椿荘日記

椿荘日記

オンブラマイフ(慕わしき緑の木陰)


探していたのは古いイタリア歌曲の譜本です。父が音楽学校時代から使っていたもので、未だマリが幼い子供の頃、よく私を膝に乗せてピアノを弾きながら歌ってくれた懐かしい曲がたくさん載っています。
「アマリリうるわし(カッシーニ)」、「すみれ(スカルラッテイ)」など、特にヘンデルの「ラールゴ」(オンブラマイフ)は父のお気に入りでした。
私も大好きで、あのゆったりした節回しと父の声が今でも耳に残っています。父は未だ健在ですけれど、1年程前からパーキンソン病を患い、今まではよく聞かれたあのバリトンは遠い昔のものとなりました。

父の実家は地方の素封家で、祖父母の代は米問屋をやっており、その時代自体もそうですが、クラシック音楽とは何の接点もない家でした。
父の叔父にあたる人が「ハイカラ」で、独学でバイオリンを弾いていたそうで、その叔父の影響と、父はラジオから流れるオペラのアリアやオーケストラの音色に心引かれたことが、音楽を志す切っ掛けとなった様です。
その頃の父は「船に乗るか、医者になるか、音楽家になるか、真剣に悩んでいた」そうで、結局祖父母を何とか説得して(この頃は絵を描きたいと言えば「看板屋」、音楽をやりたいと言えば「チンドン屋」と言われました)1年間独学で受験勉強(ピアノがないので紙に鍵盤を描いて練習したそうです)した後上京し、某音大を受験して合格(!)、そこで学びながら音大の教授の家に書生として住みこみ、その1年後、武蔵野音楽大学声楽科に入学しました。
戦後の混乱期とはいえ、音楽教育自体殆ど受けたことのない父が、よく入学できたものだと今でも思いますが(父はものすごい勉強家、努力家でした)、その頃の数少ない思い出の品として、父が大学の定期演奏会の「第九」に出た時の写真が残っています(米粒大の父の顔に、母の手で鉛筆のマルがしてあります)。

結局処々の理由もあって、職業音楽家としての道は諦めざるを得ませんでしたが、一生を通して音楽好きとして暮し、娘達(マリと姉)にピアノと声楽の初歩と、音楽の楽しさ美しさを最初に教えてくれたのは、父に他なりません。





© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: