椿荘日記

椿荘日記

赤提灯で一杯


今夜は夫も会合で遅いので、息子の夕飯を義母に任せ、一ヶ月振りの訪問です。
茅ヶ崎駅にほど近いそのお店は、先生に寄りますと「子供の頃からあった」そうで、お店のご主人の様子からすると二代目か、もう余程若い頃から始めたのでしょう。昭和40年代の懐かしい匂いがします。マリが秘密にしている「お店」の一軒です。
お店は10人も入れば一杯の小体な作りで、会社帰りの小父様達のひとときの憩いの場所、といったところでしょうか(殆どが殿方です)。二ヶ月に一度位の間隔で訪れていたのに、覚えてくれたらしく綺麗なおかみさんがにっこりと親しげに迎えてくれます。

このお店に通うようになったのは、二年前の夏の夕暮れ近く、薬を飲む為何か胃に入れなければと、飲食店を探し歩いていて、雰囲気の良さそうな赤提灯を見つけてしまったマリが、呆れる先生を引っ張って入ったのが切っ掛けです(先生はマリを弟子に迎えてからすっかり「飲兵衛」になってしまったとこぼしています~でも嬉しそうですけれど)。

炭火で表面は香ばしく、中はしっとりと焼き上げられた焼き鳥(タン、ハツ、鳥皮、軟骨はマリの好物です)はお店の名物で、近海で採れた新鮮なお刺身や、焼き物、揚げ物、夏の頃は美味しい枝豆も見逃せません。
お値段も良心的で、素朴ですがきちんと仕上げられたお料理は、昨今珍しいかもしれません。
麦酒の中瓶を空けた後、熱燗を頂きながら、流れるテレビの音を背景のお話しの内容は、古めかしいお店の設えに相応しい、お互いの祖父母や曽祖父母の思い出です。

大阪出身の先生は、小学校に上がる頃にこちらに移り、ご実家は天王寺で書店をされていたそうです。「赤狩り(お若い方はわかりませんね~苦笑)」で随分苛められたそうで、先生の物心つく頃は、もうお店は閉めていたとのこと。
父方のお祖父様のお仕事はアメリカ製品の輸入業で、いつもハイカラな洋装で(お祖母様もです)、子供の頃の先生は、クリスマスの珍しい電飾や、アメリカのおもちゃを沢山頂いたのだそうです。
子供の頃から度々、お父様と美術館めぐりをしてらして、そう言う体験が今日の先生の元になっているのですね、と申しあげたら、うんと頷いておいででした。

マリの父方の曽祖父が東京で成功し、東京で爵位を買うか(?!)、故郷に錦を飾るか悩んだ末、結局帰郷を決め、郷里(山梨県です)に帰る時、靖国神社にある「大村益次郎」の建立に寄贈したので、台座に名前が乗っていると申しあげると、ほうと言う顔をなさいました。

いろいろと夢中でお話しをしていたら、お開きの時間です。
先生は締め切りが月曜に迫った「絵」を二日間で仕上げなければなりません(唸ってお出ででした~笑)。マリも急いで帰って息子の相手をしてやらなければ(話しをしたくて、大概寝ずに待っているのです)。
あれほど混み合っていたお店の中も、ぽつりぽつりと空席が出来ています。小父様達も家族のところに帰ったのでしょう。
マリも首を長くして待っている息子の顔を思い浮かべながら、家路に就きました。

平成13年 1月18日(金)記








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