熊野磨崖仏(まがいぶつ)


国東半島 史跡めぐり

≪熊野磨崖仏≫

崖壁に刻まれた石仏 「熊野磨崖仏」
8 熊野磨崖仏 
その姿は、現在に至っても 森の中にありながら 山の上より 下界を見下ろすように  鎮座している。
 長い乱積みの石階段を 登った所に位置しており、「楽してご利益なし」 と言うかの如く
 現在に至っても、そのお姿を見るためには、石段を登るしかないのである。

 昔は、歩くという事が 唯一の移動手段であった。
 道も現代のように整備されておらず、険しい山道を大変な思いをしながら この地にたどりつき
 人々は、思い思いの願いを込めて  石仏に祈りを捧げた。
 石仏も そんな訪問者の労をねぎらうように 優しい表情で迎えていたに違いない。  

 入口近くまで 車で行けるようになった今現在、 長い石段は昔と変わらず健在あり
 一生懸命に 石段を登ってきた訪問者のみ 優しく迎えてくれる。 ;

『鬼が積みし石段を  登らば現われむ  岩に刻まれし 大いなる仏よ』
(パンフレットより引用)

熊野磨崖仏
乱積みされた石段  (伝説)
7 熊野磨崖仏 石段を見上げて
 石段は、見ての通り 乱積みされており いかにも 「楽して登れず」 と 無言で訪問者に訴えているようである。
 この石段には、昔より 面白い言い伝えが残されている。

『赤鬼が築いた九十九の石段』
 昔、赤鬼が この里にやってきて 人間を食べると言う話を聞いた 熊野の権現(ごんげん))様は、
 何かよい方法はないかと考えました。
 そこで、 鬼に一夜にして 百の石段を築いたならば、許してやろう という条件を出したのです。
 権現様は、とうてい無理だと踏んでいたのですが、赤鬼は軽々と石段を作っていくではありませんか。 

 なんとかしなければと思い そこで、権現様は、赤鬼が九十九段まで積み上げて、
 百段目を積み上げようと 石を担いで登ってきた所で、権現様は、夜明けの合図である
 鶏の「コケコッコー」と 物まねをしました。

 それを聞いた鬼の方は、
 「夜明けだ。 負けてしまった!! 逆に権現様に食われてしまう」と勘違いし
 最後の石を担いだまま 石段を駆け下りていった。
 平地に出た鬼は、そのまま倒れ、息絶えてしまったそうです。  

 赤鬼が駆け降りた事によって、きれいに積まれていた石段は、乱積みとなってしまったという伝説です。 
 (熊野磨崖仏 赤鬼の築いた九十九の石段の話/パンプレットより) 

 伝説の真偽はさておき、昔からのこの言い伝えを聞いた上で 実際の石段にトライすると
 単に、登るのが大変な石段ではなく、昔のロマンがつまった赤鬼の石段として 楽しみながら参拝が出来る事でしょう。 

磨崖仏 造立 

 造立は、伝説では 718年 宇佐八幡の化身 仁聞菩薩が作られたとの説はあるが、
 造立年代推定資料によると、1228年頃に記されている事から、鎌倉初期には存在していたと考えられている。
 (パンフレットより引用)

 国東半島には、八幡宮の影響を受けて 古くからの信仰の地であり、修行の地であった事が伺える。
 あまりに古い時代に造立され、文献がない等で不明な部分も多く、
 ある意味 古代ロマンを 漂わせている場所でもある。

15. 熊野磨崖仏 → 高田方面へ



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