃ。どのようにしようかのう。ブローチにはちと大きすぎ、我家の栄えある剣の柄には豪華すぎ、そうよの、この美しい彫刻を生かして、時計もよろしかろう。」早速腕扱きの時計細工師を呼び寄せる為、召使を呼びますが、何しろ広いお屋敷ですので応答は無く、仕方なしに小言を言いながら、凝った装飾の豪奢な部屋から出て行きました。お姫様は身近でチクタク言われるのが嫌さに、坐りの良い小布団からまろび出て、屋敷の外に逃げ出し、愚かな自惚れ屋のお金持ちなど最低と、もう少し話のわかる人物を探しに行きました。お屋敷街を抜け、暫くころころと転がっていると、ある整った身形の実直そうな中年の男の足元で止まりました。
「おや、なんて素晴らしい宝石だろう」。男は嬉しそうに宝石を拾い上げ上着で泥を拭きながら、家に持って帰りました。
男は銀行家でした。早速分銅を使って重さを量り、ためつすがめつしながら宝石を値踏みしましたが、中に居るお姫様の姿には気がつきません。
「これはきっと名のある宝石に違いない。売ったら、この間から目を付けていた、あの土地が買えるかもしれん。そうそう、豊かな牧草地で、投資するにはもってこいのあの土地が。」
銀行家は人を遣って宝石商を呼ばせる為、お姫様の入った宝石を、大きな事務机の上に慎重に置き、部屋を出て行きました。お姫様は売られるなど堪らないと慌てて机の上から転がり落ち、銀行家の家を逃げ出して、再びころころと道を転がりはじめました。
考え考え、暫くころころと転がっていると、ある古びた家の戸口の前に止まりました。その家には年を取った博物学者が住んでいました。
博物学者は、丁度届けられた手紙をポストから取ろうと外に出たところでした。
「また、だめか。あの馬鹿共。わしの発見の価値をわからん無学な奴等め。スキヤポデスを見つけた最初の栄誉を妬んでおるのかな。ふん、この世界ときたらまったく・・。」手紙を読みながらぶつぶつ文句を言っていた博物学者は、ふと足もとの青い宝石に気がつきました。
その卵のような大きさと形、深い海の様な青色の不思議な物体に老学者は興味を持ち、拾い上げて、古びたガウンのポケットにいつも忍ばせている天眼鏡を取り上げ、日差しにかざしながらしげしげと眺めますと、中にいるお姫様に気がつきました。「おお、これは・・これこそは捜し求めていたホムンクルスの卵ではないか!・・やっとわしにも運がむいてきたぞ!」
老学者は膝をがくがくさせながら、有頂天の様子で宝石を大切そうに抱え、数え切れないほどの書籍の積まれた、薄暗く埃だらけの書斎へと入って行きました。
お姫様は、やっと自分の存在に気がついてくれたことに喜び、物珍しそうに中を覗き込む老学者に、必死で自分の置かれた境遇を話しましたが、目も悪く、耳の遠い老学者は、宝石が細かく震えているようにしか聞こえません。
「ははあ、これは孵化する直前の赤ん坊だな。おぎゃあおぎゃあと泣いておる。可愛いものじゃて。さて、どうしたものか。そうそう、わしの発明した孵らん器にいれてと・・。そう温度には気を付けんと、この間は雛にならず、ゆで卵になりよった・・そうそう慎重に、な。・・そうこれでよし、と。」
老学者は、目当ての文献を探すべく、書籍の山を掻き回しはじめました。さて、お湯の張られたなにやら怪しい箱に入れられたお姫様は暑くてたまりません。雛扱いされたこともあり、期待は出来そうもありません。一心不乱に何事かを調べている背中を尻目に、箱からこっそり逃げ出し、戸外に出て、再び道をころころと転がり始めました。
しばらくでこぼこした石畳を我慢して転がり続けますと、大きな門柱に支えられた鉄の門扉の前に行き当たりました。青い芝生の張られた広い庭が、大きく開かれた門扉の向こうに見えます。お姫様の宝石は、ほっとしてその広場に転がり込みました。そこは大きな大学の庭でした。
行き交う学生に踏みつけられぬ様、用心してころころと転がって行きますと、芝生の上に置かれた書物に当たり、宝石は止まりました。
その持ち主は芝生に座り込み、分厚い眼鏡を掛け、眉根に皴を寄せ、口をへの字に曲げて何やら書付を読んでいましたが、余りに書付に夢中なっておりましたので、傍らの宝石にはしばらく気が付くことはありませんでした。ふと思いついたらしく書物の上に置かれた鉛筆を取ろうと手を伸ばしたとき、やっと青い石に気が付いたのでした。
「おや、何時からこんなところに。さっき腰を下ろした時には無かったはずだが・・。学生達のたちの悪い悪戯か?気を付けねば。この間は贈り物と称して、見事爆発物を送りつけられたからな。まあ、その製造法を教えたのは他ならぬ私だが。ふむ・・。まあ危険なことはなさそうだな、一種の鉱物の様だが。中には・・ほう珍しい、人型をした不純物が入っておる」
お姫様は、この人物の考え深いまなざしや、落ち着いた様子に今度こそと考え、再び理路整然と自分の置かれた境遇を話しましたが、この教授らしい科学者は疑り深い様子で、宝石の中のお姫様を観察し続けました。
「ふむ・・。何やら振動音が聞こえる。小さいが人語の様にも聞こえる。これは珍しい。何か新しい物質、新元素かもしれない・・。ふむ、きらきらと輝いて仕切りに運動、変形するとは・・。しかし、本当に見事な人型をした不純物だな、これほど人の形に似るとは、自然とは本当に計り知れない造形を偶然の元に作るものだ。これを愚か者どもは神の奇跡とか、悪魔の企みとか呼ぶのだろうが・・全く下らん!」
科学者は、書付と書物を持ち、宝石を上着のポケットの中に無造作に突っ込み、自分の研究室に向かいました。
科学者は殺風景な部屋の、奇妙な器具が並ぶ広い机の上に慎重に宝石を置きました。そして青く光る人工の光を当て、様々に角度を変えて再び観察し始めました。
お姫様は、青い光の眩しさと、あちらこちら角度を変えられ、じろじろと無遠慮に見られることに、すっかり怯えて落ち着かなくなり、じっと動くのを止めてしまいました。
科学者は次々と器具を代え、重さを量り一部から光線をあて屈折率などを調べたりしていましたが、ついにこれは矢張り成分分析をしなければと、突然金槌を振り上げました。
これにはお姫様も堪らず、飛び上がるようにして科学者の骨ばった手を逃れ研究室の床を慌てて転げて逃げて行きました。
その様子を唖然と見ていた科学者は「・・ふん、矢張り学生の悪戯か、下らん。」と肩をすくめ、後を追うことなく、再び実験器具に向かいました。
命辛々科学者の手を逃れたお姫様は、やはり頭の固い学者ではなく、若い方に助けてもらわなければと、木陰で休む一人の青年の足元に近寄りました。
青年は退屈らしく、仕切りに頭を掻き、欠伸をかみ殺していましたが、ふと足元の綺麗な宝石に気が付き、おやという表情で、お姫様をつまみあげました。
そして人の良さそうな表情で、宝石の中のお姫様を見つめ「やあ、綺麗なお嬢さん。こんなに狭い場所で何をしているの?」とのんびりとした口調で話しかけました。
お姫様はやっと人間だと気が付いてくれた嬉しさに、一所懸命自分の境遇を話し、助けてくれるよう懇願しました。無邪気な青年は耳を近づけ、うんうんと熱心に聞き入っているようでした。
お姫様の訴えを一通り聞いた後「そうか、それは災難だったね。酷いお父上だ。同情するよ。うん、全く。そうそれはそうと、君、これから舞踏場に踊りに行かないか?どうも最近退屈でね。授業はつまらないし、そうだよ踊りに行こう。だからさ、早くそんなつまらない場所から出ておいでよ。君くらい可愛いと仲間に自慢できるしさ。そう、ビールを飲んで騒いだら憂さも晴れるというものだ・・。」お姫様は青年の他愛なく、無邪気な会話にだんだん腹が立ち、お仕舞いにはすっかり失望して、何時までも自分の楽しい思いつきに夢中になってまくし立てる青年に、こっそりと別れを告げ、その場を転がり去りました。しばらくしてお姫様の宝石が無くなったのに気が付くと、慌てて周りを見回しましたが、少しばかりがっかりとした表情の後、目の前を通りかかった、可愛らしく着飾った若い娘に気を取られ、そのまま宝石のことは忘れてしまいました。
一方再びころころと道を転がるお姫様は、青い宝石の中ですっかりしょげてしまいました。立派そうな人たちも、賢そうな人たちも、親切そうな人たちも自分のことなど意に介さず、助けようともしてくれない。いえそうではない、自分は如何に傲慢で他人の言葉に耳も貸さず、思いも拠らぬ道を進んでいたことに何故気が付きもせずいたのだろうか。狭い世界で、思い上がった考えにすっかり目が見えなくなっていたのだろうと自分を責め、王宮の、自分を慈しんでくれた両親や、一身に仕えてくれた侍女や家臣の心を思い、そして懐かしく思い出し、涙が止まりませんでした。
硬い石畳を再びあてもなく悄然と転がるしかない宝石のお姫様は、とある広場に差し掛かりました。そこには笑いさざめく子供立ちに囲まれた、そう若くはないみすぼらしい男が、人形芝居の小屋の前で熱弁を揮っておりました。
一幕物の喜劇と見えて、万雷の拍手の中、男がお辞儀をすると、子供たちは満足げに感想を捲くし立てながら、広場を去って行きます。初めて見た光景にお姫様の宝石は、その場でぼんやり立ち止まっていますと、片づけをしていた男の手がふと止まりました。「おや、石畳の上に星の輝きが・・?」近づいてきたのは男の方でした。
お姫様の宝石を見つけると、首をかしげながら手に取り「夕べの流れ星が、こんなところに御逗留とは気の毒に・・」とつぶやきながら中を覗き込み、はっとした様子で語り掛けました。
「これはこれは、星よりの姫君。一体どうされましたか?」
お姫様は、初めて向き合ってくれた澄んだ瞳と微笑みにすっかり動揺し、思わず「海になっている苺はいくつ?」と呟いてしまいました。
男は少しの間考え、やがてクスクス笑うと答えました。「木に生る鰊と同じだけ、かな?」
男は貧しい詩人でした。
詩人は大切そうに古びたハンカチで宝石のお姫様を包むと、ぼろぼろの建物の五階へと連れて行きました。
屋根裏部屋には粗末な机と椅子、硬そうな寝台しかありません。詩人は窓際に置かれた机の上の、小さな草花を挿した空瓶の横に、お姫様を坐らせました。
「さあ、宜しければ、この不思議な状況をお話し頂けますか」
優しい問い掛けにお姫様は宝石に閉じ込められたいきさつを話しましたが、今までのこと、お金持ちの自惚れ屋や、銀行家、偏屈な博物学者や、頑なな科学者、無邪気な青年のことなどは話しませんでした。
静かに耳を傾けていた詩人は、不思議な話を語り始めました
「愛する者の為に、心臓を鋭い棘で貫き、赤いバラを拵え様としたナイチンゲールと、貴方のお話はさほど変わらないと見えるね。世の中には不思議なことがあるものだ。そう、姫君に恋をした悲しい小人の話もね」
するとお姫様も、王宮で暮らしていた時分に外国の書物で読んだ、不思議なお話を語り始めました。魔女よって鼠に姿を変えられ、鶏に乗って旅をする姫君や、千と一夜珍奇な話を続け、命を存えた姫君など。
二人は、余りの楽しさに一晩中飽くことなく語り続け、そして夜明けになると漸く眠りに付きました。
貧しい詩人は生活の為に新聞の記事を書いたり、毎週決まった日には広場に出掛け、子供たちの為に書き下ろした人形劇の脚本を自ら語り、僅かなお金を得るのでしたが、その精神は豊かで瑞々しく、寛容で温かでした。お姫様は日当たりの良い窓際か、広場に出掛けるときは、ぼろぼろのチョッキのポケットに入れられ、詩人の口上を聞くのが常と成りましたが、それはとても幸せな一時でした。
日が暮れかけ、子供たちが広場から散々に去り、粗末なテーブルで心良い疲れと共にささやかな食事を終えた詩人とお姫様は、屋根裏部屋の小さな窓から見える宵星を眺めながら、何時もの楽しいお喋りを始めます。
日常の他愛ない小さな出来事に、二人の唇からは笑みと笑いが零れ落ち、それから声を潜めて語りだす、詩人の声と言葉の美しさに、お喋りなお姫様も、思わず耳を傾けます。
自然の不思議と美しさ、人の世の愛など、常日頃は穏やかで優しい語り口と違い、情熱を込めて語る詩人の、碧色の瞳には星の輝きが宿り、心の震えを思わず詩句に認める姿を、お姫様は不思議な感動とときめきを持って、幾夜も眺めておりました。
でもある夜、優しい詩人が、何時もの楽しいお喋りの合間、ふと口をつぐみました。今まで見たこと無いような悲しそうな表情で、お姫様を見詰めて呟きました。
「ああ、お喋りな宝石さん・・。貴女の可愛らしい手を握られたらどんなに幸せか・・」お姫様ははっとしました。
「今までは、宝石の中の貴女を見つめ、話していれば幸せだったのに、でも、僕はどうしても、触れたくなってしまったんだよ。せめてその中から出てこられたならなあ・・」
お姫様は今までに、感じたことの無い強い感情を抱き、戸惑ってしまいました。
「そう、貴女が僕の所にいてくれるだけで、どんなに嬉しかっただろう。身寄りもなく愛するものも無く、淋しい身の上に、貴女という星が舞い降りて、僕は本当に幸せだった。でも人というものは矢張り欲張りなのだろうか。貴女を身近に感じれば感じるほど、貴女の温もりが欲しくなってしまうのだ。ああ、高貴なる青き星の姫よ。僕は貴女を愛しているのだ。」
お姫様は此の時ほど、自らを取り巻く宝石が疎ましく、憎らしく思ったことはありませんでした。目の前で、お姫様に対する愛に打ち震え嘆く詩人に、思わず手を差し伸べ、その時詩人もいとおしげにお姫様の宝石に接吻しました。
その瞬間、二人は何が起こったのか暫くわかりませんでした。気が付くと詩人とお姫様は固く抱き合っておりました。
さて、このお話はもうお仕舞いです。
やっと魔法の解かれたお姫様は詩人を伴い王宮に戻りました。王様もお后様もみすぼらしい姿の詩人をご覧になって驚きましたが、娘であるお姫様の朗らかで幸せそうな姿に、満足そうに微笑まれました。
詩人は王様にはならず、女王となり執務を取られるお姫様の、夫としてまた優れた助言者として片時もはなれず支ることとなりました。そして気が向きますとあの広場に、子供相手の寸劇を披露しに出向くのでした。その傍らには必ず、あの傲慢で我侭だったお姫様が微笑み寄り添っておりました。
勿論、もう宝石ではないので、ポケットの中にはおりませんでしたけれど。
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