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何が嫌いって日曜日の買い物、特にスーパーへは絶対行き
たくないのですが、姫が来るって言うので仕方なく出かけて来ました。
けれどもお昼が過ぎ、暮れ方になってもあらわれません。
まあさ、ついに来なかったのですがね、理由は大きいお風呂なんだそうです。
隣の海の近くにあるホテルへパパとママと3人で出かけたそうです。
普段食べない鯛焼きを3個もやけ食いしてしまいました。
なので、NHKの将棋、東日本女史駅伝、男女のゴルフと結局テレビ白痴に
なってしまった日曜日でした。
得たものは何もなしで、ダイソーから絵筆を買っただけの1日でした。
*
昔、NHKで見た”花車”と言うドラマは好かった。
で、今年田辺聖子女史が文化勲章をもらった事を知らなかった。
彼女の”文車日記”を今手にしていますが、この本を求めた時に
梅原猛の”水底の歌”も買ったらしい。
この”文車日記”からつまみ食いしようとおもふ。
源氏物語の主人公が正妻となした紫の上に対する愛はロリコンだとも
言えようか。
また平家の壇ノ浦の最後の場面で教経が義経の兵を両脇に抱えて入水したあと
知盛が「見るべきほどのことは見つ」と言って乳兄弟の家長と一緒に鎧二領を
着て互いの手を取り合って入水した場面は、真冬の病棟の個室で死と向き合って
いたときいつもこころに思った場面でした。
だが、これとて真実ではなく、後世の創作なので”そうであって欲しい”と言う
庶民の心から生まれた物語でありましょう。
けれども、この平家物語のこの虚構の場面に胸打たれて一生をかけて生き
抜いてきた自分には真実以上の真実なのであります。
ギャンブルも、女性も、世の中のほとんどを知ることなく死ななければならぬ
身には”見るべきほどのことは見つ”と自分を思い為すしかなかった。
自分をも欺かなければ決して受け入れることの出来ない二十代の死でした。
今、こうしてPCに向かっている存在が果たして真実か否か、思い迷うことが
しばしばあります。
”閑吟集”にある
”憂きもひととき うれしきも 思ひさませば ゆめ候よ”に小さな○印が
あった。
不条理な現実をなだめすかさせるこころが印させたものでしょう。