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竹島春三と言うと、眉をひそめる競馬関係者は多い。特に、川崎競馬主催者と地方競馬全国協会は『八百長騎手』と言う間違った烙印を押されたこの名騎手を話題にしたがらない。連日『竹島春三。竹島春三』と書き捲くった新聞社の連中の中に地方競馬を頻繁に・いや一度でも取材に来ていた者は皆無である。 それどころか、<中央競馬会様、様>の御用記者(地方競馬嫌い)ばかり。そんな連中に、真実の姿が見えるわけがない!だから、勝手な評価をして欲しくない。というより虚偽んばかり。そこで、竹島春三ファンであるメルボルン二世が真の姿を伝えたいと思う。(取材協力は、恩師井上調教師未亡人) 昭和39年に騎手免許を取得。翌昭和40年、デビュー2年目の減量騎手の身でありながら、9月8日・川崎競馬4日目には、地方競馬所属騎手としては6人目となる1日5勝の記録を作った。結局、この年266勝という驚異的な勝ち鞍を挙げた。南関東リーデイングジョッキーでも、堂々の2位。1位には世界の佐々木竹見が401勝を上げ君臨していた。 この新人離れした活躍によって、競馬とは全く関係ないことでイジメに遭う。『アイヌ・アイヌ!』がそれであった。その一方では、群がってくる取り巻きによる<ヨイショ>も凄まじく、まだ若かった竹島騎手を有頂天にさせた。『春もどんどん勝てるものだし、その気になっちゃたんだよね』と井上師未亡人は、寂しげに語った。 『口うるさい主人がですよ。「<春のように上手な奴はいない! 竹見の持っていないものを持っている>」とよく言っていたものです。それと、記者さんたちが、ファインポートの東京大賞典のときに<前半の1800を一二半十二半で行け!>と指示したと書いていますけど…。毎レース、ラップタイムの指示はしてたんですよ。競馬から帰ってくると主人<春は寸分違わず乗ってくる>と笑顔で話しては驚いていましたですよ』 『主人が<春!乗り役にアイヌもへったくれもあるか!青野さん所の竹見を見ろ!田舎から出てきて一人で頑張ってるじゃないか>と言ったんですけどねえ。いいことしか言わない悪い仲間に取り巻かれて喜んでいたようでした』。このときの肩を落とした井上師未亡人の寂しそうな姿が今も目に浮かぶ。一言『もう戻れなかったんだね』と。 『あのときに、毎日、新聞で竹島!と大騒ぎされたじゃない。警察に連れてかれたときのことだけど、担当の刑事さんがうちに来て溢してたのよ<氏名と職業を言ったきり一言も口をきいてくれないんですよ>って』 『結局、<不起訴>だったのに、新聞に『竹島春三・竹島春三』と地方競馬に来たこともない社会部の記者たちに書き立てられたことで、『一本気なだけに騎手を続けるのが嫌になってしまったようでした』。ずうずうしければ、「不起訴だったんだから」と平気な顔で乗るんでしょうけど、春はそんな人間じゃないんですよ! いずれ主人(井上調教師)も厩舎を継がせたかったようでしたけど……。 主人のお葬式に来てくれたので、預かっていた<不起訴状>を渡してあげたんです 私の所には、来辛いらしくてこないんですよ。娘の所には、顔を出しているようですけど…。皆、悪人のように言いますけど、いい子でしたよ。達者でしたし。春はあの子は顔で損したのよ。』 確かに、高崎競馬場で「騎手招待競走」があったとき(水野貴史騎手の父上が優勝した年)騎手の集合写真を改めて見て見ると竹島春三騎手は際立っているので直ぐにわかり、ます。警察で一言も口をきかなかったことで、当局での印象を悪くしたように思えるのだが…。*竹島騎手との話で印象に残っているのは、あの正確無比な体感時計のこと。なんであんなに正確にラップを踏めるんですか? と大胆にも聞いたところ怒りもせず「ハロン棒とハロン棒の間を自分の馬が何完歩で走ってるかを体で覚えるんだ。毎日の攻め馬で考えて乗っていれば自然に身に付くんだ」。そんなこと言っても並みの人間じゃ出来ないはずです。やっぱり竹島騎手は、一握りの天才騎手だった。未だに思うのは、地方競馬を全く知らないで記事(デマ)を書く社会部の記者さんってそんなに偉いんでしょうか?
2006年12月05日
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第十七回シアンモア記念・盛岡競馬場・SG決戦!初めての逃げ作戦のグレートホープを向う正面のバンケットでスイフトセイダイが並びかけゴールまで二頭のマッチレースとなった。激しい叩き合いの末、怪物スイフトセイダイに軍配が引き上げてきた、S=小竹清一騎手とG=菅原勲騎手。菅原騎手の『強いなあ~!』という表情に注目優勝スイフトセイダイ父スイフトスワロー母持ち込みエンジョイ<父Blakeney母ウイッチズストーン>騎手小竹清一、調教師城地藤男、馬主中村正子、生産者門別門別岩一
2009年11月08日
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■上山市営競馬三十周年記念として始まったこのレースも四回目向山勝調教師「今日のこれまでのレースを見ていると、先行する馬が残っているので、いけるのなら先行しろと指示した」向山牧騎手「スタートがよかったので、指示通り先行した。会心のレースが出来た。上山競馬場には何度も招待競走で来ていますが、このようなビックレースを勝ったのは初めてなので非常に嬉しい」*新潟勢の三年連続制覇となった。
2007年12月19日
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昭和50年東京王冠賞・ゴールデンリボー羽田盃・東京ダービーと制して2冠馬となったこの馬が3冠目指して臨んだのがこの東京王冠賞。立ち塞がるのは2冠ともにゴールデンリボーの2着に甘んじていたバトルメントだった。専門紙でも両馬の一騎打ち濃厚と報じていた。凄い盛り上がりで迎えたこのレース、今は懐かしいスタンド前のオッズ表示電光板にオッズが出た瞬間、場内から「ウオー!」と言う大歓声が上がった。何とこの2頭の6-8は1.0倍だったからだ。「3冠馬誕生か?」異常な雰囲気の中で、レースが始まり最初のコーナーのところでポジション争いから馬群がゴチャつき、ひやっとさせられたが、その後は、淡々とレースは進む。3コーナー手前。此処が勝負どころとバトルメント・高橋三郎が一気に内から先頭に踊り出た。それを見てゴールデンリボー・赤間清松は馬を外に向けた。4コーナーで大きく外に進路を取ったゴールデンリボーが直線大外をついてグイグイと伸びてバトルメントを追い詰める。2頭の一騎打ちはゴール寸前アタマだけゴールデンリボーが交わして決着。ゴールデンリボーの通った直線の大外のコースはというとレース直前にゴール写真判定のフィルム交換の車が通った場所。ただでさえ大外で整備があまりされず固い上に車で踏み固められた場所だと今でも思っている。検量室前に行くと高橋三郎、赤間清松両騎手ともに引き上げてきておりスポーツ新聞の地方競馬担当の記者の人としゃべっていて、高橋三郎騎手が、足もとの砂を拾って叩き付け「並んで呉れたらな!口惜しい!」と吐き出していたのが、印象に強く残っています。少しはなれたところでは、赤間騎手が「並んだら抜けないので、決め手の生きる馬場の固い大外に馬を持っていったんだ」と意気揚揚と記者達に胸を張っていた姿も目に浮かびます。この日の思い出はこれだけではない。3冠を達成したゴールデンリボーの赤間騎手、竹内調教師、吉永厩務員のトリオは、昭和47年の東京王冠賞で3冠確実と言われながらナテイールの落馬事故に巻き込まれ不運にも3冠を逸したトキワタイヨウも同じトリオの馬。再挑戦での3冠達成だった。トキワタイヨウの3歳時から竹内厩舎には出入りを許されていた事もあって、当時勤めていた諏訪湖のホテルの秋の代休を利用して、この日は大井競馬場に応援に来ていたのだから、なおさらこの日のことはおぼえている。この東京王冠賞こそ筆者の名勝負ナンバーワンである。中央競馬の有馬記念でのシンザン-ミハルカスの名騎手の勝負以上かも? このように素晴らしいレースをリアルタイムで見ることが出来た幸せを書きながら感じた。正に大外を通るゴールデンリボー。馬場には、車で踏みしめられた跡もくっきり内バトルメントと外ゴールデンリボーのコース取りの差はこれだけあった
2009年09月10日
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