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この本、読み終えるのに何日かかったのでしょうか。
神(仏)を想う人々、想わせる存在・・・。
マグダラのマリアが復活したイエスを見たと言うのも
失った者に対する心の悲しみが見せた幻と思うのですが。
下記引用文・・。
「マリア福音書」の著者は復活したイエスが肉体をもって
マリアに顕現したことをマルコもヨハネも明白に述べていない
ことに気付いていたのかも知れない。
「トマス福音書」に
”私はあなたの先生ではない”と言い
”私はあなたと同じ泉から知恵を授かった存在であり
あなたと私は対等にして同一の存在である”と。
正統派キリスト教では神と人間は主僕の関係ですが
グノーシス派の福音書によれば神は人間の内部にも存在し
人間は覚醒することによって神と合一し得る存在と考える。
逆らう人間は容赦なく皆殺しすると言う怖ろしい存在(旧約)
実は一至高神ではないと言う思考は納得出来るもの。
レンブラント、トルストイ、ドストエフスキー、ニーチェなどが
なぜ、正統教会から距離をおいたのか。
・・私見・・・
わたしのイエスの姿は磔刑像や絵画にあるようなものではなくて
陽に焼けて縮れっ毛の普通の若者よりは熱狂的な神を抱く者で
あったと想う。
あのような、女性的な長髪の蒼褪めた姿ではなかった。
何と言っても正統教会は女性の指導者を否定し男性を
神と認めたのだから、がしかしイエスをあれほど女性的な
偶像であらわしたのは、完全に女性を否定し切れなかったからで
いかめしい、雄雄しい男性像としては表せなかったのでしょう。
又、磔刑された罪人が堂々として健康にあふれた姿でも都合が
悪いし、なよなよとした哀れさをも感じさせる姿としたのだろう。
背負ってゴルゴダの刑場まで背負っていったと言う十字架が
あれ程の長いものであったわけは無いと思ったが、完全に
この疑問は正しかった。
当人の背丈をわずかに超える程度のものだったらしい。
後世、イエスを神として崇める為に誇張してあれ程の高さに
なったらしい。
処女マリアと言うがイエスにはきょうだいがいたのは確かである。
にも関わらずイエスだけが人工妊娠の体外受精のようにして
生まれた理由は、イエスの教えにセックスが重大な意味を持って
いるからで、エイリアンでもあるまいし処女が子を生めるわけはない。
人間を創ったと言う神はそのための器官を人間に与えてるのだから
処女マリアは神をも否定することとなろう。