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土曜日の静かな午後です。夫は婚家の飼い犬を連れ、お弁当を持って散歩に行きました。常と変わらぬ日常に、マリは微笑み、PCに向う事に致しました。今や社会人と為った息子は、出張で今日は、夫の郷里でもある山口県に朝早く出立し・・思えば、彼の念願だった、電子書籍を主とするも、編集者の道を歩む事を許され、夫共々彼の今迄、及び幸運に感謝すると共に、此れからの険しいであろう道程の、行末を案じない訳ではありません。ですが・・矢張り、息子が望んだ道、其の入り口に立てただけでも、母親として喜ばない訳はありません。夫の仕事も軌道に乗り、少しづつ余裕と申しましょうか、数年ぶりに趣味のウインド・サーフィンに従事する為、江ノ島に出掛けるなど、以前に比べ、自由な行動が可能に為って参りました。午前中、近所のショッピング・センターに同道し、衣料品売り場の、夏の衣料の最終セールに置いて、赤とオレンジのバイカラーのハーフパンツを購入致しました。「似合うかな?」等と、何時もながらの磊落な様子ですけれど、「今年は還暦で・・相応しいのではありません?」との、マリの応えにご満悦な様子で、其の穏やかな風情は矢張り、嬉しい事です。十月は夫と息子、マリの三人で懐かしい英国に行く予定です。そうですね、ご報告などで出来ればと思いますが、昨今の世の流れには中々付いて行けないマリですので・・一体何時に為るのやら・・です(笑)。
September 6, 2014
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はい、今晩は。生きていますよ。 2013/12/29 >
December 29, 2013
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日本画の先生の作品「千手観音像」です。1998年製作(個人蔵)木曜日は、昨日の気温より十度以上低い真冬の寒さで、前日の中秋の暖かさとは裏腹な空気に悩まされた一日でした。今日も今日とて(笑)、助手としての仕事の為、鉄道で茅ヶ崎の先生のアトリエに向かいます。十二月の最初の所為か、何時もは空いている車両は、旅行帰りのご婦人方や、試験中の若者、就業中のネクタイ、スーツ姿の殿方で比較的混んでいて、前日の軽装とは違い、マフラーや外套で膨れており、これから迎える季節を物語っておりました。マリはこの数年、駅から徒歩四十分掛けて先生のアトリエに、お天気さえ良ければ歩いて伺います。古い民家や新しい家屋が斑に並ぶ道筋の、庭先の季節の花々を愛でながら行くと、案外早いもので、気が付くとランドマークのスーパーマーケットが見え、遣り過ごしますとご自宅兼アトリエの戸口で何時も通り先生が、にこやかに迎えて下さいます。マリの師匠である日本画の先生は、現在五十代半ば、既婚ですが現在はお独りで、二匹の猫と暮らしております。俳優の山本学氏を幾らか若くした優しい風情の方ですが、作家らしい気骨があり、舌鋒鋭く、マリと共通の知人で、県会議員のI氏も脱帽の論客ですが、常日頃面白い文言で、作業に集中しているマリの緊張を強制的(?)に解す程の愉快な方です。現在のお仕事は、某寺院からの依頼で、新しく建立するお堂にお奉りする、お不動様のブロンズ仕立ての坐像に、彩色を施すと言うことで、珍しい依頼では有りますが、先生は、彫刻家とのコラボレーションは何度も経験が有りますので、今回も淡々と製作を行っております。漆を塗布したブロンズ製の櫓状の台座や、矜羯羅童子に彩色する為のドーサ(膠と明礬の混合液)を施します。勿論注意は必要なのですが所謂「単純作業」なので、テレビやDVDを見ながら談笑しつつ作業を進める事が多いのですが、単純作業と言いながら矢張り中々難しく、金箔の上に溜りや刷毛目を残さず均一に塗るのは、先生の助手となって、五年以上は経つマリに取りましても、簡単な作業ではありません。マリが先生の助手としてお手伝いを始める以前は、単なる教え子で、先生は嘗て、美術予備校や専門学校の教員、私塾などで教えていらしていたので、「教え子」は数え切れない程存在するのですが、「助手」及び「弟子」はマリ一人でして、最近は多少の不安も覚えます。先生の教え子となった切っ掛けは、社会人向けの音楽サークルで知人の先生に、日本画の教えを乞うた事に始まります。最初は当時開かれていた私塾の扉を敲くつもりでしたが、「貴方には役不足でしょう。」との有難いお言葉で個人指導の栄誉を得まして、今日に至ります。確かにマリは、絵画好きの父の影響で、幼少期より洋画を習っておりましたが、デッサンなどの基礎は兎も角、画材から技法など、何から何まで違いますので、只一所懸命先生の教えに従い精進して参りました。その結果、助手としてお仕事のお手伝いをさせて頂けるようになりましたが、マリとしましては、先生の高い技術と、美術に対する深い意識と見識を、お若い方々に受け継いで頂きたいのです。先生は花鳥画及び仏画などの日本画製作だけでなく、保存修復の知識と技能も大学院で習得され、今までも貴重な仏像や神像、美術品を修復されておりますので、マリ一人だけでは到底背負いきれませんし、惜しい気がするのです。思いを募らせ、僭越ながら何度か進言致しましたが、その度に微笑まれながら「そうだね。考えなければね。」と仰るばかりで、マリにはもうこれ以上、何か申し上げる事は出来ません。勿論、先生の事ですから、きっとお考えがあるのでしょう。兎に角マリは暫くは、唯一の弟子として助手として頑張らざるを得ませんね。この土日は、片付けなど家の事を済ませ、月曜日には元気良く、晴れたら徒歩で、先生と猫達の待つアトリエに参りましょうか(笑)。
December 1, 2011
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心から祈り続けております。お心安く、幸あれと。
November 30, 2011
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「若冲」です。画像は二ヶ月程、現在四歳で、大袈裟に申しますと「反逆児」でしょうか。兎に角やんちゃで、暴れん坊です。特技はプロレス。仔猫の時分には気の良い先輩猫「甚五郎」と仲良く取っ組み合いをしていたのですが、長ずるに従って荒っぽさが徐々にエスカレート、挙句に甚五郎の首の毛を噛み切る様になり、「下克上」を避ける為、飼い主である先生によって現在は、引き離されて暮らしています。握り拳を差し出すと、頭を擦り付け、愛嬌もあり、可愛いのですが、同じ粗相を繰り返すなど、甚五郎、栖鳳の様にお行儀が良いとは言えません。鳴き声は低くしわがれており、先生曰く「ウシガエルの様だね」との事。特に夕方、ゲージの中で、お腹が空いたのか、大声で鳴き喚きますので、近所である、大磯の蓮池の辺に立っているような気分になり、作業の集中の妨げになると云いますか、余りの声の響きの悪さに、筆を持ちながらつい吹き出してしまいます(苦笑)。
November 22, 2011
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「栖鳳」です。去勢手術の後、太りまして、特に下半身が大きいのです。腹這いになるとまるでツチノコ・・。甚五郎と違い、偉そうと言いますか、物怖じせず、お客さんが来てもにゃあにゃあ鳴いて、ゲージから出ることを要求し、お目通りの後、気に入らないと威嚇します。威風堂々、怖いもの無しの大先生です。特技は、「お入り」と言うと、こちらを見ながらさも忙しげに、絨毯の爪とぎで爪を研ぐこと。当然その手には乗りませんけれど(苦笑)。悪癖は、煙草好き(?)なこと。うっかりテーブルの上に灰皿を放置していると、いつの間にか床で転がして遊んでいます。今や灰皿は、全部蓋付きに。でも、香合や香炉(和室で灰皿にしています)位の蓋ですと、上手にずらして、煙草を確保。目が離せません(煙草好きは、画家の先生だから?)。仔猫時代に、床の間に飾っていた鍋島の皿を割り、「栴檀は双葉より芳し」なのか中々の目利きで、マリを泣かせました(涙)。後に家族間で「鍋島猫騒動」と呼ばれています(笑)。別名は勿論「先生」です。
November 19, 2011
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「春叢」です。川原で保護して三日ほど。この頃は歩き回るなど、元気でした。獣医師と先生の助力もあり、助かると信じていました。でも、少しでも離れれば、着いて来るなど、片時も離れず、今思いますと、やはり具合が悪かったのでしょう。自力で食事が取れないので、スポイトでミルクを流し込んだり、丸めた仔猫用の餌を少しづつ、与えていましたが・・。残念ながら、この様な小さな写真しかありません。先生が描いて下さった「春叢」です。カメラが古いのか、腕が悪いのか(汗)、写りが不鮮明ですが、覆面模様は少し非対称で、でも可愛い顔をしていました。
November 18, 2011
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「甚五郎」です。引き取って一ヶ月程。恐らく月齢二ヶ月。現在七歳と半年です。特技は水遊びで、水道の水を前足で触ろうとします。苦手なのは香箱。足が太く短めな所為か、組んでも直ぐに弾かれた様に飛び出します(笑)。おっとりとして余り鳴かないと言うか、鳴くのも苦手の様です。室内飼いの為なのか、人見知りが酷く、先生とマリにしか懐いていません。でも、甘えるのが苦手らしく、抱っこが嫌いで、用事があるときは、前足でとんとんと叩きます。脱走の名人。別名「殿」。
November 17, 2011
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ある友人がおりました。ネットで知り合った方で、直接お目に掛かったのは三度程です。重大な、生命に係わる問題を抱えていらっしゃるのに、その方の目は澄んでいて、言葉は明るく、思惟深く、力強かった。メールでのやり取りは、夜毎、機会を得るごと、思い出す限り、決して浅からずと今も認識致しております。けれど、私が個人的な事情で惑乱して、塞ぎこんで居る間に、この世から旅立ってしまわれました。それを知ったのは数ヶ月後で、思い出すのが辛い程、後悔どころか、自責の念に苛まれ、その方がお仕事ととして係わっていらっしゃった、企業のコマーシャルをテレビで見る度暗く沈み、その所以をご存知の、私の先生は、何も仰いませんでした。今も何も申せません、何も語る権利は私は持っておりません。でも、その大切な友人から受けた印象や言葉、表情は、今も脳裏に焼きついております。この数年は、思い出さない日を数える事が難しい位でした。でも、今は、お知り合いになれて良かったのですよねと、やっと申し上げることが出来る様になったのでは、と思っております。お葬式にも伺えず、亡くなられた事も知らず、それでもその方でしたら、許して下さるのではと、思いたいのかもしれません。でも、彼だったら・・。許して下さるでしょうか?図々しい様で申し上げにくいのですが、ずっとお友達でいて下さいね。忘れ得ぬ、大切な友へ。覚書として。
November 14, 2011
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日本画の先生に引き取られた、黒と白の尾長の仔猫は、先生に拠って「若冲」と名付けられました。でも、どうしてこれ程黒白の雄ばかり集まるのでしょう。初代である「甚五郎」から始まり、夭折した「春叢」、「栖鳳」「若冲」と、模様と色の配分の違いはあれ、皆判で押した様で、確かに先生もマリも被毛のコントラストの美しさと、賢いと聞く黒白の猫は元々好きでしたが、ボランティアさんから意図的に引き取った「栖鳳」でさえ、当初の予定の猫(顔は春叢に似ていましたが、灰色がかった虎と白の斑猫でした)と違い、縁があると言わざるを得ません。猫は求めるのでは無く、出会う存在である事を、あれ程飼いたかった時代を踏まえ、マリは確信致します。さて、黒白組の新顔「若冲」は、先生の大好きな江戸時代の画家、「伊東若冲」の名前に由来しますが、先輩達との大きな違いは、顔の模様は八分けでも、覆面でもなく、非対称な、片側だけ黒い眼帯猫で、音からして、若冲という名は片目のジャック(ブラックジャック?)を連想させ、相応しい名の様です。その上、未だに去勢手術を施してない所為か、すらりとして体付きは恰好良いのですが、もう四年も経ちますのに、相変わらずやんちゃで落ち着き無く、粗相ばかりして、どうやら余り賢くありません。先生は猫達を可愛がっておいでですが、甘い訳でなくきちんと「躾」もされていて、悪戯など言うことを聞かない場合は、「母猫」の様に首の後ろをきゅっと?んで、お仕置きをされますが、恭順を示す甚五郎と違い、?むなどの反抗を試みる若冲には多少梃子摺っておられる様で、「臆病なんだろうね」と性格の違いに苦笑されていらっしゃいました。マリも、健康に育ちさえすれば勿論容赦はありません。息子同様スパルタ式で、悪戯をした際は恐ろしい勢いで追い立て、ゲージに入るまでは決して手を緩めません。それを見た息子は、幼い頃を思い出したようで、震え上がっていましたが、ゲージは猫のセイフティゾーンですので、決して手出しは致しません。その所為か、「お入り」と言いますと素直に飛び込み、寝床で香箱を作って安心しております。マリの拾い子になって半年は、静かに寝入る姿に不安を感じ、つい寝息を確かめては、ほっとするという事を繰り返しておりましたが、病気は一度もせず(勿論室内飼いですので、怪我の心配は殆どありません)すくすくと、肥満では無いかと思う位、大きく丈夫に育ちまして、「親孝行」振りに感謝するばかりです。春叢を亡くした際、悲嘆に暮れ、もっと写真を撮っておいたらと嘆くマリの為に、先生は春叢の肖像画を描いて下さいました。最早冷たい骸となった可哀そうな猫の子の表情は、画伯の手に拠って繊細に描写され、正面を向いたその両目は、母であるマリを最期に見上げた時と同様開かれ、優しく笑っている様です。その肖像画は今も厨房の壁にあり、何時もマリを見ています。あの時、青みがかった両目を見詰めた時、錯覚でも妄想でもマリの耳には確かに「お母さん」という声が聞こえました。幼い頃、本当は孤独だったマリは一人きりの家の中で、母猫みいの「拾い子」となり愛情を注がれ、慰めを貰ったのでした。今は春叢の死という悲しい出来事を含め、縁有って次々と猫達の親となったマリに、「拾い子」達は綺麗な姿、可愛らしい仕草と済んだ瞳、信頼の証である寛いだ姿を示し、やはり愛と慰めを与えくれているのです。そう、あれ程の「猫嫌い」だった夫は、今やすっかり、栖鳳を可愛がるようになりまして、毎朝スリッカーブラシで、栖鳳の背中や腹を綺麗にしてくれる程の愛情の注ぎようで、立派に「父猫」の役割を果たしております。
November 11, 2011
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その「猫」は、三毛猫のみいの様に突然我が家にやって来ました。栖鳳が「拾い子」として、身近に馴染んでから、約一年後の事、息子が家に居ましたので、恐らく休日の午前中だったと思われます。マリが何時も通り庭の様子を見ようと玄関先に立って居た所、門扉の辺りで、息子の声が致しました。「母さん、猫、猫!」。何事かと玄関の扉を開けると、半分開いた門扉の直ぐ傍で小さな黒白の猫が、此方に向かわんばかりの姿勢で、身を揉んでおりました。この「椿荘」は幹線道路では無いにしても、車の交通量の多い、広めの道に面しておりますので、此の儘放っておきますと、車との接触の可能性もあり、咄嗟に息子に、猫を追い立てて、門扉を閉める様に命じましたが、息子が追い立てる必要もなく、汚れて痩せた仔猫が、マリの居る玄関のポーチに向かって突進して来まして、其の儘家の玄関のたたきでにゃあにゃあ鳴き始めました。余程お腹が空いていたのでしょう、様子を見ながら与える、ミルクや缶詰、ドライフードを、あっと言う間に平らげ、それでも物足りなさそうに落ち着き無く動き回り、兎に角捕まえて入浴させ、先輩である栖鳳にお目通りです。我が「栖鳳」先生は、「甚五郎」と同じく黒白の、牛柄の猫で、額は八分け、黒く縁取られた大きな目に、尻尾の少々曲がった、それでも中々の美猫で、連れて来た時こそ神妙で、餌の食べ方もはしたなく、野良猫であることを彷彿とさせておりました。でも体格は大きく立派に育ち、落ち着くに従って、命名の所為なのか、威風堂々辺りを払うと言った風で、「拾い子」の俤は微塵も無く、寧ろ妙な威圧感を帯びる様になりまして、今や隣の母家の黒芝犬「ジロ」にさえ、尻尾を足の間に入れさせる程「立派」に成りました。当然の如く、新入りに対して早速「しゃあしゃあ」と、誰何と服従を求めますが、風来坊の仔猫は意に介さず、「先生」の鎮座するゲージの周りを、興味深そうに長い尻尾を立てながらぐるぐる周り、先生の面目を潰した挙句、手が付けられない程激怒させ、騒ぎに気付きやって来た夫に、これ以上は無理、との強制退去命令まで受けてしまう事に。「大先生」と、「大王様」の決然とした拒絶に合い困り果て、マリはまたもや、お優しい日本画の先生に助けを請い、一先ず次の飼い主が見つかるまでの保護をお願い致しました。幾つかの里親話が有りながら結局全て反古になり、最終的には先生がまたもや拾い主と為って下さいまして、その際、困惑と言いましょうか、もはや諦めの表情を浮かべておいででした。只、何かの機会に、この「椿荘」の、美術骨董の話題になり、少々自慢げに、この家は住居と言うより、コレクションルームなのかもしれませんと申し上げましたら、その時空かさず「では、僕の家は君の『ペットルーム』だね」と笑いながら仰いまして、マリからはぐうの音も出ませんでした。
November 10, 2011
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マリは長じて結婚し、海外赴任を命ぜられ先にイギリスに渡った夫を、乳飲み子を抱えつつ追って渡英しその後五年の間、彼の地で家族と共に生活致しました。成長しつつある息子を眺め、自身の経験上、動物を身近に置いてやりたいと考え、夫と相談致しましたが、犬好きの上、大の猫嫌いの夫は、待ちに待ったマリの、猫を飼うと言う提案には勿論大反対で、「得体が知れない」とか「目が気持ち悪い」などと悪態を付かれまして、物別れに終わり結局何も飼わず、彼の地を後に致しました。その後は、インコや金魚などを飼育し、「猫」からかなり離れた存在との暮らしを送り、猫への偏重した思いを忘れておりましたが、或る時再び「猫」との邂逅を得たのです。帰国後、ある音楽系の社会人サークルを切っ掛けとし、生涯の師と仰ぐ日本画の先生と知遇を得る事になったのですが、共通の知人であるカフェ(専らバーでしたが)のマダムのお嬢さんがとある仔猫を保護し、その後の扱いに困っていた場に遭遇致しました。それが後の先生の「甚五郎」で、本当はマリが引き取りたかったのですが、それ迄の夫の反応を知悉していた身の上でしたので諦め、姿が可愛いだの、モチーフとして恰好だのと捲くし立てまして、躊躇する先生を説得し、終にその仔猫を引き取る決意に持ち込むことが出来たのでした。元々先生は大の猫好きで、可愛がっていたショートヘアを失った後は、他所の猫を構う位で落ち着いておいでだったのですが、マリの口車に乗り(?)いざ飼ってしまうと、やはり可愛い様で、結石による血尿が出れば、五キロ以上ある愛猫を抱えて獣医師の所に走り、部屋を滅茶苦茶にされても、一通り叱るだけで、傍で見ていても微笑ましい程の構い様で、マリもほっとと言いますか、ほくそ笑んでおりました。確かに器量が良く、勿論賢く、気品が有ると言っても言い過ぎでは無く、所謂「玉猫」と言うのでしょう、白黒の八分けで、全体的に白い被毛ですが、腰の辺りに「鞍掛け」と呼ばれる大きな斑があり、大人しく鷹揚で、先生とマリに拠って「殿」との異名が付けられました。飼い主である先生が、当然「お母さん」ですが、押し付けた手前、多少の咎のあるマリは、機会有る事に差し入れをしていた所為か、先生は甚五郎に「ほら、お父さんがご飯を持ってきたよ」と仰るのです。本来猫の雄は、子育てを致しませんけれど、その点について、マリは異存無く、共同責任の確認か、他愛のない皮肉と受け止め、「父猫」として頑張る事に致しました。ですが、それだけでは終わらず、無慈悲なマリは、もう一匹、先生に「拾い子」を要求したのでした。
November 7, 2011
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三毛猫の「みい」はその後凡そ三年間、マリ達家族と共におりました。二度ほど其々三匹づつ綺麗な子供達を生み、穏やかに暮らしていましたが、突然見舞われた事件によって、二度目の仔猫達と共に、マリから引き離されてしまいました。それは、父が家族を捨て、預貯金を全て抱えて、あろうことか女性と出奔してしまったという、信じ難い出来事で、残された母は呆然としながらも、次に起こるであろう災厄を考え、家屋を整理し家財を売り払い妹夫婦を頼って、茨城県の東海村に夜逃げ同然に引っ越す事にしたのでした。父母は日頃から諍いが絶えず、それでも父の、家族への愛情を疑った事は無かったマリも姉も、当然激しい衝撃を受けました。父は愉快で教養も有り、音楽好きの趣味人で、愛すべき人物でしたが、お坊ちゃん育ちの上、猫に丸ごとのローストチキンを与えるなど、突飛なところがありましたので、子供のマリは内心、仕方が無いと思っていた様で、父に関しては何処か諦めていた風があり、足手纏いの子供として、先に叔母夫婦の所に送られ、母と姉、そして「みい」と子供達を一心に待っておりました。でも、僅かな荷物と共に東海村に遣って来た、母と姉の傍らに「みい」も仔猫達もおらず、愕然とするマリの問いかけに、「捨ててきた」と答える母の言葉に耳を疑い、激しく詰りましたが、母の、涙ぐみ、悄然とした姿に次第に言葉は勢いを失いました。その失意と絶望は、今でも想像に難くなく、きっと飼い猫どころではなかったのでしょう、大事にしていた嫁入り道具の一つであった享保雛でさえ、家の袋戸棚に忘れて来てしまう程の狼狽振りでしたので、母を哀れむと同時に、もう一人の母とも言い得る「みい」の行方を思うと、胸が張り裂けそうになり、泣きながら今から探しに行くと騒いで、大人達を困らせたのですが、遠く離れた地では、探しに行きたくとも、子供の身の上では不可能で、涙に咽びながら、何処かで、再び「拾い子」となった「みい」とその子供達の幸運を、祈る事しか出来ませんでした。さて、その半年後、父はほぼ無一文で、東海村の草深い山の端の陋屋で暮らす、母や姉、マリの所に、野良猫の様に、しかし嬉々として帰って来ました。女性に裏切られたのか失望したのか、父は既に鬼籍に入っておりますので、今では確かめる由はありませんが、改悛の情を示し懇願する父を、泣き濡れて過ごしていた母は渋々、「拾い子」として受け入れる事となり、一家は再び都市部へと戻ることになりました。それから後、父は家族の信頼を取り戻す為か、より一層仕事に打ち込み、建築会社を立ち上げ、新しい家も構える様に為りまして、母の機嫌も幾らか直ったようで、スピッツ犬を新たに飼い始めました。マリは断然猫を飼いたかったのですが、母は無慈悲にも、「金目銀目だったら」とか「みいちゃんだったら」などと、はぐらかしたり無理難題を言って、聞く耳を持ちませんでした。父母の事情で、そうなったにも関わらず、身勝手な親を恨みましたが、内心父母は、優しく可愛らしかった「みい」の放棄が、心の罪、咎になっていたのでしょう、以来実家では決して猫を身近に置くことはありませんでした。
November 6, 2011
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マリと「猫」の縁は深からず浅からず、でした。父母は、元々動物好きで、物心付いた辺りから、文鳥や金魚、栗鼠、犬、猫など、身の回りに欠く事なくその存在は有り、ごく当たり前の様に接しておりましたので、夫々分け隔て無く好み、特に猫に偏るということは無く、寧ろ「猫」は少し怖い存在で、五歳頃、狩猟が趣味だった父に連れられて行った、狩猟仲間の住む田舎屋の庭先で、子鼠を玩ぶ茶色の猫に肌が粟立つ恐怖を覚え、少々苦手に為った程でした。或る晩、家族と共に夕食のテーブルを囲んでいた時、ベランダの窓を何かが擦る音が聞こえ、猫の鳴く声がし、母が不審に思って開けますと、一匹の三毛猫が飛び込んで来ました。迷い猫なのでしょう。首輪など無く、でも綺麗にしていて人懐こく、突然の来客に母が喜んで、鰹のフレークの饗応をし、それが気に入ったのかその後何度も訪れ、とうとう家の猫に成りました。その三毛は当然の如く雌で(雄は遺伝上、三毛にはいないと言われています)、歯並びから、見た目より年の往った猫で或ることが伺え、器量良しの上に、気立てが良く鷹揚で、母に言わせますと、「きっとお年寄りに飼われていたのでしょうね」とのこと。確かにお行儀も良く(悪戯も、粗相もしません)賢いので、すっかり家族の人気者になり、父も猫の為に、ローストチキンを買って来る始末でした。特に姉とマリは、「みいちゃん」と名付けられたその猫の虜で、どちらが優先的に遊ぶか争い、どちらが一緒に床に入るかじゃんけんで決め、負ければそれこそ泣き寝入りですが、みいはお利口でしたので、姉妹の一方が寝入ると、負けた側の布団の中にするりと入り、二人の熟睡を見届けた後、自分の寝床で安心した様に丸くなる姿を、母は見ていたそうです。当時、母は外出勝ちで、姉も学年がかなり離れておりましたので、小学校から一人で帰り留守番をすることが多く、その際、三毛猫は何時も一緒でした。マリが、家に近づきますと、決まって細く開けた二階の窓から、身軽な動作で飛び出し迎えに来て、その後は見回りにも行かず、お人形遊びや、お絵かきをするマリの傍に居て、家人が帰って来ると、やっと外に出て行くなど、まるで子守をしている様でした。何かの本で、飼い主と犬は主従関係で、猫は親子だと読んだことがありましたけれど、恐らく三毛猫は、特にマリを我が子と思っていたのでしょう。実際、?まれたり引っかかれたりすることは殆どありませんでしたし、珍しく「引っかかれた」と泣きながら訴えると、余程酷い事をしたのでしょうと、逆に母に叱られるのでした。マリにとって、それまでは少々怖い存在だった「猫」は優しい母親の様で、子供心に、思いも拠らない知恵を持ち、美しい被毛と昼夜で変わるビー玉の眼をした、最も好ましい、不思議な生き物と映るように為ったのです。
November 5, 2011
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マリは数年前、早朝の散歩時に、川岸の土手の草むらで、一匹の子供の猫を拾いました。左の目は完全に塞がれ、黒白の被毛は汚れて、何処か辛いのか、哀しそうな声で泣き続け、家に連れて帰ってミルクを遣っても余り飲まず、日に二度三度と獣医師の下に通いましたけれど、容態は好転しませんでした。それでもすっかり懐いてくれて、片時も離れようとしないので、家事をする際は始終肩の上に乗せ、夜は抱えて眠りました。が、一週間の後、閉じられた片目がパッチリと開き、薄青い綺麗な瞳を見せてくれた直後、亡くなりました。ウイルス性の肺炎でした。その時分を思い出しますと、今でも胸の奥が絞られる様で辛いのですけれど、正に喪失感に悩み、悲しみ、己を責め苦しんで、自分自身で狼狽する程で、その結果、次に起こした行動は、ボランティアで猫を保護している団体から、猫を引き取ることでした。当初は一匹でも助けたい、と云うよりは、失った猫の子供の俤を、ネット上で捜し求め、それは一種憑り付かれた様に、唯サイトを彷徨って居ただけなのですが、幾足りかのサイトを眺める内に、思い付いた事は、再び猫の子を手元に置こうということでした。夫は、本来は猫が大の苦手で、川岸で見つけた子猫でさえ、保護することに最初は反対でしたけれど、その猫を失いすっかり意気阻喪し、柄にも無くとんだ愁嘆場を見せつけ、見る影も無いマリを気遣かったのか呆れたのか、引き取ることを了承してくれたのでした。早速横浜のボランティアさんと連絡を取付け、翌日の内に連れて帰り、今足元のゲージでぐっすり眠っているのが、現在の愛猫「栖鳳」です。先の仔猫は、マリが大好きな名画「黒き猫」の作者である菱田春草先生に肖り、また、見出したのが正に春の草むらでしたので「春叢」と名付けましたが、春草先生の早逝が何かしらの縁を結んだのか、夭折してしまいましたので、今回は験を担ぐ意味も込めて(それ程、神経質に為っておりました)、京都画壇の重鎮で、名画「班猫」の作者である竹内栖鳳先生のお名前を戴くことと致しました。作品は勿論素晴らしく、春草先生同様、その作品は重要文化財であるのですが、何よりも重要だったのは、栖鳳先生が長命だったことにあったことは確かでした。
November 5, 2011
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文化の日の今日は、本当は日本画の先生の助手のお仕事だったのですが、生憎先生の体調がお悪く、急なお休みとなりました。元々余りお丈夫でなく、持病の腸捻転に加え、頚椎のヘルニア(日本画家の職業病だそうです)が分かりまして、この一年治療されていたのですが、病状は一進一退で、少し無理をされると直ぐに痛みが戻ってしまわれるのです。昨日は、現在製作中の「不動明王像(ブロンズ像に彩色を施しております)」の台座の岩の資料を集めるために、重いカメラ一式を背負って、茅ヶ崎の高砂緑地を、長時間歩き回りましたので、それが今回の体調を崩した原因かもしれません。とは申しましても、元々朗らかで、精神的にお強い方ですので、連絡を下さった時分のお声は明るく、「心配ないから」とのお言葉に、マリも取りあえず安心致しまして、折角の休日を無為には過ごしたくなく、これからの予定を考える事に。空模様は今一つ冴えませんが、お洗濯を済ませ遅い朝食の後に、息子が神田の古本市で見つけ、マリにくれた内田百間の著作「実説草平記(実は「間」及び「草」の字体は違います。楽天ブログでは、弾かれてしまいました)~昭和二十六年の初版本」に目を通します。久し振りに旧字に触れ、大脳皮質に鞭打ちながら(苦笑)、思い掛けなく、久し振りに目にした百鬼園先生の卓抜な文章と、壮健で執筆していたであろう当時の息吹を垣間見た様で嬉しく、読み耽っていた所に、夫の登場です。二年前の日記で「・・自宅で仕事をする様になりまして以来、食への関心が高まったのか、ここ二年程、毎朝自分の朝食は自ら作るようになりまして、マリは少しばかり楽になり・・」と書きましたけれど、マリが厳しい「お仕事」を辞め、家に居る時間が長くなりましたら、以前の習慣(我侭?)が戻りまして、朝食どころか、いつの間にかお昼間のお散歩のお弁当(果物入りのヨーグルトです)まで、作らされるようになりまして、すっかり元の木阿弥なのです。多少むっとしながらも読書は中断、昼食の用意を済ませ、再び読書に戻ろうと致しましたけれど、集中力は胡散霧消し、諦めてこの「椿荘」の庭へと出掛けます。十一月の陽気にしては暖かく、薄雲が懸かりながらも時折陽射しが樹木を照らし、穏やかな午後です。この日記の由来である、庭の椿達(種類だけでも二十種以上あります)も、蕾を膨らませ、来る時を待って枝のあちらこちらで慎ましく目を伏せ、まるで出待ちの俳優の様に微かな緊張感と高揚感さえ感じられます。一足先に花を開かせ始めた山茶花は、若い乙女達の群舞でしょうか。息子は、大学祭で今夜も遅く、今日のお夕飯は夫と二人なので、手を抜こうと思えば出来るのですが、以前あれ程楽しみだったバンド活動も現在は控え、「今の楽しみは、夕食だけ」と聊か情けない事を言う様になった夫の為に、歩いて往復一時間程の大手スーパーに向かいます。お散歩は、マリに取りまして欠かせない日課で、少なくとも毎日三十分以上は歩く様にしております。お夕飯の献立に必要なものを数点求め(ハンドキャリーなので、限りがあるのです)、見慣れた風景を眺めながら帰宅し、勿論一服。この「悪癖」は直りません(苦笑)。さて、今日のディナーのメニューはと申しますと、前菜は「蛸のマリネ、セビーチェ風(自家製ハバネロを使用)」「パスタのクアトロ・フォルマッジ」メインは「挽肉のピカタ巻き揚げ」です。無為には過ごしませんでしたけれど、折角の思い掛けないお休みは、やはり慌しく、何かをせずには居られない、相変わらずのマリでした。
November 3, 2011
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この一週間は、好天に恵まれ、お昼間など軽く汗ばむ陽気で、寒がりなマリでさえ、七分袖などの軽羅でなければ外を歩けない程でした。昨日も、何時もの様に日本画の先生のお宅に、助手として伺い、お仕事をして、お夕飯の買い物をぶら下げて帰宅致しました。この一年半は、大学生になり、授業やサークルで忙しい息子に、マリの愛車をすっかり取られてしまい、徒歩と鉄道で茅ヶ崎にある先生のアトリエに伺う日々です。お蔭で重いものは中々買えず、お買い物の取り合わせに苦慮しておりますけれど、慣れてしまえば電車通勤も楽しいもので、車中では読書も出来ますし、仮眠を取ったり、失礼に成らない程度の「人間観察」も楽しみで、何よりもお仕事が終わった後の、先生との一献が嬉しいとは、相変わらず「飲兵衛」のマリです。そう、これこそが車ですと絶対出来ないことで、重い荷物に辛吟するマリを夫が不憫に思い、「軽なら買ってあげる」と申しますが、この楽しみは捨てがたく、辞退致しました(笑)。昨日のお買い物の目玉は「松茸」で、信じられない金額で、アトリエの近所の八百屋さん(一見普通の小売店ながら、中々品揃いが面白く、以前「素麺南瓜」と「本占地」を手に入れました)で売っておりました。外国産ではありますが、箱に整然と並んだ姿は間違いなく松茸で、匂いを確かめて見ますと、薄っすら松茸の香りが(苦笑)。多少時間が経っているのでしょう。それでも痛んだ様子は無く、マリは迷わず購入致しました。さて、帰宅し早速お夕飯の支度です。たまたま早めに帰宅していた息子が、最寄り駅まで迎えに来て(多少は、申し訳なく思っているのでしょうか)何時もよりは早く作業に入れましたので、松茸をどう調理しようか思案の結果、洋風の炊き込みご飯(つまりは、ピラフですね)にすることに。香りの高い国産(本来、日本産も外国産も香りは一緒で、薄くなる理由は、移動距離~つまり時間だそうです)でしたら、土瓶蒸しや茶碗蒸し、それこそ焼くだけでも良いのですが、ここは一つ工夫をしませんと、食いしん坊の家族は満足しないでしょう。そこで、オリーブオイルと大蒜で炒めたお米に、無添加のコンソメ、後は薄切りにした松茸を加え、炊飯器で加熱、後は仕上げにソテーした芝海老を加えれば完了です。主菜は大き目のマカロニに、オレガノとナツメグで香りを付けた牛挽肉を詰めたもの(手が掛かるので、朝方用意をして置きました)を茹で、ホウレン草と共にトマトと生のモツァレラチーズのソースで合えれば、ディナーの仕度は整いました。早期退職後、独立し、数年苦しんだ夫の、仕事が成果を出し始めた頃から、食いしん坊だけでなく我侭も戻りまして、現在は一日置きにワイン付きの夕食です。今夜は夫の好物のカヴァ、チリ産の「ヴァルデヴィエソ」がお供です。息子が成人して嬉しいことの一つに、お酒のグラスを交えられることで、前菜の「松茸のピラフ、茄子の漬物(先生のお手製です。松茸一本と交換致しました~笑)と温野菜添え」でディナーの始まりです。久し振りの松茸は、淡い香りが返って海老や野菜とのバランスを良くし、前菜である筈のピラフは瞬く間に無くなり(偉丈夫で大食漢の息子が主に平らげました)、主菜のマカロニの詰め物も美味しかった様で、お行儀が悪いことを承知で皆でお皿の上のソースまで拭き、「食いしん坊達の宴」は終わりになりました。思えば、以前日常的に行われていた事で或りましたのに、こうして改めて綴って見ますと、つくづく有難い事で或ることを、噛み締めずにはおられません。お料理もそうですし、庭仕事や読書、そして、こうして日記を綴る時間と心の余裕が、マリの回復を何よりも物語っております。そう、マリから車を奪った(?)息子は、今でもやはり親孝行です。主菜のパスタのソースは、マリが美味しいスパークリングワインを、大好きな音楽と共に楽しんでいる間、彼が厨房で一所懸命渾身の姿で掻き混ぜておりました。
October 29, 2011
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今日は、クラシック研究会の名誉会員である、T夫人のお誘いで、映画「ドン・ジョバンニ~天才劇作家とモーツアルトの出会い」を、鑑賞しに大船まで行って参りました。同道して下さったのは、クラ研の副会長でもある、マリの日本画の先生(因みにマリは、会長です~笑)で、二時間余りの上映時間は、少々体に辛かったものの、中々面白く、大画面で観る映画自体も久し振りでしたので、大いに興が上がり、何よりも、マリの住む街の最寄の駅から三十分以内で会場に到着するという、願っても無いロケーションでしたので、その「楽さ」が何よりもマリを喜ばせ、行動に移させたのでした。元々、遠出や、まして人ごみが大の苦手で、余程の事が無い限り、横浜から向こうには行きたがらないマリでしたが、実は或る事によって、一種の「人嫌い」になってしまった様なのでした。本来人見知りですし、初対面の方には緊張を禁じえない、臆病とも言い得る性格ですけれど、今を去る事六年前、とある事情に拠り、日本画の先生の助手以外に、「仕事」をしておりました。それは、まあ一種の接客業と申して措きましょうか。マリは結婚以前、厳しい父の逆鱗に触れ、経済制裁を受けておりまして(苦笑)、資格も無い身の上でしたから、主に販売などの接客業をアルバイトとして、幾つも経験しておりますので、そう違和感も無く、ご奉公に出たのですが、加齢は勿論の事、何時の間にやら「尊大」になってしまった性格の所為か、気を使うことを要求されるのが当然の世界で、かなり精神的に疲弊してしまったのでした。自画自賛では無く、雇い主にもお客様にも、マリの働き振りは好評だったのですが、それでも、その日のご奉公が終わり、家に帰れば、ほっとした所為か、厨房の愛用の椅子に着替えもせずに座り込み、さめざめと涙を流している自分に気が付き、驚いた事が幾度と無くありました。それでも無事に五年間「義務(?)」を果たし、約一年前、無罪放免となり、今日に至るのですが、この一年は、対人恐怖症では無いかと思う程、人様にお目に掛かるのが億劫で、精神的にもかなり浮き沈みが激しく、兎に角馴染んだ方々以外には御目文字出来なくなってしまったのです。ですから、この日記も、数年前に何度か再開しようと試み、大丈夫かしらと思って続けようとすると、直ぐに「塞ぎの虫」が飛び出して来まして、根気が続かないと申しますか、先生の助手をしながらでしたので、疲れもあったのでしょうが、結局投げ出して仕舞う事が続いたのです。でも、ご安心を。やっとこの夏辺りから、しっかりと回復を感じられるようになりまして、今ではこうして日記を更新し、続ける事が出来るのでは無いかと思えるようになりました。とは言え、恐る恐る、ぽつりぽつりと、ですけれど(苦笑)。
October 25, 2011
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私こと「マリ」が、この楽天ブログで日記らしきものを綴り初めて、どうやら十年の月日が経った様です。現在の記入率は8.5%だそうで、実は、長らく怠けていた間に、このサイトさえ無くなっているのではと思い、恐る恐る訪れて見たのですが、思いに反して健在でした。さて、これからどうしましょうか(苦笑)。何と申しましょう、マリがこの楽天で、当時は日記と称されていた「ブログ」というカテゴリーで、日常を、拙いながらも思うまま綴るのが最初の目的でありましたが、次第に自身の怠惰と、自身を取り巻く環境の変化に、ぽっかりと口を開けて見送ることが、常態化してしまったやもしれません。とは申しながら、夫と息子(現在は大学生です)からなる家族は健在ですし、敬愛して止まない「日本画」の先生も勿論お元気で、今もアトリエで助手を務める毎日に変わりはありません。そうですね、今やきっと読み手も恐らく無くなったであろう、この「椿荘日記」にこそ、マリのこれからを、綴る意味があるのかもしれませんね。実は、久し振りに読んだ、自分自身の日記に、多少恥ずかしい思いを堪えて申し上げますと、感動と言いますか、ある種の感銘を禁じえませんでした。マリは、それほどナルシストではありませんので、すぐ後この動揺は、恐らく「忘れて」いたことに、思い掛けなく遭遇した感傷に過ぎないと看破致しました。とは申せ、嬉しかった感情は本物でしょう(笑)。まるで、思い掛けない旧友との邂逅を、得た時の様な喜びと表現致しましたら、一番近いかもしれませんね。これからは、ぽつりぽつりと、記録して行きましょうか。
October 23, 2011
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久しぶりの更新なので、ふと、思いついた事を。マリの「椿荘」には、春と違い、夏の花が咲き始めております。その一つ、八重の梔子(洋名をアザレアというのでしょうか)は、薫り高く、白く、美しい花を咲かせまして、椿と並び、マリの「偏愛(笑)」の対象となっておりまして、今朝も三番目に咲いた一輪を手折り、小さなベースに生ける事に致しました。お庭の花なので、当然小さな虫が群がり、マリは何時もの如く病葉を取り除き、花房を洗い群がる小虫を落として、厨房の窓辺に据えました。明るい厨房の出窓に真っ白な花は香り、上質な練り絹を思わせる花びらは貴婦人の衣装の様で、日に何度となく厨房に立つマリの気持ちを引き立ててくれるのでした。そして、作業の手を休めて飽かず眺める梔子の花びらの上に、除去した筈の「虫」が動き回る姿を、二つ三つ見つけた時、マリは面白みを感じ、ふと想像した事があるのでした。僅か一ミリにも満たない、黒くて細い小さな虫(マリの目には、刻んだ髪の毛の一片にしか見えません)が、忙しそうに、慌しく、生けられた花びらの上を走り回っておりまして、おやと思い、暫く観察しておりましたら、遥か昔、家族と共に暫し移り住んだイギリスで見た、「サーカス」の公演時の「クラウン(道化)」を何故か思い出したのでした。真っ白で広大なテントの元、様々な動物や曲芸者、象使い、華やかな衣装の馬上のペア・・。近くの町に興行に遣ってきた、名はあまり知らなくとも、華やかなチラシと共に興奮を振りまくサーカス一団に、夫と共にまだ幼い息子(当時三歳でした)を連れて観に参りましたのは当然のことでした。客席は暗く、団長の口上を待ち、飛び出して来たのは、三人組の「クラウン」でした。サークルの中を縦横無尽に走り回り、おどけ、笑い、跳んだり跳ねたりのパフォーマンスは、会場の観客の笑いと喝采を誘いましたけれど、幼い息子はクラウンの派手なお化粧に怯えて母親であるマリの腕にしっかりとしがみ付いておりまして、その様子にマリは単純にカスタムの違いであると、彼を宥めて受け流し、「認識」や「価値観」の、ちょっとしたエアポケットだったと軽く受け止め、次第に忘れてしまいました。ですが、目の前に居たのは間違いなく、その時感じた価値観や習俗のその先にあるはずの大切な「生命」の一つ、若しくはそのものの体現であり、そしてその事は、流しで無遠慮に水で洗い落としてはならないのにも係わらず、マリは何も思わなかったのです。改めて、時を違えて眺め、自覚した瞬間、微かに胸の奥深い場所で、動揺が走りましたのだけは確かで、想像を膨らませますと、「クラウン」である虫は、いきなり巨人が現れテントを根こそぎ別の場所に持って行き、頭の上から大量の洪水で仲間を流され、吃驚すると共に途方に暮れたことかもしれません。テントと思しき、白い幕屋の如き梔子の花びらの上を、縦横無尽に走り回る小さなクラウンは、いずれ梔子のテントが萎れた時、目の前から居なくなり、そしてマリの記憶から薄く離れていってしまうのでしょうね。サーカスの公演の後日、テントを設営したはずの場所に、その姿を想像するのが、難しくなる程の記憶と同じ様に。覚書きとして、静かなる夜に。
June 23, 2009
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楽しみだったゴールデン・ウイークも終わり、やっと日常の落ち着きを取り戻した観がありますが、この「椿荘」も、先達ての九日、十日の土日にイベントが立て続けにありまして、賑やかながら慌しくもありました。土曜日は、夫のちょっとした知人方の希望で、近くの海岸に集いバーベーキューパーティを催し、その後、マリとその家族の自宅である、この「椿荘」で二次会、とまでは良かったのですが、正直に申しますと、十人近くいらした「お客様」のお行儀が余り宜しくなく、その羽目の外し様、理不尽な振る舞い、騒音などで、「王国」の女王であるマリをすっかり立腹させてしまい(勿論、心苦しく思う宴会に目を背け、具合が悪いと称して、二階の寝室にお帰りになるまで篭っただけですけれど)、翌朝、何故あの様な方々を・・、と夫に可哀想なくらいの詰問と言う集中砲火を浴びせてしまい(苦笑)、結果その方々には「出入り禁止」と言う、掟を破ったことによる制裁措置を執る事と致しました。本当に、我が「王国」では蝸牛でさえお行儀が良いといいますのにね。然して親しい方々では無かったのですが、湘南と言う立地に住む夫の条件に寄り、そういった次第になったらしく、意地悪く考えますと、お坊ちゃんで気の良い夫の気質に付け込んだ不躾な行為で、久しぶりにかなりの憤りを感じてしまい、不愉快な思いは、お行儀の悪いお客様方(その中には五十代と思しき、女性も混じっておいででした)の痕跡(出鱈目な片付け方のバーベキューのゴミ、クッションに残された赤ワインの染みなど)が消えるまで残りました。でも、その「機嫌」の悪さも翌日に控えていた、「クラシック研究会」の、楽しく実りある集いですっかり解消されました。このクラシック研究会(略して「クラ研」、です。怪物クラーケンではありません)の発会は、丁度このブログを始めた頃より2年程前で、オリジナルメンバーは、マリと日本画の先生、そして、数年の後、オペラに関心を持ち始め、演奏会に同行するようになりました、まだ青年と言い得る、k君の三人で、「月に一回、生オケを聞く」というスローガンの元、市民オーケストラを中心に、会場は横浜からこちら、チケット代は出来る限り格安という、決して豪華ではありませんけれど、意義も高く愉快な会になりました。その後、余りクラシック音楽に関心の無かった筈の夫が、急に関心を持ち始め、是非と申しますので、会長であるマリと副会長である先生、フェロー(主任研究員~笑)であるK君に寄る鳩首会議の結果、昨年から「末席会員」として参加を許可されました。毎月の例会として、何時もでしたら演奏会に出向くのですが、今月はこの「椿荘」を会場として、以前録画したマリインスキー劇場バレエ団に寄る、ストラヴィンスキー作曲「火の鳥」「春の祭典」「結婚」の上映会でした。そう、この日は新たなメンバーが。前回、オーボエのリサイタルに参りました際、その奏者を知人として持たれ、その時から正式入会となった鎌倉在住のマダム、T夫人で、マリと夫の古い友人であり、以前から夫婦同士で交流がありました。すらりとした立ち居振る舞いの上品なマダムで、マリよりお若いのに、聡明でしっかりしていらっしゃる所為か、何故か「お姉さま」という印象が何時もあるのですが、お喋りの楽しい、愉快でもありながら堂々たる威厳のある美女で、以前から大好きな友人でした。午後二時に三々五々集合致しまして、麦酒や煙草を手に暫し歓談した後、早速開始です。このプログラムは、初演当時の「ロシアバレエ団(バレエ・リュス)」の主催者であり、演出家であったディアギレフの、当時の振り付けを取り入れ、衣装もレオン・バクストのデザインを多く使用し、ロシア独特の色彩と造形で、観る者の溜息を誘います。プリンシパルを始め、多くの舞踊手は手足も長く美しい容姿で、選りすぐりのメンバーである事は容易に分かります。T夫人は、ご自身は勿論、お嬢さんがバレエを習っている所為もあって造詣が深く、マリは兎も角、バレエに暗い夫やK青年は該博な知識に薫陶を受けておりました。先生は「舞踏」と言う見地でご覧になっておりますので、踏み込んだご意見で会話は弾みます。家庭内鑑賞の良い所は、他のお客様を気にせずお話したり、桟敷席の様に好きな飲み物を頂きながら、寛いだ姿で過ごせる所でしょうか。「お家でクラ研」はもう数回催しておりますけれど、とても好評なのはその所為もあるのでしょうね。一つの演目が終わる度、「幕間」と称して喫煙者は厨房の換気扇の下に突進です(笑)。その間も、マリも先生も、お酒のグラスをウイスキーのハイボールに持ち替えて気分はすっかり劇場です。暑い日でしたのでT夫人もk青年も麦酒を片手に、やはり楽しそうで、今日、先生がいらっしゃった際、幾らか膨れて(昨日の余波です)応対したマリでしたので、「ご機嫌は直った?」との質問に、にっこりと「はい。」と応えるマリの傍らで、二日酔い(昨日の暴飲に寄るものです)に苦しむ夫が、美味しそうにお酒を楽しむメンバーを、冷水の入ったグラスを握って羨ましげに見ておりました。次の演目である「春の祭典」は、衣装は勿論の事、オリジナルの振り付けにかなり近いもので、両手を胸の上で左右に高低差を付けて組む象徴的なポーズは、資料で見た写真そのものでしたし、ポアント(爪先~トウシューズ)は使わず、跳躍も上下が主で、当時はセンセーショナルな作品であった事を納得させられました。先生のご指摘に寄りますと、かなりアジア的な舞踊だそうで「何々スタンって言う地名のところの・・。」という説明には、思わず笑ってしまいましたけれど。折角ですので、K君が差し入れてくれたお菓子を頂く際、マリの秘蔵の、パリオペラ座の企画で作られた、バクストデザインの衣装のイラストが施されたケーキ皿で供しました所、大変好評で、メンバーの興も益々上がります。最後の演目、「結婚」は、バレエに関して知悉しているT夫人さえ見た事が無く、当時の天才舞踊手ニジンスキーの妹の結婚の際上演された作品だそうで、当然マリも初めてです。ストラヴィンスキーは作曲だけでなく、シナリオも手がけ、曲はシェーンベルクなどに近い現代音楽風で、興味深いものでした。全ての上映が終わり、未だ続く頭痛に音を上げ階上の寝室に一時退散する夫を、メンバー一同で見送り、伊福部昭の「釈迦」や「スーペースファンタジー」を聴きながら、夕食会の仕度です。メニューは、T夫人特製の「赤カブ」のサラダ、豚バラ肉のロースト温野菜添え、リングイー二のボロニア風で、調理中も楽しいお話は尽きません。T夫人は先生やK君とも勿論面識がありますので、新メンバーを迎えて、と申しましても緊張感は無く、皆打ち解けて、様々な事に会話は弾みます。やっと気分の落ち着いた、「末席会員」である夫の降臨を迎えて、夕食会の始まりです。スペインのカヴァで乾杯し、話題は次の例会、「茅ヶ崎交響楽団」や今後の活動予定などから始まり、後は楽しくも興味深い四方山話と美味しいお酒で気分は最高です。夕食会も終わり、後片付けも済んだ後、散会となり、楽しみと知的興奮に満ちたクラ研を終えたマリの表情には、何時もの笑みが戻っておりました。そう、新メンバーを迎えて、夫は末席から昇格したと普通は考えますが、T夫人は「名誉会員」ですので、やはり夫は「末席会員」のままなのでした(笑)。
May 10, 2009
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連休中は、後半の天候の崩れも然りながら、概ねお庭と家の整備に日々を費やしておりました。「椿荘」の、この小さなお庭は、その総面積の狭小に係わらず、実に沢山の種類の植物で覆われております。ついこの間、このブログの「冠」である、最後の花が終わった多種に亘る椿は勿論の事、梔子、藤、小手毬、金木犀、銀木犀、ライラック、ジャスミン(今が盛りです)、時計草、薔薇、柘榴、芍薬、紫陽花など、花を付ける樹木以外でもまだ沢山ありまして、四季折々、マリの目を何時も楽しませてくれております。常日頃からマリを梃子摺らせる我儘な「オカメヅタ」は、その奔放な性格故、悩ませられる事も多いのですが、それでもこの小さな庭の緑に恒常的な色合いを与えてくれまして、やはり欠かせない愛しい植物には違いありません(笑)。その合間に、雑草として恐らく不当とも言いえる扱いを受けている野葡萄、ヘクソカヅラ(お花も実も愛らしいのに、匂いの故かネーミングが気の毒です)が、これまた乱暴としか思えぬ蔓延り方でマリを悩ませますけれど、剪定はしても根絶やしにすることは出来ないのでした。枯れたかと思しき茶褐色の茎から、エメラルドやトルマリンを思わせる、瑞々しい翠色の新芽が目の前に現れた瞬間、昨年の後片付けの大変さを忘れ、その瞬間の美しさについ騙され(?)、その年も君臨を許してしまうのは、マリが騙され易い性格、と言うことでは決してないと思っております。人の手を必要とし無い植物の逞しさと申しましょうか、本来生命が持つ真っ直ぐな美しさとしか言いようの無い色合いとその造形に、結局毎年圧倒されてしまうのです。とは申しながらも、自然の恵みや造化の神の妙、その摂理を思いながらも、個人的な趣味や感情も含め、許し難い存在が、マリの王国であるこのお庭に存在するのでした。そう、それは所謂「虫」と言われる存在です。 こうして、玄関の外に組まれた石組みの階段に腰掛けて煙を吐いておりますと、決まって視界に入って参りますのは、退治したはずのミモザに今だ居座るカイガラムシの白い群集、そして愛して止まない、以前は母屋の義母が丹精していた八重の梔子に、雨の間だけ申し訳なさそうに現れる、蝸牛のぽつんと小さな姿、そして、以前は目にしなかった、オカメヅタにちょこんと圧し掛かり、遠慮なくその葉を貪る、未知の白と黒の斑の「虫」の姿でした。本来なら外来種であるオカメヅタを食い漁る「者」など無く、暢気なマリは安心致しておりましたが、どうやら昨今はそのセオリーをあっさりと食い破り、平然と、マリの「王国」に挨拶も無く侵入する輩が増えたのだと認識するに至りまして、掟為るものを発動するに吝かではないという判断に行き当たったのでした。その侵入者は一見我が友、「蜘蛛」にも見え、マリの目を欺きましたけれど、数日に渡るマリの観察に拠り、愛すべき我儘者、オカメヅタを容赦なく食い荒らす「エネミー」と分かり、ここ数日来、マリの主砲「キンチョール・ジェット」により駆逐されつつあるのです。マリは好んで、幾ら苦手とは言え、「虫」と呼ばれる存在を問題なくして敢えて殺すようなことは否定致します。けれども、マリの王国であるこの「椿荘」というカテゴリーに侵入し、無断で国民である植物や、以前から住まう存在を脅かす行為には断固抗議と抵抗を示し、我が王国の住人の安寧を損なわない様、守らねばならない義務、大仰に申しますと「ノブレス・オブリージュ」がありますので、女王として(!?)決然と振舞わなくてはなりません。殺虫剤の噴射に拠り、ぽとりぽとりと固体の落ちる音を聞きますと、怖気が走りますけれど、微かに覚える気の毒な気持ちを易々と失ってしまうのは、不公平と言っても良い、その姿の故かもしれません。本来なら気味の悪い蜘蛛さえ、「我が友」と言って退ける様になりましたのには、本来の性質を知ってからも、やはりかなりの時間が掛かりましたし、ましてや王国に被害を齎すと来ましては、容赦する理由など感じずに済みますので。同様に、梔子を黙々と食む蝸牛や、カイガラ虫同様ミモザを這い回る、紋黄蝶の幼虫も本来でしたら駆逐の対象と成るはずですけれど、やはりその姿と性質の故でしょうね。蝸牛は、雨が止み、お日様が顔を出しますと、塀の片隅で殻の入り口を膜でぴたりと蓋をして、じっと静かにお行儀良くしておりますし、小さな芋虫達は時が経ちますと、ミモザの花色にも似た美しい姿で、花が無くなり緑だけになった淋しい枝を彩ってくれる、王国の美女達とも申せましょう。今日も申し分の無いお天気です。さあ、マリの王国「椿荘」のお庭に「視察(笑)」に参りましょうか。
May 8, 2009
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朝から降り続く冷たい雨で、今日は始まりました。何時もですと煙草を片手にお庭に出るのですが、篠突く大雨に諦め、朝食を簡単に済ませ、息子のお弁当を作っていると、夫が母屋の愛犬「ジロ」の散歩から帰って参りました。この大雨にも係わらず、夫は日課のこの散歩を怠ることはありません。『庭が綺麗で助かる』との、庭仕事の好きな義母の喜びもありますけれど、何よりも夫自身の良い健康法でもあり、最近体重が増えてしまい、お腹の周りを気にする様になりましてから、尚更熱心に励むようになりました。何時も通り、息子のお弁当を作り終え、厨房を明け渡しますと、早速冷蔵庫から食材を取り出し、夫が朝食を作り始めました。献立は、自家製ヨーグルト、納豆(これが曲者で・・、お醤油、からしは一切使わず、温泉卵、ネギと大葉の他は、キムチ、明太イカ、モズク等が入っています)、味噌汁(ベースは蜆汁ですが、これも曲者でして、兎に角いやと言う程沢山の野菜が入っています。言わば野菜の味噌煮でしょうか)、ご飯(発芽玄米。夫特製です)と一見シンプルでありながら、夫特有のこだわりがあり、今やマリには到底手が出ないレシピとなりました(苦笑)。早期退職をし、自宅で仕事をする様になりまして以来、食への関心が高まったのか、ここ二年程、毎朝自分の朝食は自ら作るようになりまして、マリは少しばかり楽になりました(笑)。息子は以前から、朝の弱いマリを気遣って、たまに自分でお弁当を詰めたり、朝食は毎朝自分で作って食べてくれておりましたが、夫は、当時はお勤めがありましたので仕方が無いにしても、気紛れで注文が多く、息子より遥かに手が掛かって、マリを困惑させることもしばしばでした。その意味では今や息子並み(?)の「優等生」となりましたけれど、凝り性も行き過ぎますと・・現在は家人の理解を超え、行き過ぎた健康志向のレールを、暴走機関車が息子やマリを置き去りにし彼方へ猛進していくようにしか思えず、何度か胃腸カタル(繊維質の取り過ぎが原因でした)を起こしておりますのに、問題点を率直に指摘致しましても一向に気に留める気配も無いので、黙ることと致しました。今日は本来ならば、夫の友人が二人ばかり、ジャズの練習の為に我が家を訪れるはずだったのですが、その中のお一人が体調が悪いとの事で、急遽取り止めに。これでのんびり出来る事になりました。お天気が良いとどうしても、お洗濯や庭仕事、お散歩がてらに買い物と、出たり入ったり、つい忙しくし勝ちですので、こういった雨の日こそのんびりする最大の機会なのです。仕舞い掛けたロングのニットカーディガンを再び取り出して羽織り、寒さ対策は万全です。本を読むのもいいのですが、最近は目に疲れを感じることが増え今までの様な読書は難しく、テレビを視聴することが増えました。元々テレビ好きでしたし、「ながら」で作業も致しますので、問題は無いのですが、やはり読書量が減ってきたのには不安を禁じえません。加えて自筆で文章を書くのがめっきり減りましたので、読めるにしても、書ける漢字が激減したのは確かです。テレビの漢字問題の多いクイズ系の番組を熱心に観て、回答者と共に一所懸命解いている自分に気が付きますと、情けなく、忸怩たる思いに囚われてしまうことが多いのでした。豪雨と強風の中息子を駅まで送り終えますと、軽く昼食を取り、新聞などの切抜きを整理しておりますと、今度は夫が「昼食」を作りに。そう、昼食も夫は自分で作るのですが、これも毎日決まっておりまして、季節ごとの大量の果物と、これもまた大量のヨーグルトで和えまして、目の前の小山(町立の公園になっております)に犬を連れ、その東屋で食べることが多いのです。大抵の雨位でしたら、長靴を履いて構わず出掛けるのですが、流石に今日の風雨には気圧されたらしく、大人しくダイニングでスプーンを動かしておりました。まあ、本人が『体調は万全』と言い張りますので、マリもそれ以上は申せませんけれど、腸の調子はどうやら万全とは言えない様で、「過ぎたるは猶・・」と言う格言が脳裏に浮かびながらも、心の中で流して仕舞わざるを得ず、仕方が無いとするマリの判断にもし、反論が有りましても、如何かご容赦頂きたいものです。よくも悪くも「坊ちゃん」気質なのでしょうね。主張は譲らず、かと言って目立った間違いは有らず、息子は気質的にマリに似ているにも係わらず、「おっとりしながらも、頑固」と言う面では父である夫にそっくりです。夕飯は、夫と息子の望む何時ものダイエット料理の筈でしたが、何となく二人の共通した感性に反感を抱く(言い訳は、二人の共通武器なので・・)、マリのレジスタンスに拠って、メイン料理は、一見は低カロリー、実は少々高カロリーな、「豚ロースのロースト、りんごのシナモンとクローブ、白ワイン蒸し添え」と言うメニューで、安心して頬張るお二方を眺めながら、申し訳ないと微かに思いつつ、心の何処かしらで、「ふふん!」と言った気持ちで眺める、少しばかり意地悪なマリでした。
April 25, 2009
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ささやかな、家族三人の夕食を終え、片付けも済ませまして、只今PCの前に座りました。傍らには、お約束の如く、ウイスキーの入ったグラスが。家人は其々の自室に引き取りまして、これからはマリ自身の時間です。きっと、一種の興奮状態に在るのかもしれませんね。あれ程、頑なまでに遠ざかっていたこの「椿荘日記」にいざ復帰を決め込みましたら、書きたくて仕方がないのですから(苦笑)。そう、今日も、マリが師と仰ぎ、助手を務めている日本画の先生の所に、常と変わらず参りました。先生は相変わらずご多忙で、今も幾つかのお仕事を抱え汲々としていらっしゃいます。その中で、一番注文数が多く、難易度が低い仕事を、先生はマリにある程度任そうと仰るのです。この十年、確かにマリは修行に勤しんで参りましたけれど、まだまだ自身の実力には当然首を傾げることばかりで、遥か遠くに聳える青山を常に仰ぎ見つつ、追い掛ける心持で過ごしております。先生はお優しいのか、これまでも随分とマリの「手」を褒めて下さいましたが、どうも釈然とせず、以前下塗りをお手伝いした紫陽花の風炉先屏風を見る度、溜息が絶えることがありません。今回の作品は、風炉先屏風と描法も違いますけれど、描写が繊細で、マリの筆足がはっきりと出てしまうのです。「まだ早いのではないですか?」と問いますと、「うんうん、大丈夫。」と何時もののんびりとして飄々とした口振りで、不安げなマリを煙に巻いてしまうのでした(苦笑)。その作品とは、先生がお得意とする「柘榴図」なのですが、言い訳めいて恥ずかしく思いつつ、弟子が申し上げることでは無いことは承知の上で申しますと、ここ十年程で先生も格段腕を上げまして、マリ如きでは到底追いつけるレベルでは無いのでした。それでも先生は励ますように、「すぐ追いつくから心配しないで。」などと、マリに取りましては根拠の無い事を仰います(苦笑)。とは言え、弟子として先生の仰る事を信じなければいけないのでしょうね。平然と振舞っている様で実は、マリは大の小心者、臆病ですので、この日記を再開した時の様に、恐る恐る、忍び足で、一歩一歩進めて行くしかありません。それでも、努力を認めて頂いているのは本当はとても嬉しい、修行半ばのマリでした。
April 21, 2009
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マリの住むこの湘南地域は、予報通り朝こそ曇り勝ちでしたが、お昼間近くなりますと強い陽が差し始め、夕べからの寒さの故に着込んでおりました長袖を、あっさり脱ぎ捨てる程のお天気となりました。今日は午前中から、気候が春めいてから続けております、庭仕事の続きと申しますより、その仕上げと云った内容の、かなり大変な作業となりました。大概は、草取り、花がら摘み、剪定、植え替えなど、日常的に行っているような事でお仕舞いになるのですが、今日は日頃から懸念していた、フェンスと外壁に繁茂している「オカメヅタ」の整理を致しました。マリのこの「椿荘」は、この地に建ちましてから、早いもので凡そ十年近く過ぎ、新築の当時に日本画の先生(マリは助手をしております)のお庭から頂いて、目隠しの為に移植した件の蔦は、すくすくと大きく育ち、家の外壁やフェンスに絡み、目隠しどころかかなりの面積を覆い尽くすような状況になってしまいました。中には、腕位の太さに成長した太い茎が,鉄製のフェンスやラティスにしっかりと食い込み、挙句枯れてしまいながらも、朽ちた茎の中に甲虫類の幼虫を密かに忍ばせており、虫が苦手のマリにその度、押し殺した悲鳴を上げさせるのでした(苦笑)。それでも蛮勇を奮い、次々と枝を確認しながら取り除いて参ります。枯れたものなど、マリの非力な手でも易々と折れ粉微塵となり、忽ち45リットルのゴミ袋二つが一杯に為る程です。漸く作業を終え、清掃も済みまして、ほっと見上げれば薄らと雲の衣を担いだ太陽も、心なしか傾いているように見えました。大作業を終え、一息付くとしたらやはり麦酒と煙でしょうね。綺麗に整備された裏庭での一杯と一服は、至福の時を与えてくれます。そう、嬉しい事と申しますと、マリが、この日記を恐る恐る再開させた所、懐かしく、嬉しいお名前が履歴に会ったのでした。そして幾足りかの方が私書箱にメールを下さいまして・・その際の喜びはどれ程だったでしょう。如何なる理由があったとしても、一方的に不義理を致しましたのは、マリの方でしたのに・・。皆様の広いお心と温情に只管感謝する以外ありません。本当にありがとう御座いました。只、残念なことに、メールを下さったお一人に、ご挨拶のコメントを書き込もうと致しました所、何らかの制限に合いまして、入力が出来ませんでした。マリが自身のサイトで直面致しました様に、多くの状況が様変わりした今、以前では無かった制限も必要なのでしょう。今や楽天ブログ上で「浦島太郎」となってしまったマリには如何ともしがたいことですけれど・・。でも、これからも、少しづつ更新して参ります。宜しかったら、またいらして下さいね。
April 18, 2009
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数年振りかに・・このブログサイトを訪れました。本当は、整理するつもりでやってきたのですけれど・・。すっかり放っておいたので荒れはててしまった、仮想の「椿荘」。実際は現実の椿荘としっかり繋がっておりました時代を打ち眺めつつ、様々な感慨に浸っておりました。最初に開設した時分から、随分と時が経ち、取り巻く環境もすっかり変わってしまい、目を覆いたくなる状況とも申せますけれど、致し方が無いのでしょうか。幾分悲しい思いで「お掃除」を慣行しつつも、交流のあった「日記」の懐かしいお友達との、楽しかった記憶に思いを馳せておりますと、不意に、やはりこのまま残して置こうとの、何時もの気紛れが始まってしまいました(苦笑)。そう、以前この椿荘にお訪れて下さった方々の、記憶の片隅に有りますでしょう、息子や夫、そして実の兄同様にマリが慕う、あの日本画の先生も今も健在です。現在の状況に鑑み、止む無く掲示板もコメントも閉じてしまいましたが、もし、少しでもマリの事を覚えていて下さっていらっしゃる方がいらっしゃいましたら、私書箱の方にご連絡を下さると、この上なく嬉しく思います。勿論、新しいお友達も、嬉しい限りですけれど(笑)。最近は、暖かく(暑く?)なりまして、庭仕事にも弾みの着く日々です。このブログを始めた頃に植えた、椿の苗もすっかり大きくなりまして、ついこの間まで、美しい微笑を、この小さな椿荘の庭に振り撒いてくれておりました。三年前に飼い始めた黒白の子猫もすっかり大きくなり(と申しますより、すっかり丸々と肥えてしまいました~苦笑)、網戸越しに、草木や鳥の気配を、不思議そうに目を丸くしている姿がとても可愛らしく、変わらぬ日常の幸せの、お手伝いをしてくれているのをつくづく感じます。頻繁では無いにしても、少しづつ、恐る恐る(苦笑)再び始める「椿荘日記」が、日々の楽しみと為ります様、祈りつつ、休むことに致しますね。
April 17, 2009
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翌日曜日は、夫が予てから予定し楽しみにしていた、家族での海辺のバーベキューでした。早朝に起き出し、母屋のジロ(黒柴の♂です。4歳になりました。)を連れて、予め駐車スペースを確保する為海岸に赴き、「マーキング(笑)」をして得意げに戻って参りました。息子は実は、翌日月曜日の登校日に月例テストがあり、その予習に余念が無いのですが、夫の熱心な誘いに(四六時中「勉強しなさい」と五月蝿いわりには、家族行事の参加に対して要求が強いのです)、根負けし(?)はいはい(笑)と、両親の我儘を聞いての参加でした。お昼前に皆で用具を積み込み、食材もクーラーボックスに詰め、ジロを連れて海岸に向かいます。風も波も程々で、暑いながらも心地良い大気の中、皆で協力し合い、デイキャンプ用のテントの設営を済ませた後、取り合えず夏の気候に乾杯です。やはり夏の海辺は何時もながらわくわくするような楽しみに満ち、何とはなしに嫌そうだった素振りの息子さえ、今や熱心に夫を助け火興しに夢中になっております。夏の持つ魔力と無縁では無さそうです。マリは毎年の暑気中りのゆえ、夏季はあまり得意ではないのですが、それでも夏という季節は心躍る色彩と音響に溢れ、その不思議な魅力に抗うことができません。例年の辛さを予想しながらも、梅雨明けを一日も早くと願ってしまうのは、きっとマリだけでは無いことでしょう。夏の強い日差しを満面に受け止め微かにはためくテントの下で、青空と打ち寄せる波に目を楽しませ、冷たい麦酒に舌鼓を打っていると、まもなく炭火の加減が絶好となり、バーベキューの開始です。時刻は正午を過ぎ、やはり方々で立ち上る焼き物の美味しそうな匂いが、空腹を思い知らせてくれます。皆で、仔羊や鶏、スペアリブなど、時間の掛かるものから網に載せ、家から持参したサラダや海老、魚介など直ぐに食べられる食材を摘みながら、ゆっくりと焼き上がりを待ちます。「焼き方」は前半をマリが担当し、後半は夫の役目でしたので、忙しく働くマリの傍らでカウチタイプのポータブルチェアに今とばかりにどっかりと腰を据え、満足げにジロの頭を撫でておりました。退職以来(今風に申しますとセミリタイアでしょうか)、すっかり日常の相棒となった母屋のジロですが、夫が仕事の合間の息抜きに出向く日に三度の散歩の際、必ず伴うようになった為か以前に益して良好な関係となった様で、海が苦手(一歳頃に夫に無理やり海に突っ込まれましたので)なジロでさえ、リードを引かれると素直に波打ち際まで尾を振り振り付いて行きます。そう、息子はと申しますと、熱心に読み耽っているのは翌日のテストの参考書とばかり思っていたのですが、やはり息抜きの小説で、「大丈夫なの?」と訝しげに問えば、「暗記物だから・・(!?)」と平然と応える息子に些か拍子抜けですけれど、この一学期に飛躍的に成績を伸ばした彼の努力を認め、今日は一日、家族一同の慰労会ということでマリも得心することと致しました(苦笑)。暑い大気の下、皆で代わる代わる海に浸かり、お腹一杯の心地良さと額や耳を擽る午後の微風に、日頃の疲れの溜まっている夫、マリの順番に睡魔に襲われ、いつの間にか転寝をしてしまった様です。気が付きますと日もやや傾き、それでも倦怠感でじっと身を横たえていますと、息子がなにやらごそごそとしておりました。薄目を開け(夫は完全に熟睡です)様子を伺いますと、飲食で散らかったテーブルの上やテントの中を黙々と片付ける息子の汗ばんだ黒いTシャツの大きな背中が目に入りました。慌てて起き上がり手伝おうとしますと、「いいよ。疲れているんでしょう?」の些かぶっきら棒ながらも優しい返事が返って参りました。この夏はそれぞれに平年通りののんびりとした楽しみは少なかったものの、こうして家族揃って無為に過ごせることが最上と思わずには居られない、二日間の「夏休み」でした。
August 6, 2006
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何時まで続くかとさえ思われた、長い梅雨が終わり、いきなり頭の上に落とされた猛暑に驚きと恐怖を覚える、真夏がやって参りました。例年の如く夏バテに悩ませられているマリですが、28日の地元の花火大会を夫と麦酒を片手に楽しみ(そう、高校二年生になる息子は、家庭教師と共に家で留守番でした。少々可哀想な気が致しましたけれど仕方ありません)、この土日は、婚家の義母や義姉と共に恒例のお墓参りと、炎天下の近くの海岸で家族と共にバーベキューに舌鼓を打つなど、毎夏の光景と変わり無い様に見えますが、今年は家族にいくらかの変化と申し上げたらいいのでしょうか、例年と違う状況に、手放しの「夏休み」は、この二日間だけなのでした。夫は、長く奉職しておりました会社を昨年早期退職の後、現在では独自でソフト開発などを行い、勿論以前とは違って個人でやっておりますので会社の与えてくれる有給休暇などなく、下手をすれば土日返上での仕事振りですし、息子は来年に大学受験を控え、日々の学習を怠ることは出来ず、マリはと申しますと、師匠である日本画の先生のお仕事が、今年のゴールデン・ウイークを境に前にも増して忙しくなりまして、当然の如く弟子であり助手のマリの忙しさもいや増し、家族に取りましてやっと開けた梅雨空の後の夏気分を楽しむ余裕は殆どといって良い程有りませんでした。それでも、この土曜日は皆で万障繰り合わせ、何とか夫の実家のお墓参りに行ける様予定を調節し、その中でも日程的に一番難しかったマリが、同道出来ると分った時の義母の笑顔が、何よりも嬉しいことでした。今年米寿を迎えた高齢の義父は、八王子までの長い道程(マリの住む湘南地域からはどんなに速くても一時間半は掛かるのです)に体力的にとても耐えられず、昨年の夏以来、お墓参りは諦めており、墓参を大切に、また楽しみにしている義父は寂しげで、マリも夫も気懸かりなのですが致し方ありません。道路の込み具合を考え早朝に出発、日頃の疲れなのか、助手席と後部座席で早速舟を漕ぐ(最初は夫がハンドルを握っていたのですが、眠たそうにしているということで、義姉に運転席を追い出されてしまいました~笑)、男性陣を尻目に、義母、義姉、マリと、お喋り好きな女性陣はお話を途切れさせる間も無く、屈託無くお喋りに興じ、笑ったりしながらやがて墓地に到着です。梅雨時の、あの寒いほどの気温が嘘の様な暑さと強い日差しに、皆で辟易しながらもお墓の草むしりとお掃除を済ませ、お花とお線香を手向けて会ったことのない夫の祖父母の霊に手を合わせます。マリが夫の家に嫁ぎまして早くも十数年立ちましたが、以来イギリス滞在中の儘ならない時分を除いては婚家の墓参は欠かしたことが無く、今回も日程調整の難しさで、思わず同道を諦めようとさえ思ったのですが、「皆勤賞」を狙う(?)マリと致しましては矢張り心残りでしたので、何とか調整し今回も訪れることが出来まして今年の夏も無事お役目を果たすことが出来、ほっと致しました。帰途も義姉の運転で(あなたの運転はやはり信用出来ないとの「御託宣」に、流石の夫もたじたじで~苦笑~尻尾を丸めて~笑~またもや寝てしまいました)、何時も家族との会食に使っている大磯の「蒼浪閣」での昼食の為に元来た道を戻ります。「蒼浪閣」は現在は、プリンスホテル系列のレストランとして当地では有名で、元々は伊藤博文公や吉田茂元首相など、著名な人物に所縁のある、歴史的な場所としても知られておりますけれど、その歴史的な価値や文化財としての価値をも認められながらも、来年の三月一杯をもって閉店、店舗として使われているその貴重な建物も他の施設と共に売却されてしまうそうで、部分的な混雑を縫いお昼過ぎにやっとたどり着いた、お馴染みの建物を前に暫し感慨に耽ってしまいました。古風なステンドグラスの美しい二階の広間に通されますと、幾つかのテーブルは既に家族連れやグループで賑わい、マリ達一行も早速お昼の軽めのコース料理を注文、親族水入らずの楽しい会食の始まりです。息子は、義姉とマリに挟まれた格好で、早速お喋り好きな義姉の質問攻めに合い、気の好い息子も幾分頭を抱え気味のようで、少しばかり助け舟を出してやらなければならなくなりましたけれど、義姉はとても嬉しそうで、考えて見ますと息子ぐらいの、最早青年と申しましても可笑しくない年頃の男の子が少しも嫌がらずこうやって両親、祖母、伯母などと外出を共にすることは珍しい様ですし、それは男の子を育てた経験のある義姉には、きっと感じ入るところがあるのでしょうね。勿論、今様の青少年らしい軽い反発は見せますけれど、息子は息子なりに楽しそうで、その表情に思わずマリも夫も心が和みます。コース外の追加注文のお料理を、皆を驚かすほどの健啖振りで平らげて見せた後、杏仁豆腐は嫌い、と滅多にない好き嫌いで、また皆を驚かせます(苦笑)。義母の、家に一人残してきた義父を心配し、食後覚束無い様子で携帯電話を掛け様子を聞く姿に、つい耳を欹てつつ、身近に住まう安心の故か、母の柔らかな表情に安堵感を覚えながらも、ふと心に掛かる翳りを禁じえないマリなのでした。
August 5, 2006
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先達ての22日はマリの誕生日でした。所謂大代(?)と呼ばれ、多くの妙齢の婦人達をある意味では慄かせる年齢を幾年越え、余り嬉しいとは言えない心地ながらも、幾足りかの親しい友人知人に祝福されてのお祝いですので、気後れも直ぐと無くなり、歓喜交じりのシャンパンの泡に捲き込まれ、何時の間にやらはしゃぎ、羽目を外しての宴となりました。気が付けば、知人友人として、マリの年齢にそぐわない程のお若い方々に取り囲まれ、からからかわれるやら、担がれるやらの状況でしたけれど、少なくとも楽しく、実り豊かで、愉快な繋がりがあったことをしみじみ実感致しました。そう、マリに取りまして尊敬する師であり、プライベートでは実の兄とも慕う、日本画の先生にも勿論御来駕の栄を頂き、嬉しい祝福のお言葉を頂きました。そして、この会に於きまして尤も若いN嬢(明眸皓歯、正に才媛との表現の相応しい二十歳代の可愛らしいお嬢さんで、然もピアノの達人です)が発案者となって、すっかり酔っ払い ぐうぐう(?)と愛猫「栖鳳(せいほう)」と共に眠りこけているマリの為に、そうがっかりもせず(苦笑)、色紙に寄せ書きをして下さると言う素敵なイヴェントを企画して下さっていたのでした。数々の、心に染み入るお言葉が寄せられていた、その色紙の端に、かのパーティに偶々居合わせたマリの息子、当年16歳にして、高等学校2年生の長男の言葉があったことを、宴の終わった後に気づき、「・・いつも健康に気遣ってくれてありがとう・・」と飾り気の無い率直な言葉で書き入れられているのを読み下した時は、真に神妙にして、感慨深い面持ちでした。思えば生後八ヶ月の乳児であった息子を抱え、不安な面持ちで先に渡英した夫を追って、英国に渡り、お役目を無事終えて5年後に帰国して早11年になります。マリが胸に抱いて海を渡った息子は今や既に、マリはおろか、その年代にしては体格の良い夫の身長を易々と越え、すくすくと育ち、今や見上げれば幾らか恐ろしく思う程の「偉丈夫」となりましたが、彼の心は変わらず、今も、マリの実母や隣の母屋に住む、高齢の、婚家の義父母にも優しく、マリと夫に取りまして以前と変わることの無い良い息子に相違はありません。勿論昨今様の青少年らしく生意気な文言も口に致しますけれど、その口調や表現には憎めない可愛らしさと、人柄の良さが滲み、大変な時代を乗り越え、夫とマリ二人して懸命に育んで来たその軌跡を、もし甘やかな感慨と共になぞりましても、きっと然程の非難を受ける事はないと思います。息子は来年に大学受験を控え、益々緊張を強いられる日々でしょうけれど、「親馬鹿」と詰られる事を覚悟し敢えて申し上げることが出来れば、彼なりに頑張って行くことを信じ、願っております。久し振りの日記が「息子自慢」では確かに恥ずかしいのですけれど(苦笑)、今のマリの暮らしは、この日記を始めましてから幾年月、それ程違っているとは思えず、しかし確実に時は進み行くのだとの思いを深くせざるを得ないのでした。
July 26, 2006
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暫く続いた凍てつくような気候も漸く緩み、昨日水曜日から寒さのために諦めていた庭仕事を少しずつ再開することに致しました。昨年末は神迎えの為の簡便なお掃除しか致しませんでしたので、当然お庭も門周りや人目に付きやすい前庭を、恥ずかしくない程度に整えただけで、裏庭や中庭は殆ど放ったままで、枯れ草や枯葉が堆積し、見るからに荒れて寒々としています。取り合えず枯草を取り除き、枯葉を集めて綺麗にし、流石に雑草などは少なく、見回せばムスカリやクリスマスローズも可愛い花芽をつけ、この小さなお庭にも、春がひっそりと息づいておりました。昨年植えたミモザの枝も何時も間にか小さな黄色い蕾をつけ、開花の時が楽しみです。マリのこの「椿荘」は、その名の通り椿の花が多く、植樹して然程経っていないものが多い為、小ぶりな株が多いのですけれど、それでも毎年沢山の花を付け、今は白玉などが満開で、椿の花が大好きなマリは、寒さを除けばこの季節が一番待ち遠しいのでした。マリが日記をつけながら、庭仕事を含む家事を何時ものように致しておりますと、夫が日課の「山登り」の為、定刻に階下に降りて参りました。夫は退職してから、知人のベンチャー企業のサポートを暫くしていた後そのお役目も辞し、自らの今後の計画の為。昨秋から元々寝室にある書斎を仕事部屋にして、専門書の翻訳などの仕事をこなしつつ、自宅で勉強に励んでおります。昨年の息子の高校進学以来、マリが毎日早朝に起き出し、お昼のお弁当を拵えていたのですが、夫が自宅を仕事場とし始めたときから頻りと「美味しそうだね」と羨ましがりますので、つい弾み(?)でついでに作ってあげましょうかと申し出ますと事の外喜んで、以来毎日作る羽目となってしまいました(苦笑)。そう、夫の日課の「山登り」とは、お昼時に母屋である夫の実家のジロ(黒柴の雄です)を連れ、お弁当を持参して、椿荘の目の前の小山(町営の公園となっております)に上ることで、晴れた日など展望台から相模湾が一望出来るということですっかりお気に入りで、多少の曇天でも構わず出掛けるのです。元来真面目で律儀な正確ですので、自身に日課を設けるのは性に合っているのでしょうね。極寒時に、足指がしもやけになっても諦めない程で、流石にマリも呆れ気味ですけれど、いい気分転換になるのだからと譲りませんので、放っておくことと致しました。にこやかに手を振りながら犬のジロを伴い、自宅前の小山に向かう夫を送った後、お洗濯物を干し終え、先生のお宅に伺う用意をするマリの日常は変わりません。黒白の猫、栖鳳はゲージの中で丸まって眠りこけ、その姿はマリの心を和ませます。夜の寒さを予想し暖かい装いで屋外に出ますと、鼻の奥につんと、何時もなら冷気が差し込むのですが、今日はいくらか柔らかく、寒さが苦手なマリをほっとさせてくれました。何時もの穏やかな「椿荘」の日常はこうして過ぎて行きます。-- Outgoing mail is certified Virus Free.Checked by AVG Anti-Virus (http://www.grisoft.com).Version: 7.0.269 / Virus Database: 267.14.17 - Release Date: 2006/01/10
January 12, 2006
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今朝は新春の微笑みのような青空が広がっておりました。年が開け、お正月のおめでたい雰囲気に余り相応しいとは思えない曇天続きでしたので、婚家のお墓参りや、お年始のお客様をお迎えしたりと、忙しいながらも空を見上げる気持ちは些か滅入り気味で、時折お日様が顔を出したときなど、嬉しく窓の外を眺めていると、あっという間に掻き曇り、あまつさえ雪がちらつくなど記録的な寒さの故か、雪が滅多に振らないマリのこの「椿荘」のある湘南地域に、ちらほらどころか、うっすらと積る程のお天気でした。やはり例年以上の寒波が到来というのは間違いではないようです。冬らしいとはいえ、悪天候に少々侘しい思いをしていたところに、僥倖と言うには少しばかり大袈裟ながら、矢張り陽光は嬉しいものでした。とは言え、折角のお天気ですけれど、余りの冷え込みにまたもや心臓が怪しい雰囲気で、今日は好天といえども、お家の中でじっとしていた方がよさそうです。前回の日記では「余り変わらぬ日常」と記しましたけれど、やはりある程度の変化は当然で、そこに幾つかの寂しいお別れがありましたことを申し上げねばなりません。それは、マリが懇意にしていたお店が数件閉店してしまったことでした。イギリスから帰国以来、息子が幼かった時分から家族共々しばしば伺って、美味に舌鼓を打った近隣のイタリア料理店が、昨年夏に閉店し(車でしか来店出来ないという立地条件の為、経営が難しくなったようです)、日頃お醤油やらお味噌を求めていた、江戸時代からの老舗のお醤油屋さんは後継者が居ないことを理由として、昨年末に貴重な看板をとうとう降ろすこととなってしまったのでした。こうやって良心的に運営していたお店が無くなることは格別の辛さと理不尽さを感じざるをえません。そしてもう一件、やはり押し寄せる、時の流れに寄る変化を受け入れざるをえなかった「お店」が、マリの極く身近にあったのでした。昨晩、金曜日の冷え込みも尋常でなく、やむない用事が夕方からある為、防寒下着をしっかり着込み、毛織の厚手の上着と、帽子は勿論のこと、裏張りのある長めの皮手袋、毛皮のコートの衿をしっかりと合わせ完全装備で出掛けることに致しました。この日は日本画の先生のアトリエでの、初稽古、初仕事(マリは先生のお仕事のお手伝いを致しております)ですのでお昼過ぎに伺い、お稽古とお手伝いを終え、新年会ということで、先生と軽く乾杯した後、マリのお友達のマダムのお店「女王様のカフェ(勿論本当の名称ではありません)」に打ち揃って出掛けます。タクシーを降り数歩歩きますと、半地下のお店のガラス扉を通して、カウンターの端に腰を下ろすマダムの後姿が見え、ドアに取り付けられたガラスのベルを揺らしながら入りますとマダムの満面の笑顔とともに、カウンター越しに背の高い「女性」の姿がすぐに目に入ります。実は、昨年のクリスマスを持ちまして、体調などの理由からマダムはお店のオーナーを引退し、その後をこのカウンターの中に立つ「女性」、K女史に引き継いでもらったのでした。年齢はマリと然程違わず、マリと同じく黒尽くめの衣装が多く、セミロングの髪型もスタイリッシュなのですが、戸籍上の性別は殿方なのです。このお店を引き継ぐ以前は予備校で理科の講師をしてお出でで、科学好きのマリと先生と趣味や思考が重なることが多く、正直に申しまして初対面では特異な外見(ご免なさいね)に失礼と思いながらも避け勝ちだったのですが、彼(彼女?)の人柄や豊かな知性に徐々に先生共々打ち解けまして、今ではすっかり懇意な間柄となりました。音楽好きで自らお店のピアノの鍵盤を掻き鳴らし演奏することもしばしばで、何よりもこのお店の「女王様」であるマダムの信頼篤く、それゆえ後継者となったのでした。六年間続いたこのお店を閉める決心をした当初、マダムは本当に惑い、思いを募らせ涙を流したそうなのですけれど、悪化する体調やそれに伴う家族の心配など、避けがたい問題を前にやがて気持ちに整理もつき、一次はお店の存続事態を諦めていた状況に、K女史が名乗りを挙げてくれたことに、ほっと安堵したのでしょう。その後の様子は寧ろ晴れやかでさえあり、心配していたマリと先生も胸を撫で下ろし、その日を無事迎えることが出来ました。 そう、お別れと申しましても、マダムにはいつでも会えますし、マリと先生に取りまして、ライブ活動を含め、茅ヶ崎に於ける大切な足掛かりである「女王様のカフェ」を失わずに済んだばかりか、新しい友人を得ましたことは、本当に嬉しいことです。この特筆すべき存在の「マスター(そう呼んで欲しいと言っておりましたので)」は、これからの椿荘日記の新たな登場人物として度々活躍することでしょうね。
January 9, 2006
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今朝は新春の微笑みのような青空が広がっておりました。 年が開け、お正月のおめでたい雰囲気に余り相応しいとは思えない曇天続きでしたので、婚家のお墓参りや、お年始のお客様をお迎えしたりと、忙しいながらも空を見上げる気持ちは些か滅入り気味で、時折お日様が顔を出したときなど、嬉しく窓の外を眺めていると、あっという間に掻き曇り、あまつさえ雪がちらつくなど記録的な寒さの故か、雪が滅多に振らないマリの、この湘南にある地域に、ちらほらどころか、うっすらと積る程のお天気でした。やはり例年以上の寒波が到来というのは間違いではないようです。冬らしいとはいえ、悪天候に少々侘しい思いをしていたところに、僥倖と言うには少しばかり大袈裟ながら、矢張り陽光は嬉しいものでした。とは言え、折角のお天気ですけれど、余りの冷え込みにまたもや心臓が怪しい雰囲気で、今日は好天といえども、お家の中でじっとしていた方がよさそうです。 前回の日記では余り変わらぬ日常と記しましたけれど、やはりいくつかの変化は当然で、そこに幾つかの寂しいお別れがありましたことを申し上げねばなりません。一つは、幾つかのマリが懇意にしていたお店が閉店してしまったことでした。 イギリスから帰国以来、息子が幼かった時分から家族共々しばしば伺って、美味に舌鼓を打った近距離のイタリア料理店が、昨年夏に閉店し(車でしか来店できないという立地条件の為、経営が難しくなったようです)、日頃お醤油やらお味噌を求めていた、江戸時代からの老舗のお醤油屋さんが後継者が居ないことを理由として、昨年末に貴重な看板をとうとう降ろすこととなってしまったのでした。こうやって良心的に運営していたお店がなくなることは格別の辛さと理不尽さを感じざるをえません。そしてもう一件、やはり押し寄せる、時の流れに寄る変化を受け入れざるをえなかった「お店」が、マリの極く身近にあったのでした。 昨晩、金曜日の冷え込みも尋常でなく、やむない用事が夕方からある為、防寒下着をしっかり着込み、毛織の厚手の上着と、帽子は勿論のこと、裏張りのある長めの皮手袋、毛皮のコートの衿をしっかりと合わせ完全装備で出掛けることに致しました。この日は日本画の先生のアトリエでの、初稽古、初仕事(マリは先生のお仕事のお手伝いを致しております)ですのでお昼過ぎに伺い、お稽古とお手伝いを終え、新年会ということで、先生と軽く乾杯した後、マリのお友達のマダムのお店「女王様のカフェ(勿論本当の名称ではありません)」に打ち揃って出掛けます。タクシーを降り数歩歩きますと、半地下のお店のガラス扉を通して、カウンターの端に腰を下ろすマダムの後姿が見え、ドアに取り付けられたガラスのベルを揺らしながら入りますとマダムの満面の笑顔とともに、カウンター越しに背の高い「女性」の姿がすぐに目に入ります。 実は、昨年のクリスマスを持ちまして、体調などの理由からマダムはお店のオーナーを引退し、その後をこのカウンターの中に立つ「女性」、K女史に引き継いでもらったのでした。年齢はマリと然程違わず、マリと同じく黒尽くめの衣装が多く、セミロングの髪型もスタイリッシュなのですが、戸籍上の性別は殿方なのです。 このお店を引き継ぐ以前は予備校で理科の講師をしてお出でで、科学好きのマリと先生と趣味や思考が重なることが多く、正直に申しまして初対面では特異な外見(ご免なさいね)に失礼と思いながらも避け勝ちだったのですが、彼(彼女?)の人柄や豊かな知性に徐々に先生共々打ち解けまして、今ではすっかり懇意な間柄となりました。音楽好きで自らお店のピアノの鍵盤を掻き鳴らし演奏することもしばしばで、何よりもこのお店の「女王様」であるマダムの信頼篤く、それゆえ後継者となったのでした。六年間続いたこのお店を閉める決心をした当初、マダムは本当に惑い、思いを募らせ涙を流したそうなのですけれど、悪化する体調やそれに伴う家族の心配など、避けがたい問題を前にやがて気持ちに整理もつき、一次はお店の存続事態を諦めていた状況に、K女史が名乗りを挙げてくれたことに、ほっと安堵したのでしょう。その後の様子は寧ろ晴れやかでさえあり、心配していたマリと先生も胸を撫で下ろし、その日を無事迎えることが出来ました。 そう、お別れと申しましても、マダムにはいつでも会えますし、マリと先生に取りまして、ライブ活動を含め、茅ヶ崎に於ける大切な足掛かりである「女王様のカフェ」を失わずに済んだばかりか、新しい友人を得ましたことは、本当に嬉しいことです。 この特筆すべき「マスター(そう呼んで欲しいと言っておりましたので)」は、これからの椿荘日記の新たな登場人物として度々活躍することでしょうね。 -- Outgoing mail is certified Virus Free. Checked by AVG Anti-Virus (http://www.grisoft.com). Version: 7.0.269 / Virus Database: 267.14.15 - Release Date: 2006/01/06
January 7, 2006
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平成14年から書き始めたこの日記を、昨年五月にちょっとした切掛けで中断し、いつの間にか翌年、この平成18年の一月を迎えてしまいました。日記の掲載を止めるかどうかひとしきり悩んだのですけれど、拙いながら楽しみ、歓びを覚えながら続けたこのサイトを閉めるのは忍びず、やはり今一度とキーボードに向かってみることに致しました。気がつけば世の中は空前の「ブログ」ブームとのこと。マリのこのささやかな呟きなどにお耳をお貸し下さる奇特な方がまだいらっしゃると信じつつ、実に八ヶ月ぶりの日記を付けてみましょうか。そう、最近の暮らし振りなどが一番良いかもしれませんね。そういった意味では昨年と余り変わりはありませんけれど、この「椿荘日記」を書き始めたころは中学生だった息子は、今やこの四月に進級し高校二年生の生活を待ち受ける、心身共に少年から青年と申し上げましても不思議ではない年齢となりましたし、夫も昨年三月末を持ちまして、長きに渡って職を奉じていた企業を早期退職し、今も黙々と次に控える技術者としての飛躍を睨み、準備と研鑽を続ける日々です。そしてこの日記に於いてもうお一人、重要な登場人物である、敬愛して已まない先生、マリの日本画の師匠である「先生」も勿論御健在で、以前よりも増えた仕事を前に相変わらず頭を抱えて(?)お出でです(笑)。そう、実はもう「一人」、今はこうして日記を書くマリの傍らで、可愛らしい三角の頭を寝床のタオルに埋めてぐっすり寝ている、9ヶ月の雄の猫「栖鳳(せいほう、と読みます。由来はまた何れお話致しましょう)」が新しく家族に加わりました。でも残念なことに、この子はマリが5月に自宅近くの川岸で拾った子猫ではありません。このお話はまた機会を得て、触れることとなるでしょうけれど、今は敢えて控えさせて頂きますね(このお話を始めますとすっかり長くなってしまいますので)。こうして思い返しますと、やはり時は確実に流れているようです。今は暖かい部屋で、大好きなスコッチソーダを頂きながらの記述ですので、書き始めより随分と寛いで来たようで、ぎこちない書き出しなど修正しつつ進めて行きますと、始めた頃の胸が躍るような感覚が蘇って参ります。自分の書いた文章、「日記」を人様にお見せして、感想を頂き、意見を交えるなど今まで経験の無かった事で、様々な方とお知り合いになり、良い刺激を受けつつ、綴り続けたこの「椿荘日記」はやはりマリの宝物なのでしょうね。今度こそゆっくりと、たとえ途切れ途切れでも、日々の楽しみとして続けて行きたいと願っております。趣味や暮らし、大好きな音楽など、どうぞマリの打ち明け話を、聞きにいらして下さいね。
January 5, 2006
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先生の応援を待つ間、朝食の支度など何時ものように家事に取り掛かります。動物用のゲージなどの用意があるわけも無く、暫く考えた後マリは少し浅めの竹笊に、古いタオルを何枚か敷き子猫を入れ、保温の為に小型のペットボトルにお湯を入れたものを湯たんぽ代わりに傍に置いて遣り、古い六角形の大き目の籠を逆さにして被せますと、最初は鳴きながら出ようとして少し暴れていたのですが、やがて疲れたのか湯たんぽに体を寄せて寝てしまいました。どれ程の時間、川沿いの斜面に蹲って居たのかはわかりませんけれど、早朝の冷気は小さな体にきっと応えたはずです。兎に角保温し、休ませることにして、朝食の支度を終え、夫と息子を起こしに行くことに。やはり夫に突然の報告は気が引けましたので、まずはマリと同じく猫好きな、今や高校一年生となった息子を起こしながら、猫を拾ったことを告げますと、寝ぼけ眼ながらやはり驚いたらしく、ごそごそと起き出して来ました。次は夫ですけれど、窓を開け、一瞬考えた末食事ですとだけ告げ、とりあえず階下に降りました。猫の籠はマリが面倒を見やすいように厨房のガラス戸棚の前に置いてあるのですけれど、息子が既に起き出して、熱心に覗き込んでおります。マリは息子に保護した際の状況と、今の子猫の状態を手短に話しますと、マリの行動を当然のことと認めてくれ、それでも少し、猫嫌いの自分の父親のことを気にしている風でしたが、「幾ら何でも弱っているこの子を追い出すほど、パパは無慈悲じゃないわ」と安心させましたけれど、どうするの?との問いには流石にマリも口籠ってしまいました。兎に角病気が治るまでは大事にしてあげましょうねと答えると、息子もうんと頷きました。やがて夫の、洗面の音が階上から聞こえ、暫くすると何時もの上機嫌で階下の厨房に降りて参りましたが、籠の子猫には気がつかない様子で、毎朝欠かさずに飲んでいる、夫自らの手作りヨーグルトのジュース割を自分で作りはじめた時、物音に目が覚めてしまったのか、急ににゃあと鳴き始め、夫は随分吃驚した様で、その正体が分った時はもっと驚いておりました。「どうしたの?」と驚きと疑念を禁じえない様子で問う夫に、事情を説明(息子の時よりは、危機的状況の表現がいささか誇張気味だったかもしれません~苦笑)し、保護を渋々承知させ、取り合えず第一関門は無事突破致しました。子猫は目が覚めると再び籠から出ようと、あらん限りの声を絞り鳴きながら必死にもがきますので、食事中の夫の癇に障らないよう、今度はお洗濯の為に二階に連れて上がり、今度はガラス越しの日向に洗濯籠を伏せて閉じ込め、慌しく洗濯機のスイッチを押し、洗濯物を畳み始めました。いくらか広くなった籠の中でやはり子猫は鳴き通しで、片づけが一通り終わりかけ流石に可哀想になってしまい、籠から出して抱き上げますと、途端に泣き止みます。まだ幼いのに親から引き離され、知らない所に連れて来られ、きっと不安なのでしょう。もしかすると、一人ぼっちで鳴き続けたことも随分応えているのかもしれません。傍に居て、触れていて遣りさえ居れば大人しくなりますので、片手で抱きかかえ、空いたもう一方の手で片づけを続けます。何しろ小さな子で、マリの目には生まれて一月も経っていないのではと思われ、落ち着かない様子で動き回るのを、むずかる掛かり子をあやす様に宥めながら、先生の到着を待つことに致しました。お昼少し前に、待ちに待った「救援の手」が救助物資を携えて現れました。気が利いてお優しい先生は、マリの手元には品物も考えも何も無いことを想定し、猫用のミルクと子猫の離乳食、ペットシーツ、トイレ砂を買って来て下さり、安堵の表情のマリの手から子猫を受け取られますと「小さいねえ」とにっこり笑って、軽く首の後ろをつまみ上げ、手足が縮むのを確認されて、思ったより元気だねと仰いました。それからすぐに、蚤取りを兼ねたシャンプーの用意をし、マリを助手にして始めます。猫用のシャンプー剤を洗面器のお湯に溶き器に掬っては、丁寧に子猫の体の首から下に掛け(こうすると首から上に蚤が逃げないそうです)、蚤の有無を確かめながら手際よく洗って行きます。「余りいない様だね」とマリも感じた子猫の綺麗さに、共にやはり遺棄された子だとの確信を強め、手足を一所懸命動かし逃れようとする子猫が、温水の暖かさに気持ち良さ気に放尿した時、二人でほっとして顔を見合わせ、最後に濡らしたティッシュペーパーで、きょときょとと不安げに動かす左目と、閉じたままの右目をそっと拭かれますと「やはり結膜炎だろうね」と洩らされました。マリは人間の薬が猫たちに有害であることが多いのを調べて知っており、今回は消毒剤や点眼薬などは一切使わず、温水しか用いませんでしたので、その判断に先生も頷かれ、しっかり濯いでお仕舞いです。その様子を夫は横目で眺めつつ、連休中に片付けなければならない新しい勤務先の仕事のレポートを仕上げる為に忙しげにキーボードを叩いておりましたが、何も申しません。体を乾いたタオルでしっかりと拭き上げた後、先生は、トイレの設置や、ペットシーツを寝床の底に新たに敷きこむなど万事卒無く、また猫用のミルクをマリが与える際の介助もして下さいまして、甲斐甲斐しいご様子に思わず微笑まずにはいられません。湯上りの所為か興奮気味の風情の子猫も、新しいミルクの味が気に入ったのか朝よりもしっかりと飲んで、先生とマリを安心させてくれました。マリが拵えたお礼を兼ねたパスタ料理のお昼を「椿荘」のお庭で三人揃って(息子は学校へ部活動の為に出掛けましたので)頂きまして、初夏間近の新緑の中、上々のお天気に皆の心も綻び、件の子猫はマリの膝の上でご機嫌な様子でくつろいでうつらうつらし、難しい表情だった夫の顔も幾分和らいで見えます。この先のことはマリ自身も決め兼ねていて、けれど、子猫を珍しい物の様に興味深げに眺める夫の理解と、元来猫好きで愛情の篭った視線を投げかける先生のご協力が望めれば、そう難しい未来ではないのかもと楽天家のマリはその時ふと思ったのでした。*この項つづく
May 22, 2005
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気候の良くなった四月上旬辺りから、毎朝お散歩に出掛けるようになりました。冬の寒さが苦手なマリは、毎年十月下旬から三月一杯は家の中から成るべく出ないようにしているのですが、お散歩は大好きで、気候が暖かくなるのを今か今かと待ち構えておりました。海に山にと恵まれた環境に住むマリの朝のお散歩は、様々な発見や出会いもあり、あるときなど草木の生い茂る、川沿いの土手から飛び立つ青く輝く背をした翡翠を見つけ驚いたり、波打ち際で飛び跳ねるヒコイワシを拾い思わぬ海からの贈り物に感謝したりしていたのですが、ある日、予想もしなかった「拾い物」をしたのでした。大型連休も中盤に差し掛かった三日の早朝、お馴染みの道筋を、幾分冷たくすっきりとした空気を満喫しつつ、五時半ごろにお散歩コースのお仕舞いである川沿いの桜並木に到着、常と変わらず川面に緩やかに尾を揺らめかす鯉の群れに目を楽しませ、葉桜の青さに目を細めながら歩みを進め、橋の袂の折り返し点で元来た道を引き返し始めると、先程は聞こえなかった、猫のような動物の鳴き声が聞こえました。最初は対岸のスーパーマーケットの裏からかと思い余り気にせず行き掛けますと、今度ははっきりと足元から聞こえるのです。立ち止まり何気なく探してみましたけれど姿は見当たらず、こうなりますとどうしても気に掛かり、周囲を見回し、間欠的に大きくなる声に土手の草むらを覗いてみますと、青草の中にぽつりとある、黒い毛の玉が目に入りました。こちらに背を向け蹲る、やはり小さな黒白の子供の猫で、声を限りに泣き叫んでおります。急な斜面ですので慌ててつまみ上げますと、目に飛び込んで来たのは汚れた四本の手足と、目脂とゴミで真っ黒になったその顔の、潰れたように閉じられた両目でした。両手で一掬いほどの子猫は、マリの目には弱って見え、閉じられた目も左目だけはやがてうっすらと開いたのに対し、右目は下瞼と上瞼の境目が分からないほどぴったりと閉じられ、酷い状態に保護しても助からないのではと思うほどでした。加えてマリの脳裏を掠めたのは、猫嫌いの夫のことで、以前から猫は苦手とうるさいほどでしたので、連れ帰ってからの夫の反応をつい想像してしまいました。けれど躊躇は一瞬のことで、この危険な状況 (急な斜面の下は勿論川です)に、取り残していくなど毛頭考えられず、具合の悪そうな様子に最悪看取るだけのことにもしなってもと決心し、この日のお散歩は急遽中止として、先程購入した飲み物の入っていたレジ袋の中に、保温と確保の為に頚部を圧迫しないようにそうっと入れ抱えようとしますと、意外なほどの力で暴れ始めました。マリは子猫特有の針のような細い爪の攻撃に顔を顰めながらも、子猫の元気さに希望を抱き、それからの三十分近い帰り道を子猫の猛抵抗に耐えながらも、最後は被っていた帽子でおくるみのようにして抱え、やっと家にたどり着くことが出来ました。時刻は六時を大分回ったところで、休日のこと、家人は未だに寝静まり、取り合えず汚れた手足を洗うことと、目と鼻の洗浄に取り掛かりました。目脂と鼻水に枯葉がこびりつき、見るも哀れな様子の子猫でしたが温水に浸したティッシュペーパーで、少しずつ丹念に拭いていきますと、次第に可愛らしい顔立ちがはっきりと窺えるようになりました。頑固な右目の膠着は念の為撫でる程度で切り上げ、鼻水と泥で真っ黒だった鼻を拭いてやりますと、ほっそりとした白とピンクの鼻先が現れ、左目の周辺を丁寧にふき取ってやりますと、大分目の開きがはっきりとして、切れ長の青味がかった薄い緑色の目がマリの顔を不思議そうに見ています。逆三角形の、子猫にしてはほっそりとした輪郭に、中心が右にずれた黒の八の字の額、やはりアシンメトリーな黒い模様の入った白い両足も細長く(この模様の特徴に拠り後日マリと先生に「印刷ずれ」とのあだ名がつきました)、西洋種が入っているのか長めの黒白の被毛に、大きな耳と少し太めの尻尾が何とも言えず可愛いのですが、可愛いいが故に、潰れたような片目の様子が一層不憫に思えて仕方がありません。相変わらずにゃあにゃあ鳴きながら暴れているのを抱えながら、偶然一本だけ残っていた瓶の牛乳を人肌に温め、早速この早朝の思わぬ珍客に饗応致しました。野良や捨て猫らしくおなかを空かせた様子でお皿に飛びつくのを当たり前のように期待したマリでしたが、まるでミルクのお皿が目に入らないがごとくあらぬ方へちょこちょこと歩き出したのを見て、自力で飲むのは未だ難しいとの判断を一応下し、マリの日本画の先生に連絡して、教えを請うことに致しました。先生は長年猫の飼育をしており、また現在も一才半の男の子を飼っておりますので、とてもお詳しく、色々と教えて下さり、尚も不安そうなマリの声に、後で応援に駆けつけて下さることになりました。そう、授乳はスポイトか、無ければストローでいいとのこと。早速ストローを用意し(生憎スポイトはありませんでした)、子猫の口に運びますと、余り口を開けてくれないので、いささか強引に咽ないように気を付けつつ、少しづつ流し込みました。食欲が余り無い様で心配でしたけれど、連休の中日でお医者様はお休みですし、出来ることをし、先生をお待ちすることに致しました。散歩の疲れと思わぬ事態の展開に、休憩を取る為、居間のソファに子猫を抱いたまま腰掛けますと、相変わらずもぞもぞと活発に動いております。何の気なしに子猫の体に鼻を近づけますと、化粧品らしい香料の匂いがうっすら致しました。この日のマリは香水はおろか、お化粧もしておりませんでしたので、元々の匂いだとすると、野良猫の子ではなく、人に飼われていたことになります。加えて保護した場所も不自然ですし、どう考えても故意に遺棄された可能性が高いのです。マリは過剰に悲劇的な考え方はしたくない方ですけれど、飼っている猫に子が生まれ、病気になったので捨てたとしか思えず、信じられない程の残酷さに怒りを覚えましたが、それと知らず頼りなげに鳴く子猫をますます哀れに思い、膝に抱えて撫でてやりますと今度は子猫らしい敏捷な様子で体を這い上がり、肩に乗ってじっとしています。首筋に子猫の和毛がくすぐったく、無心で安心しきった様子に兎に角何であれ、必ず助けてあげるからとの決心を固くしたのでした。*この項つづく
May 20, 2005
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今朝は久しぶりに朝早く目覚めました。年明けよりずっと体調不良が続いた為、ここ暫くは早朝に床を離れることが難しく、下手をすると朝が苦手な夫より遅く起きることは然程珍しく無い程でしたので、漸く寒さも緩み始めた昨今、少しばかり調子が戻ってきたのかもしれません。昨年のタイ旅行のご報告よりすっかり日記が途絶えてしまい、その間のマリの身辺も大分変わってしまいましたが、そのことも日記に書くことが出来ず、今日に至ってしまいました。でも、マリの家族や、マリの日本画の先生など、身近な人々の暮らし振りは元気且つ変わらぬ様子であることは確かで、高校受験の息子は無事志望校に合格し、夫も三月末の退職を睨みつつ、新しい環境での仕事の準備に邁進しております。今年は温暖なマリの住む湘南地域にも雪が多く、豪雪地帯の難儀な生活が、僭越ながら僅かにしのばれる気候でしたが、それでも、この「椿荘」の由来でもある、庭に植えられたマリの大好きな多種の椿の花も咲き開き、侘しい生活にも希望を齎してくれる様で、過酷な気象条件でもその生命を絶やさない植物の持つ逞しさに、本当に救われる思いが致しましました。記録的な寒さと、体質に拠る体力の低下の所為で好きな散歩も諦め、専ら暖かい室内で何もせず、ぼうっと過ごしていたこの冬でしたけれど、心中は歯がゆい思いで一杯で、春の訪れをこれ程まで心待ちにしたことはありません。勿論春の訪れで全てが良い方向に行くとは考えてはいなかったのですけれど。そう、元気が戻ってきたら是非試みたいこと、行きたいところは沢山あります。東京・銀座のハウス・オブ・シセイドウでも催されている椿に関する特別展「春の椿」(写本ですが名品「百椿図」が展示されています)や、江戸東京都博物館の「ガレ展」など、心惹かれる展覧会もそうですし、新しいお稽古事や小さな旅行など、体さえ達者であればすぐさま行動を起こしたいところですけれど、今少しの我慢でしょうね。有難いことに、夫をはじめ家人の理解もあり、皆で労わってくれますので、今は休養を第一に心掛け、一日も早い回復を、と願っております。外出は控えておりますけれど、夫の主催する音楽バンドの練習や仲間内でのパーティなど、相変わらずお客様の訪問の絶えない千客万来の「椿荘」ですし、日頃の生活も含み、幸せながら多忙な日々に少々溜息を付きながら、これからの「楽しみ」に思いを馳せ、「春」の訪れを心待ちにしているマリでした。
March 13, 2005
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先週、今週と連続でとても忙しい日々が続いておりました。本当に急な話ながらタイに夫と共に旅行に行くことになりまして、あたふたと切れてしまっていたパスポートの申請と受領、必要な品物の買出し、留守中の算段などに追われ、PCの前に座り込む余裕など全く無く、久しぶりの海外ですのに、煩雑さにすっかり嬉しさも半減しいらいらのし通しでした。なぜこれ程急にそんなお話になったかと申しますと、夫の海外出張時に溜まっていた航空会社のマイレージが、今年一杯で期限が切れてしまう為、その「消化旅行」なのですが、息子の受験や夫の仕事などで中々都合が付かず、結局この年末となってしまったのです。月曜日の早朝に出発ですので、今晩は早く休まねばなりません。本当はもう少し書きたいのですけれど、日記はこの辺でお仕舞いに致しましょう。金曜日に帰って参りましたら、旅の詳細などご報告したいと思いますので、どうぞまたいらして下さいね。
December 12, 2004
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今朝は軽く熱を帯びた額を押さえ、幾分ふら付きながら階下に降りました。実は昨日(土曜日)辺りから風邪を引いたらしく、息子を伴い、実家の母を誘っての遠出のお買い物より自宅に戻りましてから、喉に引き攣る様な痛みが走り、慌てて嗽を励行し、ビタミン剤も服用して、温かい緑茶も飲んだのですが、終には午後以降、微熱が出まして、勿論日課のお散歩は中止で、バンド練習に向かう夫を漸く駅に送り(ウッドベースの運搬がありましたので)その帰りしなに、何時ものお魚屋さんに立ち寄り、頼んでおいたお刺身の金目鯛(釣り上げたものなので、口からは未だ釣り糸が垂れておりました)と、塩焼き用のスミヤキを、目の前で捌いて貰い、受け取って急いで家に帰りました。マリは病気がちだった子供の頃からの長い投薬経験のせいか、抗生剤を始め、一般の売薬など強いお薬が余り飲めず(直ぐに薬疹がでてしまいますので)軽い風邪などでは成るべくお薬は服用しないことにしております。暖かい一日でしたし、無理をせず安静にし、栄養価の高い食事とビタミン類を多く取り、水分補給をしながらのんびりと過ごすことに致しました。息子は三時から始まる進学塾の補修授業に備えて準備をしたり、休憩時には何時も通り母親であるマリと談笑したりして過ごし、具合の悪いマリを心配しながら出掛けて行きました。残されたマリは、好きな音楽を聴きながら(ルドルフ・ゼルキンの演奏によるシューマンのピアノコンチェルトです。)、居間のソファに半身を起こしたまま横たわり、熱の所為か集中することが出来ませんので、読むでもなく新聞を広げたり、窓の外を眺めたりして、本当にぼんやりとしかすることしか出来ません。そう、ふと思い立ち、マリの日本画の先生にお見舞いのお電話をすることに。実は先生も昨日から風邪を引かれてご自宅で休まれているとの事。本来でしたらこの日の夫のブラジル音楽のバンドの練習に参加する筈でしたのに、軽い熱もあるそうで、今朝ほど、大事をとって今日の練習への参加は見送りたいとのお電話がありました。どうやら、マリと先生のこの風邪の出所は同じらしく、思い当たることは一つしかありません。それは木曜日の晩のマダムのお店の五周年パーティで、そう言えば一人の青年が、マリと先生の傍で何度か咳いておりまして、どう考えても感染源はそれしか考えられないのです。日頃は自宅とアトリエの往復で、人混みに出ることも少なく、半ば「無菌的」に暮らしておりますので、いざとなると体力も抵抗力も余り無い「ひ弱」な師弟は、仲良く風邪を引くタイミングも一緒のようで(苦笑)、お見舞いのお電話の際、私も・・とお話しますと、思わず二人の口から情けない笑いが漏れてしまいました(苦笑)。まあ致し方ありません。互いに様子を聞き合い、励ましあって電話を切り、息子が塾から帰るのを待ちながらうつらうつら致しておりました。どれ位経ったのか、電話の音に起こされて子機を取り上げますと夫で、少し飲んで帰るとのこと。食事は家で取りたいとの意向でしたが、やはり具合が悪いので外で食べてきてくれるよう頼みました。マリと息子だけですと簡便な冷凍食品を加熱するだけで済みますし、食事が済めばすぐ休むことも出来ますので、そのつもりで、くたくたになって(長時間ですので)帰って来た息子を労いながら、お刺身を切り、冷凍の蒸し春巻きや小籠包、粽などの点心類を蒸して、早速夕食です。最近のこうした食品は、本当に味が良く、この日の様な緊急時にはありがたく、食欲もそこそこにありましたので、この分だと思ったよりも恢復が早そうで、息子もそんなマリをほっとしたように眺めておりました。一通り食べ終わりますと夫から再び電話があり、これからメンバーのお一人に車で送って貰い、帰ると申しますので、お迎えに行くことからも解放され、これで早く休めると考えたのも束の間、一時間後に夫が帰宅した際は、送って下さった方と共にろくに食べていないので、何か作ってくれと言うのです。これには流石のマリもがっくりとしてしまい、夫の何時もの「マイペース」振りを恨めしく思うばかりですけれど、お客様はお客様ですし、溜息をつきながら、残りもので何かしら拵えることに致しました。この宵のお客様は今年の二月にさる方の仲介(実はその方は、本当に偶然ながら先生の旧友でして、皆で驚いたものですが、そのお話はまたいずれ致しますね)で知り合った、都内の某私立大学でスペイン語を教えていらっしゃる方で、ギターが担当なのですが、年齢も夫や先生とほぼ同じで、音楽的にもとても話が合うようで、親しくさせて頂いております。お優しく、愉快な紳士振りで、マリもとても好きな方ですので、仕切りと遠慮されるのを制し、早速お刺身と点心、ご飯などを供します。少しばかりお相手し、後は今日の演奏の録音や、お気に入りのDVD、CDを聞いて盛り上がるお二人にお任せし、早々に寝室に引き取らせて頂きました。有熱の身にはありがちな、息苦しく奇妙な夢で途中何度か目が覚めましたけれど、その度に階下から笑い声や、ドアの開閉音と共に音楽が聞こえ、ああ、まだ続いているのだと思いながら再び眠りに付き、そんなことを繰り返すうちにやがて朝を迎えたようです。気配がないので隣を探りますと夫は居ず、少し離れた洗面所から、水音が致します。起床の為、階下に降りがてら洗面所を覗きますと、洗面をしながら目を赤くした夫が、昨夜(今朝?)の気分を引いたまま浮かれ調子の上機嫌で話しかけて参ります。漂う強いお酒の匂いに半ば呆れながら問いますと、やはり夜を徹して朝まで話し込んでいたとのこと。ギターのI氏は既に辞去され、本人は先程まで居間のソファで転寝をしていた模様です。「新しい音楽友達が増えて良かったわね。しかも先生より「丈夫」そうだし。」と皮肉交じりに(それまでは「徹夜鑑賞会」のお相手を、先生が一身に引き受けておりましたので、流石に少々お気の毒でした)申しますと、一向に気にするでもなく、尚も留まることの無いハイテンションで喋り捲り続け、頭痛を増したような気分のマリは、夫の振り撒く多大な「エネルギー」に中てられた様になり、お休みなさいと言いながら、額を押さえつつ無言で階段を下りるのでした。
November 28, 2004
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今年は暖冬なのでしょうか。平年より高い気温が一向に下がらず、寒さに弱いマリに取りましては有難いことなのですが、少々気味の悪さを感じてしまいます。けれど早朝は流石に十一月の末らしく、幾らか冷え込んで、お散歩の際には温かいフォックスなどの毛皮のマフラーは欠かせません。今朝も空が白むのを待って戸外に飛びだし、大分歩くのに慣れた足を速めて、公園脇を行き過ぎ、乾いた喉を潤す為、珍しく冷たい炭酸飲料を自動販売機で求めました。昨夜は、マリが常に日本画の先生と共に週に一度は顔を出す(そうでないとマダムに怒られてしまいますので)、「女王様のカフェ」と呼び習わしている、お友達のお店の五周年の記念イベントで、強か飲んでしまったからなのでした。茅ヶ崎の駅から幾分離れたマンションの半地下にあるこのお店は、元々はマリと先生の共通の友人である県会議員のI氏(当時は市議でした)のお店だったのですが、公私共に忙しくなり、その後を引き受ける形で、全く素人だったマリのお友達、S夫人が始めたのでした。最初はお料理好きなS夫人、マダムの手になるビーフシチュウやビーフカレー、ピッツアが自慢の、ランチやディナーの営業を中心とする「カフェ・レストラン」だったのですが、何時の間にかバーボンを中心としたウイスキー類やジン、ウオッカ、マール、カルヴァドスなどのハードリカーが種類多く置かれる「バー」となってしまいました。「あなたのお陰なのよ」と機会あるごとに言われまして、マリはその度に首を傾げてしまうのですけれど、つまりはお酒好きで我侭(!)なマリがお店を訪れる度に「あれが飲みたい、これが飲みたい」と酔いに任せて気ままに「お願い」していたことが端を発した様で(苦笑)、今や茅ヶ崎でも類を見ないほどの品揃いで知られるだけでなく、ブラジル音楽好きな夫と先生が主催するボサノヴァバンドが、毎月ライブを行う音楽のお店としても、堂々の(!)展開で、数多ある洋酒を扱う競合店との差別化は、どうやら図ることが出来た模様です(笑)。開始は七時からですので、先生と作業を終え(マリは現在、お稽古だけでなく助手としてお手伝いもしておりますので)、身支度を整え迎います。この夜は、常連客である小父様達によるロックバンドの演奏や、マダムの息子さんが率いるポップス系のバンドが出演するということで、お店に到着致しますと既に演奏は始まっておりました。ご親切にも、大方は立食というスタイルの中で、「高年齢(?!)」の為か、マリと先生の席は既に確保されており、感謝しつつ着席し、早速マリはバーボンソーダで、先生はテキーラのストレートで乾杯です。マダムはお気に入りの白のスーツ姿で忙しそうに立ち働いており、マリと目配せで挨拶を交わし、次々と現れるお客様をにこやかに出迎えておりました。律儀で気の利いた常連のお客様達は、花束や贈り物の包みを手にしておりますけれど、マリは昨年の4周年パーティで、「おしゃれをして手ぶらで来て頂戴」と厳命されておりますので、約束を守り今年も何も持参致しませんでした。「あなたが来ると場が華やぐから」とお世辞であっても嬉しいことを言ってくれまして、そう言えば昨年の個人の売り上げでは、マリは堂々の二位だそうで(苦笑)、プレゼントよりも一日でも多く来て、一杯でも多く飲んで欲しいとのことでしょうか(笑)。そう、この夜もやはり女王様の「ご命令」通りに、ジャケットの袖口が折り返しのダブルカフスになっているエレガントな黒のパンツスーツに、プラチナやダイアモンドの装身具でお召かしを致しまして、女王様もご満悦の様子です。マダムの息子さんも既にカウンター内で忙しくしており、お給仕は、マダムともとても仲の良い、息子さんの可愛らしい年上のガールフレンドのY嬢で、良家のお嬢さんらしくとてもおっとりとしていて、気立ても良く、マリや先生に随分親しみを感じてくれているらしく、お代わりの飲み物を運んでくれる度に、二言三言楽しく言葉を交わし、次々と掛けられる注文の声に、黒の凝ったデザインのスカートの裾を揺らめかせながら、また慌しくカウンターに戻って行きました。小父様たちのロックバンドは、アコースティックピアノにドラムス、リードギターとヴォーカル、ベースというシンプルな構成に関わらず、流石に年季が入っている所為か堂に入った演奏振りで、ディープ・パープルやレッド・ツエッペリン、ローリングストーンズなどの往年のロックの名曲を次々と演奏し、特にマリと先生と親しくしている、葬祭場に勤務するI氏の歌声は声量も音色も申し分なく(とは言え、イアン・ギラン、ロバート・プラントには勿論及びませんけれど~笑)、皆から喝采を浴びておりましたが、多少お酒が入っている所為かだんだんと音量が大きくなって参りまして(苦笑)、歓談をしたい向きに次第に煙たがられる様になり、斯く言うマリと先生もお互いに、耳元に口を寄せて大声で話すのが億劫になって、終には休憩を待ちわびるといった感じになってしまいましたけれど、小父様達は久しぶりの人前での演奏にすっかり興奮してしまったのか、休憩の言葉が掛かっても暫く楽器を手放さず、中々お洒落なメンバーですのに、つい、カラオケで熱唱する赤ら顔の人々を思い浮かべ、申し訳ないと思いながらも、その想像に先生と顔を見合わせ笑ってしまいました。暫しの休憩の後、バーテンダーである息子さんの手になるマティーニを美味しく味わっておりますと、今度は息子さん達の若手バンドの演奏です。昨年は中々の「迷(苦笑)演奏」でしたが、今年は問題だったヴォーカルも代わり、「下手くそだから」とのマダムの言葉を物ともせず、期待しつつ演奏に耳を傾けたのですけれど、やはりまだまだ努力は必要の様で(苦笑)、熱心さと音量だけは小父様バンドに引けを取りませんし、幾分酔いも回って参りましたのでその事を理由に、失礼ながら早めに退散することに。今回は、音楽に関してはうるさい事が自慢(?)の、夫も誘ったのですが、生憎別の用事があり同道出来ませんでしたので、偶然ではありながら賢明であったと思わざるを得ず、時計を見ますとまだまだ宵の口で、飲み足らず楽しみ足りない飲兵衛師弟は、次のお店にほうほうの体で向かったのでした。
November 26, 2004
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椿荘に一番の季節が訪れようとしております。「椿荘」とは、椿好きのマリが、このHPの為に考えたサイト名であると共に、自宅に名付けた、言わば愛称で、実際に庭には数十種類の椿が植えられております。そう広い敷地ではないのですけれど、大小取り混ぜて所狭しと植えられた椿の、早いものは既に満開で、マリがその中で最も愛して止まない二本の白玉椿は、和種が先にその美しい顔を綻ばせ、一時は枯れてしまうのではないかと心を痛める程弱ってしまっていた西洋種は、懸命の手当てで命を蘇らせ、今年は沢山の蕾を付けて、マリの期待に応えようと、蕾を膨らませて時を待っています。大概のお花のお庭は、きっと春夏が主なのでしょうけれど、マリの椿好きゆえ、椿荘のお庭は秋から冬に掛けてが見頃のお花が多く、勿論ライラックや小手毬、紫陽花、白藤、ガーデニア、ミモザ、合歓、金木犀、銀木犀など、春から夏に掛けてのものもありますけれど、他に柳やオリーブ、月桂樹、チャボヒバなど、花の咲かない樹木も多くありますので、真夏はほぼ深緑の庭と化して、それはそれで爽やかで良いのですが、山茶花や椿の花が綻びるこの季節がやはり一番でしょうね。マリは匂いの良いものや、白い花が好きですので、自然とそのようなお花が集まり、実は以前大きな泰山木もあったのですけれど、婚家の庭先であるこの敷地に自宅を建てる際、どうしても動かすことが出来ず、泣く泣く切ってしまったことがあり、何れは再びと考えておりますが、既にお庭は一杯で、大きくなる泰山木を受け入れることの出来る余地は残念ながら少なそうです。そう、お庭でのんびり過ごすには気持ちの良い季節ですし、お出掛けするよりはお家に居たいので、近所のお散歩以外の外出は極力避けたく、夫なども以前はお休みになりますと、仕切りにマリと息子を遠出に誘うのですけれど、マリ達の住むこの湘南地域自体が一種の観光地で、その気になれば歩いて海にも山にも行けますので(海へは歩いて二十分程ですし、山は町営の公園として目の前にあります)、わざわざ混雑を縫って出掛けることも無く、夫もそのことに漸く気がついたようで、最近はお弁当を持って徒歩で海に行くことが気に入って、しばしば二人で出掛けます。先達ても、小春日和の陽気に誘われ、お弁当と麦酒を持参で海に遊びに参りましたけれど、そこで思い掛けない海からの素敵な贈り物を頂いたり(「ひこいわし」が、大きなお魚に追われたらしく沢山浜に上がり、周辺の釣り人と共に大騒ぎで拾いまして、その日の美味しい夕食のおかずとなりました)、海を眺めながら夫と将来の話などしたりして、この地で暮らす幸せを満喫しております。今日も夫の誘いで、麦酒を用意し、コンビニエンスストアでお弁当を買って、浜辺に突進です。お天気は上々で、温かいと言うよりは寧ろ暑い位の気候に、なるべく薄着で出掛けたのですけれど、薄っすらと汗ばみ、それでも歩みを進める足取りは楽しく、夫と楽しく笑いさざめきながら目的地に向かいますと、少しして坂の向こうに青い海が見え始めました。湘南地域でも、道路と海との段差が一番の、この町の海と繋がる小道は全て長い階段で、急な階を夫に支えられながら気を付けて降り国道の下の暗いトンネルを抜けますと、青く澄んだ相模湾が、陽光の元で輝き、迎えてくれます。釣り人達を見遣りながら、適当な場所に荷物を置き、靴と靴下を脱いで裸足になりました。日差しで暖められた海岸の石は少しも冷たくなかったのですが、打ち寄せる泡立つ波に足を付けますと思わず軽い悲鳴が漏れるほど冷たく、暖かいとは言えこの後に控える冬を思わずにはいられません。遠く水平線には幾艘もの釣り船が浮かび、右には真鶴半島、左には三浦半島が輪郭を大気に滲ませて、青空に浮かび上がります。波間につい、この間の様な思いも寄らない海の賜物を期待し、目を凝らしたのですが、さすがにその様な幸運は今日は無く(一年を通しても、二、三回位だそうです)、時折透明な水の中で光る貝殻や、磨耗したガラス片を拾い上げては、ささやかな贈り物に微笑んでおりました。暫し波との戯れを楽しんだ後、お弁当を広げ、麦酒で乾杯致します。夫は来年早々、彼の今迄の仕事上に措いて、重大な決断を控え、今日に至るこの二ヶ月間というもの沈思熟慮を続け、得た結論をマリに繰り返し語ります。妻たるマリは最初から異論を唱えることは無く、長きに渡る夫への信頼を繰り返し答えるばかりです。息子は来年早々に知らされる高校受験の結果を受け止め、今までは遠い空想だった現実の自分の将来を、彼なりに真摯に思うことでしょう。マリは大切な家族をこれからも懸命に支え、またそれを励みに暮らせることを心から嬉しく思いつつ、古い土地柄を示す、古風な家々が立ち並ぶ路地を身近に眺め、この地に暮らせることを感謝しつつ楽しく家路を辿るのでした。
November 21, 2004
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昨夜は、夫が新たに結成した音楽バンドの練習を兼ねた発足会で、メンバー(と申しましても、何時ものマリの日本画の先生と、今年になって参加することになった某大学のスペイン語の先生のお二方ですけれど)と、つい遅くまで楽しく過ごし、ついでにお酒も過ごしてしまいましたので、翌朝目覚めますと微かに頭痛がして、何時もは早起きのマリが、漸う置きだす頃にはすっかり明るくなっておりました。寝巻きの侭階下に降りますと、玄関に続く廊下に、実家の母の飼い犬である二頭の黒のトイプードル(母娘です)が、待ちかねたとばかりに尾を振り振り近づいてきます。土曜日から一泊の予定で、マリの姉とその家族と共に箱根に行っておりまして、滞在中、その面倒を看る為、マリが一時的に預かっているのでした。母は昨年父を亡くして以来、一時は本当に心配になるほど、意気消沈し、弱ってしまっていたのですが、半年ほど経ってから漸く元気を取り戻し、今では近所のお友達の誘いで太極拳を習い、ダンス教室に通うなど、少しづつながら生活に意欲を持つことが出来るようになった様です。「この子達のお陰で、ずいぶん寂しさが紛れるのよ」と何時も口癖の様に話す母ですので、その可愛がり様はひとしおで、その所為か幾分お行儀が悪く(苦笑)、ペットを甘やかしたり、だらしなく接する事が嫌いなマリですので、家で預かる度に「再教育(!)」を施し、今ではあれ程悩まされた「咆哮癖」や禁止区域(屋内なら、廊下と決めておりますので)に立ち入ることも無くなりまして、余り家の中で犬を飼うことに肯定的でない夫さえも、何も言わなくなりました。マリの「躾」はどうやら厳しいらしく(無論、現在中学三年生の息子も例外ではありません)、まだ子犬の時分に実家に戻る度に、びしびしと(笑)対応した所為か、マリに対しては「絶対服従」を誓い、以来咬まれたり、反抗的な態度をとられた事はありませんし、かといってプードル達に敬遠されることも無く、何時訪れても大歓迎の様子です。先代の飼い犬(白のプードルでした)も含め、常に身近に置いて可愛がり、餌も肥満気味になるほどふんだんに与える母ですのに、全ての犬に度々歯向かわれ噛付かれましてその度に嘆いていたのですが、マリには早々にその理由が分かりましたので、同じ轍を踏むことはありませんでした(「静かになったでしょう?」と自慢げに話すマリに、ぼそりと「怖いからだよね」と小声で呟く夫の声を勿論聞き逃しは致しませんでした~笑)。お散歩は一日に二度、朝と夕方にするのが日課(というより二頭の内、母犬がどうしても室内用のトレーで用を足してくれませんので)ですので、今朝も二頭をリードで繋ぎ、黒のスエードの帽子を被り、フォックスのマフラーを巻いて万全な防寒対策で、残る家人に声を掛けますと、夫が、実家である母屋の黒柴犬「ジロ」を連れ同道したいと申しますので、相性を懸念しつつも一緒に出掛けることに致しました。昨日とは打って変わった曇天で、風も幾分冷たいのですが、枯葉の匂いのする歩道を三頭の犬たちと辿りますと、一人きりのお散歩と違い賑やかで、ご近所のお宅の門柱や塀を汚さない様にリードで制しながら、黒柴犬を連れた夫と、後になり先になりながら公園に向かいます。尾篭なお話で申し分けないのですが、トイプードルの様な小型犬の所謂「落し物」は、その小さな姿に似つかわしく小振りで、扱いも楽なのですが、力の強い柴犬など中型以上の犬種は扱いが難しく、マリの様に力の無い人間に取りまして片手で制御しつつ始末することは至難の業で、黒柴犬が夫の実家に来た当初は、マリもよく散歩に連れ出したものですが、成犬になって、一、二度、強く引っ張られた際、転んで軽い怪我をしたこともありまして、すっかり体格が良くなってしまってからは夫の役目となりました。息子も以前は相手をしてやっていたのですけれど、今は受験直前の忙しい時期で中々難しく、「誰も散歩させてくれなくて可哀相だよね」とジロに向かい、ちらりとこちらを見ながら夫が何やら申しますけれど、マリも息子も黙って肩をすくめるより仕方が有りません(苦笑)。黒柴犬も、この頃では夫の顔を見る度何か期待に満ちた表情をしますので邪険には出来ず、お休みの日になると自然にリードを手にするようになりました。唯、体の大きさに比例して「落し物」の大きさも量も増しますので、その始末には流石に閉口しているようで、マリが小さいビニール袋を片手にひょいと腰を屈めて簡便に始末する姿を羨ましそうに見ながら、自分の「連れ」の番が来、用事が済んですたこらと逃げ出そうとするのを必死に押さえ込み、顔を顰めながらも新聞紙を使い、その度にまめに片付けている姿は中々微笑ましいもので(笑)、律儀で真面目な夫の性格を表しているようです。そう言えば、マリの日本画の先生も昨年から白地に黒い斑の猫を飼うようになったのですが、完全室内飼いの為、用足しは部屋の片隅の専用のトレーで行い、汚れる度にこまめに片付けている様子は夫と同じくきちんとしており、やはりペットを飼うに当たって、躾同様大切なことですし、飼い主の義務であることに間違いはありません。暫く公園を歩いて歩道に戻り、最初は心配した犬達の相性も然程悪くは無い様で、互いのことを鼻で嗅ぎあいながら遠慮がちに近づいたり、急に驚いて飛び退ったりと、まだまだ緊張感はありながらも一緒に歩くことに問題は無さそうです。「何か、変な集団だよね」と急に夫が申しますので、理由を聞きますと「だって皆、真っ黒じゃない」との言葉にマリもあらと思ってしまいました。黒柴犬と黒のプードルを連れ歩く人間の服装は、マリの黒尽くめは常として、偶然に夫も黒いコートにチャコールグレーの帽子という出で立ちでしたので、きっとすれ違う人は意図的に効果を狙ったように思い、訝しがったことでしょうね。それを考えて二人して笑ってしまいました。それでも見知らぬ方から、プードル達の、綺麗にトリミングした姿を可愛いと何度か褒められまして、少々嬉しく、ペットとの生活の喜びは、心が和んだり、生活のパートナーとして共に過ごす楽しさだけではない、別の何かもあることに気が付きました。それも自然な感情で決して悪いものではないでしょうけれど、行き過ぎますと、動物達にいい結果を生まない原因に繋がらないとも限りません。三十分程のお散歩を済ませて、家に戻りますと流石に小さい体に長時間の運動は応えたらしく、足を拭き終わると水を飲む前に、母娘共々ぺたりと床に座り込み舌を垂らしておりました。
November 14, 2004
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がたがたという、寝台脇の書棚の触れ合った部分の振動する音で目が覚めてしまいました。お布団の中で、暫く真っ暗な室内で目を開いたり閉じたりしておりましたけれど、一旦目が覚めると眠りに戻るのは難しく、諦めて室内灯の僅かな灯りを頼りにそうっと寝室を出ますと、廊下の時計はまだ五時前で、早起きのマリに取りまして然程早すぎる時間ではありませんので着替えて起きることに致しました。晩秋の十一月になりますと、朝とは言え五時の空は未だ暗く、猫の爪の様な細い月が、二つ星を伴って墨色の空に浮かび、夜明けからの眠りを待ち兼ねている様です。猛暑だった今年の夏は、昨年以来日課となっておりました、朝のお散歩が体力的に難しく半ば諦めていたのですけれど、十月に入りまして大分恢復して参りましたので再開し、空の白むのを待ってから、温かい服装で出掛けます。マリのこの「椿荘」は家々の立ち並ぶ小高い丘の中腹にあり、自宅前の坂を少し上った辺りにある公園の、紅葉した桜の葉の色を仄暗い光の中で楽しみつつ、人気の無い何時もの道を辿ります。喫煙者には益々肩身の狭い昨今の状況ながら、一向に止める気のないマリですけれど、家の中は元より、指定場所やお馴染みのお店以外では喫煙は控えておりますので、こういった場所では遠慮なく取り出し、澄んだ大気に紫煙を一筋燻らせながらの歩みは、やはり快く嬉しいものです。夫は仕事のストレスの所為か、一年前から喫煙の習慣が戻ってしまい、もう一人、マリの身近の常習者と申しますとそれはマリの日本画の先生で、この方も大層な喫煙者ですので、二人分の副流煙をも引き受けなければならない身としては、当然幾分控えめとなるのは自然な運びでしょうか(苦笑)。とはいえ戸外で思い切り、澄んだ空気と吸う煙草の味は格別のもので、有毒とは思いながらも、止めることは惜しい程の楽しみは、悪魔的と謗られても仕方ありませんね(苦笑)。季節ごとに目を楽しませてくれる各々のお庭のお花たちは、早咲きの山茶花、そして待ちに待った大好きな椿など、ぽつりぽつりとその可憐な姿を見せ始め、蝉の声や鳥の囀りなどの夏とは違ったお散歩の楽しみを思い出させてくれました。桜並木の切れた辺りに、何時もですと、白く雪を頂いた富士山が鈍色の空を背景に、その薄紫色の姿を神秘的に浮かび上がらせるのですけれど、生憎靄が掛かって見えません。今朝は頂上から見渡すことの出来る、相模湾の光景を愛でるのは諦め(未だ本調子ではありませんので)途中の十字路で丘を下り、谷間いの車道を横切って下に広がる住宅街に入りますと、あるお宅の玄関先に、精巧に仕立てられた菊の鉢が並んでいるのが見えました。夥しい数の鉢は色も種類も様々で、厚咲きや管咲き、懸崖仕立てなどそれは美しく、冷たい大気に凛と漂う菊の香は、早朝を一人歩くマリへの思いがけない晩秋の贈り物となりました。朝は漸く白々と明け始め、業務を控えた黒塗りのタクシーが慌しく傍らを行き過ぎ、忙しい朝の到来を告げるようです。途中立ち寄ったコンビニエンスストアの熱いお茶を手に、今日の予定を反芻しつつ歩き続けますと、まだ慣れない所為か、息が切れ動悸がして参りまして、少し短めに切り上げることとし、お散歩コースの終盤である自宅前の坂道が、朝日が微かに射し始めた向こうに見え、大分息の上がったマリをほっとさせてくれるのでした。
November 10, 2004
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今朝新聞に目を通していて、ふと小さいコラムに気が付きました。それはパリで日常的に頻発する「スリ」に関する記事で、実はマリも一つだけ思い当たることがあるのです。マリは一時期、夫の仕事でイギリスに滞在していたことがあり、休暇を取ってはヨーロッパ諸国へ、暖と美味を求めて(余り評判の芳しくないイギリス料理ですけれど、ホームメイドのパブ料理や家庭料理に関しては、マリはその限りではないと思っております)旅することが多く、ドーバー海峡を挟んだフランスは、その中でも訪れることの多い、大好きな国のひとつでした。当時は英仏海峡に地下トンネルが通る直前でしたので、カーフェリーに寄る海路か空路で向かうのが常で、特にパリは、シャルル・ド・ゴール空港からすぐですので、途中の都市に立ち寄る予定のない訪問の際は、必ず航空機を使用しました。パリはマリに取りまして、ハンドルネームの由来でもあり、椿姫のモデルでもある「マリ・デュプレシ」の所縁の地ですし、「心の恋人(笑)」と未だ呼んで憚らないかのピアノの詩人「ショパン」の活躍とその死を受け止めた地でもありますので、特別に思い入れのある場所です。件のコラムの通り、パリは掏りの天国で(もちろんパリだけではないのですが)、マリも夫と共に常に用心していたのですが、その時はルーブルで観た素晴らしい美術品の数々にうっとりし、聊かぼうっとしていたのと、実姉に頼まれたお土産物のブランド品の入った紙袋を両手に持っておりまして、如何にもおのぼりさんの体に、持って来いのターゲットになったのでしょうね。夫は未だ幼かった息子を抱いておりましたし、お天気の良いパリの午後の歩道は、観光客でごった返し、前後に人が付くのに不信感を抱かせ辛い状況でした。夫と話しながら歩いていたマリが、何気なく足元の石畳を見遣りますと、一本の男性と思しき手の影が、マリの斜めがけにしたポシェット型のバッグに伸びていくではありませんか。ぎょっとして何時の間にか後ろに回ってしまったバッグを体の前に引っ張りますと、同時にその手はすうっと消え、咄嗟に振り返りますと、若い男性が何食わぬ顔で、友人(相方?)と、話をしながら道路を渡り遠ざかって行くのが見え、こちらも被害は免れましたので、事を構えることは止めに致しました。ローマやナポリ、グラナダなど「悪名高い(?)」土地でも被害を逃れている(幾度か危ない目には会いましたけれど)マリと夫ですが、さすがにこの時ばかりは暫く動悸が止まらず、一時でも気の抜けない地であることを改めて思い起こす事件となりました。マリは八十年代にブラジル音楽好きの夫と、かの地の主要都市であるリオデジャネイロとサルバドールを訪れましたけれど、リオで一度づつ、擦りと引ったくりの被害に合いまして(と申しましても、約三百円分の紙幣と、マリが当時お守り代わりに首から提げていた金メッキの鎖に、木彫りの象でしたけれど)以来、用心深くなったようです。リオは今では犯罪都市として、すっかり有名になってしまいましたけれど、当時は長かった軍事政権が漸く終わりを告げ、ブラジルの奇跡と呼ばれた好景気もありまして、人々の表情は明るく、街の雰囲気は大らかで、(軍政の名残なのか各辻々に立つ銃を装備した兵士が、治安に一役買っていたようですけれど)楽しげでさえありました。過去は良く映ると申しますけれど、その後、九十年代に再度訪れたマリの目にも、その当時はやはり良い時代だったと思われます。マリと夫が遭遇した掏りのお兄さん方は、混んだ乗り合いバスの中で、本当にさりげなく夫の背後に近づいて、自然にすうっと夫のズボンのポケットから紙幣を抜いていったようですし、マリが首からペンダントを持ち去られた際は、閑静な大通りを、数人の子供たちが向こうから楽しそうにはしゃぎながら近付いて来て、すれ違いざまに、まるでお友達からボールを奪うようにさっと手で掴むと、引き千切りざま一目散に逃げて行きました。一瞬のことで、暫く唖然と立ち尽くしてしまいましたが、殆ど金銭的価値の無いもので(それでもお守りとして大切にしておりましたので、大そうがっかり致しましたけれど)、いきなり銃で襲われる昨今の状況から思いますと、牧歌的とも言えなくは無いお話でしょうね。かのコラムのタイトルは「近づく影にご用心」とありましたけれど、やはり「影」である間は、未だ「余裕」があるのかもしれません。唯、それが何時、もっと悪質な犯罪に発展しないとも限りませんし、世界的な政情の不安や戦争、不景気が、犯罪の温床となり得る貧困層を作り続ける事実を忘れることは出来ませんけれど、のんびりとした日本人観光客の描写で終わったその文章は、まだまだ薄い日本人の危機意識を窺わせられるようで、暫し考えさせられてしまいました。以前より治安が悪くなったと感じられる日本ですけれど、女性が夜道を辿るのは日常的な光景で、大邸宅でも入り口にガードマンが居ることは稀ですし、極端な例ながら、一般家庭の塀にガラスが埋められ、有刺鉄線が張り巡らされるなど珍しいという今の国内の状況を考えますと、危機意識を持てと言う方が、中々難しいのでしょう。しかしながら、凶悪犯罪が増えつつあるのは確かですし、やはり少なくとも心の備えは必要でしょうね。とは言え、楽しい旅行先で緊張で心も体もがちがちでは、嬉しさも半減してしまいますし、注意を怠らず、用心は欠かさずに、且つ旅を心行くまで楽しむ本当の余裕こそ、必要なのかもしれません。
November 6, 2004
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今朝は昨日に引き続き、蝉の声も遠くから微かに聞こえるだけで、涼しく静かな、秋を思わせる朝です。一昨日までの暑さが信じられない様で、薄雲に覆われた空は夏の色も去り、雨の残る庭の隅から小さな虫の声が聞こえてきます。それでもお昼間には夏空が戻るようで、まだまだ暑さは続くのでしょうか。記録的との報道が相次ぐ、異常なまでの暑さの今年の夏でしたけれど、今や観測史上二位となった95年の夏の暑さを知らないマリは(その当時は未だ、夫の赴任先のイギリスにおりましたので)、生まれてこの方初めてと思しき、この夏の暑さには本当にすっかり参ってしまいました。日記を再開し、また、ささやかで取り留めない日常や身辺のことをお知らせすることが出来る様になりましたけれど、以前の日記で何度も触れましたように、夏の暑さが大の苦手のマリですので、この夏はさしたる活動やイベントも設けず、西湖でのキャンプ以外は相変わらずの、自宅と先生のご自宅兼アトリエの往復に終始致しておりました。暑さのために食欲が落ちるのは毎年のこととしても、今年何より驚き参ってってしまったのは、しばしば「熱中症」になってしまったことなのです。七月中の、すでに真夏の暑さを迎えたある日、季節衣料の最後の入れ替えの為、納戸となっている屋根裏に上がり、ほんの十数分ほどその場で作業していたマリなのですが、脂汗のようなものをじっとりと全身に掻き、軽い眩暈と気持ち悪さに襲われまして、慌てて階下におり、シャワーで体温を下げ給水致しまして、これで手当ては万全と思い、暫しの休憩の後に、いつも通り茅ヶ崎にある先生のアトリエへと出かけたのでした。この日はお稽古と作業の後にマリのお友達のお店である「女王様のカフェ(勿論仇名です)」に立ち寄るつもりでしたので、何時もの車ではなく鉄道を使っての外出で、最寄の駅まで散歩を兼ねて徒歩で参りました。目が痛くなるほどの濃い青空と強い光を、サングラスと日傘で避けながら、駅へと続く道を辿ります。七月とは思えない程の気温と、耳には眩暈を起こしそうなくらいの蝉の声が鳴り響き、不快感は頂点に達しましたけれど、汗を額に浮かべながら(どんな暑さでも、体質の故かマリは流れるような汗を掻くことが出来ないのでした)、やっと駅に到着、おもむろに遣って来た列車に乗り込んで、冷房の涼しさにほっとしたのも束の間、十数分後にはまた蒸し風呂のような駅のホームに再び投げ出され、途方に暮れてしまいそうになりました。以前でしたら、真冬の寒さと真夏の暑さとどちらが許容出来るかとの質問をもし受けたとしたら、迷わず後者を取っていたマリですが、流石にこの夏の暑さには、迷わず前者を選びたくなるほどで(そう、情けないことに寒さにも滅法弱いのです)、先生のアトリエに辿り着いた時は大分ぐったりとしていたのですが、その際もやはり発汗はうっすらでしかなく、熱を体内に溜めた状態であっただろうと思われます。アトリエは冷房がありますし、海に近く周囲には緑が多いので、何時もは比較的涼しく過ごし易いのですけれど、今年の異常な暑さに涼しいはずのアトリエは、冷房を入れても利きが弱く、不覚にも作業中に筆を持ったまま居眠りをしてしまう程で、そんなマリの様子に先生も心配顔で、辛ければ休んでいいよとのお声が掛かることもしばしばでした。日が落ち、どうにか作業を終えて、先生と「女王様のカフェ」に立ち寄り、今度のライブの話などしておりましたけれど、杯が余り進まないうちに気分が悪くなり、中座した際の足元も怪しくなりまして、早々に失礼することに。ふらつき、力の入らない体を先生に支えて頂き、申し訳ないことに自宅まで送って頂いて、漸く居間のソファに崩れるように横になりますと、沈み込むように気が遠くなって行きました。その晩、夫の帰宅は未だで、マリの頭上では、慌てて階上から降りてきた、中学三年生の息子の心配そうな声と、その息子に指示を出す先生のお声が混じり、直ぐに額と脇にひんやりとした感覚が走ります。熱の篭った体は熱く、相変わらずぐったりとしておりましたが、口元に運ばれた水を少しずつ飲みますと、少し意識が戻ってきたようで、「○○君(息子の名前です)、お母さんは熱中症だから、・・・」と手当ての方法を教示する先生のお声を、近くに、また遠くに朦朧と聞いておりましたけれど、一生懸命給水させようとする息子の手と、見守る先生の視線に安堵感を覚えながら眠りに落ちていったようです。ふと気がつきますと、夜は大分更け、先生も既にお帰りになって、心配そうな息子が未だマリに付き添っておりました。「お母さん、このまま眠るといいよ。僕がお父さんに言っておいてあげるから」との言葉にその晩はそのまま休むこととなりました。そんなことがあって以来、度を越す暑い日には気をつけていたのですが、つい無理をして徒歩で外出したり、炎天下での庭仕事の後は決まって具合が悪くなり、その度に息子に介抱されまして、自分自身の体質と「年齢」も思いましたけれど、例年ではここまでのことはありませんでしたので、やはり尋常な暑さではないのでしょう。報道でお年寄りを中心とした、熱中症で入院したり、最悪の場合死亡したりの気の毒な方々のなどの話を聞く度に、決して人事とは思えず、息子も何時も心配そうで、夏休みに入り、お昼からの夏期講習の時間まで一緒に過ごしておりますと、忙しそうに立ち働くマリを気遣っては「少し休んだら?」と、つい動きすぎてしまいがちなのを制してくれ、また助けてくれるのです。高校受験を控え、忙しく、落ち着かない日々でしょうに、あまり丈夫でない、母親であるマリのことを何時も心配してくれる、息子の思いやりは本当に有り難く、ある時などやはり暑さにやられてへたり込んでしまった晩に、ずっと付きっきりで、額に載せた紙に包んだ保冷剤が、融けるたびに取替え、定期的に水を飲ませるなど、長い時間本当に甲斐甲斐しく面倒を看てくれまして、涙が出るほど嬉しく思いました。親馬鹿のようでお恥ずかしいのですけれど、心根の優しい、望外の良い息子で、マリの先生も何時も褒めて下さいます。それにしても、まだ十四歳だというのにこれ程まで世話焼きが上手くなるのは、本当のところどうなのでしょうね。きっと将来、「良き夫」となることでしょうけれど、マリの様につい甘えてしまうことが常になってしまうのは、互いに取りまして若い内には余りいいことではないのかもしれません。いずれにせよ、これからも年を重ねて行くマリには有り難い存在ですし、マリだけでなく高齢の婚家の義父母にも優しい、良き孫ですので感謝しておりますけれど。予報では残暑が長いようですし、以降も続けて気を付けるつもりですけれど、先ほどまで隠れていた太陽が、またもや強い日差しを投げかけはじめ、何時の間にか始まった蝉の混声合唱を聞きながら、溜め息を禁じえないマリでした。
August 24, 2004
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この椿荘日記を、図らずも中途で放りっ放しにして、何時しか半年が経ってしまいました。ささやかながらも楽しみにしていて下さったであろう方々も蔑ろにしてしまい、本当に申し訳なく、それこそ身の縮む思いが致しますけれど、、やはりこうやって、久振りの日記を更新出来ます事は、面映いながらも嬉しいものです。冬の間はインフルエンザと悪性の風邪になやまされ、三月以降はと申しますと、夫の異動に伴う変化により、夫関連の交際等が頻繁になり、それこそ土曜日曜などは、来客の無い日は殆ど無く、来客が無ければそれはそれで、こちらが訪問しなければならないなど多忙を極め、身辺の変化に追い回されておりました。大切なお友達との交流の場である、この「椿荘日記」に、マリ自身で訪れることさえ間遠になってしまっていましたけれど、決して忘れていたわけではなく、常に心の何処かに引掛かっかり、幾分憂悶の種になっていたのは確かで、何れ何れと思いながら今日に至ってしまいました。季節は思わず知らず冬から夏に移行し、暦の上では立秋を過ぎ、「横着者」のマリでさえ目を白黒させる程の時間の素早い移行に、唖然とするばかりですけれど、マリとその周辺の人物の身の上に重大な変化は無かったことだけは請合いますので、どうぞご安心を(笑)。そう、息子は高校受験を愈々来年に控え、日々机に向かっての勉強三昧(?!)ですし、夫は、異動後も変わらない多忙な仕事と音楽活動に何時ものマイペースで邁進する生活に変わりありません。マリの日本画の先生はと申しますと、山口での個展を控えながらも、他の画廊の依頼も抱え、右手に筆、左手に楽器を構え(?)、膝には昨年11月から家族となった白と黒の日本猫の雄を抱いての、相変わらずの大忙しの奮闘振りです(笑)。勿論マリも相変わらず、夫や息子の世話をしながら、先生の後ろに控え弟子として頑張っておりまして、今尚続く記録的な暑さの夏ながら、日常生活は続いておりました。この夏は、恒例の西湖でのキャンプを、二泊三日の日程で,先生も参加する夫のボサノヴァバンドの合宿と称し、マリの経験上、前代未聞の総勢10名で行いました。爽やかな気候と美しい湖を背景に、音楽と様々な楽しみに満ちた滞在でしたけれど、いざ撤収という際に局地的な豪雨に見舞われまして、立て続けに鳴り響く雷を背に皆でずぶ濡れになりながら、帰り支度に大童という、散々な幕切れとなってしまいました。それでも、下は七歳から上は五十歳という幅広い年齢層を網羅した、単なる友人知人の集いではない、合宿と言う目的を掲げた中々無い様なグループでしたので、面白いエピソードも多く、近年でも思い出深いキャンプ生活となり、バンドのメインヴォーカルで、二十代のお嬢さんであるY嬢の、「(キャンプは)小学生以来で、すごく楽しかった。また来年も・・」との声もありますので、来年も、マリのささやかな抵抗もむなしく(アウトドアは、本当に大の苦手なのです)行われることでしょうね(苦笑)。ともあれ、参加した皆が満足した滞在でしたので、主催者の一人であるマリも評価し、歓迎せざるを得ません(と、難癖をつけながら、一番楽しんでいたとの、夫の感想もありましたけれど)。夏の暑さには弱いマリですけれど、それでも夏の持つ魅力に逆らうほど意固地でもありませんので、残る日々を楽しみ、再び日記に記して参りますので、どうぞまたいらして下さいね。
August 16, 2004
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温かい、明るい液体の中、頬にふわりと何物かの「ひれ」が触れる。何処までも流れる、緩やかに流れていく液体の中、抗うこともせず、ただ、漂う。うっとりと真昼の光線の中を行く。俯く、仰向く、傾げる。顔を擦り付けるように液体の中で少しもがいてみる。再び、「ひれ」が触れる。心地よく深淵に吸込まれていく。セルリアン、ターコイズ、コバルト。緑青、藍、群青。あらゆる「青」が饒舌に煌き、目に飛び込む。急峻な流れ、沢山の魚たちと泳ぐ、流される、透明な渦巻きの中。巻き込まれ、回転する体、苦しさは、ない。あるのは鮮烈な躍動感と、爽快感。金色、橙、赤、朱。輝く魚たちの体が揉み合い、爆ぜ、捩れ、重なる。もう、魚たちとの区別は、ない。流れは愈々激しさを増す。巨大な魚体となって、猛然と泳ぐ。高みを目指して突き進む。目の眩むような光が視界の中で弾ける。一瞬の静止、どうっと落ちる、垂直に落ちて行く、心臓が捲れ上がる。瀑布の中、口を開ける滝壷に滑り込む。夜の海。重い、油のような黒い波がたゆたい、海の眼差しが猫のように波間で光る。ぬらりとした腕が招く、呼ぶ。夜の海が怖い。身震いするほど、恐ろしい暗黒の深い穴。何時もは遠巻きに見ていた海が今は足元で、歌い、語り、泣き、足首に美しい腕を絡めてくる。星の無い夜。海に招かれ、捕らえられ、幾重にも絡む沢山の腕に送られ、沖へと進む。重くなる衣服、重くなる手足、重くなる心。暗夜に沈む。静かなプールの中、髪を逆立て、揺らめかし、立ち尽くす。夜の深い水底は、蒼い夜空のようだ。頭上から差し込むのは、月明かり、水銀灯。「空」に逆さまにぶら下がる。直ぐ脇を、蒼い双頭の鷺が行過ぎる。立ち昇る泡の軌跡。追いかける、追いかける。プールは何時の間にか夜の街になる。星のような街の灯り、点々と微かな星座を作る。行き交う人々は体の中を通りぬけ、影のような姿はふうわりと、ビルの上に漂う。見下ろす、足元に広がる、街灯の星辰に震える街。涙が流れる。
February 22, 2004
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冷え込みの強い朝です。昨日は関東では珍しく、一日中雪が降り続き、積もりこそしませんでしたけれど、止む無い用事で前夜外出せざるを得なかった、マリと夫を心底震え上がらせました。今この久し振りの日記を書く手こそ冷たくはありませんが、暖かい室内ですのに今朝も明け方に起きたマリの、スリッパを履いた足先は冷たく、背筋に悪寒が走る様です。ここ数日は風邪で寝たり起きたりの生活でしたけれど、その影響が残っているのでしょうか。漸く熱も下がり、二日前から普段通りの生活が出来るようになりまして、ほっとしたのも束の間、こう気温が低いとやはり骨身に応える様で、心臓の弱いマリですので、最近の冷え込みに、用心の為お散歩も風の無い暖かいお昼前後に限られまして、何時もの寒い冬らしい、聊か窮屈な生活を強いられております。とは言え今年のお正月も例年通り穏やかに過ぎて行きました。一日、二日と婚家の義父母や義姉夫婦、実家の母と共に過ごし、三日には、マリと夫の共通の友人達を大勢迎え、喪中の家とは思えない程、盛大な新年会を賑やかに行いまして、四日には女王様のお店で新年会と、その後は何時もの生活に戻りながらも、七日には夫の、母校に於ける非常勤講師としての特別講座があり、マリも夫の「栄えある姿」を見るべく(笑)、約八十名の多くの学生さん達に混じって講義を聴くという、新鮮で刺激的な出来事に胸を躍らせるなど、新年早々、幸先の良いスタートでした。その後直ぐに夫は慌しくラスベガスに出張し、マリは先週の三連休を息子と共にのんびり過ごしておりましたが、風邪は、この本来なら楽しい筈の初頭に引いてしまい、それでも楽しみにしていたお友達のライブ演奏など、弱り気味の体調を圧して、催し物の為の外出を何回か挙行し、その為寒い夜半に帰宅したりなどの夜更かしも祟って、酷くしてしまった様子です。恐らく夫の特別講座の日、東京、大岡山にある母校に向う為、久し振りに乗った混んだ私鉄の車両内で頂いたのでしょうね。マリは体が弱いことを理由に、東海道線では殆ど何時も特別車両を使うなど、自らを甘やかして(?!)おりますので、このような際は必ずと言っていい程報いを受けるのです(苦笑)。息子も成長期の途中の不安定な体調の所為なのでしょうか、本来は丈夫なのですけれど、この冬は何度も風邪を引き、微熱を出して学校を休むことが何度もありましてマリを心配させましたが、夫だけは何故か風邪とは無縁で(勿論有り難い事なのですけれど)、本人が申しますのには、「自家製ヨーグルト」のお陰だそうなのです。横着なマリと違い、まめな夫は健康志向も強く、日頃からサプリメントなど健康食品に関心が高く、特にヨーグルト食はやはり体調に気を使う婚家の高齢の義父の、大分以前からのお気に入りだったのですが、メデイアで紹介された「カスピ海ヨーグルト」などに関心を示しながらも結局市販のピロリ菌に有効と効能を謳ったヨーグルトを種に自作のヨーグルトを作ることに定着して、今では週一回の「お勤め(笑)」となっております。元々几帳面な人ですし、自分自身に義務を課すのが好きらしく少しも面倒がらずに製作(培養?)に勤しみ、うまく出来上がった時は歓声を上げて大喜びし、たまに温度調節がうまく行かず失敗した時などは「死んじゃった・・」と可愛そうな位に意気消沈してしまい、マリに「ヨーグルト(乳酸菌)はあなたの『シーモンキー(マリと同年配の方はご存知でしょうね)』なのね」と揶揄されるほどの、気持ちの入れ込み様なのです(笑)。その夫が海外出張を終え帰国した際「僕が出張で出掛けると、必ず具合が悪くなるんだね」と帰国を喜び別の意味合いで「感動」した様子で申しますけれど、身に覚えのある(?!)マリは、見透かされたような夫の言葉にどきりと(素朴な夫の言葉ですので、決してあてこすりや嫌味などの含みは無いのです)致しまして(苦笑)、本当に心配そうにしている夫に不信感(?)を抱かせない様、その日は夕飯を終えた後そそくさと床に就いてしまいました(苦笑)。さて翌日は、日本画の先生のアトリエに、何時ものお稽古と作業に参りました。市販の風邪薬と、鎮痛解熱剤を服用し、やっと熱が下がったばかりですので、毛皮のコートで完全武装して、車で茅ヶ崎へと向います。風が強いながら好いお天気で、右手に相模湾が白い波を立てるのを眼の端で捕らえつつ何時もの道を辿り、アトリエに到着です。にこにことやはり何時もの笑顔で迎えてくれる先生の足元から、小さな白っぽい毛むくじゃらの物体(?)が飛び出してマリの足先に噛り付きました。そう、実を申しますと、現在先生は「猫」を飼っていらっしゃるのです。昨年十一月から、ひょんな切掛けで、先生のお家に飼われることになったこの仔猫は、白地に黒の玉斑の「男の子」で、今ではご主人である先生には勿論、マリにもすっかり慣れ、我が物顔で住処となったお台所でやんちゃのし放題です。仔猫が遣って来た詳しい経緯や様子など、また何れお話致しますけれど、とても日本猫らしい可愛い顔をしており、物覚えもよく、猫が大好きで飼うのもお上手な先生をとても喜ばせております。兎に角お利口な所為なのか、とても悪戯好きですし、次から次へと新しい遊びを思いついては、縦横無尽に走り回り、先生やマリを面白がらせたり、感心させたり、困惑させまして、以前の静かだったアトリエの雰囲気とは打って変わった騒がしい日々となりました(苦笑)。この日も作業の前に、お茶を飲み、煙草を一服していたマリの膝の上を、突然何処からとも無く現れ、濡れた足で駆け抜けて行き、流しにぴょんと飛び乗って、蛇口からの流れを待つように、仕切りに前足で流しの底を掻いています。「変わった猫だね」と先生が仰る通り、どうしたことかとても水遊びが好きで、待ちかねた水が蛇口から落ち始めますと、びしゃびしゃと(笑)、水の流れに挑みかり、放って置きますと面白そうに何時までもそうやって、飽きることを知りません。そろそろお仕舞いと、先生が栓を閉じてしまいますと、不満そうににゃあと鳴き、その様子がとても面白く可愛いのです。じゃれ付く度に、目を光らせ躍り掛かってくる様は、正しく小さな「野獣」ですけれど、マリの崩した足首を枕に安心した様子で寝ている様は本当に可愛らしく、元々猫好きながら、まだほんの幼い時分に一度だけしか飼った事の無いマリに取りまして、仔猫の動きと表情は驚きと面白さと発見に満ちていて、興味が尽きません。また近々、この新しい、先生の「家族」のことを書きたいと思いますので、お楽しみにお待ち下さい。こうして新年を迎え、小さい変化はありながら相変わらずの「椿荘」ですけれど、今年もどうぞいらして下さいね。心よりお待ち致しております。
January 18, 2004
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三十、三十一日とすっかりお掃除もお買い物も終え、お正月のお料理の用意をされている方が、きっと多いことでしょうけれど、マリのこの「椿荘」では、まだまだお掃除が終わらず、どうも例年通りには参りません。未だ引き摺る右腕の故障を抱え、磨き仕事や拭き掃除が思うに任せず、加えて何時も頼りの息子が、来年度は中学三年という重要な時期を迎え、勉強に一日の大半を割いておりますので、とても過度に手伝わせる訳にも参りませんし、夫は勤務先での異動後、ますます多忙を極め、一月には海外出張と、昨年に引き続き、母校での特別講義の講師という大役が控えておりますので、下調べや資料の編集、レジュメの作成など準備に忙しく、それでも具合の悪いマリを気遣って手伝ってくれておりますので、それ以上望めるべくもなく、何れにせよ喪中の家ですし、お祝いらしいお正月の仕度はほとんど省略するつもりでしたので、「神迎え」に差し支えが無い様、ある程度綺麗にしたところで、大掃除も良しとしようと考え、のんびりと(笑)構えておりました。新年一日は、決まりごとの婚家のお墓参りの後の新年会、二日はマリの実家の母を迎え、三日は夫やマリの知人友人を大勢招いての久しぶりの新年会がありますので、その準備も含め、喪中とは言え、相変わらずの「椿荘」ですけれど、来年こそは息子の高校受験の為に「静かな新年」となることでしょう。2003年は、世界的にも混迷の態から逃れることができず、個人的にも最愛の父を亡くすと言う悲しい出来事はありましたけれど、それ以外はマリに取りましては良い年で、今年のこの楽天日記の項目をざっと見るだけで、自分の幸せな身の上が思われます。本当に様々な素晴らしい人々に恵まれ、この楽天日記を通してお知り合いになった方々とも、実際にお目掛かったりと親しく交わり、実り多く豊かな年であったことを感謝せずにはいられません。今年の夏から恒例化した、茅ヶ崎の「女王様のカフェ」での、マリの日本画の先生も参加する夫のボサノヴァ・バンドのライブは好評を頂き、来年も引き続きお願いしますねとのマダムのお言葉を光栄に伺いつつ、今年の演奏は無事にお仕舞いとなり、毎月のライブ演奏というステップ・アップを果たしたメンバーは互いにとても満足で、早速新年会を兼ねた練習を一月にということで約束しあったのです。実を申しますと(笑)、マリもボサノヴァバンドで一役買っておりまして、それは「マネージャー」という、アマチュアバンドでは何をしているのか分からないポジションですけれど、中々それはそれで、苦労もあるのです。元々「女王様のカフェ」は、マリのお友達であるマダムのお店で、マリは大分以前からの常連客でとしてしばしば通っていたのですけれど、マダムが偶然マリの夫がベースを弾くことを知り、ぜひお店で演奏して欲しいとの要望で始まった定期ライブで、飽くまでもアマチュアですし、お客様も下手をしますと酔っている場合が多く、必ずしも静かに聞いてくれるとは限りませんので、その際などマダムと共に、演奏者であるバンドのメンバーや他ののお客様との「スムースな交流」を図る為に取り計らったり、選曲や、先生の日本語の歌詞の確認など、思ったよりも貢献している様です(笑)。ともあれ夫、先生をはじめ、マリの「マネージャー」としてのお役に感謝して下さっている、奇特なバンドのメンバーは、結局新年会を取りやめ、多忙であろうスケジュールを縫って年内に、忘年会を兼ねた「マネージャー慰労会」を開いてくれることとなったのでした。当日である28日土曜日の午前中は年末のお掃除に終始し、お昼にはすっかり汚れたエプロンをはずし、着替えて髪も整え、お化粧も直して午後二時からのお客様方に備えます。第一番目にいらしたお客様はマリの先生で、一人一品のお約束に習い、これから「椿荘」の厨房で「ペルー料理」を拵えて下さる為に他のメンバーよりもお早くいらしたのでした。先生は三十代の半ばに南米を一年半程旅されており、その時に覚えられた家庭料理だそうで、鶏肉とジャガイモ、キャベツのポトフのようなスープ煮に、玉葱をペッパーソース(本来なら青唐辛子なのです)であえて辛味を加えたものを添え、うどん(ペルーでは日系人が多いので、うどんは一般的な食材だそうです)を加えるのですが、以前にアトリエでのお昼に作って頂いた事があり、素朴ながらとても美味しく、お一人での生活の長い先生ですので、お料理はとてもお上手で、「何がいい?」との先生のお言葉にマリは思い切り悩んでしまいました。頭の中には先生のお得意なお料理がぐるぐると列をなして回って(笑)、マリを散々迷わせたのですけれど、結局大勢ということで「ぺルー鍋」になりました。前日に購入し預かっていた食材を、早速洗って切り始めます。最初からの「お約束」ですので、マリは食器や道具類の場所をお教えするだけで、側に立ったなり何も致しません(笑)。先生は手馴れた手つきでジャガイモの皮を剥き、骨付きの鶏をお鍋に入れて火に掛けます。お洋服が汚れない様にとマリがお貸ししたギャザーたっぷりの濃いピンクのベロア地のエプロンが、細身のお姿に妙にお似合いになられて、夫や勉強の合間に階上から降りてきた息子の笑いを誘います(笑)。「本当はコリアンダー(香菜)が欲しいところだけれど・・」と残念そうですけれど、煮立ち始めたお鍋からは早くも良い匂いが立ち始め、マリは殆どご用が済んだ事を察して再び階上に上がり、寝室のクローゼットのワードローブから、マリが何もしない時の為に、と決めている葡萄色のシルクの中国のローブ(長衣)を取り出し、羽織ります。胸にはルネ・ラリックのフロストガラスの「松毬紋」ペンダント(二十世紀初頭当時のオリジナルの空色の絹の紐が付いています)を下げ、慰労の会の仕度は整いました。そう、今回の忘年会のお約束とは、午前中のお掃除以外は、マリは「何もしない」ということで、マリは本当に「何も出来ない」装いで再び階下に降りますと、先生がその姿を頻りと誉めて下さいました。他のメンバーである、ヴォーカルのY嬢、フルートのA嬢のお若いお嬢さん方、先生のパーカッションの愛弟子である優しいY青年も続々と集まり、愈々「忘年会」兼「慰労会」が始まります。練習も兼ねた集まりですので、夫々麦酒、お茶などで喉を潤しつつ、暫し休憩した後演奏の為に楽器を手に取り、マリが見守る中、和やかに新曲の打ち合わせが始まりました。好評を博した先生の日本語の歌詞に拠るバンドの新曲は、A・C・ジョビンの名曲「コルコバード」と「エストラーダ・ブランカ(白い道)」で、ブックレットの対訳と違い、柔らかく可憐でさえある先生の作られた詞は、まだまだ覚束ない演奏の中でも美しい輪郭を見せ始め、難しさも感じながら新たに敷かれた可能性に、皆で沸き立つように夢中になって演奏しているうちに、「宴会」の時間となりました。大好きなシャンパン「ルイ・ロデレール」で乾杯し、女性メンバーが用意してくれたチーズやソーセージの盛り合わせを囲んでの歓談は終始笑い声を伴い尽きることはありません。華僑の「大姐」の様と表されたマリの姿は、この晩の宴会に相応しく(?)、メンバーに恭しく遇され、肩を揉んでもらったり、正しく座ったままの上げ膳、据え膳の饗応振りは「慰労会」のお約束通りで、マリをすっかり女王様の気分にしてくれるのでした(笑)。先生の作られた大鍋の「ペルー鍋」は勿論大好評で、シャンパンの後のブラジルのスピリッツ「ピンガ」と共に息子を交えた大勢であっという間に平らげられ(笑)、その後はお待ち兼ねの、マネージャー・マリの為のミニ・コンサートとなりました。「お抱え楽団」が「女王様」の前で演奏するように、やはり恭しい(笑)様子で徐に始まった演奏は、お馴染みのボサノヴァの曲で始まり、マリの大好きなY嬢のオリジナル曲と続いて、「ムーン・リバー」などの耳慣れた曲、そしてカルトーラの古いサンバ「人生は風車」が、先にポルトガル語で歌われた後、先生の詞になる日本語の、その含みのある深い内容の詩が、美しいギターの音色と、先生の優しい声と共に、椿荘の居間に響きます。美しく繊細無比な歌に、少しばかり酔っていたマリは思わず涙ぐんでしまい、先生がマリの亡き父の葬儀の際、寄せて下さった詩句、「人は皆、育てた花だけで飾られる・・」の一節で終わるその歌に感動を禁じ得ませんでした。この半年のバンドの進歩は目覚しいもので、ブラジル音楽に造詣が深く、演奏経験も長い先生は当然のこととしても、殊にヴォーカルの女性の変化は目を見張るようで、最初は自信無げで声も小さく、心許無い風情の少女のようだったY嬢は、いまやすっかり成長して一人の「表現者」として、しっかりとした堂々の歌い振りです。以前貰ったお手紙の中で、音楽と、マリや夫、先生に「恋をしている感じです」と書いてくれた直向きで、純粋な心が結実した美しく素敵な歌の世界は、これからもますます広がっていくことでしょう。結局マリを囲んでその宵は、夜を徹しての親密な会話と音楽で満たされ、皆で新しい年に置ける飛躍と可能性を夢に見つつ、何時果てるとも無く続いたのでした。
December 31, 2003
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24日はお馴染みの「女王様のカフェ(本当の名称ではありませんけれど、マダムの話し振りや振る舞いがその通りですので、そう呼ばれております~笑)」のマダムの、どうしてもクリスマスソング~賛美歌です~を聞きたいとのご要望を受け、マリが仕方が無く(?)歌う為もありまして、クリスマス会を兼ねたワインの会に参加するべく、久し振りのイブの外出となりましたけれど、やはり年末など混雑する時期は「家の中」が良い様で、赤と緑で綺麗に飾られた商店のショウウィンドウを覗いたり、色とりどりのイルミネイションに心を惹かれたりと楽しいような気も致しましたけれど、何故か疲れてしまい結局比較的早い時間に帰って参りまして、夫とささやかに乾杯して満足の後はお酒の力も借りまして、ぐっすり寝てしまいました。クリスマス・デイである25日は、父を亡くしてすっかり寂しくなった、実家の母を招いてのクリスマス・ディナーがありまして、朝から年末のお掃除も兼ねまして大忙しで、婚家の父母の家である母屋の洗濯機を拝借し、義父母と楽しくお喋りをしながらお洗濯を済ませた後(マリの家の洗濯機~ドラム式です~がこの年末の忙しい時期に壊れてしまいましたので)、何時ものように買い物籠を下げて、駅前の商店街にお買い物に出掛けます。何時ものお魚屋さんに、カルパッチョにする為の、新鮮な鯵を下ろして貰っているうちに他のお店に買出しに行きます。年末は道路も混雑しますし、駐車場も満車の事が多いのでこうして夏の半ばからはじめたお散歩がてらの徒歩でのお買い物は都合が良く、それ程重い荷物でなければ苦になりません。例年でしたら、近隣の茅ヶ崎ルミネやジャスコでクリスマスらしい気の利いたテイクアウトや食材を買い求めるのですけれど、大分そういったものにも飽きておりますし、今年は地元の商店会で求めた、素朴ながらしっかりとしたお品でお料理を作るつもりでおりました。お魚は勿論のこと、地場のお野菜や、お肉は商店街のお肉屋さんで求め、美味しいパン屋さんが二件もありますので、幾種類か選って、何件か廻るうちに籠の中は一杯となりました。重くなった籠を問題の無い方の腕で下げ、お魚屋さんに戻りますと、女将さんの姿は見えず、何時も感じの良い息子さんがきびきびと応対してくれました。このお魚屋さんとは今年の夏以来のご縁ですけれど、50才前後の女将さんと買物中、短い時間ながら色々とお話をしていくうちに、とても面白い方で、生活や食事についてなど、マリととてもお話が合うことに気が付き、よくよくお話を伺いますと、美術大学と大学院で陶芸を学び、お魚屋さんの跡継ぎであるご主人とご縁があってこの地に嫁ぎ、二代目であるお姑さんに色々と学ばれてお店を継いだのだそうです。唯お品物を売るだけでなく、この町にすっかり馴染まれ密着した暮らしを送りながら、意識も高く色々とご存知で、教育のことや、日常生活などにもきちんとしたお考えをお持ちで、流れのままお店を継いだのではなく、敢えてお魚屋さんになったのだということが良く分かります。「普通の(食)生活がしたいです。」とは女将さんのお言葉ですけれど、マリも全く同感で、贅沢と言う意味ではなく、普通のきちんとしたものが食べられればと常日頃から思っておりましたので、それがなかなか難しい昨今では本当に有り難いことです。この日は鯵以外に、ご主人のお友達が秩父市で経営している鶏の放し飼い農場の卵を買い求めました。抗生剤などは一切使わず漢方薬で健康管理をし、勿論飼料はオーガニックで、「とても安全なので、生で食べられます」と、最初お試しに一パック頂いて以来、大好きになりました。品質は勿論、お味が濃く、妙な生臭味がなく、卵が大好きなマリにとって、生や半熟で美味しく食べられる、殆ど理想的な卵なのです。一般的な卵よりはかなり高価ですけれど、毎日のものですし、一日に何個も食べるわけではありませんので、定期的に購入することに致しました(勿論加熱用の卵も別に買っておりますけれど)。「鯵、凄く美味しいですよ」と、嬉しそうに包みを渡す息子さんの笑顔は自信に溢れ、この良心的なお魚屋さんの良き発展を心の中で祈りつつ、お店を後に致しました。途中、中学校から補修授業を終えて帰路を辿る息子に偶然会い、すっかり重くなった籠を息子に託して、二人でのんびり坂を登って家に到着しますと、早速仕度に掛かります。今年のメニューは、新鮮な鯵のカルパッチョと烏賊のマリネ、半熟卵(前述の卵です)のアンチョビソース添え、粒マスタードを添えたハム(ネットショップで買い求めたものです。ドイツ製法で、アミノ酸調味料やステビアは一切使っておりません。)、ゴルゴンゾーラとホウレン草のクリームスープ、メインは、国産豚に、ベーコンの厚切り(やはり同じネットショップのベーコンです。香りが良くとても美味しいのです)を挟んで、ローストしたものに、温野菜という、例年に比べ、本当にシンプルですけれど、しっかりとした食材を使用し、普通で美味しいものをと考えるマリや家族を満足させてくれるディナーとなるようにしっかりと作ります。 六時半を廻った頃、夫が実家の母を伴い帰って参りました。お気に入りのデミパフミンクのコートを羽織り(マリの毛皮好きは母譲りです~笑)大荷物と共に愛犬である二匹の黒いトイプードルを連れ、何時もながら心もとない風情で到着した母は、室内に入るや否や早速機関銃の様にマリに向かって話し始め、息子を捕まえて褒めちぎり、夫に向かって今回のお葬式やお墓のことについての謝意などを、堰を切った様に(苦笑)聊か興奮気味にまくし立てる姿を見て、理解を寄せながらも、流石に作業の妨げになりますので仕方なく幾らか母のお喋りを制し、兎に角座って落ち着いてもらうことと致しました。「寂しくて仕方がないの」がすっかり口癖になってしまった母ですが、一時は減少した体重もほぼ元に戻り、血色も大分良くなって、健康そうな様子ですけれど、日頃から「~だから出来ないの」と、悲観的、否定的な言葉の多い母ですので、父亡き後どうしてもその傾向が強くなり、姉とマリの危惧の元となっております。元々陽気で多弁な母ですけれど、依頼心が強く、ずっと父に頼りきりでしたので、淋しさと共に心細さが余程応えるようで、何時ものおろおろした調子に不安気な仕草が加わり、マリも見ていてとても辛いのです。でも、今夜は頼りになるマリの夫と優しい孫である息子がおりますので、母もきっと安心していられる筈です。仕度も整い、整えられたテーブルに集って、愈々食事が始まりました。シャンパンで乾杯の後、何時もより「地味」なお皿の様子に、誰も疑問や不満は口にしません(笑)。それどころか美味しさに顔も綻び満足の様で、やはり食材の勝利でしょうか。母も美味しいを連発して、健啖振りを発揮し、マリ達をほっとさせてくれました。我侭でも大好きな母ですので、久し振りの笑顔が嬉しく、ケーキ、紅茶と食事が終わり嬉しげにお喋りしているうちに、「ご免なさいね。ママ、眠くなってしまったから。とても美味しかったわ。」と幸せそうな表情で床に就く為、和室に引き取る母と犬達を見送って、夫と顔を見合わせ、心の内で互いに満足の微笑を交わしつつ、今年のクリスマス・ディは静かに更けて行きました。
December 26, 2003
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愈々クリスマス・デイが間近となり、きっと素敵なパーティのご予定や、既に楽しい一時を過ごされた方も多いことと思います。楽しみごとの多いこの季節で、マリもご多分に漏れず、十二月の半ばを過ぎた辺りから、お約束やお誘いが多々ありまして、勿論体調を考え考えですけれど、それこそ週末と土曜日曜のお休みは、ほぼ漏れなく予定が入っており、先達ての金曜日は夫の勤務先の方々と青山にあるライブハウスで賑やかに過ごし、土曜日は息子を連れての、茅ヶ崎のお仲間との年末の会合と飲み会、そして日曜日にはクリスマス・パーティがお昼間と夕方からと、二つもありまして(笑)、この日は文字通り「はしご」をして参りました。実はその楽しいばかりの筈の「パーティ」で、とても困ったことが起きたのです。お昼の部は、茅ヶ崎の議員氏を囲む聊か政治色の強い会で、その様な会は何時もですと少々引け腰になるのですけれど、随分とお世話になっていることもあり今回は出席する事に致しまして、少し遅れてマリの日本画の先生と共に伺いますと、既にたくさんの支援者が集まっており、その中にはマリと先生が親しくしている方々のお顔が、ちらほらと見えました。まだ、さる国会議員の方のお話しの最中でしたので、会費を払った後、目だけで挨拶をし、空いている席に座りソフトドリンクを手に、静かに第二部を待ちます。第二部は議員氏の支援者による、音楽や舞踊などのパフォーマンスが主で、マリの知人でプロフェッショナルとしてヴォーカルのお仕事をしている女性も出ますので、今度はソフトドリンクを麦酒に変えて、他の方達の演目を楽しみながら、彼女の出番を待ちます。サンドウイッチや鳥の唐揚げ、ソーセージなどの軽食が、各クロスを敷いた丸いテーブルに並べられ、席を立って歓談する人や、夫々の演技に歓声を上げるなど、第一部とは違いぐっと砕けた雰囲気となり、早くも数人の紳士のお顔が赤くなっているのがわかります。マリも先生と共に演奏や演技を楽しみながら、親しい方々との歓談を楽しんでおりますと、不意に後ろからマリの両肩に触れる手を感じ慌てて振り返りますと、六十年配の白髪の紳士で、確かに見知った顔ではありますが、すぐ様名前も出ず、やっと以前一緒に議員氏の指揮の元、市民活動をした方と思い出しましたけれど、かといって特に親しいわけでもなく、幾らか聞し召してお出でなのか、何事かを話しかけながら嬉しそう(!?)にしているその老紳士を振りほどくのも忘れ、しばし呆然としておりました所、聊か強い語調で「こういうところで、そんなことは・・」と先生が助け舟を出して下さいまして、やっと難を逃れました。その後も先生は「非常識極まりない」と憤慨しておりまして、きっと困惑したまま立ち往生のマリの代わりに怒って下さったのでしょう。その後は何事も起きず、知人の演奏も楽しみ、次のパーティ会場に鉄道で移動致しました。先生はこのパーティでは夫と共に演奏致しますので、会場時間よりも一時間程早い到着で、同じく夫々のバンドのリハーサルの為に早めに会場に到着していた、友人知人とご無沙汰の挨拶を交わし、近況を尋ね合うなど、会場の時刻までゆったりと過ごしました。先生と夫のバンド(昔懐かしい「セルジオ・メンデス・ブラジル66」のコピーバンドです)のリハーサルも無事終わり(やはり先生のヴォーカル振りが評判だったようです)、定刻より幾らか遅れて開場、早速一番バーコーナーに近い(笑)丸テーブルに陣取りまして、早速遣って来た、親しい友人達と麦酒で乾杯です。気が付くと広い会場はお客様でごった返して、同じテーブル正面にはマリの知らない、若い日本女性と外国人男性のカップルも立っておりました。久し振りに会った気の措けない友人達と、他愛なくも楽しく歓談しておりますと、先生がバンドの打ち合わせの為暫時テーブルを離れ、他の友人達も飲み物やお料理を取りに席を外しますと、いつの間にか一人になった件の外国人男性が、マリの傍らに立っております。実は先程から、どうやらこちらをちらりちらりと窺っていたようなのですけれど、マリは気が付かない振りをして、知らん顔を決め込んでいたのですが、誰もいなくなったのを見計らったのか、ライターを貸してくれと言うのです。マリは仕方なく黙ってライターを差し出し、正面舞台の演奏に集中しようと致しますと、流暢な日本語であれこれ話しかけて参りまして、マリはいい加減逃げたかったのですけれど、誰かしらの友人知人では困ると思い、特に邪険にはしませんでした。が、終にある種の言動と要求をマリに示し始め、流石のマリも意を決して、既婚であることと夫がそこの舞台袖にいると言うことを告げ、きっぱりとお断りしたのですが、こちらの言っていることが分かっているにも拘らず、呆れたことに傍を離れようとしないのですっかり気持ちが悪くなり、飲みものを取りに行く振りをして、その場を離れますと、今度は遠巻きにして付いて来るのです。咄嗟にたまたま傍にいた親しい友人のご主人に事情を話し、傍にいて頂きましたら、すっとどこかに行ってしまいましたので、マリはほっとしてテーブルに戻りました。打ち合わせを終え戻ってきた先生に先程のことをお話致しますと、随分心配され、念の為にずっと一緒にいて下さることに。少し安心し気を取り直して、各バンドの演奏に聞き入っておりますと、いつの間にか件の外国人男性が、また近寄って来ていたのに気が付き、マリは思わず逃げ出してしまいました。先生が睨み付けてくれたらしいのですが、その時だけはふっとどこかに行ってしまい、また戻ってくるのです。マリは「困惑」を通り越した、気持ちの悪さに恐慌状態になりかけておりました。そう、肝心の夫ですけれど、始まる前にとある用件で、夫に対しマリがすっかり怒ってしまい、夫に助けられるくらいだったらと、意地を張って決して助けを求めまいと思っていたのでした。直ぐにでも家に帰りたかったのでしたが、一人きりになるなどどう考えても無謀の一言ですし、パーティは中盤に差し掛かり、頼りの先生はこれから演奏を控え、とても会場を離れることなど出来ません。余程大声を出して追い出してもらうことも考えたのですが、ライブ中心のパーティで、しかも一生懸命演奏している方達のことを考えますと、ことを荒立てることも出来ず、時間中マリは唯ひたすら逃げ回るしかありませんでした。一度などは、他の女性(ちなみに最初の連れではありません)と踊りながら近付いて来るなど、わけの分からない行動に益々恐怖を感じ、ひたすら避けるより無いのでした。待ちに待った夫達のバンドの演奏が始まり、平静な、楽しんでいる風を装いながら(やはり付近をうろついておりました)、最後の曲で盛り上がる他の女性達と、マリも一緒に舞台に上がり、夫に自分の置かれている状況を手短に告げ、兎に角大急ぎで逃れるように会場を、演奏を終えたばかりの先生と、もう一人の青年(先生のパーカッションの愛弟子です)と共に飛び出しました。会場付近の繁華街らしいごちゃごちゃした町並みさえ厭わしく、吐き気に似た不快感と憤激の思いで、酔いも手伝い、優しい先生と大人しいY青年を相手に、滅多に無いほど激昂した調子で怒りの感情を露にし続け、お終いにはすっかり悲しくなって、涙さえ込み上げて来てしまいました。折角楽しみにしていた友人達とのパーティはすっかり台無しとなり、疲れ果て、兎に角茅ヶ崎に戻ろうと、先生に伴われ漸く「女王様のカフェ」にたどり着いた時はすっかり具合が悪くなってしまい、ストレスの為か心臓も変調を訴え、心配顔のマダムに休憩場所を拵えて貰い、いつものお仲間に囲まれた時、本当にやっとほっと出来ました。「頭がおかしいんだよ、あの男は。嫌だって言っても聞かなかったんでしょう?」と何時もなら穏やかで滅多に怒ることのない先生が怒りを隠さず、吐き捨てるように仰います。「それに女性に対して平気で失礼な行動を取るあいつも同じだよ。○○さん(マリの本名です)が優しくて、周りに遠慮して、我慢していることに付け入るなんて、本当に最低だな。女性を尊敬できない奴は本当に許せないよ。」先生の尤もな怒りにマリも全く同感でした。「今度何かあったら、もう我慢しなくていいから。僕も言ってあげるし、それで雰囲気がこわれても仕方が無いよ。気になんてしなくていい」との有り難いお言葉に、少しは気持ちの収まったマリです。先生は弟子であるマリを日頃からとても大切に思って下さり、常に敬意を表しつつ、丁重に扱って下さいますので、その様な無理無体や無遠慮な態度、暴挙が心底許せないのでしょう。夫もマリが置かれていた状況を、立ち去った後にやっと分かったらしく、随分心配していたそうなのですけれど、やはり同様のことを言っておりまして、これからもし似たようなことがありましても、幾分か安心です。とは言え、困惑と不快感と恐怖は未だに拭えず、取り合えずその後に控えていた大掛かりなパーティやイベントは参加を取り止めとし、この年末は家族や極親しい友人だけと過ごすことに致しました。何れにせよこんなに不愉快な目に会ったことは殆ど無く、ではやはり可笑しな人間が増えているからと思い勝ちですけれど、考え方の可笑しい人間など昔からいるわけですし、特に女性に失礼な考え方を相変わらず持ち続けている男性は、心得違いな考えを是正することなく、其の侭お年をとることも在り得るわけですものね。マリは未だ怒り心頭ですので、次は容赦は致しません。婦人らしい配慮や優しい態度が逆効果に成り得るのだと、不愉快ながら思い知らされたマリは、やはり冷たく映ろうとも、必要な時には毅然とした態度で断固として臨むことが不可欠と納得致しました。ともあれ、礼儀正しく、控えめな紳士方には常と変わらず好意的に接するつもりですけれど、そうでない方にはそれなりに対応致しますので、どうぞお覚悟を(笑)。
December 21, 2003
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