YOSSY’S DIARY

YOSSY’S DIARY

2013年11月13日
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昨日の 朝日新聞朝刊のオピニオンの意 見は、わが意を得たりだった。以下に転載してみる。


安倍政権肝いりの教育再生実行会議が、大学入試を人物本位に改める提言をまとめた。朝日新聞の社説も「方向性は分かる」としたように、ペーパーテスト重視からの転換は広く支持を集めていると思いきや、哲学者の芦田宏直さんは「教育と社会を荒廃させる」と警告する。点数主義こそ平等な社会の源だ、とも。人物本位は罠(わな)なのか。
――大学入試を人物評価中心にすることの、何が問題なのですか。
「入試の点数だけで合否を決める点数評価こそが、格差の少ない民主的な社会を作ってきたからです。人物本位の入試はそれに逆行し、格差を固定化する危険がある。それに何より学校の教育力が低下します」
――ペーパーテストの成績だけで人生が左右される。点数評価に基づく学歴主義こそ差別的では?
「それは違う。福沢諭吉の『学問のすすめ』には『学問をがんばり、物事を知る人は社会的な地位が高く富める人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人になる』とある。生まれ育った家族や地域で人を評価する身分主義ではなく、努力して勉強した人が世の中の指導的な立場に立つ、というのが学歴主義。『努力主義』と言い換えたいぐらいです」
「人物本位とは『本人の努力が届かない、育ってきた環境も含めて人を評価しよう』という考え方です。面接で初対面の人に好感を与える能力は、本人の意思や努力よりも、家庭や地域など環境に左右される面が大きい。人物本位とは『育ちの良さ』を見ることの言い換えでしかありません」

「もちろん、純粋に本人の努力だけで培われる能力など存在しない。両者の差は相対的なものです。だけど国語、算数、理科、社会という主要教科の学習や、基本的に本を通じて身につけられる知力は、もっとも経済格差などの影響を受けにくく、本人の努力が反映されやすい。教科書は無料かごく安価ですし、古今東西の名著も図書館で読める。例えば音楽が主な入試科目とならないのは、幼少時の環境や教育に左右される面が大きいスキルだからです」
「相対的に環境に影響されにくい知力について、ペーパーテストという平等・公平な競争を行うことで、次世代のリーダー候補を選抜する。江戸時代の身分社会から近代社会への移行で大切な改革が、そうした学歴主義による中間層の拡大でした。それによって世代ごとに階層がシャッフルされ、欧米に比べても階級がない平等な社会が実現した。人物本位の入試が主流になればシャッフル機能は失われ、階層の固定化が進みます」
――しかし、点数評価の学歴社会に対する批判は今に始まったことではありませんよね。
「人物本位主義は1980年代後半の中曽根政権下における臨時教育審議会にさかのぼります。根っこにあるのは、高度消費社会の台頭です。物があふれる社会では、物づくりに必要な体系的な知識よりも、消費者を魅了する分析不能で総合的な『物を売る力』が重要になる。それによって知識偏重の教育に疑問が抱かれ、『学力だけでなく人間力を評価する入試』という話が出てくる」
「もう一つ、高度消費社会では大人のみならず、子どもまでもが『お客様』、つまり何を買うか選択する尊い主体として扱われます。教育現場でも、子どもは『学びの主体』と尊ばれ、学校は教育というサービスを消費する場となる」
――それが、人物本位の評価とどう結びつくのですか。
「近代主義的な学校教育とは、主に教科学習を通じて未熟な子どもたちの主体性を育むことです。学校とは本来、人間づくりの場なのです。ところが高度消費社会では、子どもの主体性は教育の有無とは関係なくすでに確立していると見なされる。だから、入試でも『主体、すなわち人物を評価する』という発想が出てくる」
――点数か人物かはひとまず置いて、いずれにせよ次世代のリーダー候補は人格を含め総合的に選抜するべきではないのですか。
「数人の面接官による限られた時間の面接で判断できますか。面接官の好みが前面に出るだけです」
「大学教員の教育力を高める活動に取り組んできた経験から、『人物評価は教育現場を荒廃させる』と断言できます。90年代以降、大学でも意欲や授業態度など人物評価的な要素を導入している。それで楽をしたのが教員です。レベルの低い講義をし、できの悪い試験問題をつくり、多くの学生が落第点を取っても、人物評価という裁量点でかさ上げして単位を与えれば、自らの教育資質を問われずに済む。きちんと講義ができず、まともな試験も作れない教員の行う面接が信用できますか?」
「一方で、筆記試験でよい点を取っても、必ず志望校に入学できるわけではなくなる。中高の教育現場では教科学習のモチべーションが下がり、学力も教育力も低下します」

「たしかに勉強ができる人にはガツガツしている面もある。出自に関係なく、筆記試験だけでのし上がってきた一種の『成り金』ですから。だけど、多くの企業では面接官に本人の出身大学を伝えずに選考させているが、結果的に高偏差値の大学出身の学生が採用されることが多いと聞いています。試験でよい成績を取るための努力が、曲がりなりにも社会で有用な人材の育成につながっていることの一つの表れです」
――受験競争に勝ち抜くことが人材育成にもなる、と。
「成績を上げようとすれば、先生の話に耳を傾けたり、問題に集中して考え抜いたりしないといけない。点数という退屈なぐらい客観的な指標に向けて努力し、工夫することが真の個性や自主性を育てるのです。陸上競技の選手が記録向上を目指すのと同じです。どうも教育再生実行会議のメンバーたちは『勉強が人間をつくる』という面を見ようとしない。勉強嫌いの人たちが集まっているのでは、と勘ぐりたくなります」
――「勉強が人間をつくる」と言われても、今の学校教育でそれができるのか疑問です。
「改善は必要です。私は、校長をしていた東京工科専門学校(当時)で数年かけて徹底的にカリキュラムを見直しました。2年間の教育で、社会に求められるどんな人材を育むか。目標を明確にし、授業内容、達成課題を1回の講義ごとに厳格に定めた。評価は100%筆記試験です。一つの講義が連続ドラマの1回とすれば、それが他の科目とつながり積み重なって、2年間で大河ドラマのような人材づくりのストーリーを形成するようにしました」

――専門学校だけでなく、他の高等教育でも同じだと。
「問題は、科目ごとにバラバラの概論教育や選択科目ばかりで『どんな人材を育てるか』という一貫した積み上げ型のカリキュラム、つまりストーリーがないことです。暗記主義・知識主義教育に対置されるのは人物主義ではなく、『時間をかけてより深く専門的に理解させる』教育です。それが学ぶ喜びにつながり、主体性のある人間を育てる」
――入試制度は現行のままでよい、というのですか?
「制度を変えるのではなく、試験の内容を変えるのです。詰め込み教育がダメなのであれば、創造的な思考力を問う良質な問題を出題すればいいだけのことです」
「経済のグローバル化で、国内ではスキルが低い人材の労働市場は消失しました。キャリア教育が目指す表面的なコミュニケーション力程度では就職できない。教育にいま求められるのは、グローバル化に対応できるスキルの高い人材の育成です」
「職業教育でも教養教育でもいい。明確な目標を持った積み上げ式の厳密なカリキュラムをつくる。ツイッターなど短い時間のやりとりにばかり慣れ親しんだ生徒や学生たちを、長い長い時間をかけて鍛え上げるのです。ガリ勉秀才を超え、十分な人間性も兼ね備えた『上品な成り金』を育てる学校づくりが、これからの教育の課題ではないか」
――「成り金」ということは、やはり筆記試験重視ですか。
「当然です。試験という客観的な指標で最高点をとった人間が、社会で最も求められる人材となる。それを目指して学校がカリキュラムと試験内容を組織的、継続的に見直し続けることが、教育の質を引き上げる。人物評価は、それを妨げるから問題なのです」(聞き手・太田啓之)
●あしだひろなお 54年生まれ。早稲田大大学院で哲学を学ぶ。現職は人間環境大副学長、河原学園副学園長など。著書「努力する人間になってはいけない」。


ボクも大学生の頃、先生に「学力試験だけでなく、もうちょっと人間性とか別の尺度で合否を決めてもよいのではないですか?」と言ってみたことがある。先生の答えは「そうはいってもね、学力試験で不合格になったのなら『あぁ勉強が足りなくて合格できなかった、一年浪人してまた頑張ろう』となるが、人物評価で不合格になった場合、やり直しができるかね?」
上のオピニオンで「人物評価=階級評価」であることがよくわかった。
とりあえず座長の鎌田さんがトップを務める早大で5年くらい実施してみて、問題点がないかどうか検証したから、改めて導入の可否を論じた方がよいのではなかろうか。





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最終更新日  2013年11月13日 14時49分38秒コメント(0) | コメントを書く


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