穴瀬横穴古墳 


国東半島 史跡めぐり


≪穴瀬横穴古墳 19基≫  県指定史跡

  豊後高田市の生活道路沿いに横穴はあり、周辺の自然環境に溶け込んでいる事から つい見逃しまいがち。
  一般住居の裏山に横穴がある事もあり、よく見ていないと 通り過ぎてしまうような場所である。
  (道路沿いに、表示看板有り)

  国東半島中心部に位置する両子山(ふたごさん)に向かって行く途中の 道路沿いにあるので、
  気軽に古代の不思議な穴に遭遇する事ができます。


  穴瀬横穴古墳 19基  (県指定史跡) 解説 ※豊後高田市観光協会説明文を引用

  都甲川(とごうがわ)に接する美和台地 南側崖面にあり、
  装飾文様(円文、同心円文、連環文、講師状文など)があるものもある。
  代表的なものには、奥壁幅240cm、奥行き230cm、中央の高さ144cmの羨門に三段の掘り込み
  羨門全面に赤色彩色の跡がある。


 「 穴瀬横穴群 19基」  県指定史跡
穴瀬横穴古墳
穴瀬横穴古墳 1
穴瀬横穴古墳 2


『横穴古墳の起源』  ※参考資料検索wikipedia
  時代は古墳時代までさかのぼる。
  5世紀後半 日本での横穴古墳の始まりは、九州北部であると考えられている(推定)。
  朝鮮半島の影響を強く受け、遺体の埋葬施設として 6世紀~7世紀には、横穴式石室や横穴系墓室として
  九州から東側へ伝わっていったと見られる。
  この状況は、8世紀中頃まで続く。
  特に石室については、作るのを許されていたのは 上級階級であると考えられている。



 「古墳方向より見る、豊後高田平野」
穴瀬横穴古墳よりみる豊後高田平野

  道路ぞいに横穴はあり、19基もの複数の横穴が 集中的に集まり構成されている。
  古墳の前には、川があり その向こうには豊後高田市の平野が見下ろせる
  ちょっとした高台の位置に横穴はある。 

  横穴は、古代人のお墓だと言われており、単独で存在する事はまれで、
  複数からの横穴で構成されている事が多く、線刻画などの彩色・描写を伴う事がある。


 『全国の横穴古墳』  ※参考資料検索wikipedia
  日本各地に造られた横穴古墳であるが、
  熊本県玉名市 石貫ナギノ横穴古墳群~ 福島県双葉町 清戸さく横穴墓と
  九州から山陰、近畿、北陸、東海、関東と 各地で見られ、北限は宮城県付近までと言われている。

  私が実際に観た 同様の横穴古墳として、
埼玉県比企郡吉見町にある  吉見百穴 (よしみ ひゃくあな、ひゃっけつ)である。
  吉見百穴は、山の斜面に多数の穴が造られており、穴の数は219個もあると言われており、
  規模としては 日本最大級である。 
  古代の集団住居という説もあるが、多くの古墳と同様 台座状構造がある事から
  ここに棺桶を安置したとの説が有力。



穴瀬横穴群



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