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今日は90年代ビルボード年間トップ10に入ったヒット曲のカバーアートを作りました! こうしてみるとヒップホップとディーバの活躍が目立ちますね?! 私にとっては史上最高のディーバ 「マライア」と共に生きた?90年代でした♪✨ 皆さんにとって最高のディーバは誰ですか?😊♪ ★90’S BILLBORDヒット曲カバーアート★
2020.05.14
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1970年代(1970~1979)にビルボード年間Top10にランクインしたヒットソングのカバーアートを作成しました! 1970年代はロックの名盤が量産されたロック黄金時代🌟 後半はディスコミュージックが流行りましたね! 観ているだけで楽しくなるのは私だけでしょうか?(^^) ★70'sビルボードヒットソンクス カバーーアート★
2020.05.13
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ご無沙汰しております!😊 在宅が続いている方のストレス解消のため、 大好きな洋楽のYoutbeリンク集を作りました! 懐かしいヒット曲の大全集♪ Contents ◆ビルボード オールタイム トップ100 ◆ビルボード 年間No.1に輝いた名曲 ◆ビルボード年間トップ10最多ランクインアーティスト ◆グラミー賞歴代最優秀レコード賞 洋楽ファンの方、一緒に楽しみましょう!♪🥳 #洋楽好きと繋がりたい #洋楽 #Billboard https://best-hit-music.com
2020.04.28
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なんと4人に一人はパワハラに合っている!パワハラは大人の世界のいじめ。中間管理職がパワハラを受ける割合が高いということは役員クラスに極道がいるということだ。一見、個人の業績が良くても、メンタル不調者や退職者を出す奴は、代替社員の採用コストや技術・ノウハウ流出の損失を考えると大きく減点しなければならない。言葉の暴力は減点どころか程度によっては犯罪だ。自殺の9割は他殺という本が出ているくらいだからな。こういうことを放置する経営者は同罪であり、長期的には企業価値を落とし、株主に対する責任を果たしていないということ。もう少し厳しく取り締まるようににしないと日本の社会や経済にも影響を与える。本当に深刻な問題だ。パワハラ「受けた」 4人に1人 管理職が最多。国が初調査
2012.12.24
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精神科医・産業医の奥田弘美先生の最新作!社員がメンタルダウンしてしまうと、完全に回復するまでに長期の治療・休養が必要。これは本人にとっても会社にとっても大損害になる。社をあげてのメンタルヘルスIQの向上が不可欠だ。ではどうすればよいか?この本を読んで、社員をメンタルダウンさせないための予防対策を学びましょう!経営者・管理職、必読の書!【送料無料】部下をうつにしない上司の教科書 [ 奥田弘美 ]価格:1,680円(税込、送料別)
2012.12.22
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悪意はないものの、結果として過酷な労働を強いているのがグレー企業と言うそうだ。しかし、犠牲者を出しているにも関わらず、無策であれば殆ど同罪ではないだろうか?成績の良い営業部長がパワハラをやっているのに経営者や人事担当者が黙視していたり、物申せないなど...内部統制が効いていない。ブラック企業、グレー企業ってなに?
2012.12.22
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>エルピーダには日本企業にありがちな「過剰品質」の問題もつきまとった。日本のDRAMはもともと大型コンピューターや旧電電公社の交換機に搭載するために開発され、耐久性などで厳しい仕様が求められた。対して後発のサムスンや米マイクロンは最初からパソコン搭載を想定し、品質よりコストを重視。出発点の違いが、後々までエルピーダの価格競争力の足かせになった。....日本人の不安を感じやすい性格が、品質への拘りを変えることができなかったのかな?日本人は世界で一番不安を感じやすいらしい。※石橋を叩いて渡る。何でもきちっとこなす。だから戦略という言葉も馴染まないのかもしれない。戦略は限られたリソースで効率よくゴールを達成するための重点管理のし方だから。短期間で一定の品質で競争力のある価格で商品化するにはダイナミックな戦略が必要。こういう動きの早い民生用より、医療のような品質を求められる産業分野にシフトして、じっくり研究開発するほうが向いているのかもしれない?※参考セロトニントランスポーター遺伝子とは、神経伝達物質であるセロトニンの伝達に関係する遺伝情報が書き込まれた遺伝子。組み合わせはSS型、SL型、LL型がある。1996年11月、ヴェルツバーグ大学精神医学部のピーター・レッツは、SS型 > SL型 > LL型の順番でより不安を感じやすい。日本はLL型保有者が3%しかいなく、世界で最も少ない。と発表した。
2012.03.02
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日本人は世界で一番不安を抑制する遺伝子が少ない。つまり世界一不安を感じやすい人種だそうだ。これは納得感がある。不安を感じやすいからこそ、何でも、きめ細かく、しっかりと、こなすところは日本人の長所だろう。しかし、不安を感じやすい性質だからリスク管理も得意かというと、そうではない。目先の不安に囚われ大局的な判断が鈍ってしまう欠点もあるように思う。いじめられないように空気を読み過ぎて本当の問題を共有できず、先送りしてしまうことは、職場や学校でも、よくあるだろう?相手を怒らせたり、傷つけるのが怖いなら、中学とか早い段階でアサーティブ・トレーニングを行うと良いのではないかと思う。【お台場メール】どうなる?日本 答えは「日本人の長所」にある
2012.02.26
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注目!!!ポジティブ心理学の生みの親マーティン・セリグマンの講演ビデオです。セリグマンは人生の幸福は以下の3つの要素に別れるという。1.快楽の追求 快楽を追求する2.夢中の追求 時間が止まるような強烈な集中状態を得る。3.意味の追求 利他的な生き方。 自分より大きな何かのために自分の強みを知り、それを使う。セリグマンは上記の3つ視点で「人が、どれほどの満足を一生で得られるか?」を研究した。その結果は!快楽追求オンリーでは人生の満足とほとんど関係がなかった。意味の追求が最も強力なものだった。夢中の追求にも強い関係があった。快楽の追求は、夢中の追求と、意味の追求を伴ってこそ、人生の幸福に役に立つ。そのとき、快楽はホィップクリームやチェリーのように彩りを添える。3つが全てそろった生き方は、3つの総和よりも大きい。逆に3つの、どの生き方もない空っぽの人生は、それぞれの生き方よりも小さいものになってしまう。では、皆さんこの3つが伴う社会のあり方、政治、企業経営を追究していきましょう!?
2012.02.18
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息子の期末テストが終わり、国語の読解力が課題だとわかった。特に心理描写がわかりにくい。共感力は社会に出て、最も大事なスキルなのだが...僕も、嫁に小学生の頃の作文を読まれて幼稚だと?笑われたくらいのレベル。確かに女の子の方が精神的な成長が早く、国語は得意な感じがする。だが、僕は中学の後半から小説に興味?を持ち、いろんなジャンルを読んだお陰で、高校の頃の現代国語は数学の次に得意な科目になっていた。きっと息子もわかるようになる!国語のテストにでてくる問題の答えはひとつ!問題集に解説文があるんだから直感的に難しくても論理的に理解できるはず。息子に小説を読ませ、週一で、その内容(特に心理描写)について息子と問答する時間を作ることにした。子供の心理描写といえば、やは?り重松清かな?「きよしこ」は心理的な要因で吃音になった少年が想像の友達との対話を通して克服していく心温まる作品。【送料無料】きよしこ価格:460円(税込、送料別)
2011.07.24
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勝間和代さんの「高学歴でも失敗する人、学歴なしでも成功する人」という本をamazonで目にして、思うことが多々あったので、私見を書いてみました。 ここ数年、若手の仕事ぶりを見ていると、視野が狭く、変化に対する順応力が低い人が増えているのではないかと心配になります。 例えば、環境が変化したときに、以下のような傾向があります。・事業やプロジェクト全体と自分の仕事(部分)との繋がりが見えていない、または意識が希薄。・変化した結果、現行のやり方では非効率、不整合が起こる可能性があっても予測ができない。・状況が変わっても、同じやり方を繰り返す。・もし、問題に気付いたとしても、他人と調整しようとしない。(問題を放置したまま)・想像力が弱いため危機意識が低い。これは学歴とか事務処理能力の優劣に関係のない傾向だと思います。私は、この原因が、子供時代の教育、遊び方、生活にあるのではないかと考えています。 幼少時代(幼稚園や小学校低学年)、お友達といっしょに遊んだり、喧嘩したりする中で、社会脳が鍛えられ、自分なりに社会の中で生き抜くための知恵が育っていきます。しかし、テレビゲームが子供の遊び時間の大半を占め、ゆとり教育に対する危機意識から、塾などの習い事が増え、中高一貫教育のブームから中学受験が増えたことなどの影響により、圧倒的に子供同士で遊ぶ時間が減ってしまっています。私は、これが原因ではないかと思います。 人間の知性には、「スタティック・インテリジェンス」と「ダイナミック・インテリジェンス」という2つのモードがあると言われています。 「スタティック・インテリジェンス」とは、固定的な知識や行動パターンの蓄積、それらをコピーのように再現・反復する能力のことです。教科学習や知能テストのような課題には有効で、変化のない状況での問題解決に役立ちます。一方、「ダイナミック・インテリジェンス」とは、絶えず変化する複数の情報、同時に生起する情報を処理する能力で、複雑な現実の生活や対人関係の中で問題解決し、学習するのに必要な能力のことです。テレビゲームや塾などでの学習はスタティックインテリジェンスの成長には役立ちますが、「ダイナミック・インテリジェンス」は育ちません。 「ダイナミック・インテリジェンス」は、子供同士の遊びや、団体スポーツなどで育ちます。 「スタティック・インテリジェンス過多」の人は、予測可能な決まった結論が得られる仕事を好みますし、得意ですが、変化に富む仕事は苦手であり、ストレスがたまりります。前述した日本の若者の問題は、こうした「スタティック・インテリジェンス過多」の教育や生活に問題があるのではないかと考えています。「スタティック・インテリジェンス」と「ダイナミック・インテリジェンス」どちらが大事かは、人それぞれの価値観であり、良し悪しなどないと思います。 「スタティックインテリジェンス」に優れた人が、学者、技術者、芸術家として成功する例は沢山あると思います。 しかし、社会や組織が発展するには、環境の変化に敏感に反応し、建設的に行動し、組織を取りまとめていく「ダイナミック・インテリジェンス」を備えた人も必要なのです。 私は、今の日本には、どちらかというと「ダイナミック・インテリジェンス」に優れた人材が不足しているのではないかと感じています。親としては、自分の子供が幸せになることが最優先だと思います。どうすれば子供が経済的に自立し、満足な生活ができるか? 親にとっては最大の悩みですよね?親として、どういった戦略により子供の自立を実現するか迷うところです。 ひとつ言えることは、変化の激しい時代に「スタティック・インテリジェンス過多」では、変化に適応できず、本人のストレスもたまり、生活の満足度は低くなってしまうということです。若年層に、うつ病や適応障害が急増していることとの相関も可能性があると思いますので、幼少期の時間の過ごし方についてはバランスが崩れていないか注意が必要だと思います。
2011.02.20
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仕事を早く終わらせて、話題の映画「ソーシャルネットワーク」を観てきた。この映画は、言わずと知れた世界最大のSNS 「Facebook」の創始者マーク・ザッカーバーグの起業成功物語。ハーバード大学のオタク系学生だったマーク・ザッカーバーグは彼女に振られた腹いせに、仲間と、大学のコンピュータをハッキングして得た女子学生の身分証明写真をインターネット上に公開し、公開した女子学生の顔を比べて勝ち抜き投票させるゲームを作って公開した。これはさすがに大学に見つかって処分されたが、この延長線上に今の「Facebook」がある。要は「女の子と知り合いになりたい! お金持ちになりたい!」という強い欲求が、成功のエネルギー源となっているのだ。ゴールデン・グローブ賞4冠に輝いた名作だけに、人と人との絆とか、愛とか信頼とかがテーマなのかと思って観ることにしたのだが、内容は、まったく逆で、欲望と裏切りと若さゆえの失態の連続。期待はまったく裏切られたのだが、逆に、その意外性が面白かった。やはり文明の発展には、目的は何であれ、こうした異常なまでの貪欲さが必要。人間性も傷つき、傷つけられる経験を通して深みが増してくるというもの。いや、しかし、これが日本だったら一度の失敗で、再起まで相当時間がかかるだろうな?足を引っ張っては駄目。戦争や暴力さえ起こさなければ、ある程度、若者のやることに目をつぶらなきゃ。【送料無料】フェイスブック 若き天才の野望価格:1,890円(税込、送料別)
2011.01.23
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近頃、ビジネスの世界でも「傾聴」(アクティブ・リスニング)のスキルが重要と言われている。コンサルティング会社の中には、社内研修として定期的「傾聴訓練」を実施している会社もある。確かに、自分の気持ちや考えを脇において、クライアント、上司、部下など相手に興味を持ち、相手の考えや気持ちを積極的に聴く姿勢は、ビジネスの成果をあげるための重要なスキルだと思う。しかし、普通の人間はテレパシーのような超能力はないので、傾聴訓練をどれだけ受けても、相手の考えや気持ちを100%わかるはずがない。注意が必要なのは、すぐに「わかった」とに決め付けてしまう習性である。「わかった」と思った途端、相手に興味を失い、更に相手が話を続けたとしても、自分のフィルターを通して解釈してしまうので、どんどんずれていく。特に相手の話と自分の経験に類似点がある場合、勝手に同感してしまうことが多い。「それ、わかる、わかる!」と、よく言う人は、相手に「そう簡単にわかってたまるか!」と思われているかもしれないので、注意した方が良い。大事なことは「わかりたい」という気持ちや姿勢である。「わかった」と決め付けた瞬間、関心は途絶え、それ以上深く「わかる」ことはないのである。言い換えると、「わかった」とすぐに思う人は進歩がなく、「わかっていない」と関心を持続して追求する人は、より「わかる」ようになる。これを書いていると、なんだか親鸞の悪人正機を思い出してしまった。「悪人こそが救われる」という意味は、悪いことをすれば救われると言う意味ではなくて、自分を善人だ思い込んでいるか、善人ぶっている人は救われないということだろう。ちょっと似てない?しかし、すべてのことを「わかろう」と思い続けることも不可能である。自分が受け止め、解釈したことを絶対だと決め付けず、不確実性があること認識した上で頭に留めておけば、柔軟に訂正できるだろう。
2008.04.18
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お役人のつける名前には、差別的な表現が多いように思う。例えば、人格障害精神医学において極端な考えや行いにより社会への適応を著しく脅かす人格的な状態を言うらしい。しかし、人格の障害とは、いかがなものか?人格とは、人間性そのもの。これに障害があると言われた人は、それをどのように受け止めるのだろうか?偏見はこわい。身体障害者の場合、目や耳や手足が不自由なことは、見れば明らかなので、困難を乗り越えて頑張っている姿に共感することが多いと思うが、精神疾患を持った人の場合、問題行動に違和感や反感を持ってしまうためか、人格そのものにレッテルを貼って、差別しがちなのではないか?しかし、統合失調症などは中脳辺縁系ニューロンのドーパミン過剰によって生じるという仮説があるし、遺伝子の異常や事故が原因でなる可能性もある。人格が問題ではなくてドーパミン過剰が問題なのである。ドーパミン過剰により、自分の問題行動に悩やみ、差別を受け、苦しみながら一生懸命生きている人は、立派ではないか?しかし、人格そのものを否定するような表現がオーソライズされていることは、国が差別を認めているのではないかと疑ってしまう。人格と障害は別物なんだから。次に、気になったのは「後期高齢者医療制度」という言葉。75歳以上を後期高齢者というらしいが、その言葉から、高齢者の中でも後期にあたる年齢の人を指しているように思われる。しかし、まだまだ元気に生きようと考えている人が、後期高齢者といわれたら、「自分も、もうそろそろ終わりか」と何だか暗くなってしまわないか?こうした言葉をつけて、それがすんなり承認される役所の組織や人の鈍感さに呆れる。「産む機械」発言をした柳澤伯夫議員も大蔵省出身。こういうことに鈍感な人は、逆に「心の理論」が欠落しているのではないかと疑ってしまう。心の理論とは、人が、他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能のことである。要は他人の気持ちを理解する能力。心の理論を持っているか、どうか調べる検査に「サリーとアン課題」というのがある。サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。 サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。 サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。 サリーが部屋に戻ってきました。 「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」と被験者に質問する。 正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。健常な子供の場合、4歳位で、上記の課題をクリアできる。しかし、官僚は東大卒が多いと言うので、おそらく知能指数は高いのだろうが、ひよっとして上記の課題に答えられない人、多いのではないかと心配になってくる。国民のために働く役人が、国民の気持ちを理解する能力がないのであれば、問題である。是非、公務員試験に、心の理論を試す問題を出して欲しい。しかし、心の理論が弱いからと言って、人格まで否定してはいけない。心の理論を持ち、人が傷つくことを知って、やっているのであれば、たちが悪いが。
2008.04.02
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殆どの人は普段、「こうあるべき」と考える自分像を作り上げ、振舞っているのではないだろうか?家族、友人、会社、社会から自分を高く評価してもらうよう、努力する。また、そういう環境の中で構築された自分自身の価値感、信念に合うよう行動する。男はこうあるべきとか、女はこうあるべきとか課長は、こうあるべきとか、社長はこうあるべきとか、自分は一流だから、こうあるべきとか、しかし、心の奥底では、そうではない自分がいる。「本当は、もっと休みたい」「本当は、泣きたい」「本当は、あいつといっしょに仕事はしたくない」「本当は、部下に怒りたい」「何故、いつも俺は失敗するんだ!」こういう場合、葛藤が生じ、欲求不満が溜まり、ストレスが高まる。そして胸の奥が締め付けられたり、後頭部に圧力を感じたり、体に異変を感じる。こういう感覚を持っていても、何事もないような態度をとることは多い。特に男性は小さい頃から弱音をはかないように教育されているので、「平気、平気」と気付かないふりをしたり、本当に気付かなかったりする。しかし、こういう状態がずっと続くと、かえって感情に振り回され、無意識に人を責めしまったり、急にプッツン切れて発狂したり、冷静で適正な行動がとれない場合がある。朝青龍のように、固まってしまって言葉が出なくなる場合もある。いずれにしても人間関係を壊し、あとあと引きずってしまうようなことがあると、本人にとって悔やむことになるだろう。そうならないよう自分自身で感情コントロールができるよう訓練する方法が「フォーカシング」である。まず目を閉じて数分、腹式呼吸を続ける。そして、胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向ける。気がかりなことを思い出したとき、身体にどのような感覚が現れるか、その感覚に焦点をあて、観察する。そして、言葉に表してみる。僕の場合、人間関係で気まずいことがあると、胸の奥に何か黒い塊のようなものが現れ、胸をしめつけるような感覚がある。気が進まないことをしなければならないときは、後ろから自分の後頭部に何かが当たり、ぐっと押されるような感覚がある。こういう感覚を放って置くと仕事に集中できなかったり、先に述べたように誤った判断をしてしまう。では、どうすれば良いか?このような感覚を言葉に表し、ぴたりとくる表現かどうか突合せ、合っていれば、その感覚に対して、やさしく受容的な態度で見守る。「ねえ、そこにいるのわかっているよ」「お前は悪くないよ」といった具合に話しかけてみる。そうすると、いつのまにか、その感覚が収まっていく。収まらなくても、失敗ではない。そういう感覚と感情を持っている自分に気付くことにより、冷静な判断ができるようになる。フォーカシングはひとりでもできるが、誰かとペアを組んで、一方が聞き役(リスナー)になると、より効果がある。何か瞑想のようなプロセスだが、仏教的な瞑想は邪念を捨て心を無にすることを目指すが、フォーカシングは気がかりなことを大切にして、その意味を感じ取って、癒しを得る方法なので、誰でもできる。お気軽に癒しを得る瞑想法なのである。
2008.03.25
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仕事や人間関係で成功するには感情コントロールが大事。しかし、自分のこととなると、わかってはいてもコントロールが難しいという人、多いのではないか?特に思い込みが激しい人は大変である。喜怒哀楽が極端で、疲れるし、人騒がせ。相手の一言の意味を、極端に良い方に解釈したり、極端に悪い方に解釈したり、相手の雰囲気や行動の一面を見て、大好きになったり、大嫌いになったり....こういう人が、ずっと幸福で安定した生活を送れる確率は低いと思う。思い込みは得てしてはずれるので、裏切られやすいし、敵を作りやすい。ちょっとした出来事により、幸福から不幸のどん底に陥り、大体、ストレスを貯め、自己嫌悪に陥る。こういう人がいる組織は思い込みが原因で、次から次へと人が巻き込まれ、人間関係の対立等トラブルが起こりやすい。表向き冷静に理性的にうまく対処している人でも、内心、上記のような傾向があるとストレスを貯め、人間関係で疲弊してしまう。実は、こういうタイプが非常に多いとように思う。いずれにしても、思い込みは禁物。まず、”そう思いたい”という欲望をどこかにしまって、起こっている出来事を自分が正しく認識しているのか、冷静に確認する必要がある。特に聞いた話やメールの内容は勘違いしやすい。・主語が誰なのか?・何を対象にしているのか?・悪いと言っているのか、良くしようと言っているのか?など、いかようにも捉えられる表現が多いので、勝手に決め付けて騒がない方が良い。そして、情報が不足して、論理的に”そうだ”と言い切れない場合、そのことについて極端な評価を行ったり、深い感情を持たないようにする。たとえ、自分が思っていたことが事実だったとしても、それが本当に最悪なのか、冷静に考えてみる。■何故、私はこういう扱いを受けるのか?許せない! ↓そもそも、この世の中、公平なのか? 公平にこしたことはないが、当然、公平ではない。良い人ほど早く死んだりする。■あの人が自分を嫌うことは最悪だ。許せない。 ↓しかし、人には誰にでも好き嫌いがある。自分が好きな人に好かれる確率は、そんなに高くない。■失敗を責められている。もう、おしまいだ! ↓責められているのは、その失敗であって、自分のすべてを否定しているわけではないのでは?■あいつは失敗ばかりする。最悪の野郎だ! ↓人は完璧ではないし、向き不向きがある。悪い面ばかり見ていないか?こういうふうに論理的に考えていくと、この世の中、どん底ということは、殆ど無いのでは?とは言え、どうしても心の中のモヤモヤとしたイヤ~な感情が残ってしまうという人はフォーカシングがお薦め。フォーカシングは、感情により身体に現れる感覚を瞑想のようなプロセスを通して、気付き、癒しを与える方法で、ひとりでもできる。実は僕もフォーカシングで自分を癒している。ということで次回はフォーカシングについてお話したい。
2008.03.17
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希望と不安漠然とした未来に対する感情は不安定である。漠然としたポジティブ思考は、ちょっとした出来事により、簡単にネガティブ思考に陥るし、行き詰まれば逃避に向かう場合もある。解決志向は、「漠然としたポジティブ思考」または「漠然としたネガティブ思考」を、裏づけのある「確かなポジティブ思考」へと変えていく。夢とゴールの問いかけにより「漠然とした未来像」を具体化し、「鮮明な未来像」を描く。解決志向は、人は誰でも、どんな状況においても、建設的に成長していく能力(リソース)があると考える。問いかけにより、リソースを探求し、「未来像」を実現するための解決策を導き出す。解決策を構築する過程で、あわせて自己効力感が高まり、ポジティブな感情がわいてくる。自己効力感とは、自分が、解決に向けて何らかの働きかけをすることが可能であるという感覚。解決策と自己効力感があって初めて解決は実現する。では、問題だらけで夢やゴールなど見えない状況の場合、どうするか?解決志向は、逆境においても冷静にポジティブに対処するための問いかけ方法も備えている。サバイバル・クエスチョン 「何故、こんな問題だらけ(どん底)の状態で、今こうして生き延びてこられたのか?」ワーストケースシナリオの確認 「もし、最悪のケースに陥った場合、具体的に、どうするか?」 最悪のケースを想定しておけば、かえって不安が増幅することはない。解決志向は、心理療法として開発されたものだが、考え方自体、いろいろなケースで使える。カウンセリングだけでなく、コーチングやセルフコーチング、マネジメントにも応用可能である。
2008.03.14
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夢は大きく、目標は小さく解決志向アプローチの基本的な考え方である。これも当たり前のことのように思うが、夢と目標の区別ができずに失敗している人が多いように思う。× 夢は大きく、目標も大きく・十分な環境や実力が伴わないまま、戦略もなく、夢のような計画をたて、失敗する人。・売上げの見通しが不透明なのに、自社ビルを建てたり、工場など大規模な設備投資をする経営者。・公共事業など、お役人のやることも、こういうケースが多いと思う。 × 夢は小さく、目標は大きく・共有するミッション、ビジョンも無く、部下や組織の問題を隅々まで探し、完璧に潰そうとする経営者や管理職。・こういう組織にいる人は、精神的なストレスが高まって、人間関係も悪化しそう。・内部統制も、やり過ぎると逆にモラルダウンする。× 夢は小さく、目標も小さく・ニート問題など今の若年層の傾向かもしれない。 ○ 夢は大きく、目標は小さく・夢を、いつか叶えると願い続ければ、本当に実現する可能性があるし、それを1人だけでなく、まわりと共有していけば、チャンスが生まれ易くなる。・一方、目標は達成できないと自信を無くすし、場合によっては取り返しがつかなくなる。・よって目標の延長線上に夢を置きつつも、目標はスモールステップで具体的に手堅く設定する。・小さな目標をひとつひとつ達成していくと、いつのまにかドミノ倒しのように好転していく場合が多い。目標設定の3条件(1)本当に、できること(2)具体的な行動で表されること(3)肯定形で表されること目標が抽象的だと達成感がない。いつまで経ってもゴールテープを切れない。否定形の形で表される目標を達成することは難しい。例えば「人前で緊張しない」という目標をたてると、意識して余計に緊張して裏目に出る。特定の行動を引き出したいなら、特定の行動を示すことが大事。目標達成のイメージ(解決像)を鮮明にしていくと、解決策が見えてくる場合があるし、逆に、今、すでに存在するリソースや、小さいながら起こっている成功から解決策に気付く場合もある。
2008.03.13
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ここしばらく、解決志向の考え方について紹介しているが、問題を追究をせずに解決に至るなんて、どうもピンとこない人もいるだろう。例えば大リーグで活躍した野茂選手。野茂選手の望みは? >先発でコンスタントに10勝できるピッチャーになりたい。野茂選手の長所は >ストレートとフォークはピカイチ野茂選手の弱点は? >カーブはイマイチ解決策は下記2パターンある。(1)弱点の改善・カーブを磨かないと通用しない。シュートも自信がない・とにかくカーブの練習をしなければ。シュートも練習しないと駄目かな?(2)長所を磨く・中途半端な球を投げるより、ストレートとフォークのコンビネーションで勝負した方が打たれるリスクが少ない。・ストレートとフォークの練習をして更に磨きをかけよう!さて、野茂選手は、どうしたか?勿論(2)である。つまり問題志向に陥ると、改善策は、単純反対語に陥りやすい。例. 「~が悪い」 → 「~を良くする」しかし、この世の中は複雑系の世界。成功するための答えはひとつではない。人や組織にかかわる解決策は、単純反対語だけではなく無限大にある。しかし、実践をともなわず、人の頭の中だけで理屈を考えても、解決策は単純反対語にしかならない。我々にとって最良の解決法は、「我々は何がしたいのか? 何ができるのか? 」を問い、頭で考えたことを実践し、手探りで確認しながら、つかんでいくこと。これが解決志向アプローチの考え方だ。解決志向アプローチの基本原則は下記のとおり。(1)うまくいっているなら変えるな(2)一度やってうまくいったことは、もう一度試せ(3)うまくいかないなら、何でもいいから、違うことをやれ一見、当たり前のようだが、問題が起こる時、これを破っていることが多い。例えば、新興宗教などの教条主義の場合、教祖の教えは、こうである。 「うまくいっていないのは、修行が足りないから」何も問題がないのに、新任の経営者や経営コンサルタントに問題だと指摘されて、無理やり、改善し混乱してしまう会社も多いのでは?他人がああだこうだ言っても、当てになず、振り回されることが多い。何がうまく言っているかどうかは、当事者の主観が一番信頼できる。当事者のリソース(潜在力、長所)を引き出し、当事者が「よし、これはやれる」と自信を持つことが一番大事なのである。
2008.03.12
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最近、国際社会における日本の地位の低下に関する記事が多いように思う。小学生の子供を持つ親としては、やはり心配である。何が心配かというと、こういう報道を問題視して、日本人ひとりひとりの自己効力感が無くなることである。日本人には、昔から、外国に対して、「I'm not OK. You are OK.」的な発言をする人が多いように思う。昔であれば、欧米に追いつけで、問題志向で、製品やサービスの品質を改善していけば良かった。しかし、今のように中国、インドと差別化する付加価値が求められるような時代では、「駄目」→「良くする」といった単純反対語の解決策では太刀打ちできないように思う。学力が低下したからと言って、ゆとり教育を止めて、今の基準での学力を強化したところで、差をつけることは難しいだろう。幸いにして日本人の多くは「今の日本は駄目」だが「日本人は優秀な民族」だと考えている人が多いと思う。であれば、「ダメ、ダメ」と言わず、日本人の潜在力に対して問いかけをする習慣を広げていった方が良いのではないか?問題の原因を追究するより、可能性を問う。問題だらけであれば、その中に隠れている例外(マシだったこと)や、小さな成功を探す。そして、それが何故起きたのかを徹底的に追究する。日本人が本当に優秀な民族であれば、きっと多く見つかるだろう。■私が会社を変えるんですか? AIの発想で企業活力を引き出したリアルストーリー
2008.03.11
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問題を解決すること。人であれば誰もが、生きていく上で、必ず行っている活動だ。しかし、問題の捉え方は、人によって違うのではないだろうか?問題の捉え方は大別すると下記の2つになると思う。 (a)問題は不快なもの。存在してはならないもの。 (b)問題は、夢や目標を達成する上でのハードルあなたは、どちらの傾向が強い?(a)のように捉えると、人は問題探しに執着し、自分や他人や組織の欠点が、すべて問題に見えてくる。また、問題の原因を追究していくうちに、怒りや嫌悪感が増幅し、ストレスが溜まり、精神的に落ち込んでいく。こんなことばっかり考えていると、人生が、どんどん辛くなっていくのではないか?しかし、そもそも問題=欠点ではない。(b)のとおり、夢や目標といった欲求があるから問題は存在するもの。夢や目標を達成する上で支障になっていない欠点は問題にはならない。大事なことは、夢や目標といった欲求を満足させること。夢や目標を達成するために、今何をすべきか?を考えることが一番大事なのである。今把握している問題が、本当に重要な問題か?その問題を解決しなくても、他に夢や目的を達成する方法はないか?欠点を無くすことは、簡単ではない。むしろ、自分の長所や潜在力を活かすことの方が、夢や目標を実現する上で有効ではないだろうか?これは組織においても言えることだと思う。組織の夢や目標を共有していない状況で、組織のリーダーが、組織や部下ひとりひとりの欠点を粗探しばかりしていると、組織全体が暗くなり、活力が無くなってしまう。大事なことは、組織の夢や目標に組織のメンバーが共感し、それを達成するために何をすべきか?自分はどのような貢献ができるか?を真剣に考えることだ。自分の長所や潜在力、組織の長所や潜在力を活用し、どのように夢や目標を実現していくか?組織のリーダーだけでなく、メンバーひとりひとりが当事者として、深く考え、主体的に解決していくことが重要だと思う。■解決志向のアプローチ★個人向けには、解決志向ブリーフセラピーが参考になる。★組織向けには、AI(アプリシエイティブ・インクワイアリー)が参考になる。
2007.12.10
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今、コミュニケーションやヒューマンスキル向上のための自己啓発研修が流行りのようだ。勝ち負け社会、成果主義の時代に入り、キャリア開発が盛んになったが、資格取得だけでは出世も給料アップもできないことに気付き、成果をあげるための基本スキルを身につけようとコミュニケーション、ヒューマンスキル系の研修が流行っているようだ。僕は、それは正しい方向だと思う。しかし、自己啓発セミナーの中には、研修で得たスキルや学んだテクニックにより、自分を180度変えることができるような印象を与えるようなものもあるので注意が必要だと思う。人によっては、自分が大きく変わったような錯覚をしたり、現実世界に対して過剰に期待してしまうことがあるだろう。しかし、人はそれぞれ持って生まれた能力と気質があり、個性がある。いくら努力しても変わらない自分がある。完璧ではない。また、現実世界は、決して公平ではないし、無常と言える程、厳しい出来事が起こっている。良い人ほど早く死んだりする。完璧ではない。こういう現実を無視して、自己暗示にかかり一時的に自信を持っても、いずれ、思ったほど、うまくいかないことに気付き、がっかりしたり、自己嫌悪に陥るのではないかと思う。大事なことは、現実世界を正しく認知し、肯定的に捉えること。人は、それぞれ個性があり、ときには長所に見えたり、短所に見えたりするが、そういう個性を認め、肯定的に捉えること。そして、現実世界で、自分の個性を、どのように活かしていくか、しっかり考えて、行動することだと思う。話は変わるが、先日、エターナルサンシャインという映画を見た。別れた男女が、それぞれ自分の失恋の嫌な記憶を消すために、治療を受けるが、治療の途中に見た夢の中で、別れた恋人の短所に、実は惹かれていることに気付く。治療後、偶然、ふたりは再開し、また惹かれあって付き合い始めようとする。その後、ふたりは、互いに記憶を消す治療を受けたことや、何が嫌で別れたのかを知り、傷つくが、それでも付き合っていきたい気持ちを共有し、決心する。途中、夢と現実のシーンがいったり、きたりして、とっつきにくい感じはしたが、終わってみれば、最近見た映画の中で最もピュアで気持ちの良い結末の恋愛映画だと感じた。おそらく恋人が嫌で別れようかどうか悩んでいる人にとっては、前向きになる映画だし、別れてしまった人は、昔を美化して涙が出てくるのではないか?とにかく、恋愛を含め、人間関係は、個性や多様性を認め合い、活かすことで発展するように思う。無理をして自分や他人を変えようとしない方が良い。
2007.11.26
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亀田のお父さんを見ていると、正直に非を認め、謝罪した方が良いと思うのに、頑固だなぁと思う。これは彼のいろいろな苦労の経験から備わった価値感に起因するように思える。僕は、人間観には下記の2つに大別されると思う。(a)人間は皆不完全である。 しかし、誰もが建設的に成長する可能性を持っている。 人間は差別なく存在そのものに価値がある。 失敗は許される。 人間は平等である。 人は皆価値感が異なる。 共存共栄を願う。(b)人には完全な人間と不完全な人間がいる。 完全な人間は価値が有り、不完全な人間は価値が無い。 失敗は許されない。 人間は支配関係があって当然だ。 価値感はひとつ。正しいか、誤りかのどちらかである。 勝つか、負けるかだ。亀田の父さんは、おそらく(b)の人間観を持っているのではないか?このタイプは人生の逆境をハングリー精神で乗り切ってきた人に多いように思う。確かに何かに打ち込む場合、その極端な考え方をエネルギーに変えて成功することはあると思う。しかし、安定はしない。人がどのような価値感を持つかは自由ではあるが、(b)の信念を持っている人は、失敗したときに破滅的な行動をとる可能性が高い。本人に対して「本当にそれで良いの?」と問いたくなるし、その行動に巻き添えになる関係者は可哀想だと思う。様子を見ていると、お兄さんの方は世界チャンピオンになる位だから、合理的な頭脳を持っていて、切り替えが早いように思う。弟の方は、まだ未熟な感じがするけど、若いだけに、良い指導者にめぐり合えば、切り替えも早いと思う。カムバックを期待したい!
2007.10.26
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薬害肝炎、製薬会社197人実名把握 厚労省に報告薬害肝炎の疑いが強い418人の症例リストを巡り、厚生労働省や製薬会社が患者本人を特定できる情報がありながら事実関係を告知していなかった問題で、田辺三菱製薬(旧三菱ウェルファーマ)は22日午後、資料を精査した結果、418人のうち197人については実名の記載が確認されたと厚労省に報告した。(2007年10月23日 読売新聞)しかし、これもひどい事件だ。無責任というか、心がないというか...TVニュースで、田辺三菱製薬の小峰健嗣副社長は「本人への通知は、プライバシーに配慮しながら進めたい。」と個人情報保護を最優先するかのような発言をしていたが、意味がわからない。人の命より個人情報の保護が大切なのか?そんなことを望む人は世の中にいるのか?話は変わるが、うちの息子の小学校では、生徒の個人情報を保護するため、小学校側から一切、生徒の個人情報は開示されず、台風等の災害時の連絡網は、自治会や子ども会など父兄が自主的に調べて管理しなければならない。しかし、今時、父兄が地域の子供の電話番号、住所等をすべて調べることは大変な労力がかかる。プライバシーというものは本人が納得すれば開示して良いのだから、生徒の情報を持っている小学校側が、連絡網リストに個人情報を記載してよいか父兄に確認し、許可を得れば済むことだ。なのに、何故、そういう他人事のようなスタンスなのか理解ができない。個人情報保護法の違反が相次ぐ一方で、個人情報保護法を理由に役人も企業も、どんどん無責任になってきているように思う。何のための法律なのか?真剣に考える必要がある。
2007.10.23
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大毅 丸刈り…無言…即退席近頃、スポーツ選手や、その親子の倫理問題が多発しているように思う。これも企業の不祥事と同様に、成果主義、勝ち負け社会という時代背景が原因に思える。ビジネスにしてもスポーツにしても、勝つことを目指すわけだから、士気を上げることは大事。しかし、「~ねばらない」という信念も、ほどほどにしないと致命傷を負うことになる。プロスポーツ選手にとって「絶対に勝つ」という意気込みは気力を持続させる効果はあるだろう。しかし、「負けたら切腹する」まで言ってしまうと、死に物狂いになって目的のためなら手段を選ばず、問題行動にまで至ってしまう。現に亀田大毅は、試合後、切腹しようと試みたらしい。成人前の子供をこういう立場に追い込むような父の指導の仕方は問題だ。亀田の親子を見ていると普通の親子の関係を超えた新興宗教の教祖と信者のような関係が成り立っているような気がする。大毅は完全に洗脳されていてるので、父が頭を下げている様子を見て、大毅はどう解釈してよいか惑乱しているように思う。興毅も、今のところ父史郎の作った戦闘ロボットに過ぎない。亀田の子供達が精神的に自立し、歴史に残る真のチャンピオンになるには、父から離れることが一番だと思う。父史郎も一流のトレーナーになりたいなら、他人の子供を指導してチャンピオンにすることを目指した方が良い。
2007.10.18
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麻生さんと福田さんの首相指名選挙。ふたりの性格タイプは対照的。麻生さんは、ハッキリと首相への意欲を表し、漫画オタクであることを武器に、若いオタク系男性中心に支持を得ているようだ。一方、福田さんは温和で真面目な雰囲気と安定感があり、党内、お年寄り、女性に人気があるようだ。麻生さんはボス型リーダー、福田さんは支援型リーダーと言ったところか?福田さんが今のところ、優位のようだが、これは日本人が昔から調整型リーダーを好むからか?同じ自民党で政策は近いようだから、あとは、実行能力にかかっていると思う。麻生さんになったところで、小泉さんの頃に比べて状況が異なり、国民全体の支持を得ているわけではないので、独断的な動きをした場合、党内の実力者から簡単に見放されるだろう。ところで漫画オタクといっても麻生さんは、漫画の、どんなところが好きなのだろうか?勧善懲悪の世界を好み、欲求不満の若者を満たすような強硬姿勢では、国際社会で、日本がどういう立場になっていくのか不安が残る。麻生さんはエゴグラムで言うと、 CP(批判的な親の心) → 強 AP(受容的な親の心) → 弱 A(大人) → 弱 FC(自由な子供の心) → 強 AC(順応したな子供の心) → 弱だろうか?まったくの感だが。福田さんの場合は、人事次第だろう。自分自身が、はっきりとした主張がないならば、有能な人材を抜擢し、活かせるかどうかにかかっている。調整がうまいと言っても、自民党内の調整に留まっては、支持率は下がる一方だろう。『人の命は地球より重い』とお父さんの福田赳夫元首相は言ったが、その心を受け継いでくれていると良いが。福田さんはエゴグラムで言うと、 CP(批判的な親の心) → ? AP(受容的な親の心) → 強 A(大人) → 強 FC(自由な子供の心) → 弱 AC(順応する子供の心) → 強だろうか?これも、まったくの感だが。
2007.09.18
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協会も末期症状…キレた北の湖vs記者クラブ全面戦争朝青龍の騒動発生以来、連日のようにテレビの朝のワイドショーなどに出演し、この騒動を鋭く解説している相撲記者クラブ会友で、相撲を見続けて54年、アナウンサー歴45年という元NHKの名物アナウンサー、杉山邦博さんなどに対して北の湖理事長が、「8月13日のTBS(の朝ズバッ!)で、相撲協会を傷つける発言があった」と激高。広報室長を通じ、IDカードの返還を求め、すでに前日の打ちだし後、剥奪した。杉山さんも黙っていない。「確かに私はテレビなどでこの騒動について発言しました。でも、私はいつも大相撲を日本の文化としてとらえ、愛し、なんとか相撲協会がいいかたちで収まれば、という気持ちで発言してきた。相撲協会を傷つけるような発言は一切していない」と強く反発。しかし...僕もときどき『朝ズバッ!』を見ているが、杉山さんは、一貫して朝青龍が悪いと、相撲協会側に立った意見を述べていたように思う。それがどうしたことか?北の湖理事長も、情緒が不安定で、メンタルな面で問題を抱えているように思える。相撲協会の反対意見に対して、うなずいただけで他人に罰を与えるとは...北の湖理事長の過敏さは神経症的で危うい。大横綱は、引退しても完璧主義。ちょっとした不協和音にも耐えられないのだろうか?はっきり言って朝青龍より心配だ。僕の8月6日の日記誰が朝青龍を『うつ病寸前』にしたのか?で、相撲協会の権威主義的傾向についてお話したが、ちょっと尋常ではなくなっている。日本の相撲が、ひとりの独裁者によって絶滅しないよう、願いたい。北の湖理事長も休養をとって、人生を見つめなおした方が良い。
2007.09.12
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北の富士さん一喝!「高砂が悪い」…朝青龍問題 (スポーツ報知)朝青龍は大人なんだから、この問題をすべて高砂親方のせいにするのは、どうかと思う。しかし、高砂親方が、強くて結果を出す朝青龍に文句を言えず、甘やかして育ててしまったことは確かだろう。企業でも、ナンバー1の営業成績を誇るトップセールスマンに社長をはじめ誰も文句を言えず、問題行動を見逃し続け、仕舞いには、不正取引など不祥事を招いてしまったという例は少なくないと思う。人材が育たず悩む相撲会、相撲部屋は、結果主義に陥り、強くて大きな外人を、品格に関係なく、採用をした結果がこれなのかもしれない。企業も、成果主義の一方で内部統制を強化し、不正が起こらないように努力しているが、人間の良心や成長意欲といった内面を無視して、表に表われる数字の評価や問題の回避ばかりに追われていては、同じように問題社員は絶えず生まれ、一向に、問題は解決しないだろう。僕は、人は善とか悪とか2元論的に定義することはできないと考えている。人の悪い行動の背後には、そうさせた環境や背景がある。悪い行動を起こした本人にとっては、必ず言い訳がある。それを聴くこともせず、一方的に責めて、説教したところで、効き目はない。頭の中にはバリアーがはられ、説教ビームは完全に遮断されるのである。その説教がいくら正しく、素晴らしい考え方であっても無駄なのである。おそらく朝青龍は、これだけ結果を出して相撲会に貢献している自分を、何故、こんな扱いにするのか腑に落ちないのだろう。特権意識を持ってしまっているのだと思う。これまで結果を出せば何しても良いと甘やかされて育てられた朝青龍にとって、この信念を変えるには、そうとう時間がかかるだろう。相撲会が、本当に彼を復帰させたいなら、まずは、説教や未来の話はやめて、カウンセリングにより、心の浄化を図った上で本人自ら洞察することを援助していくことが最も効果的と考える。半年~一年はかかるかもしれないが、人道的には待つべきだと思う。■心理学者 グラッサー博士の選択理論動機は、その人の内側に、先に存在している。これを操作しようとして他人が外側から刺激を与えても、それは1つの情報として取り込まれ、自らの動機に見合ったものかどうか、本人が選択して行動に移す。従って、他人が外側からの刺激(強引に説得する、叱る、責める等)によって人を動機付け、コントロールすると、いやいや行動することになり、自律的な行動は生まれない。
2007.08.13
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朝青龍 厳罰ショックでうつ病寸前!あの強い朝青龍の心が、こんなに繊細だったとは?驚いた人は多いと思う。この問題、今、企業で起きているメンタルヘルス問題に通ずる社会問題だと思う。相撲会は典型的な権威主義。今、企業でも権威主義的組織の傾向により、そこで働いている多くの従業員が病んでいる。権威主義的組織の主な特徴は、(1)全体主義組織のために個人を犠牲にする傾向(オーバーワークを期待、反対意見を躊躇)(2)因習主義新しい提案を抑制するために「前例がない」というフレーズが多様(3)過剰な課罰性上司に対する礼、忠誠心の欠如、規則違反等に対する過剰な反応と罰(4)形式主義本来の目的よりも形式が重んじられる(稟議、分掌、序列…)(5)自民族中心主義事実とかけ離れた自画自賛、過去の栄光のみ誇る自画自賛(6)属人思考物事の評価は、物事そのものより、物事に関連する人で決まる(例.鶴の一声)こうした組織には、当然、多様性に対する理解が乏しい。また、権威主義的管理者は、『ねばならない(MUST)思考』が強い。 絶対に失敗をしてはならない。 絶対に納期が遅れてはならない。 絶対に売り上げ目標を達成しなければならない。こうした信念が組織全体に浸透すると、もし失敗した場合や失敗しそうな状況にあった場合、組織全体が、精神的にパニックを起こし、問題行動を起こすリスクが高まる。不正行為、隠蔽工作、パワハラ、責任の擦り合い、出社拒否、自殺また神経症や、うつ病などの精神疾患にかかる確率も高まり、組織全体にメンタル不全の連鎖が起こる危険性がある。こうした信念は論理的必然性がなく、組織に大きな損害を与えかねず、また、個人を惨めにさせる。権威主義は規律が厳しいということではない。属人思考により、上の命令であれば、悪いことであろうが、簡単に下は従う。JR西日本の福知山線での事故や不二家が洋菓子工場で期限切れ原料を使っていた問題が物語っている。そう言えば相撲界も八百長疑惑があったっけ?話は元に戻るが、朝青龍は、今回の事件だけでなく、前から問題行動を起こしていたが、ある意味、協会や部屋が問題行動の原因となる悪性ストレスを与えていた可能性がある。そもそも二十歳になる前から、朝青龍を育てているわけだから、一方的に罰を与えて、見放すという行為は非常に無責任で冷酷だと思う。今の相撲界は、外人に支えられているのだから、指導者は、もう少し多様性を理解し、受容する態度が必要ではないだろうか?そうしないと、絶対に守るべき相撲の理念や哲学さえも外人達の頭に入っていかないのではないかと思う。
2007.08.06
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しかし、ここまで自民が大敗するとはビックリした。この原因は何だろう?安部首相はTVで、どこの放送局からも同じ質問を受け、毎回、年金処理問題を挙げていたが、果たしてそうだろうか?確かに国民にとって年金処理問題は一番重要だろうが、自民党への不満は、これではなく、安部内閣の一連の不祥事、失言問題ではないか?TVで自民党の本部に集まった顔ぶれを見ると、皆2世、3世議員。似ているから、お父さん、おじいちゃんの顔が直ぐに思い浮かぶ。近頃、赤城農林水産大臣の事務所費問題が話題になり、後援会の様子や雰囲気が連日TVから伝わってきたが、やはり、我々庶民とは全くの別世界。元後援会会長は『私は後援会の象徴的存在であるから、経理処理のことは知らない』『お前は天皇か?』と突っ込みたくなるほど非常識。後援会会長が、そんなにお偉い方なら、政治家は雲の上の存在なのだろうか?2代目、3代目の本人の意志とは無関係に、利権のために、まわりから担がれて政治家の道へと進んでしまう様子が見えてくる。そして同じ運命の2世、3世議員は、官僚と同じように、結託して、自分達に都合の良い社会を作ろうと動く。安部内閣の最大の問題は、特権意識を持った人たちが、互いに触れられたくないところを、知らぬふりして、問題意識を持った国民をごまかした点にあるのでは?TVで安部首相を優しすぎると表現する人がいたが、それは間違いで、明日はわが身、触れたくないだけではないだろうか?安部首相は、今回の選挙活動で、自分を選ぶか、小沢氏を選ぶか?と国民に問いかけたが、歴史的敗北となった今、辞任を選ばなかったとしたら、仲間だけでなく、自分にも甘いということを証明することになるだろう。小泉前首相の場合、政策はフェアとは言いがたいが、内閣で起こった不祥事は、すぐ処分を下した。それが国民からみてフェアなイメージに感じたのではないか?『泣いて馬謖を斬る』(ないてばしょくをきる )ということわざがある。たとえ愛する者であっても、規律を保つために違反者は処罰することのたとえ。 中国の三国時代、蜀の諸葛孔明は大事にしていた臣下の馬謖が命に従わず魏に大敗したために、涙ながらに斬罪に処したという。リーダーのあるべき態度は昔とまったく変わっていない。民主主義という概念がなかった大昔の中国でさえ、兵のモチベーションへの配慮がいかに重要か?ことわざにまでなっているというのに、何故、民主主義国家である今の日本で、こういう国民への配慮が欠けた対応をするのか不思議である。2世、3世議員と一般の国民との距離が、あまりにもあり過ぎて、まったく通じなくなってしまっているということか?
2007.07.29
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参議院選挙まで、あと僅か。しかし、この場に及んで、安部内閣の失言は、ますます活発になってきた。久間章生・前防衛米国の広島、長崎への原子爆弾投下は、『しょうがない』麻生外相日本のコメの中国への輸出再開に関連して「アルツハイマーでもこれくらいは分かる」山本拓農水副大臣自殺した松岡利勝・前農相の事務所費について、「芸者の花代に使った」柳沢厚労相の『女性は産む機械、装置」には正直驚いたが、近頃の失言も、まさか、まさかの連続である。そういえば、こういうのもあったっけ。伊吹文明・文部科学相『人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる』安部首相とその仲間たちの差別的な人間観は否定のしようがない事実だろう。おそらく身内で、こういう会話は当たり前で、つい口が滑ったのだろうが、ここまでくると、人間観に抵抗を感じる以前に、よく政治家が務まるなと呆れてしまう。『心の理論』が無さ過ぎる!ある意味無邪気。子供ようだ。逆に、こういう連中の親分で失言のない安部首相は、相当な腹黒なんだろうか?しかし、こういう人達が、多くの国民に支持されているということは事実で、日本国民の常識にも、本音と建前が存在することを実感し、寂しくなってしまう。
2007.07.23
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GE、IBM、モトローラー、ボーイング少し古いかもしれないが、これらの企業は、名著『ビジョナリーカンパニー』(ジェームズ・C. コリンズ )で、時代を超え際立った存在であり続ける偉大な企業(ビジョナリーカンパニー )と定義されている。ビジョナリーカンパニーの共通点は、経営理念が深く浸透しており、長い歴史の中で、幾度となく、経営者が交代し、業績が悪化しても、乗り切ることができたことである。こうした企業の特徴は、カリスマリーダーやスーパーマネージャーに頼らず、組織全体が常に学習を続け、次々に起こる新たな経営課題を臨機応変に解決することができることではないかと思う。では、どのような方法で、こういう組織を育てることができるのだろうか?上記の4社には共通のチーム学習方法があった。アクションラーニングである。アクションラーニングとは、現実の課題をグループで検討し、解決策を立案し、実施(行動)する過程の中で、組織、チーム、そして参加する個人の力を育成していくチーム学習と問題解決の手法。・4名から8名ほどのメンバーが集まり、ひとりが問題を提示し、他のメンバーが質問をする。・問題提示者は、質問により、より問題を明確に理解したり、他に根本問題があることに気付く。・根本問題を発見したら、問題提示者は、問題を再定義して、メンバーから合意を得る。・そして問題提示者は、問題解決の目標を設定し、また、質問を受ける。・目標が定まったら、問題提示者は、行動計画をたてる。そして、また質問をうける。・そして行動計画の合意を得、セッションは終わる。・セッションは、コーチ(ファシリテーター)がしきる。・コーチは、ときどき対話をさえぎって、リフレクション(振り返り)の時間を設ける。・セッションが終わると問題提示者は、セッションで定めた行動計画を実行する。・そして結果を得て、次回のセッションに臨む。この繰り返しにより、メンバーは実際の業務課題の解決を実行しながら、活発に振り返り(思考)、併せて学習する。一挙両得というわけだ。通常のミーティングは、メンバーに解決策を考えさせることから始まり、質問が少なく、意見や弁護ばかりが目立つ。権威者や専門家が議論を牛耳って、狭い枠組みの中で、結論を出してしまう可能性がある。(複雑系の問題の場合、良い答えが出ない)問題解決より、個人攻撃や弁護に思考力を費やして時間の無駄になる可能性がある。一方、アクションラーニングは、質問が中心となる。質問には下記の効果がある。・真の問題を発見し、問題を明確にする。・質問に答えることで、グループは整合性と矛盾に気付く。・注意深く聞く態度を養う。・相手への関心を高め、相手を重要視されている気にさせ、グループの結束力を高める。・人間の脳のシナプシスは拡大し、より結合する。この結果、メンバーの学習意欲と思考力が高まる。・優れたリーダーを育てる。 優れたリーダーは「巧みな質問」をする (MSのビル・ゲイツ、ノキアのジョルア・オリラ、シスコシステムズのジョン・チャンバース)そしてアクションラーニング全体としては、下記の効果があるという。・複雑な問題に対して創造的解決が生まれる・個人の能力の向上(システム思考、チームワーク、質問と洞察力)・リーダーの育成(メンバーの力を引き出す支援型リーダーを育成する)・自律型チームの育成(自ら考え、行動するチームを育てる)・活気ある風土づくり(学習する組織の構築)ビジネスにおける問題は、簡単に答えが出ない、複雑系の問題が殆どである。ひとりこもって狭い枠組みで解決方法を探っても、問題の全体像が見えず中々解決しない。アクションラーニングのようにチームメンバーが多様な視点から質問をすることにより、問題の全体像を明らかにしていく方法は、複雑なビジネス課題ほど有効だろう。また、人は知識を詰め込むだけでは学習できず、問題解決スキルは向上しない。学習とは、新しい知識・スキル、行動の変化、思考・態度・信条を獲得したり創出すること新しい体験が自分の既に持っている情報と密接にリンクされ、意味づけがなされた場合に人は学習する。この意味づけを行う過程で必要なものはリフレクション(振り返り)である。リフレクションにより、体験と、蓄積された情報がリンクする。質問中心のセッションと行動を繰り返すことにより、リフレクションが活発に行われ、学習が促進するという。メンバーからの意外な質問により、ブレークスルー(新しいフレームワークの獲得)が生じることも期待できる。僕は、自分のプロジェクトにおいて、ビジョンの共有と自律型人材と自律型チームの育成を目指していることをメンバーに伝えてきたが、共有できる具体的なアプローチがなく、メンバー個人の理解の差と温度差について問題意識を持っていたが、アクションラーニングを知って、これにかけてみようと決意した。プロジェクトのビジョンを達成する上での問題をリーダーひとりひとりに提示させるという方針の上、昨日、プロジェクトのリーダークラスを集め、第一回目のアクションラーニングセッションを実施した。結果は上々。問題提示者は、自分が提示した曖昧な問題を何度も修正し、自分の言葉で一生懸命論理的に話そうと努力し、メンバーは、問題提示に耳を傾け、真剣な顔で考え、普段あまり話さないメンバーから質問が繰り返し出てきた。問題解決には至らず、次回に持ち越されたが、これを継続すれば、下記の2点を達成できるような手ごたえがあった。・自律型チームの育成(自ら考え、行動するチームを育てる)・活気ある風土づくり(チームメンバーの相互理解、学習する組織の構築)この結果は、また報告したい。
2007.07.06
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日本経団連が発表した新卒者採用に関するアンケート調査では、企業が「採用選考時に重視する要素として、3年連続で『コミュニケーション能力』が選ばれている。また、チャレンジ精神、主体性が続いている。 (1)コミュニケーション能力 (2)チャレンジ精神 (3)主体性こういった要件を満たす人物像を一言で言うと『自律型人材』ということだろう。もう少し詳しく自律型人材を定義すると下記のような要件になると思う。 (1)組織ミッションと自己の役割を理解し、役割を担うことができる。 (2)自ら直面した問題を積極的に解決していくことができる。 (3)自発的に目標設定、進捗確認、活動管理、そして見直しが行える。(PDCAをまわせる) (4)組織の役割やルールを守り、属人的でなく、自ら善悪の判断が行なえる。 (5)論理的に他人と情報交換できると共に、自他双方の感情を尊重し円滑な人間関係を構築できる。まぁ、すべて揃った人は、なかなかいない。かと言って諦めてしまっては企業は成長しない。こうした人材を育成していくことは、当然の経営努力だろう。昔ながらの「いいから黙って俺について来い」のボス型マネジメントでは、自律型人材は育たない。「自分は部下をコントロールできる」と考える上司の下には、「自分は上司によって支配されている」と考え、自ら考えようとしない消極的で無責任な部下が増える。自律型人材を育てるには、できるだけ部下に裁量を与えなければ駄目だろう。しかし、放任してしまってはチームはバラバラになり、チームとして成果をあげることはできない。組織としてパフォーマンスを上げるには、ビジョンとミッションの共有、組織への参画意識、個人の自律的な行動、チームメンバーとの共感により、チームワークを高め、チームとしての問題解決能力を高める必要がある。(チーム脳の強化)チームメンバーが連携して複雑な問題の全体像を正確に捉え、思考を深め、問題解決していく。ビジネスの問題は、殆どが複雑系の問題。いろいろな要素が複雑に絡み合って動的に状態は変化していく。こういう問題を解いていくには、多様な視点が必要になる。ひとりの狭い枠組みで思考するよりも、多様な視点を持つチームメンバーが集まって考えた方が良い。では、どうすればチームは結束し、チーム脳を鍛えることができるのか?やはり個人の資質なのか?これが僕の重要課題だったのだが、ようやく答えが見えてきた。アクションラーニングというグループ学習の手法だ。次回はアクションラーニングについて説明したい。
2007.06.28
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今日は、『キャリア論』(高橋俊介著)の紹介。慶応大学SFCのキャリア・リソース・ラボの調査(一流企業14社、2400名の最新人事調査)をもとに、企業における個人のキャリア形成と経営との関係を分析している。まず、個人の視点から。・今日、個人が自分の将来像を明確に描くことは不可能であり、キャリア構築は予定通りにはいかない。・であるならば、自分にとってより好ましい変化を仕掛ける能力(キャリアコンピテンシー)を高める必要がある。・キャリアコンピタンシーは、結果として自分で満足できるキャリアを切り開き続ける行動能力である。・キャリアコンピタンシーを高める行動(キャリア自律行動)は、「主体的ジョブデザイン行動」「ネットワーキング行動」「スキル開発行動」 がある。主体的ジョブデザイン行動とは、自分の価値感・ポリシーを持って仕事に取り組むこと、積極的に周囲を巻き込みながら仕事をすること、自分の満足を高めるように仕事の仕方を工夫していることなど。ネットワーキング行動とは、積極的に人脈作りを行い、自分の問題意識を社内外のキーパーソンに共有してもらうようにしていること。スキル開発行動とは、積極的に自分のスキル・能力開発に取り組むこと企業の経営側から見れば、・自律型人材のリテンション対策として、社内でのキャリア自律を支援していくことが重要である。・何故なら今求められている自律型人材は、自己のキャリアも自律的に選択する特性があるから、社内でキャリア選択の自由度が低ければ、外部に流出する結果となるから。・こうしたことから職務の自由裁量度を高めると共に、社内でのキャリア選択の自由度が高い人事制度作りと、社員に対してキャリアカウンセリングなどキャリア形成支援を行うことが、リテンション対策として有効である。・一方、職務の自由裁量度が低い状態で、社員の「スキル開発活動」(MBA留学等)ばかり奨励すると人材流出リスクが高まる可能性が高い。なるほど。統計的に傾向を説明していることから、納得させられることが多い。今は、人材流動化が当たり前の時代。自発性ではなく、外部からの強制により、社員を支配しようと考えている経営者は、いつか見捨てられる。そもそも人と企業は対等な労働の契約を結んでいるわけで、社員を我が物のように考えている経営者がおかしいということだ。これからは、いかに社員がやる気を起こさせるか工夫をしている会社に優秀な人材は集まる今後、ますます人材面で企業の勝ち組・負け組みの格差が広がるように感じる。
2007.06.15
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昨日、フラガールを見た。時代は違うが、今の日本の雇用問題を考えさせられた。リストラ対象の中高年は、固定観念からの開放が必要。仕事が定着しない若者は、情報に踊らされ、迷ってばかりじゃ駄目で、フラガールのように、とにかくやってみて、困難に立ち向かい、壁を乗り越える体験が必要だと思った。いずれにしても自分自身の気付きがなければ駄目。自由な社会は逆に、そのきっかけを掴むのが難しいのかもしれない。だからと言って昔に戻って良いと言う意味ではないが。
2007.05.23
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終身雇用、年功序列から、実力主義の世の中と変わっているが、そういう中で、個人は、エンプロイアビリティ(雇われる価値)の向上が求められている。要はひとつの会社に依存するのではなく、どこの会社でも通用するような実力をつけるということ。一方、今、日本企業は、少子高齢化、団塊世代の退職、景気の回復等により、事業を維持・拡大するには、優秀な人材を確保しなければならず、エンプロイメンタビリティ(雇用主としての魅力・価値)が問われている。企業側も、社員が自分のキャリア形成のため退職することを否定的に考えるのを止め、いかに優秀な人材を集め、長く働いてくれるか?努力しなければならないということ。今、退職者の急増に悩む会社が多いように思うが、こうした企業の経営者は、相変わらず過去の精神論から抜け出せていないように思う。『今の若い社員は根気がない。すぐ逃げる』などと考え、説教すればするほど、社員は逃げていく。おそらく今後は、社員と企業がWIN-WINの関係を構築できるよう、メンタルケア、キャリア形成支援、教育研修など魅力ある社員サポートを実施する会社が伸びていくであろう。
2007.05.21
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組織のメンバー同士が互いに信頼し合い、円滑かつ正確にコミュニケーションをとり、共通の目標達成に向けて課題共有し、協調して解決に取り組む。こういうことができる組織は、おそらく良い成果を上げることができるだろう。高業績組織の条件を定義することは簡単だが、こういう組織を実現し維持することは、とても難しいことだと思う。何故かと言えば、人は信念と感情とエゴをもった生き物であり、自分の信念と異なる信念を持った他人や、自分の信念上、許されない行為をする他人に、怒りや不安や嫌悪感を持ち、しばしばコミュニケーションを避けたり、対立が生じて組織の問題解決が棚上げされためである。こういう傾向は多かれ少なかれ人間である以上、誰でも持つもので、長く組織運営を行うと、こういう問題は避けて通れない。では、こういう問題は為す術がなく、高業績組織の実現はメンバー次第、運に頼るしかないのだろうか?僕はそうではないと思う。組織のリーダー、メンバーが、こういう人間の傾向を理解した上で、日頃の業務の中で、自分の信念の傾向や自分の感情が生まれるメカニズムに気付くだけで、多くの問題が解消されるのではないかと思う。人の感情は出来事により生まれるのではなく、出来事が自分固有の信念というフィルターを通すことにより、それぞれ異なる感情が生まれる。例えば、他人の笑い声などが聞こえる騒がしい職場環境を活気があって良いと感じる人もいれば、うるさくて不快だと感じる人もいる。逆に、静かな職場を、寂しく孤独を感じる人もいれば、落ち着いて心地よく感じる人もいる。この例は、感じ方は人それぞれの信念により異なることを示している。どちらが良いという例ではない。問題なのは、その信念を固定化し、排他的になることである。「職場は静かでなければならない」「職場は活気がなければならない」こういうふうに「~ねばならない」「~すべきだ」と思いこんでしまうと、もし、そうでない結果だったり、そうでない結果が見えてきた場合、怒りや不安や失望感が自分を苦しめ、時にはパニックに陥り、他人に不適切な対応を行ったり、自虐的になったり、無気力になったりする。しかし、この世の中、無条件に「~ねばならない」ことは殆どない。「~にこしたことはない」が、そうでなくても我慢できるし、代替できることが存在するケースが殆どである」仕事の中で不適切な信念は山ほどあるだろう。「部下に仕事をふれない。自分以外に、この仕事に適任者は無く、私が頑張るしかない。」「上司は自分より優秀でなければならない。そうではない上司といっしょに仕事をしたくない」「今の仕事は私の能力やスキルに値しない。この職場では一生つまらない仕事しかできないに違いない」「クライアントから緊急の依頼があった。必ず、これに応えなければならない。」これらの信念が絶対に正しいということは、論理的、科学的に証明は可能か?どの教科書に書いてあるのか?自分ひとりの信念で判断できることか?おそらく「ねばならない」「ちがいない」を証明することは不可能なはずである。このように、「~ねばならない」傾向に陥っている自分の感情に気付き、「~にこしたことはない」と、願望に過ぎないことを自覚するだけで、心は落ち着き、冷静な判断が行えると思う。また、自分ひとりで判断するのではなく、まわりに相談してみると認識のズレがわかる。こういう完璧主義的な不適切な信念により、他人や自分を責め、問題を起すのである。実際に完璧な人間はひとりもいない。しかし、諦めることはない。人間は気付きにより良い方向に変容する能力がある。人間関係のトラブルの多くは、誤解により生じると思う。互いに、相手は完璧ではないが、変わる可能性がある。自分も完璧ではないが、変わる可能性がある。相手にも相手の立場があり、言い分がある。自分にも相手の立場があり、言い分がある。といった自他尊重(I'm OK. You areOK)の姿勢で、話し合えば解決することが多いと思う。こうした考え方が浸透した組織は、メンバー同士が互いに信頼し合い、円滑かつ正確にコミュニケーションをとり、共通の目標達成に向けて課題共有し、協調して解決に取り組むことができる。その結果、高業績をあげることができるだろう。
2007.05.05
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近頃の企業の不祥事は、上からの過度のプレッシャーが起因となり、組織ぐるみの隠蔽工作がなされ逮捕者が広がる傾向にあるように思う。原因は、企業に『...ねばならない(must)病』が蔓延しているからではないか?利益を出さなければならない不祥事はあってはならない評判がさがってはならない「もし、不祥事が発覚したら、何もかも終わりだ」上司が考える。「上司に逆らうと自分の会社での立場は、危うい。そうなれば自分は終わりだ」部下は考える。こうした誤った信念が会社全体に蔓延ることにより、組織全体がパニックに陥る。挙句の果てに問題を隠そうと虚偽の報告をしてしまう。確かに不祥事が起こると大変だけど、果たして人生は終わりなのだろうか?妻や子供との生活も同時に崩壊するのだろうか?クビになり、仕事が見つからず、飢え死にするのだろうか?ジョンソン&ジョンソンのように不祥事をきっかけに、顧客サービスやリスク管理を徹底しエクセレントカンパニーに成長した企業もあるし、石原軍団のように撮影時の事故のあと、誠意ある対応を行ったことにより、評判の悪化を防いだ例もある。決して人生は終わりではない。終わりと考えるのは非論理的、非科学的である。しかし、何故、一流企業の経営者や社員でも、過ちを犯してしまうのか?おそらく一流大学を出て、成績も優秀だったはずであるが...それは自分の感情まで冷静に分析し、思考することが苦手だからだろう。出来事により人は恐怖や不安や怒りなどの感情が生まれると考えがちだが、本当は、出来事を誤った信念により解釈して不適切な感情が生まれるのである。こういう人は「すべきだ」「ねばならない」という誤った信念を持っている自分に気付き、「...にこしたことはない。駄目だったら違うやり方や生き方を考えよう」という論理的、合理的な考え方に切り替えれば良いのである。この理論は僕が考えたものではなく、アルバート・エリスの論理療法というアメリカではポピュラーな心理療法の理論である。どんなことがあっても自分をみじめにしないためには(著者: アルバート・エリス )論理療法は、神経症の治療などに成果をあげており、精神分析などと比較して短期間で効果をあげることから健常者のカウンセリングにも利用されている。ところで今、渡辺淳一の『鈍感力』という本が売れている。鈍感力とは実は論理力のことであろうか?論理力や鈍感力が極端に不足すると、ちょっとしたことでも不安になり、神経症になってしまうということか?こういう本が売れているということは、神経症までいかなくとも、何事も過敏に反応し、極端に不安を抱く傾向を持った人が急増しているのかもしれない。毎日、仕事のプレッシャーで悩み不安を感じている人は2冊ともお薦めです。
2007.04.25
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先日、友人から部下の使い方について悩んでいると相談があった。よく話を聞くと、上司からもだらしないと、いじめられているようである。僕のまわりには、こういう会社の上下関係の悩みで、精神的に参ってしまって、うつ病や心身症になってしまった人が何人もいるが、これは、僕のまわりに限らず、世間一般でも、中間管理職に多いのではないかと思う。何故だろうか?中間管理職の多くは30代後半から40代。偏差値教育まっさかりで共通一次試験を経験。学校で悪いことをすると体罰は当たり前だった。入社はバブル崩壊前。上司は学生運動を経験した団塊世代。会社の金で飲みに連れて行かれ、彼らの栄光と流儀を聞かされて育った。一方、その部下達の年齢は20台~30代前半。バブル崩壊後に起こった大企業の倒産、リストラ、企業の不祥事。ニュースや新聞で大人たちの情けない姿を見ているので、大人の言うことを、そのまま鵜呑みにすることはない。比較的親からは大事に育てられ、自分のために生きることが正しいとテレも無く堂々と主張する。学校では、個人が尊重され、ゆとり教育。体罰など考えられない。パワー欲求の強い団塊世代の上司からは、「文句を言わずやれ!」と不条理な命令を受けるが、部下には同じことが言えない。自己実現欲求の強い部下から、「もっと自分が成長できる仕事をさせてくれ」と主張され、不満には耳を傾けなければ、簡単に辞めてしまう。このように明らかに違った価値感を持つ上司(経営者)と部下の間に挟まれて、間に立つ管理職は、どう対応すれば良いか悩んでしまうのではないかと思う。
2007.03.05
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<文科相>「人権だけ食べ過ぎれば人権メタボ症候群」と発言( 2月26日11時34分配信 毎日新聞 )伊吹文明・文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で「教育再生の現状と展望」と題して講演し、「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」と発言した。う~ん、今度は、人権メタボ症候群ですか。記事を読むと、柳沢発言の後だけに、問題にならないよう十分配慮しながら、自分の考え方を精一杯述べているように思う。さぞ、すっきりしたことだろう。で、はっきりわかってきたことは、安部内閣は、これまでの内閣の中でも、かなりはっきりした保守主義内閣ということ。保守主義者にとって、権利は、先祖が獲得し譲り受けた相続財産。だから、権利が、人間が人間であるということを根拠として発生すると考える人権思想とは明らかに異なる。つまり、人は生まれながらにして、権利のある人と、ない人に分かれるということ。格差社会はやむを得ないというか、彼らにとっては当たり前なのだ。伊吹文部科学相は、世襲の議員ではないようだが、安部首相をはじめ、多くの2世、3世議員が所属する自民党だから、当然といえば当然だろう。政治を語る上で、こうした人権に対する考え方は根本課題である。僕は、このように自分の立場をはっきりと主張することは論点が明確になって良いことだと思う。保守主義者なのに人権を尊重するような発言をして、国民をごまかすような政治家は最低だから。勿論、僕は、保守主義とは反対の立場だから、人権メタボリック症候群という表現は???である。権力を握ろうと企む一部の人間のために自分の人権を犠牲にする必要はないし、人権を主張し過ぎ、他人の人権を侵害することは人権尊重ではないと思う。従って、人権を尊重し過ぎることを心配する必要はない。だから、人権メタボリック症候群という表現はナンセンスに聞こえる。僕は、今の日本は、まだまだ人権という考え方が浸透しておらず、ようやく、問題が認識されてきたと感じているから、伊吹文部科学相とは反対の認識である。会社の経営者や上司の不条理な命令により、こき使われ、心身ともにズタズタにされている人が、いかに多いか?障害者が今の日本社会で、いかに差別的に扱われ、辛い思いをしているか?人権を主張できずに我慢している人がいかに多いことか?このままで良いはずがない。論点をはっきりさせて、選挙では投票前に、自分がどうありたいのか、自分は他人をどう見ているのか?ひとりひとり、よく考えた方が良いと思う。
2007.02.26
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TBSの「華麗なる一族」 阪神銀行をはじめとする万表コンツエルンを支配する万表大介。「万表財閥の生き残り」を大義にして、自分の子供を政略結婚させ、気持ちを無視して、将棋の駒のようにコントロールしようとする。このドラマ、権威主義や権威主義的パーソナリティーとは何か?を説明するのにピッタリだ。 大介 大介の執事兼愛人 相子 華族出身の妻 寧子 特に、この3人の関係は、権威主義の成れの果て。サド・マゾの世界寧子は、屈辱を受け、権威に苦しみながら、権威にしがみつく。相子は、差別を受けた過去の傷を、権威への忠誠と、弱いものいじめで解消する。このドラマは昭和40年頃の日本が舞台。僕が生まれた、この時代の上流社会は、こういう世界だったのだろうか?その後、日本は経済成長を続け、国民は万遍に豊かになり、大衆が力を持つようになった。フィルターがあるものの、マスコミにより権力者の冒涜や不正は叩かれるようになった。昔であれば隠蔽されていた企業や役人の不祥事も少しづつ、明らかになってきた。だから、このドラマを見ている多くの若者は、自分とは縁のない勧善懲悪のフィクションドラマとして捉えているかもしれない。しかし、僕のように長年、日本の大組織を相手に仕事をしていると、多かれ少なかれ、こういう世界は残っていることがわかる。財閥系の会社や、地方の名士(セレブ?)が支配する会社なんて、そうだ。特にインフラ関係の会社や銀行がひどい。上司の一言で部下の言動が一転してしまう。部長の言動も社長の一言で一転してしまう。こういう会社は、振り回されるだけで、正直付き合いたくない。世襲的な政治家が支配する国 日本。政治の世界は、わからないが、きっと、もっと凄まじい世界があるんだろう。安部首相は、日本を美しい国にすると言うが、これは、古き良き?「華麗なる一族」の時代へ戻そうという反動のように聞こえてならない。やらせタウンミーティングNHKへの圧力郵政民営化コミュニケーション戦略教育基本法の改正胡散臭い情報操作により、庶民の思考を止め、自分たちの言うことをよく聞く忠実なシモベへ育てようという魂胆か?ゆとり教育で日本人は学力が低下したというが、過去と同じ基準で測っては結果が良くなるわけない。日本人が中国人やインド人より2倍計算が早く正確になっても、賃金が半分どころか十分の一近いんだから、同じことをして勝てるわけがない。今、日本人に必要なことは自由な発想であり、ブレークスルーなわけだ。それとも安部首相は、国際競争の中で、日本が格差社会になってしまうことを黙認し、中国やインドと同じ賃金水準に落ちることは、やむを得ないと考えてるのだろうか?郷ひろみが自民党から出馬すると言う。どのような政策を持っているのか?政策ではなく格好良さで政治家を選ぶことは、考えることを放棄し、権威に服従することと変わりない。何か騙されていないか?セレブ好きの人、早く、気がついてほしいのだが。
2007.02.13
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日本の「寿司ポリス」に巻き入る―フィナンシャル・タイムズ日本食が外国で一風変わったものに改変されていく。・カリフォルニア・ロール・テリヤキ・チキン・ロンドンの「ワガママ」が出すチリ・ビーフ・ラーメン。・寿司を、宮保鶏丁(クンパオ・チキン、鶏の辛口炒め)と一緒に出すレストラン 「日本食」を名乗るレストランの急増を懸念する日本政府は、ついに対策に乗り出すことにしたそうだ。農林水産省は、海外で「本物」の日本食を出す日本食レストランを「認証」する制度を、早ければ年内にも導入する方針。う~ん、しかし...日本政府が何でそこまでする必要があるのだろうか?美味しいと思う人がいれば、それでいいじゃん。うちはビーフシチューにご飯と味噌汁だぞ。これも安部政権の影響?昨年、安部首相がNHKに圧力をかけた問題を知って、どうも、この人は異なる意見や価値感を強引に潰そうとする傾向のある人だなと警戒していた。近頃、安部首相にまつわる出来事を振り返ると、やはりと思ってしまう。これは安部首相だけでなく、人間には、こういう傾向の強いタイプがいて、安部内閣をはじめ、今の政府には、こういうタイプの人が集まっているということだろう。このタイプは、『権威主義的パーソナリティ』と呼ばれる。『権威主義的パーソナリティ』の特徴は、(a)因襲主義(b)権威への服従(c)人種的宗教的などの偏見と差別意識(d)反民主主義的イデオロギーを受容しやすい。(e)型にはまった紋切り型の考え方(ステレオタイプ)(f)勝てば官軍(Might is right.)、権力や金力、腕力のある者になびいていく。(g)人間を物のように考え、人を利用しても平気(h)自分の集団だけに忠誠心を感じ、他の集団には冷淡社会心理学者のE.フロムは、これをサド=マゾヒズムとしてとらえ、権威ある者への絶対的服従と自己より弱い者に対する攻撃的性格の共生としている。 これを尺度化してとらえようとした人が、前回の日記で紹介したアドルノで、その尺度がアドルノF尺度である。ファシズムを受入れたドイツ中産階級は、『権威主義的パーソナリティ』の典型。そういえば柳沢厚労相の女は『産む機械』発言は、『権威主義的パーソナリティ』の特徴をよく表した発言である。→ (c)(e)(g)また、今日のニュースでも、子供をふたり持つことが健全という発言をしているが、彼の特徴を裏付けている。厚労相「若者は子供持ちたいという健全な状況」健全とはどういう意味?また、安部政権下では、下記の問題も。タウンミーティングやらせ質問 首相給与100万円返納→ 人を騙し、利用しても平気しかし、人は誰も、多かれ少なかれ、こういう弱い部分を持っている。いじめ問題は、人間のこういう傾向が原因だと思う。他人の振り見て我が振り直せ。自由・平等・民主主義時には面倒だったり不安に感じたりするけれど、これが人間の叡智人間はチンパンジーとは違うんだから。
2007.02.07
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感動!動物スペシャル「チンパンジー密着記録~マハレの森の大騒動~」 人間に最も近いといわれるチンパンジー チンパンジーの社会を見ていると、恐ろしいほど人間社会に似ている。力の強いオス同士が権力闘争を繰り広げ、勝ったものが集団のリーダーになるが、ちょっと隙を見せると、いつの間にか立場が逆転し、今日のリーダーが明日には、いじめられっ子になってしまう。昔の人間社会のように下克上の世界。メスはメスで、オスの権力闘争に介入して、人気のないオスの邪魔をすることもある。一方、人間社会の歴史を見ると、民主主義が主流の時代はほんの僅かで、過去の歴史において大部分が権力を握ったものが支配する社会がである。民主主義のこの時代においても結局は格差社会地位を得た者が、地位のない者を制する社会人間の本能はチンパンジーと大差がないということか?少なくとも民主主義社会に生きる我々人間は、誰もが差別なく平等に権利を主張し、何かを得ようとしたときに、平等に競争の機会が与えられるはずだし、負けたとしても最低限の生活が保障されるはずだ。民主主義こそがチンパンジーと違う人間の叡智ではないだろうか?しかし、この世の中には、裏表のある人間が多く、表向き民主主義を支持しても、本音では差別的で、支配・従属の関係に生きる人達がいる。先日の柳沢構成労働大臣の発言も、要は、本音が出たと言うこと。こういう人達が極端な方向へ進むとナチスのようなファシストになってしまう。自由・平等を守るよりも、権力に依存し、支配し、支配されることで安住の地位を得ようとする人。いわゆる権威主義的パーソナリティーというやつだ。こういう傾向の人は、特定の人種に限らず、どこの国でも存在する。人間の本質の弱い部分自分がどの程度、こういう傾向があるかは、アドルノというドイツのユダヤ系哲学者が考えたといわれるアドルノF尺度で測ることができる。僕は詳しいことは知らないので、どれだけ信憑性があるかわからないが、下記のページでリアルタイム測定できる。アドルノF尺度測定ページ( http://www.naokia.com/fscale/fscale.html ) ためしにやってみたら僕のF尺度は、1.6(ポポロ階級(男性))であった。ポポロ階級が、どういう意味なのかよくわからないが...権威主義的パーソナリティーではなさそうだ?しかし、この世の中、結局、権威主義的パーソナリティーの強い似たもの同士の争いに、平和と自由を好む人間が巻き込まれ被害を受けているように思われてならない。北朝鮮の金正日、アメリカのブッシュ、日本の安部首相、東京都の石原知事偉大なる将軍様アメリカの正義美しい日本どれも一方通行似たり寄ったりではないか?古臭い大企業やワンマン社長の会社も同じ。鶴の一声がまかりとおっている。チンパンジーと変わりない。力関係や上下関係ではなく、民主的に役割を決め、役割を担う人が自分の責任と権限の範囲で物事を決める。範囲を超えた問題は話し合って調整する。こういう社会や組織を目指すのが人間ではないだろうか?
2007.02.05
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支持率下がれば申し訳ない=女性は「産む機械」発言で-柳沢厚労相(1月30日 時事通信 )ときどき政治家は、とんでもない例えを使ってヒンシュクを買うが、この発言もかなり強烈だ。この柳澤 伯夫という人、東大卒、大蔵省出身のエリート中のエリート。抜群に頭が良いはずである。しかし、頭の良さには、いろんな要素がある。おそらく、この人は知能指数は高いが、『心の理論』は、非常に弱いのではないだろうか?『心の理論』とは、他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能。『心の理論』に優れているから善人とは限らない。人の心が読めて利己的な人は、詐欺師になるかもしれない。人の心が読めて利他的な人は、ボランティア活動に励み、多くの人を癒し、勇気付けるかもしれない。『心の理論』という能力も、知能指数と同様に個人差がある。知能と同じ、頭の良さの要素のひとつなのだ。しかし、リーダーになる人は知的能力と心の理論の両方が優れていなければならない思うのだが、こういう問題発言をしてしまう人がリーダーになってしまうのは何故だろうか?政治家は、人の心を掴む力がないとなれないはずでは?人の心が普通にわかる人であれば、こういう発言をすれば、抗議が殺到することは簡単に予想できるはずだが。政治家の発言が問題になる度に、僕は不思議に思う。ところで、柳澤さんを選んだ安部首相。日本を美しい国にするというが、これは、かなり主観的な概念。美しい国とは、どんな国か?『日本の文化は素晴らしい、富士山は美しいと感じなさい。』『感じなくても感じると言いなさい。そうしないと評価しませんよ』これでは北朝鮮と変わりが無いのでは?この人、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解しているのか?我々国民の心を無視して、自分が思う『美しい国』を押し付けてもらっては困る。一見、優しそうな風貌だが、心は一方通行のように感じてきた。
2007.01.30
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40代は人生の午後人生の後半に向かって、自分の生き方を見直したり、過去にやり残したことを思い出したり、いろいろ余計なことを考える時期。老いる前に、もう一発何かチャレンジしてみたい!仕事も趣味も...そういうことなのか、どうか?iPodで久々にピンクフロイドの狂気を聴いたら、これが良い!デイブ・ギルモアのスペイシーなギターソロは最高!特にタイムはカッコいい!僕は、中学時代にジェフベックのコンサートでショックを受けてエレキギターを始めたのだが、受験勉強と共に中途半端に辞めてしまった。ホテル・カリフォルニア(イーグルス)ハイウエイ・スター(デイープ・パープル)悲しみの恋人達(ジェフ・ベック)天国への階段(レッド・ツェッペリン)いろいろコピーしたなぁ。しかし、どれも中途半端。もう少し上手に弾きたかった。いや、まだ間に合う。再挑戦しよう。しかし、僕の狭い書斎にスピーカーを置く場所はないし、やっぱり無理かなぁと思っていたら、楽天で面白い商品を見つけた。■USBエレキギター楽天ポイントで、思わず衝動買いエレキギターにUSBケーブルを挿し、PCに接続。音は、やはりエレキギターにヘッドフォンを挿して聴く。PCのエフェクターソフト?で何十種類の音を再現できる。エフェクターを買わなくても、いろんな音が楽しめる。ヘッドフォンで良ければ、スピーカーは要らない。これで1万4千円とは安い!ピンクフロイドのタイムを弾きたいのだが、バンドスコアが、まだ手に入らないので、とりあえず、ホテル・カリフォルニアを思い出して、弾いてみた。やはり腕は落ちているが、感受性は中学のときより、高まっているような気がする。味があるというか?まだまだ捨てたものではない!楽しみが、ひとつ、増えた。頑張ろう!
2007.01.25
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勉強、スポーツ、習い事子供に結果ばかり期待して、過度にプレッシャーをかけると、失敗は許されないと固定観念を持ってしまう。そういう子が行き詰まると、急に癇癪を起こしたり、自分は駄目な人間だと開き直って反抗する。こういうことが続くと、次第に、失敗を恐れ努力しない無気力な子供になったり、非行に走ったりする。「失敗は許されない」この固定観念が、子供を追い詰め、問題行動を起こさせる。近頃の事件を見ていると、こういう傾向は大人になっても変わりがないんじゃないかと思う。成果主義と名乗る結果主義勝ち組、負け組社会追い詰められ形振り構わず目先の結果だけを追い求める人間ばかりになってしまったら日本は不祥事や犯罪だらけの国になってしまわないか?僕は子供の教育と組織のマネージメントや人材開発の考え方は、まったく同じではないかと思う。結果よりプロセスが大事失敗しても、へこたれず地道に努力し、良いプロセスを習慣付ける。これにより良い結果を得る確率を高める。そのためには、上に立つものが、結果ではなく、結果に繋がった行動の善し悪しを評価し、誉めたり、しかったりできなければならないと思う。子供や部下に任せたことが失敗した場合、それは任せた自分の判断の善し悪しを評価すべきであって、それがチャレンジであったならば、その積極性や行動力を誉めるべきだ。この考え方は精神論ではなく、現実的で冷静な考え方だと思うのだが。。。何故、頭が良いはずの政治家や役人や経営者がわからないのだろうか?Wiiでゴルフする息子です。
2007.01.23
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【残業代ゼロ制】安倍首相が国会提出断念を明らかに (1月16日20時40分配信 毎日新聞)「残業代ゼロ制」とレッテルを貼られた、この法案。皆さん、どう思いますか?僕は時期尚早ではないかと思う。確かに結果を出す努力をせずに、残業代を稼いでいる社員は問題だ。しかし、日本の多くの会社では、ビジネスの責任と、管理の責任の切り分けが明確でなく、儲からない経営戦略やビジネスモデルのもと、社員に無理をさせているケースが多いと思う。会社や事業部が利益を出していないからと言って、専門分野に長けた社員や、作業のパフォーマンスの高い社員まで、同罪とするのは、おかしい。ビジネス責任は、経営戦略やビジネスモデルを考える人にある。管理責任は、計画通りに業務を遂行し、費用を予算の範囲内に抑えること。しかし、これも、そもそも見積りが誤っていては、いくらパフォーマンスの高い社員をアサインしても駄目。管理責任もレベルがある。本当に、本人がコントロールできることに対して報酬が定まる仕組みがなければ、社員に納得感はないだろう。こういう状況では、年収400万円程の管理職でもない社員を対象にすると氾濫がおきるのでは?さて、僕が、この制度で一番気にしているのは、健康管理の問題。残業代がでないからと言って、残業時間の管理を怠ってはならない。万が一、過労死した場合は、企業側に責任がある。過労死で労災がおりる基準はあるが、それを上回っていることを証明できないと、うやむやになってしまう。こうした労働時間の記録をきちっと管理できる仕組みがないと、非常に危険である。僕が「ホワイトカラー・エグゼンプション制度」導入とともに、こうした管理がいい加減になる傾向が出てくると思う。労働安全衛生上の企業の責任を明確にし、怠った場合、刑事責任を追及できる制度を併せて作らなければ駄目。
2007.01.18
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先日、昼の散歩に銀座を歩いていたら、数寄屋橋の不二家のシャッターが下りており、小さな張り紙の前に人が群がっていた。そのときは、「どうしたことだろう?まぁいいっか」と通り過ぎたのだが、いつの間にか大変な事件に発展してしまったようだ。不二家のHPによると、■埼玉工場 消費期限または賞味期限を過ぎた原料の使用18件 プリンとシュークリームの消費期限社内基準の超過 シューロールの一般生菌数の基準超過■札幌工場 洋生菓子の一般生菌数の基準超過■九州工場、野木工場、泉佐野工場については現在調査中。■サブフランチャイズの2工場(山梨、山形)につきましても速やかに調査を行う予定。 う~ん、まだまだ問題が発覚しそうな様子。うちのかみさんと息子が大好きなカントリーマァムは大丈夫なんだろうか!ペコちゃんは、どうなってしまうのか?さて、不二家HPによると、下記の再発防止策を実施するそうだ。原料期限管理帳票のフォーマット・記入方法の変更及び二重チェックから三重チェックへの変更最終確認者を製造課長から品質管理課長に変更食品衛生マニュアルに基づく品質管理システムの総点検、整備を実施システム運営教育、コンプライアンス教育 しかし、工場長ぐるみの不正が原因なのに、このような防止策は効果があるわけがない。記者会見の藤井社長を見て、この会社の雰囲気が想像できる。一族経営が続き、藤井社長は、バカ殿化し、経営の放任により、悪徳者が実権を握り、当たり前のことが言えない腐った組織風土を持った会社に成り果ててしまったのではないか?役所と同様、長い歴史のある会社が正常であり続けることは難しいことなのだろうか?組織とは怖いものだ。経営者の内部統制の責任を負わせることが制度化されているのであるが、僕は、現行のやり方では限界があると思う。現行の制度は、あくまで株主に対して正確な財務報告を保証するための内部統制であり、会計上の数字に直接的に関係のないようなリスクは、あまり重視されないし、リスクの予防対策が中心で、問題が発生してからどうするかまでは、報告は求められない。一番大事なのは、顧客に対する商品・サービスで損害を与えたり、株価の下落により、株主に損害を与えたりしないようにすることだと思うのだが。。。会計士がしでかしたエンロン事件が発端で、会計士に都合が良い制度を定め、会計士だけが潤うというのも、何だかなぁ。世の中、納得いかないこと多いね。
2007.01.16
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安倍晋三内閣の支持率が続落している。NHKに拉致問題を取り上げるよう圧力をかけ、造反議員の復党を許し、やらせタウンミーティングの責任を問われ、あげくのはて、国会ではプッツン切れてしまって、心の余裕の無さまで見せてしまった。確か以前もNHKの報道番組に圧力をかけたことをサンデープロジェクトで追及されていた記憶がある。すべてが本当かどうかは、わからないが、こうした疑惑が次々と出てくることを考えると、やはり、この人は、こういうことをする傾向があるように思える。教育基本法の改正は、個人の思いとしては、わかるが、そもそも、この時代に、教育により子供に「愛国心」を持たせることは可能なのか?それよりも政治家をはじめ、大人たちは愛される国になるよう努力しなければならないのでは?さて、こうした傾向をまとめると、この人の人格の特徴は、・アンフェア・すぐ権力を利用する・客観性の欠如・独断的(他者理解の欠如)・身内重視・優柔不断(というより自分の地位の保全のため周りに気をつかう?)若くて優しい顔をして、拉致問題では先頭に立って頑張っていたので期待した人は多いと思うが...頭は一昔前の世代の政治家のような感じがする。小泉さんの場合、孤高の独裁者で、身内を気にすることなく、自己実現のため、やりたいことをやって、身を引いた。しかし、安部さんの場合、違う。この調子でやってると、また昔の自民党に戻ってしまうのではないかと、いや~な予感がする。特別会計の一般会計化だけは、政治生命をかけて、やってもらいたいのだが...このままでは日本が本当に駄目になってしまうぞ!
2006.12.15
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今日は前回の日記の続き。全米で200万部をこす大ベストセラーとなった、トーマス・フリードマン著の『フラット化する世界』。著者は本の中で、今後、世界中の人間を巻き込んだ競争が始まり、先進国のビジネスパーソンはインド、中国、ロシアと言った発展途上国のエリート達との戦いを強いられると警告している。この戦いの中で、先進国の中間層の殆どは、崩れ、下級へ落ちてしまう....では、そういう『フラット化する世界』で、生き残れる人材は、どんな人か?フリードマンは、下記のタイプだと言う。(1)偉大な適応者・何でも屋になる・常に新たな知識を身につける・幅広い視野を持つ(2)偉大な、てこ入れ役・問題の根本原因を突き止める・完全な解決策を編み出す・実行して再発を防止する(3)熱心なパーソナライザー・顧客のことを深く知る・パーソナルな味付けをする・熱心で客を喜ばせる(4)偉大な、まとめ役・社内の共同作業をまとめる・多元的な労働力を管理する・ローカル向けに微調整する(5)偉大な説明役・複雑なことを簡単に説明する・モノではなく助言で稼ぐ・人に説明するのが上手(6)偉大な合成役・異種の専門分野を合成させる・異種の人間を融合させる・異種のサービスを合成するなるほど、もっともだと思う。僕も仕事の経験から、具体的なロールモデルが浮かび上がってくる。僕の会社のAさんは『偉大な適応者』BSCや内部統制、ホットな経営課題については、いつも第一人者になり、社内プロジェクトを推進する。クライアントXX社のBさんは『偉大な説明役』子会社の経理のおばちゃんに業務改革の内容を例え話を交えて、上手に説明し、抵抗勢力から味方に変える。共通点はコミュニケーション能力。しかし、これだけでは、もたない。一時的に成功しても継続して活躍するには、メンタルのタフさが必要。逆に、上記のどれにも該当しないが、メンタルが強く、決してへこたれない人は、いつか認められるように思う。『メンタル・タフネス』(著者: ジム・レーヤー )
2006.12.11
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