全288件 (288件中 1-50件目)
今日はとっても大切な人が亡くなった日。同じくらい大切な人が生まれた日。一年が経った。早いようで長かった。あの日に帰りたいとは思わない。あんな思いは2度としたくない。けれど、もしあの日に帰れるなら、きっともう少し、ほんの少しましな結果を導き出せたように思う。戻らない時間にたとえ話を繰り返して無駄に過ぎた過去をため息で思い返す。さようならとおめでとうと、一体、どんな気持ちで迎えればいいんだろう。今日は何もしなかった。せめて夕ご飯を作って、ささやかな自分だけのなぐさめにした。どんな気持ちで来年も、再来年も、今日を迎えたらいいんだろう。まだ分からない。
2005年04月17日
コメント(60)
土曜日、ジャパンソサエティーがやっている展示会にいった。村上隆氏がキュレーターをしていて、そこは俗にオタク系、電波系と呼ばれる作家やら、オタク系の元祖、ガンダムのザクの1分の1の頭部、ドラえもんの生原稿、ウルトラマンや怪獣の原案イラストやら。ザクには感動したなー。大きかった。さすが1分の1。で、村上作品はほとんどなかったのですが、分からないんですよ、私には。あの芸術が。正直、好きか嫌いかでいえば、嫌いかもしれないな。分からないから、好き嫌いを論じることも出来ないのですがね。展示会自体は面白かった。ザクに感動し、ドラえもん第一話に魅了され、怪獣原案に興奮して、満足。途中、女のこの大きな絵があって、行く前から「お前に似ている絵があって、かなりすごい」といわれていたのだけれど、見た瞬間、これのことか、と分かった。確かにね、似てましたよ。目とか表情とか、私こういうかおするわー、と客観的に納得しましたよ。でもさー、あまりにその絵がグロかったので、あんまり、嬉しいって気分にはならなかったですね、はい。でも、グロいけれど女性的で美しくもあったのでその部分だけを見て、満足することにしました。土曜日も日曜日もよいお天気で、今日もだけど。このところ暖かくて、春です。空が真っ青で気分がいい。でも、NYの空は青すぎる気がするんです。日本、私が知っている日本は東京がそのほとんどだけれど、日本の空はもう少し白味がかった感じだと思う。そして、一色ではなくて、グラデーションが美しいと思うわけです。昼間の空にも色の濃淡があって、見ているだけで様々なイメージが浮かんでくる。けれど、ここの空は、真っ青。混じりけのない一色。こういう空がアメリカ的国民性をはぐくみ、日本の一言ではいいきれない空の色が日本的国民性をはぐくんだのかしらと思ったり。そういえば、我が家の前の、タイの施設が祭りです。沢山の旗が、青い空の下で風になびいていて、綺麗です。タイの空はどんな色をしているんだろう。きっと、原色の黄色や青や赤が映える、明るい色をしているんでしょう。
2005年04月11日
コメント(0)
昨日、やまさんとアメリカ人友達と 彼の友達で日本からやってきたゴウさんとカヨコさんとご飯。 前にも書いたけれど、 彼はNYUの映画祭で賞取ったり、脚本でベルリン映画祭に行くとか そういうレベルですごい人です。 しかも日本語ぺらぺら。日本に数年住んでいたらしいからだけれど。 で、お友達のゴウさんは同じく映画監督。 自主制作を数年かけて完成させて、 このたびその作品が各国の映画祭にひっぱりだこらしい。 友人曰く、NYのサブウェイシネマにも出るかも、だって。 すごい人です。しかも若干29歳。その映画祭で上映されまくっている作品を作ったのは、24,5歳の頃。ビデオで撮ったものをフィルムにしたらしい。それだけでも500万くらいかかるらしく、それも彼の作品と彼の才能を買ってくれたプロデューサーが出してくれたらしい。カヨコさんは、プロモーターらしく、 夕張映画祭とかファンタスティック映画祭で広報の仕事してた人で この二人はのほほんとしてて、なごやかで素敵なカップル。 みんな映画好きということで、映画の話ばっかり。 映画って楽しいわーやっぱり。 アレ見た?コレ見た?アレどうだったって。 みんなが映画好きだと、遠慮なくそういう話できるからいいね。 いつもはマニア呼ばわりされるやまさんの発言も 水の中の魚のように自然と活き活き。 その、ゴウさんの映画が今度中野の映画館で上映されるらしいので、 お時間のある方は、是非お運びあそばせ。 タイトルは「おそいひと」というらしい。 漢字かひらがなかカタカナか分からない。今度メールで聞いておきます。各国の映画祭から出品以来が殺到した作品ですから、 見ておいて損はないと思われます。 私が帰る頃までやってるかしら。 やってたらみたいなあ。
2005年04月08日
コメント(0)
ルームメイトがインターネット用にDSLを導入しようと頑張ってくれているのだが。ヴェライゾンというこっちの電話会社、ひどいねえ。もう申し込みをして一か月経つというのに回線が届かない。機械だけは速攻送って来たけれど、システムが来てない。あまりに遅いのでもうやめてほかの会社にしようかと思っている。それにしても、ある意味微笑ましいアメリカのいい加減さもここまで長いこと続くとむかつくどころか、あきれる。ということで、まだ自分のパソコンからネットが出来ません。ちゃことくだらん話でわいわい言いたいけれどそれも厳しいっす。みんなー。元気かよー。くすん。そういえば、バレンタインにはでっかい竜のぬいぐるみをもらいました。首の後ろから手をいれて口をぱくぱくと動かせる。ある意味パペットなぬいぐるみ。かわいいです。奇しくも昨日の夜、彼の名前は龍之介に決まりました。超洋風ドラゴンなのに。龍之介です。
2005年02月15日
コメント(2)
引っ越し先がまだ、自分のパソコンではインターネットが出来ないのでなんとなく、更新もままならない日々ですが。今日は一人のんびりの夜中なので人様のパソコンをお借りして。土曜日の昼過ぎから降り出した雪が積もって今は一面銀色。土曜日の夜、友人達をお招きしてそれぞれが作った映画の上映会をして楽しんだのだが。鍋の用意などしてみたものの、外は大雪である意味、すでに吹雪の域に達しており集まってくれたみんなは、真っ赤な顔をしてなんとも来てくれてありがとうね、と思いました。鳥団子鍋はなかなか評判でよかったなと思いつつ。来てくれた友達の一人が、けっこうすごい人でニューヨーク大学の映画祭で賞をもらい、今度はベルリン映画祭に脚本で行くほどの期待の出来る人で。彼はアメリカ人なのだけど、なかなか日本映画も見ていてみんなでB級映画についてわいわい話して楽しかった。私は何を隠そう。B級映画が大好きでして。結構その方面は観てまして。映画が好きな人ばっかり集まってわいわい話してそれぞれの力作を観るってのは気持ちがいいものです。その中に、音楽を専門に勉強していてミキシングエンジニアになる予定の人もいてなんか、つくづく、一つのことをやり続けるってのはそれだけである種のパワーなんだなと実感しました。私は、絵本を作りたいけれど最近は結構ぼんやりとさぼっていたので、これをきっかけに、もっと絵を描いたりお話を書いたり、詩を書いたり、小説を書いたりしないと。と、痛感しました。こういう、プラスの刺激って気持ちがいい。私の後ろ向きな性格の都合上、何かと言うと負のモチベーションというのが多いけど、やっぱり、やる気って言うのはがんばっている人たちと話したり作品を見たり見せたりして、たかめて行くのが一番。そして今日は、愛すべきジャックの送別会で。ジャックって、やっぱりいい奴だな。酔っぱらった子にけちょんけちょんにけなしたりされてもなんだかんだ、うまくまとめてて。怒らないで笑ってて。いつも思うけれど、大人です。前にも、この場所でメッセージを書いたけれど、ジャックは人を受け入れることの上手な人です。誰かと知り合っても、その人のいい部分をちゃんと見ています。そして、そのことをきちんと言葉にします。大人って言うのは、こういうものだと思います。しばらく会えなくなるけど元気でね。愛を込めて。まあ、面と向かっては言わないけれど、何があっても言わないけれど、みんな、私もやまさんもみんな、ジャックが大好きなのです。いじっては失礼なこと言うけれど、そんな私たちを見ているおっさんくさい顔が大好きなのです。またすぐに遊ぼうね。ラヴ。ジャックって打とうとしたら、間違って、弱 になったけどそれはそれで言い得て妙なので。ジャック弱で。
2005年01月23日
コメント(0)
新年初めての週末。初週末。学校が3日から始まり、毎日がどたどたと過ぎていって、初めての週末。長い休みをとっていたけれど、久しぶりに来るたった二日のお休みはゆっくり眠って、宿題からわずかに解放されてそれだけで終わらせるには勿体無いけれどでも、それだけで終わってしまいそう。出来れば、どこかにお出かけしたいけどな。アイススケートとか。お買い物とか。引越しの日程が、来週末に決まり、やっと落ち着いた生活に戻ります。知らない人と生活するのは初めてなのでちょっと緊張。どうなることやら。
2005年01月07日
コメント(0)
私がどこにいるのか、あなたは知っていますか。ここでこうしていることを知っていますか。雨は冷たいけれど雪は僅かに温かくてここにいることをその上になぞっては慌てて消してばかりいます。あなたに一度だけでも声を聞かせて欲しいとそう言いたいのに。あなたの場所はここからは遠くてそして何よりもあなたの笑顔を壊すことが恐ろしくて。私は今日もここでただあなたを思い出しています。あなたとの時間は決して楽しいばかりではなかったけれど私の全てがあった気がします。あなたとの時間はいつも私に期待と不安をくれました。結局、不安が勝ってこうして悲しみだけが残りました。けれど、目を閉じればきっと。一番好きなその笑顔が思い出せると思うのです。一番好きなあなたへ。
2005年01月06日
コメント(0)
ゲームばっかりやってるんじゃねー。昼夜逆転してるんじゃねー。人が落ち込んでるのに、気付けばか。誰に気を遣ってるんじゃ。結局、色んなおせおせが私にくるんじゃ、はげ。不満。人前じゃいえないじゃん。言えって言われて、言えるか。うすらぼけ。うそばっかりつきやがって。もうつかないってのも、うそかあほ。はー。すっきりするかと思ったが、まだたらん。どーしよ。ストレス。くすん。
2005年01月05日
コメント(0)
目をつぶって手を離して風の中にいる自分を見つけよう。目で見るわけでもなく手で触れるわけでもなくそれでも自分のいる場所とそこで風に流れる自分を感じることは出来る。自転車で坂道を真っ直ぐに駆け下りて手を離して目をつぶったらそれはとっても危ないけれど。けれど、声をあげて自分がどこにいるかを世界中の全ての人に教えよう。私がここにいることを。メタルに小石が跳ね返ってカチカチと乾いた音を立てる。朝焼けの時も夕空の下でも。走る私がいてここに私がいる。目を閉じれば存在する事実はたったそれだけ。走る私がいて。ここに私がいる。
2005年01月04日
コメント(0)
人生というやっかいな代物にほとほと疲れてただ愚痴を言うことも出来ず。悲しくてそれを話せば笑い話にすりかえられて苦しくてそれを話せば今日の天気に話は変わって悔しくて涙も出ない。私の今まではそんなに面白おかしいですか。これからの私もそんなに面白おかしくないといけないんですか。嫌な夢を見て手を伸ばしてもそこに温かな腕はない。あるのは意識すらない冷めた背中だけ。手を伸ばせば確かに届くけれどその心はいつでもここから遠くどこかで誰かを思っている。悲しいと告げることも出来ず苦しいともがくことも出来ず見知らぬ人にその思いを叫ぶ。誰でもいいから今すぐここで私の背中を撫でて欲しい。もう恐ろしくて一人ではいられないから誰でもいい。私から二度と離れないでいつも背中を抱いてくれるというならば。今すぐここに来てそしてもう二度と一人にしないと言って欲しい。一人にしないといって欲しい。ずっと、一人だったから。もう一人にしないとお願いだから。うそでもいいから。そう言って欲しい。
2005年01月03日
コメント(0)
新年ということで、一年の抱負を。昨年は、なんとなくぼんやりと行過ぎる時間に流されて苦労もあったけれど、それすら流されてしまったのでそれはいかんと思いました。ので、今年は。流されずに。自分勝手とかマイペースっていうのとは流されないって言うのは違うわけで。マイペースでも人の趣味嗜好やら、時の流れに乗っかって流されていることはよくあると思う。そういうのをやめて、流されないで、自分のしたいこと今後していきたいことのために。抱負というのもおこがましいながら流されない自分となるための初めの一歩を、元日に。楽しく流されずいくぞ。
2005年01月02日
コメント(0)
あけました。日本から十数時間遅れて。31日の昼前に実家に電話したら丁度12時で、母よりあけまして・・とご挨拶頂いた。こちらは、まだ昼前の10時よ、とは言えないものです。しかも、不思議なものでその時点で年明けちゃった感じで。タイムズスクエアとかでわーわーやってるのを見ながら友人を交えて4人でしっぽりとすき焼き食べて年が明けた瞬間におめでとーってして。一夜明けて、一応お雑煮は作って食べた。お昼には昨日のすき焼きの残りにうどん入れて。やっぱり、日本の新年のくだらない番組がみたいいいいいいいいいいいいい。あれがないと年明けた感じしませんよ実際。寝正月だ。昼寝だ。ということで、お世話になった皆様。本年も仲良くしてね。
2005年01月01日
コメント(0)
今日は友人の紹介で友人のとても仲の良いお友達がお料理教室をやっていてそこへいってきました。今日のメニューは牛肉の和風キッシュ豚とセロリのくたくたスープタコのラグーンのパスタでした。うまかった。やばいほど。基本的に料理はよくする方で大抵のものはそつなく作れますがこういう、カタカナの名前のこじゃれた料理って言うのは結構未知の領域で。私自身の料理の基礎というのが祖母のもとからきており、彼女の仕込みで出来あがっている基礎知識&スキルなのでやはり和食が基本なのです。ラグーンって。って思いました。キッシュはそこまで驚愕しませんでしたがラグーンはうまかった。タコがまるまる一個に赤ワインがほぼまるまる一本使われたソースはちょっとさすがに家庭の味を抜きん出てレストランの味になっておりました。楽しかったな。こういう海外もなかなか。日本っぽいというか。お土産にキッシュ二切れとラグーンのパスタもらってきて我が家の飢えた子に与えました。それだけだとあまりに手抜きなのでスープもつけて。まあ、確かにお料理教室のご飯は美味しいのだけど、あまりにすげーすげーうめーうめーって連発されると普段ご飯作っている身としてはわずかに、むかっときまして。一応私のスープに対してトマトのスープが飲みたかったんだ。なんて、よく分からないフォローしてましたけど。ということで、途中まで書いて放っておいたらいつのまにか日付が変わってクリスマスイヴ。ホリデーシーズンでどこもかしこも、もうお休み。今日は何をしようかしら。ハッピーホリデーメリークリスマス
2004年12月23日
コメント(0)
ここはとても寒くてみんなきっと一人ぼっちだから少しでも近くに集まって何でもいい、話をしよう。もし、ここでここが寒くなくて一人ぼっちじゃなかったら私達はお互いを必要とし合ったのだろうか。きっと寒くて一人が淋しくて家族が恋しくて誰かが恋しくて同じ寒さを抱えた人達が同じ場所で一つになっていつかそれは本物の友達になったんだ。最初は淋しいだけだったかもしれない。寒かっただけだったかもしれない。淋しさを癒すものだったかもしれない。寒さを和らげるものだったかもしれない。けれど、今は温かさを広げるもの。楽しさを膨らませるもの。何かの穴埋めではなくそれでしか埋まらない大きな穴が出来るもの。彼らとしか語れない言葉がある。彼らからしか聞けない夢がある。彼らにしか言えないことがある。彼らとしか分かち合えない時間がある。彼らとしかいたくないそんな日がある。そうして、いつか気がつけばここが私の居場所になった。いつの日も初めての場所で、そうなように。懐かしがったかつての居場所は思い出に変わって今いるここが私の居場所になった。とても寒くて一人では淋しいこの場所。それが今の居場所になった。
2004年12月22日
コメント(0)
君を思うと苦しくなる。君を見るとその苦しさは途端にささやかな甘さに変わって逆にもっともっと私を苦しめる。君から少しでも離れたくなる。そばにいればいるほど自分がもどかしくて恥ずかしくて神話の中の情けない神様みたいに姿を隠して、君の気を惹きたいわけでもないのに。何がしたいのかわからなくなる。いつも変わらずやさしい言葉が余計に胸の傷を広げる。変わらない君の匂いが自分勝手な衝動へと背中を押す。そしていつもことの終わりに後悔すると分かっているのに。私は泣いて私は怒鳴って私は怒ってそして君を悲しませる。どうすれば消えるだろう。胸の奥で嫌な音をさせてくすぶり続けるこの不安は。一体何をすれば消えるのだろう。今あるすべての幸福とこれから先のすべての安定を覆しさえするこの不安は。目を閉じて夢を見るのがこわいのかちっとも眠れない。たまに眠ればすぐに目が覚めて隣に君がいないことで不安は大きくなる。それこそ、ほんの僅かな距離に君は微笑んでいるのも分かっているのにただ、自分のすぐとなりにいない、それだけの理由で。おかしくなる。止まらなくおかしくなる。たまらない。今日も、無理に目をつぶれば君の悲しげな顔が目に浮かぶ。取り乱す私を見つめる。君の顔。
2004年12月21日
コメント(0)
昨日の夜、そういえば、みんなでわいわい夜ご飯を作っているうちに外は雪になった。たぶん、しっかりした雪は初めてだと思う。初雪。初雪って言うのはなんか響きがそれだけでロマンチックで情け深くてイメージで言うなら韓国ドラマって感じで。昔は、初雪を見るとそれは私の中ではヨーロッパのイメージだったのだけど日本を離れてアメリカに来た途端に、そのイメージがアジアに帰ってしまうのは一体なぜなんだろう。それはさておき、やはり、雪というのは見ているだけでどきどきする。昼間の雪は、無性に雪合戦へ私の心を傾倒させるし夜の雪は、それはそれで、無駄に乙女チックな気分をめりめり起こさせる。どっちも、どきどきさせる。どきどきしてくる。けれど、朝になって人や車に踏みつけられて雪は茶色く、泥になる。足下は汚れて、寒くてすごく嫌な気分になる。雪はもういいや、なんて思ったりする。それでも、少しするとあの、黒い空から白い雪が無限に降ってくるあの、綺麗なイメージだけが思い出されて雪がまた降らないかなと思う。泥のことも寒さのことも綺麗さっぱり忘れてあの、綺麗な夜のことだけを思い出す。そして、次の日の朝の銀色にじりじりと光る景色を思い出す。なんだか、雪って人と人の関係みたいだ。時間が経つといいことばかりを思い出す。どんなに怒っても泣いても傷ついても時間が流れると綺麗な記憶だけが、降る雪のように頭の中にちらちらと甦る。初雪はやっぱりメローでこんなことすら思わせるわけです。
2004年12月20日
コメント(0)
すいみんぶそく。昨日というか、今朝4時に寝たのに7時には目が覚めてしまった私は。昼頃まで、のそのそ活動せずに適当にごろごろしていたが昼からはおうちでのんびりで。で、8時頃に居候先の家主の一人であるまきこ嬢のハニーが友人と共にやってきてみんなでご飯を食べた。適当に作った割に、カレーもスープもサラダもなかなか本格的で。ところで、ハニーことスコットの友人はベンという名前なのだけれど私は初め、ベンに「ジェフ、何か飲み物いる?」とか言っていや、ベンだよと指摘されたのに次には同じくベンに向かって「私、パソコンのハードにボブって名前つけててあなたと同じ名前ね」とかなんとか。でもってまたもや、ベンだからと指摘されて。いかんいかん。カタカナは読むのだけ苦手なのかと思ってたけど実際、読むだけじゃなく、発音するのも記憶するのも、結局カタカナそのものが苦手だということが判明。外国暮らし。そもそも、向いてないのかしら・・・・。眠い。おやすみなさい。
2004年12月19日
コメント(0)
今日は年の瀬を意識してか、忘年会でもないけれど、何となく「カラオケ」という話になりました。これまた、何となく、でも比較的ノリノリで友人に声をかけ計5人で、計5時間。単純計算で、一人一時間歌いつづけたわけです。ちょっとした中距離マラソン並。それでも、それだけ歌っても不思議なもので、お会計を済ませて一歩外に出ると歌い忘れたあれやこれを誰ともなく口ずさむもので。あれ歌ってなかっただの、あれ忘れてただの。しかも、帰りはお車の中でこれまた音楽に合わせてああ、これ歌ってないだのなんだので、移動時間はほぼ大合唱に費やされました。一体、みんなどれだけ歌いたいんだと突っ込もうと思いきや。ノリノリだった自分の姿が思い浮かばれ言葉を飲みまして。まあ、結局、楽しかったね、また行こうね。次はこれとこれとこれ歌いたい。そういう結論かと思われます。すでに、時計は4時AM。いい加減に寝ましょう。しかし、頭の中には歌い逃したあれやこれがエンドレスに。続きは夢の中で。
2004年12月18日
コメント(0)
空を向いて投げた心が何百メートルも進んだところで落ちてきた。降ってきた心に打たれた頭に鈍い鈍い痛みを覚える。先へ進もう。自分で投げた心を避けるように。進めば何かが変わるはず。何も変わらないかもしれない。ほんの少ししか変わらないかもしれない。けれどここに立ち止まってもう一度自分の心に打たれるくらいなら一歩でも二歩でも先へ進もう。自分の後ろに自分の心がぼとりぼとりと落ちる音を聞きながらでも。それはちくちくと空しい音をたてるけれどそれでもただ打たれるよりは僅かでも救われるかもしれないから。救われないかもしれないけれど心の落ちる音はとても悲しいけれど。一歩先には違う心が落ちてくるかもしれないから。空に向かって放った言葉は青い色に染まって違う気持ちに変わるから。変わらないかもしれないけれどここにいるよりきっといい。いつか。いつか。空を見上げて自分の心を受けとめられるようになるために。また、打たれて前よりももっともっと苦しむかもしれないけれど。苦しまないかもしれないから。痛まないかもしれないから。ここで、その答えを見つめるより歩いて何かに賭けてみよう。何もないかもしれないけれどここで立ち止まるよりはきっと。歩けば歩くほど私の身体は強くなると信じて。ただ疲れるだけかもしれないけれど。ここで、空を見ていることよりは軽くなるはずだと信じて。一歩。二歩と。進めば違う景色に出会えるのだから。その出会いは、間違いなく何かを変えるのだから。良くも。悪くも。何かを変えるのだから。まず、一歩。二歩と。進んだ先に、もしかしたら明日があるかもしれない。
2004年12月17日
コメント(0)
時間は戻らない。時間は進まない。進んでくれれば半年後の私の姿を見て今の自分を励ませるのに。時間はどうにもならない。戻らない時間の中で楽しそうに過ごす姿を見てやりきれない。その頃私は何をしていただろう。くだらないことで悩んで落ち込んで立ち直っていただろう。いつも。その瞬間は精一杯だけれど戻せるものなら戻したい。進められるものなら10年でも20年でも進めたい。中途半端な今を捨てて違う自分のもとに飛んでいきたい。
2004年12月16日
コメント(0)
黒澤映画。海外へ日本の文化的なものを紹介する組織ジャパンソサイエティーというところで、天国と地獄の上映会をしていて、観に来る?という話になって、いくいくと。久しぶりに大きなスクリーンで観る昔の映画、白黒映画。最近は、こういう映画ビデオとかでばっかり観ていたから、本来のあるべき姿に戻ったとたんに迫力が違います。大きな大きな顔で話す俳優陣は、やっぱりこういう大きな画面に映える人なんだーと改めて思った。山崎努はすごかった。屈折しててでも頭が良くて行動にきちんと理屈がありそうなのに結局は自己顕示欲と理性のバランスの崩れた当時のたぶん、いまどきの若者なんだろう。本当にそういう人に見えた。っていうことは、恐ろしく巧かったってことだろう。ちなみに、三船様は後姿にすら存在感がありまくりで、カッコよ過ぎで、卑怯だーって、思いました。だって、あの人でてるとそれだけで良いもん観た観たって気分になる。いかんいかん。とも、思うけど。関係ないが。画面のいろいろなところで登場する今は大御所と呼ばれる俳優さん達の若かりし頃の姿が面白かった。声とか、動きにも昔から特徴があるのね。でも、大部分の皆様はもうお亡くなりになっており、切なさも漂いました。だって、映画の中ではみんな、若いんだもの。とにかく、大きな画面で、面白い映画を観た昨日は良い日でした。
2004年12月14日
コメント(0)
このところ、まだ帰ってきて一週間も経っていないのだけど。少しだけ、穏やかになったと言われた。言葉も、態度も、少しだけ落ち着いたらしい。それはきっと、あんだけ、毎日悲しかったからじゃないかと思う。あれだけ、毎日、考えに考えて落ち込んで声をあげて泣いてそのお陰じゃないかと思う。もし、あのタイミングで日本に帰らないでずっと平気な顔をしていたらいつか、それこそ、大きな取り返しのつかない大爆発になった気がする。十分、疲れ果てるほどの爆発だったけど取り返しのつかないようなものではなかった。もしかしたら、そうなっていたかもしれないけれど。とにかく、ほんの少し落ち着いてほんの少し悟った。無駄って、ないなと思った。いっぱい、つらいこともいっぱい、かなしいこともあって、で、今楽しい。じゃあ、つらさやかなしさは無駄だったかといえば無駄じゃない。そこを通らなきゃ、今にはたどり着かない。すごく当たり前でありきたりなことだけど、ふと気付くと、それって奇跡的ですごいなあと思うわけです。高校時代に戻ったらいいなーって思ったのだけど。それで、もっと勉強してもっと賢いと評価されている大学に入ったら。でも、それだと、ちゃこにも芳子にも大好きなクラスメイト達にも尊敬する先輩達にも会えない。絶対に、やだ。今が良い。今が一番。ほら、無駄がなかった。今が一番だから、今までもきっと一番。私に出来る、一番の生き方を一番の道を進んできたんだと思う。だから、きっと。ほんの少し元気かも。
2004年12月13日
コメント(2)
私には君の目を喜ばせるほどの美しさもないし、君の耳を楽しませるほどの綺麗な声もないし、君の心をときめかせるほどの楽しい言葉もないし、君の頭を驚かせるほどのアイディアもない。私には君を幸せに出来るほどの力もないし、君を遠くに連れ出せる車もないし、君の言葉を誰かに伝える術もないし、君を輝かせるだけの光すら持っていない。君のために出来ること。本当は私にはその何もないけれど、私に出来ることなんて何もないけれど。君のために出来ること。君のために笑顔で起きること。君のために笑顔で眠ること。君のために笑顔で答えること。君のために笑顔で生きること。私に出来ることなんて本当は何一つないけれど。私はいつも笑っていたい。くだらないことで笑っていたい。君の言葉にいつも笑顔でいたい。それすら今は満足に出来ない私だけれど。君のために私が唯一出来ること。いつも、幸せでいること。今を幸せでいること。何もない私だからせめて、いつも幸せでいたい。何かを返せるならばせめて。君に笑っていて欲しい。私の笑顔に君の笑顔を。何も出来ない私だからせめて。いつも、笑っていたい。本当にそう思う。
2004年12月12日
コメント(2)
フライト時間をその12時間前まで勘違いしていたそんな、ど阿呆なわたくしですが、着陸は無事すませて、昨日の夕方家に戻りました。帰国の際もひどかったのですが、こちらに戻る際も着陸前の高度の下がる時の耳の痛みはこれ本当に尋常じゃありませんでした。疲れた。耳のせいなのか、なんなのか、今回は往復ともに飛行機の中で全く眠れず、どどーっと疲れて今日は1日おうちから一歩も出ずに、人に買ってきたお土産のデビルマンを読んだり、司馬遼太郎を読んだりラストクリスマスを録画してもらっていたものを見たり。日本と比べて、嘆きたくなるほどに寒いNYですが、家の中はこっちの方が格段にあったかい。今もガスヒーターがシューシューいってもう十分暑いぐらいの部屋をさらに暖めています。かえってきたなーと、思うのはおかえりーとか、いってらっしゃいと言う時ですかね。こういうささやかな言葉に支えられた極ありふれた、時には退屈なぐらい平穏な日常が日本にいた時間の間中恋しくて。その中で暮らしている時は本当に当たり前に思えたのに。なので、飛行機はしんどくてもう当分乗りたくないですが、帰って来たこと自体はやはりほくほくです。まあ、マージャンに行ってしまわれたので一人、こうして日記を書いているわけですが。引越し先、早く探さなきゃー。と、思いつつ、おかえりーって言えなくなるのは淋しかったり。まあ、仕方がないのでそういう先々の不毛な想像よりも、まあ、とりあえずお風呂にでも入って寝ようかと思われます。では、おやすみなさい。
2004年12月10日
コメント(0)
すっかり、出発の時刻を間違っており、14時過ぎのフライトだと思い込んでいたけれど実は、18:45でした。なんか、時間がおかしいなーとは思っていたんですけどね。ははは。だって、所要時間12時間なのに14時に出て、JFKに17時っておかしいでしょ。時差14時間で。ってことで、やっと気がつきまして。夜中に。で、のんびり支度してもう少ししたらお出かけです。楽しかったぞ、日本。ということで、皆様またね。
2004年12月09日
コメント(0)
今日で短い滞在も終わり。明日は朝から空港に移動で、お昼過ぎの飛行機に乗って戻る予定。あっという間だったかもしれない。帰ってくるまでは、あそこに行きたいこれがしたい、何が食べたいっていっぱい欲望があったのに。帰ってきてみると家でごろごろして、気の置けない友達と会って家でDVD見て友達の家に時々行ってごろごろして。って、ずーっとごろごろじゃん。というわけで、今回の帰国で取り立てて言えることといえばハウルの動く城を観たことと友人の家に生まれて3ヶ月の赤ちゃんを見に行ったこと。かしら・・・。だけでした。あとは、辛いもの同盟(現在会員二名のみ)で渋谷のあの辛いものやに久々にいったこと、とか。それは日本を意識させることでした。ああ、帰ってきたなーって思いましてほっとしまして。友達っていいなーって思いました。私の昔を知ってて泣いても怒ってもそこにいてくれて。どれほど長く離れていても帰ってくればお帰りっていってそこにいてくれて。時間を作って駆けつけてくれて。気がつけば、自分の話ばっかりする奴もいたけど。まあ、それもいつも同じで変わらなさがうれしくて。いいなあ。って思いました。でも、今住んでいる街でお帰りって言ってくれる人が居るから久々の帰国も、楽しかったわけで。お帰りってこの言葉ってありがとうごめん大好きだそれらと同じくらいいい言葉だ。おかえり。
2004年12月08日
コメント(0)
ふと、テレビをつけると水戸黄門。初代黄門様、東野英治郎さん(漢字不確か)が出てた。子供のころから時代劇が好きで物心ついたら時代劇ばっかり見ていて中学生になった時からは歴史小説ばかり。なんでだろう。時代物の設定と言葉風景、そして分かりやすい物語の展開が好きで好きで。なんでだろう。一番好きな時代劇は江戸を斬るなんだが。西郷輝彦さま、大好きで。母と一緒に舞台とか見に行っちゃったし。いいなあー。将来は袴の似合うお侍さん顔の人と幸せな時代劇ちっくな家庭を築くのが夢でした。まあ、これは今でも変わってないかも。いまどきのイケ面よりも昔っぽい、義理人情って顔したふるっぽい武士顔にぐっとくるのは変わってないかも。東野さんの黄門様が一番だ。かわいいおじーちゃん。でも、目つきは異常にするどい。これぞ、武士ですな。一件落着。ちゃんちゃん。ですな。
2004年12月07日
コメント(0)
のほほん。と、この二日過ごした。のほほん。やっと、落ち着くべき自分の居場所を理解した気がする。自分の心の居場所。心のよりどころ。何が信じられるか、ではなく。何を信じたいか、という場所。のほほん。今日、簡単な通訳的お手伝いをしてほんのわずかなバイト代を頂いた。こうやって、自分で過ごした時間の価値を自分で高めていくことがどれほどうきうきすることか。悲しいこともたくさんあった。信じられないこともたくさんあった。アメリカで暮らしてからのわずかな時間。逃げたい衝動に何度も襲われた。逃げ出そうとしたことも数え切れない。けれど、私はあそこに残ってそして言葉を覚えた。今その言葉が、わずかな人に笑顔をあげられた。私がすごした時間が、人の笑顔になって帰ってきた。悲しい思いが充実感と名前を変えた。そんなこんながあって、今ここで、のほほん。信じられる何かではなく、信じていきたい何かを見つけたから。今はそれを信じてみるだけ。のほほんと、信じてみるだけ。のほほん。のほほん。ぷかーぷかー。ぷか。
2004年12月06日
コメント(0)
ぱーっと拓けたように明るい一日。気持ちも明るく弾むような一日。日本はぽかぽか。カーディガン一枚でも汗ばむ陽気。心を表わすような青い空。笑い声がしっとりと吸い込まれるような湿気の有る空気。昨日の寒さも雨も嘘みたいな一日。大切なお友達と、君のために本屋に行こうと思う今日。君たちの喜ぶ顔が見たいから本屋に行こう。はい、お土産よと、手渡したらきっと喜んでくれるだろうから。本屋に行こう。ぽかぽかの太陽の下でぷかぷかー。君の言葉に答える私の声が笑っている。当たり前の日曜日の朝。これが当たり前というものだったんだ。本屋までぼちぼちと歩いていこう。代々木公園に寄り道してぼちぼちと一人の時間を楽しんでみよう。忘れていた言葉が内側から沸いてくる。忘れていた物語が内側で騒いでいる。穏やかさを取り戻した今日は、散歩がてら、執筆でも。ぷかーぷかーと、流れ着く先は本屋。君と君たちのために。ぷかぷか。
2004年12月05日
コメント(0)
ずいぶんと長い間忘れてしまっていた気がしたね。ありがとうと言ったらありがとうと答えてくれる君だったからずっとそばに居たいと思ったんだった。ごめんねと言ったら俺もごめんねと言ってくれる君だったからずっとそばにいようと思ったんだった。ありがとうの言葉にごめんねの返事が続いて。ごめんねの言葉に無言の時間が続いて。距離がおかしくなっていたね。いつも、君の隣で笑って居たかったから君と一緒に居ようと思ったんだった。どんな、つらい記憶も笑ってしまおうと君と笑ってしまおうと思ったんだった。いつの間にか、すべては逆転して君の隣で怒り過去の思い出に泣いていた。笑っている自分で居たかったから君と一緒に居ようと決めたんだった。どんなことも楽しめる自分で居るために君が必要だったんだ。すごく長い間に思えたけれどそれはゆったりとした瞬きほどの時間できっと、流した涙も君を傷つけた言葉も君を苦しめた行動も気づきさえすれば、乗り越えられるものだったんだ。君の笑顔が好きでひきつったような笑顔が好きで変な顔して笑うなんてからかいながらでも本当はその笑顔が大好きでいつでも見ていたいと思ってたんだった。気がつけば乗り越えられる、過去なんていつでもそんなものだった。痛みもいつかは消えるはず。坂道で顔から転んだあの日だって大好きな絵本をもらった瞬間に幸せな記憶に変わったんだもの。大切なものを失った記憶だって大切なものを得た瞬間に、大事な記憶に変わるはず。ありがとうの言葉にありがとうと答えてくれる君のためにいつも笑っていたいと思う。大切な人の前で私の口からは君を褒める言葉ばかりが溢れたから。そして、その時に初めて知った。これが私の本当の気持ちだったことを知った。自分の本当の思いなんて結構知るのは難しい。それでも今それを知ったことは優しい神様の思し召しだ。ごめんね。ありがとう。
2004年12月04日
コメント(0)
昨日、TSUTAYAで日本映画を4本借りた。新作2本、一週間レンタル2本。で、新作が下妻物語と天国の本屋昨日今日で両方観た。いやー、映画って本当にすばらしいですね。自分が映画好きだっていうことをこういう瞬間に実感する。どんなジャンルのどんな映画もみーんな面白い。面白くて大好きでしょうがない。映画のない世界なんて、味気ないなー。下妻物語は、ポップで展開が速くて深田恭子が似合ってて、土屋アンナがすげーうまくてよかった。とくに、なんか、この監督既成概念とかないわけじゃないと思うんだけど、それを逆手にとっているというか、観客が持っているはずの既成概念を利用して面白おかしくからかって、でも基本はやさしくてかわいくて、人間、みんな、優しくてかわいいって教えてくれるような映画だった。天国の本屋~恋火は数ヶ月前にシナリオという雑誌で脚本を読んだことがあったのだけど、やっぱり、映画って脚本じゃ終わりじゃないなーってすごく当たり前のことなのに実感した。脚本で読んで面白くて、でも、それはああ、面白い話だなってそれだけででも、でも、でも、映画で観るときれいでほんのりして、夢の中で見たような景色がいっぱいで。監督の人柄が出るんだな。画面にも、色にも。役者さんの言葉のひとつひとつにも、人柄がじわーって出てくるんだな。映画って。才能だけじゃなくて人柄って大事だな。やさしい人の作った映画はやさしいもんなんだな。私は映画が大好きで、どんな映画を見ても嬉しくて楽しいけれどそれだけ気持ちのあったかい監督がいっぱいいるわけで。なんか、人生って、ハッピーじゃないですかね。ハッピー。ぷかーぷかー。
2004年12月03日
コメント(0)
本日、11時30分、大量にあった冬のソナタが完了しました。長かった。でも、最初の数話を見た後に母に話した結末とほぼ同じ展開で。ドラマやら映画やらを見まくっているとちょくちょくこういう結末やら展開やらが見えるということが起こりますな。面白かったわ。でも、泣きすぎじゃないですか?登場人物。ここではぐっと我慢して涙をこらえる方が感動的じゃないかというシーンでもぼーろぼろ泣く韓国の俳優はどうなのでしょうか。韓国人の男の人は、男らしくてしっかりしていると、クラスメートの韓国人女子どもがよく言っているのですが、あのドラマの中の韓国男性は、どーなんでしょう。泣きすぎです。ぽろぽろと良く泣きすぎです。しかも、なぞなのが韓国俳優たちの涙はなぜあんなにまっすぐ「ぽろ」っと流れるのだろうか。あれには、やや、ドーピングの疑いが。あんなに、涙ってでるものなのか。検討の余地ありですな。漢方薬かもしれない。韓国だし。唐辛子か?かもしれない。韓国だし。とにかく、日本滞在中に見終われて本当に良かったと思いますが、今後もし、美しい日々とかも見ろといわれても、もう見るのはやめとこうと思っております。しかも、このDVDの流れまくるおばちゃん同盟というものの底力と恐ろしさを痛感しました。韓国ドラマの視聴者って、ほぼおばちゃんでしょうから。今までは2,30代女性をターゲットにして商品にしてもドラマを作っていたのでしょうがおばちゃん、恐るべし。母いわく、韓国ドラマのストーリーは全部一緒よーだそうですが、そこまで分かっていながらDVDまでそろえちゃうその情熱は何でしょう。事故、マフラー、ネックレス、記憶喪失、貧富の差、などがキーだそうで。おばちゃんは、冷静に分析しているように見えてぜーーーんぶ一緒とか言いつつはまっている母が愛らしい日々。
2004年12月02日
コメント(0)
いつもどこかで一人ぼっちだった。気がつけば愛想笑いばかりを覚えた。君を知って君がそばにいて二人の楽しさを知った。二人の楽しさを知ったら一人ぼっちはますます怖くなった。この街で一人で泣いたあの夜を思い出したら一人ぼっちがますます怖くなった。もし、君がいなくなってあの夜がまた訪れたら私はもう眠れない。もうあんな思いはしたくない。暗い部屋で何も出来ずに泣くことすらも出来ずに冷蔵庫にもたれて窓の下に座り込んでただ、誰かが来てくれるのを何日も待った。何も出来ずに泣くことも出来ずに冷たいキッチンで誰かが来てくれるのを待った。あんな時間はもう二度とごめんだ。もう二度と一人の夜はごめんだ。君を知って二人の温かさを知って本当の恐怖も知った。失うことの恐怖を知った。夢の中で君は私に手を振って誰か知らない人と手を取り合って去っていく。何度呼んでも泣き叫んでも君は戻らない。目が覚めると私は枕をぬらすほど泣いている。君が去っていく夢に私は毎日泣いている。もう二度とあんな夜は来ないことを祈って。けれど、無力さを冷蔵庫にもたれかけてただ、祈っている。君がいつでもそこにいてくれることを。振り返れば明け方の光の中に君の背中があることを。いつも君の背中は軽くたたくとくるりと動いて君の顔が現れることを。一人ぼっちの夜はもういやだ。君のいない明け方はもういやだ。泣きつかれて目を覚ますとじーっと低い音がする。耳を澄ますとじーっと低い音がする。冷蔵庫が泣いている。一人ぼっちの夜は寂しいと。冷蔵庫は泣いている。君のいない夜をすごすくらいならもうこの街から出て行こうとそっとささやく。じーっと、冷蔵庫の音がする。たった一人の夜に私と一緒にいた冷蔵庫。それだけが、この街を離れるこの決意を認めてくれた。冷蔵庫はじーっと泣いてこの街を離れる私の背中を押した。一人ぼっちの夜。冷蔵庫が泣いている。
2004年12月01日
コメント(0)
昨日、かなり貴重な体験を裁判所でしまして。ああいうのって、テレビと本当に同じなのね・・。コメントを求められても、格好がなかなかに侮って油断していたのでスカートに、白ピンクグレーの横じまセーターで、明らかに場の雰囲気と合っておらず、一人だけポップ。すごく暑くて汗だくなのにセーターになるわけにいかず、黒いジャケットを胸元までしっかり閉めて、真っ赤な顔をしておりました。いやー。結構、貴重な体験だった。裁判所の公衆電話から国際電話ですげーくだらない会話したのもきっと、あの裁判所始まって初めての人物だろう。あの公衆電話に刻まれた記録ですな。などと、大げさに言ってみる。次にやりたいのは「無罪」とか白い紙に墨で書いてダッシュで走り出てくることかしら。世の中、ぼちぼち生きているといろんなことがあるもんだ。今日もちらりと今度は簡易裁判所にいって書類とか出さないと。うまいこと受理されるのか不安だなー。ちなみに昨日の日記は、描写されていた本人は削除を強く希望しているので絶対に削除しないことにしました。なんだったら、もっと加筆してやろうかくらいの。いい感じに、元気な時の意地悪が戻ってきており、自分自身ではほっと一安心。向こうは、逆に困っているでしょうがね。ふふふ。人生ぷかぷかーと生きていくのがきっと一番良いのだわ。考えすぎて、目の前にある面白いことを見逃している。見逃していると言えば、ここ数日韓国洪水に浸っている母から強制された「冬ソナ」を見ている。日本にいた時から散々ビデオで見ろといわれて面倒くさいので見逃していた、あれ。家に帰ったら立派にDVDへと進化しており、毎日見せられております。いや、つっこみどころが一杯あって展開も予想して8割がた当たるというのは実に面白い。昔の昼の1時とかにやっていたドラマとかある意味、かつての日本映画の真髄を見るようで昨日は6時間も見ちゃいました。これは、客観的に見ても楽しんでいるといえると思います。まあ、はまっているというよりも、続きがもう、果てしなく気になるという感じで。って、それを世間一般でははまっているというのかしら。まあ、よし。ちなみに、ぺ様よりも女優陣を見るのが楽しい。あの、気の強いデザイナーのお友達中山忍さんに激似じゃないですかね。どうしても、中山忍さんに見えるんですが。主役の女優さんは、高校生時代の長い髪の毛の方が、一世を風靡したというあの髪より大人っぽく見える上に似合っている気が。回を重ねるごとに、女優がつるつるぴかぴか美しく若返っていく不思議なドラマ。あと、回を重ねるごとに、衣装が豪華になっていく。主役の女優さんとかすごいコートの枚数が増えたし、なんか、視聴率ってのはこういうところでドラマに予算を与えてくれるのか、と。ひねていますが、ドラマ面白いので普通にわくわく、毎日見ているんですがね。
2004年11月30日
コメント(0)
昨日、多大なるご迷惑をおかけしたY氏のご両親にお詫びをすべきと、月曜の午後、東横のれん街で仕入れた固焼きのおせんべいと、たねやの栗きんとんをお土産にせっせとご自宅へ。父上はお仕事でお留守だったけれど、母上と妹ちゃんがご在宅で。この時点で、私の心臓は16ビートぐらいのことに。けれども、母上も妹ちゃんもいい人で気さくにお話してくれて、すっかり女子三人でケーキやくりきんとんや甘いもの大会になっておりました。母上は普段二人でどんな話しているの、から私の大学時代の専攻に関してやなぜ、ニューヨークなのかなどなど、いろいろするどい突っ込みを交えつつ質問の嵐で。頻繁に喧嘩するの?の質問には残念ながら、結構しますと正直に答えると理由は?ということで、これまた正直に「Y氏が気遣いと言う名のうそをつくんで」などと、本人の実の母上に、何言っているのってぐらい正直に答えてしまいまして。でもまあ、お夕飯を一緒にと誘っていただきまして自由が丘の隠れ家的和食やさんへ。もうねえ、泣けるほどおいしかったっす。日本に帰ってきてまじめによかったと、初めて実感。おいしいものは心を解かすのですな。日曜日にちらりとお会いした父上も、母上も妹ちゃんもすごい明るくていい人で奴がのほほんとした中にも、あんな風に穏やかでものすごくやさしい人間に育った理由を垣間見た気がした。あったかいおうちで、気さくではきはきした母上と、にこにこ笑って、気持ちの良い会話を返してくれる妹ちゃん。おい、お前。幸せものだな。江戸っ子風を吹かせて憎まれ口ばっかり利いてないでたまには素直に家族への感謝の気持ちを言葉にしなさいな。でも、君も君の家族も素敵ね。
2004年11月29日
コメント(0)
もし、もう一度あなたに会えたら言いたいことがある。どんな思いよりもどんな記憶よりもどんな成功よりもどんな利益よりも君がほしい。どんな悲しみよりも喜びよりも痛みよりも祝福よりも君がほしい。大好きだよと。言いたい。
2004年11月28日
コメント(0)
源氏物語占いをして、私の結果は葵上で。びっくりするほど、当たってました。そう、いつも何を言われても平気な顔してへらへらーって笑いながら、その実、必要以上に傷ついて我慢我慢って思いすぎて、ぴりっと我慢の限界が切れるとヒステリーのようにがーーーーーーーーーーーーーーーーっとなる。今現在の私、そのままじゃないですか。びっくり。でもなんか、ちゃんと救ってくれる源氏がいるようで、どんなにしんどくても、一緒にいれば金運も健康運さえもあがっちゃうなんて。信じる信じないとかじゃなくて、たまには占いのこういう流れにそーっと身を任せてぷかぷか流れ着いてみようかしら。私のヒステリーすらにこにこと受け止めてくれる源氏の君のところまで。ぷかぷかぷかーとたどり着いたらふふふ、それはいいな。99.2%の相性なんて、うそだろと笑いつつもぷかぷかぷかーに拍車がかかっちゃうじゃないね。ぷかー。
2004年11月27日
コメント(0)
人を信じることは難しい。信じることとはつまり、いつでも他人ではなく自分の信じる心に自信を持つことだから。だから難しい。特に私には。昔私は何でもかんでも信じていた。信じることがよいことで疑うことは醜いことで信じていれば世の中は私に優しくしてくれると思い込んでいた。けれど、一度、二度、そして数え切れないほど信じたことの悲しい結末を知り、情けない私は信じることから逃げ出した。今も、信じることが恐ろしい。裏切られるということそのものよりも信じたことをもう一度悔やむことが怖い。信じた自分をまた大嫌いになることが怖い。そして、だれかを心底恨むあの気持ちだけはもう二度と味わいたくない。だからつい、信じる前に疑ってかかる。そして信じる前に逃げ出そうとする。そのことを怒られても罵られても時には悲しげに恨まれても。もう、二度とあんな思いはしたくないから。今度あんな思いをしたら自分がどこまで壊れていくか想像すらできないから。けれど、信じてほしいと言ってくれる人々がいて私の弱気なわがままに何度でも耳を傾け心を開いてくれる人がいて。今はどうしたらいいか、分からない。人は誰でもいつでも裏切るものだから。期待もしないで信じないことが楽なのに。つい温かいやさしさに触れると信じてみたくなってしまう。傷つくことが怖いのにその温かさを心底感じてみたくなる。そして、一歩踏み出して少し傷ついて何十歩も後ずさりする。悪循環。誰かを信じることが難しいのは自分を信じることが難しいからで。自分を信じることが難しいのは私が私のことを好きになれないからで。いつか誰かが言っていた。自分を好きになれない人は人も好きになれないと。けれど、そんなのは強い人の発言で、弱い誰かは自分を嫌いでも、それでもやさしさをくれる誰かを心から好きになれるのに。でも、強い人の言うとおり、その思いはすぐにへしゃげてしまう。信じる心のない思いは、いつも自分自身で壊してしまうから。悪循環。信じさせるならとことん。もし、うそをつくならそれもとことん。とことん、ぶつかってくるかとことん、欺いてほしい。きっと、誰かを思うのが下手なのは私がわがままだからなんだろうけれど。
2004年11月26日
コメント(0)
久しぶりの実家はそこら中、韓国ブームでケーブルで韓国ドラマとか見てて。すげえことになってるわ。こわいわあ。ちなみに母には冬のソナタを見ろと半ば強要されており、近々すべて見ることになりそうです。暇だし、TSUTAYAにでもいってDVDでも借りて見まくろうかと。ひまだー。さみしいずら。
2004年11月25日
コメント(2)
約一年ぶりの帰国。一時的なもので二週間もすればまた恐怖の半日フライトなのだけれど。久々の我が家はなかなかよいもので。親戚の赤ちゃんがやたらと育ってて、忘れてしまったかなーと思っていたらしばらくしたら思い出したのか「んちゃん、んちゃんはぁ?」と私の姿が見えないと探し回ってくれたりして。なんだか、ちっちゃい手とかがいとしく。近所のチェーン店の薬局まで人込みかき分けお散歩してきました。親子に見えるのかなーと思ったけれどうちに帰って母に聞いたら「あなた、向こうにいってさらに子供っぽくなったから親には見えないわね。逆に不審者に見えるかも」などと、相変わらず江戸っ子的きつい発言がこれまたうれしかったりする娘なのでした。ちなみに関係ないが、日系の飛行機会社を使ったのになぜか、フライトアテンダントは私を見ると英語で話しかけてくる。周りの日本人にはきっちり日本語なのに。というか、周りの日本人たちもなぜか私には英語で話しかけてくる。そんな。。。中国人っぽいですか。チャイニーズアメリカンぽいですか私は!なぜか、9割以上日本人なのに、私の隣は外国人ばかりで。だからかなあ。早速髪を切って少し日本人ぽさを演出。帰るまでに日本人ぽさを取り戻したいわけです。でも、NY。離れてしまうと淋しいなあ。くすん。
2004年11月24日
コメント(1)
世の中にはなんでこんなにいい人が沢山いるんだろう。そんなことを最近思う。少し前に引越しをした。移る場所に関しても、荷物の事に関しても移動そのものに関しても。沢山の人が笑顔で協力してくれた。今映画の手伝いをしている。キャスティングにしても撮影場所にしても小道具その他、ありとあらゆる全て。沢山の人が喜んで手伝ってくれている。数日前から風邪を引いている。薬にしても体調にしても学校でも家でもみんなが気遣ってくれる。何か出来ることはないかと声をかけてくれる。なんでだろう。私は今まで何をしてきたかといえばいつも猜疑心が強くて疑う心で全てはコントロールされてこんな風にまったくの笑顔で人に優しくしたことなんてあるだろうか。人を気遣うことはある。心配することもある。声をかけることもある。でも。根本的に何か違う。私の笑顔はこんなに優しくなかったはずだ。私の声はこんなに温かくなかったはずだ。何か分からないその何かが全く違うんだ。すごく気持ちが良いんだ。一体この人達はどんな風に生きてきたんだろう。一体どんな風に生きていけばこの人達みたいに優しくなれるんだろう。どうすればあんな風に笑えるんだろう。自分の小ささを痛感した。ちっぽけだ。私の小さな意地なんてゴミみたいにちっぽけだ。私の小さなプライドなんて笑顔にはりつくカビみたいだ。すごくすごく嬉しくてでも途方もなく悔しい。私は負けた。白旗をひらひらさせても足らないぐらい大負け。なんて、結局意地を張っているけれどつまり言いたいことはみんな、ありがとうってそれだけなんだけども。
2004年11月11日
コメント(2)
窓にすぽりとおさまったクーラーの僅かな隙間から秋を越えてすっかり冷たい冬の空気が入ってくる。今日は雨が降り出した。帰り道、大粒の雨にひとひとと濡れて髪の先まで冷えてしまった。こうしてこうしてここに帰る。誰もいない場所の鍵を空けて冷え切った髪をオレンジ色のタオルでこする。少しでも温かくなりたくて。そのくせ衝動的に冷蔵庫から良く冷えた水を取り出し身体の芯まで冷やしたいかのように飲み下す。そうしてそしてここでぼんやり座っている。今欲しいものは柔らかな生き物。あっという間に寒い心を身体を誤魔化してくれるような生き物。犬のように誠実に猫のように曖昧に人間のように一心に。そのまま膝を抱え込み明日のことを思う。寒くてどうしようもない時はいつも明日のことを考える。明日を思う不安な心は寒さすら打ち消してくれるから。そうしていつも自分で作ったその不安で胸がひしひしと苦しくなっていく。ああ、寒かった時の方がずっとましだったと思うくせに、いつもいつもいつも同じことを繰り返している。そうしてここで不安に踏みにじられて君の帰りを待っている。明日を思うことよりもずっと悲しい気持ちになる。その悲しさはどこか至上の温かさに似ていて、君の帰りを待つことで寒さも不安も悲しさに変わって、そしてほっと温かくなる。だからここで天井を眺めてただごろりと君の帰りを待っている。白い天井を眺めてほっと心臓に温かい息をかけるように。そしてやがて小さな眠りが薄い膜のように覆い被さりいつしか夢の中に落ちていく。いつでも一番幸せなのはその眠りの奥底で自分の心の壁を見つめながらため息のように君を待つこと。そこはちっとも寒くないからそしてちっとも不安ではないから。ただ少し淋しいだけでその淋しさは少しだけ懐かしく思えるから。こうしてここで転寝をしていつも私は君の帰りを待っている。
2004年11月05日
コメント(0)
今日は大統領選挙の日。もう7月頃からわーわーと大騒ぎしていた一大行事にとうとう結果が出るのかと思うと選挙権のない私もさすがに興奮するものがある。誤解を恐れずに書くならばアメリカという国は都市部とその他の地域の意識格差が他の国と比べても非常に大きいと実感する。情報、認識すべてにおいてここNYと中心部などでは考え方自体がまるで全く別の国、もしくは別の惑星のように異なる。そして、中心部では情報の不徹底もあり、現大統領支持が驚くほど強い。都市部では反ブッシュの熱がこれ以上ないほど高いというのに。先日、ブッシュゲームというオンラインで遊べる上に、ダウンロードも出来るゲームを知った。そこではブッシュ政権が行なっていること、行なってきたことをイラストや文字で情報として理解することが出来る。この国は今、驚くような赤字になっている。私を含めた大多数の人がそれほどの現状を知らないまま過ごしている。そして、現在、開票が進められる中でブッシュ有利の報道がテレビから流れている。一体、この国はどうなるんだろう。この国で暮らす人々はどうすればいいのだろう。そして、この超大国が事実上率いている地球はどんなことになるのだろう。日本では自然災害によってたくさんの人が苦しみ、現在もそれは続いている。新潟にいる知人はどうやら無事であることを知り、少しだけほっとしたりする。大切な人々から遠く離れ、選挙権すらない私がことの動向を見つめている。何も出来ない自分を痛切に見つめている。私に出来ることはいったい何だろう。私がすべきことはいったい。大きな世界の中で取り残されている自分に気付く。今、私がすべきことは。大きな世界を動かす力は、いつでも小さな一歩であって欲しいと願いつつ。世界中の人が、命の危険を考えず、自分の家族の安否を愁うことなく、平凡な一日を迎え、終えられるように。小さな一歩を踏み出せる、そんな自分でありたいと願うばかり。
2004年11月03日
コメント(0)
昨日映画、SAWを見た。サスペンスとか、ホラーとかくくりが良く分からないのだが、間違い無く「こわい」映画だと思う。ハロウィーンだし、気分転換って感じで行ったけれど、鑑賞後、私の心境は地中深くめり込むほどに落ちた。これ、こわい。そして、後味が悪い。この手の映画、好きじゃない。でもオソロシク良く出来ている。全ての展開に有無を言わせない勢いのようなものがあり、納得させるに十分な「ハヤサ」がある。サスペンス物でこの「ハヤサ」のないものは得てして失敗しがちだと思う。つまり、考える隙を与えるな!まさに、この一言。でも、ディテールもかなりよく設定されていた。この映画はまだ20代の監督がかなりの低予算で作り、業界内でとても評価されているらしく、映画館には、NYUの映画関係の生徒や先生がぞろぞろいた。確かに話の展開は過去やら現在やらに行ったり来たりするし、アメリカ版呪怨「THE GRUDGE」ですら難解だと評する、大多数のアメリカ人には受けないのかもしれない。これはこれで私には恐かった。悪霊とか嫌い。恐すぎる。でも明かにその手の人が好むだけの映画ではなく、実に実に、良く出来てました。面白かった、という表現が適切かどうか微妙だけれど、息を呑むような、背筋が凍りつくような、素敵な時間を過ごせました。ちなみに、先日DVDでちらりと見た「OLD BOY」という韓国映画はTHE GRUDGEと原作者が同じでこちらはカンヌではじけちゃったらしいですね。OLD BOYは途中で寝ちゃったのできちんと観てないのですが、初盤~中盤で何となく、落ちが読めて、で後ほど確認すると実際やっぱり、って感じで。これはこれで映像は綺麗だし、座頭市並に20人前後を一回しで倒すし、面白かったのですが。「春の日は過ぎ行く」で主役やっていた男の人がなんかいまいち、この中での役にぴったりこなくて違和感を覚えたわけです。SAWの話のはずがずるずると。そんなわけで理由は多々ありますが、必要に迫られて映画をいっぱい見ています。DVD含めて。
2004年10月31日
コメント(0)
昨日、しばらくの間慣れ親しんだ家を出て、当分の間の仮住まいへお引越しが完了。慣れ親しんだ家のオーナーの帰国が来週に迫り、何でこんなに荷物があるんだーと焦りながらもどうにか。今はアストリアに滞在しています。3週間ほどして、日本へ一時的に帰国するのでその間のことも考えるときちんと引越しするのも勿体無く、手間はかかるのですが、時間をかけて良いお部屋を探そうとそういうことになりまして。環境が変わったせいか、ばたばたと忙しく過ごしていたせいか、お腹の方が調子悪く。げんなりしており。でも、たくさんの人に協力してもらい、みんなとても良い人で、ああ、素晴らしい哉人生、と思ってみたり。読む人はほぼいないこの場で極少数のこれを読んでいる協力者各位へ御礼。本当にありがとうね。住まわせてくれている君や君。荷物を運んでくれた君や君や君や君や君や君。荷物を預かってくれている君や君や君。買い物に協力してくれた君。イライラをぶつけても心やさしく受けとめてくれる君。心より感謝しています。ありがとうね。君たちに何かあった時に、すごく力になれるような何かを持った自分でいたいと思う。頑張ります。話は変わって、明日はハロウィーンです。地下鉄の中で、色んな人を見かけました。恐かったのは黄色いアフロ風被り物にシルバーメタルのマント、中にはなぜか子猫柄のTシャツでまたまたなぜかギンガムチェックのパンツ、で、アフロ部分には同じく黄色の電飾。たぶん、恐い系の仮装ではないはずなのだが、その男のコ(人かも)が、中国系路上パフォーマーの中国系楽器とエレクトーンのセッションを見ているその視線と顔があまりに感情の色が無く。ポップな装いと顔のギャップが逆にホラーで。でも、真剣に演奏を聴いた彼は徐に彼らの前に置かれた籠の中へチップ。あの表情は感動というか、聞き入っている顔だったのか。というわけで、恐いのは悪魔やどろどろの仮装より人間の素の顔だということで。ハッピーハロウィーン。
2004年10月30日
コメント(0)
戯れに撮った写真。撮られた写真。まるで、子供です。どうしちゃったのでしょう。最近、特にこちらに引っ越してきてから若く見られることが多いのですが。うーん。前髪があると更に。若いというよりもこどもっぽい、ですね。何についてコメントしているかと言えばプロフィール参照。
2004年10月09日
コメント(4)
二年半も経って初めて鑑賞。いや。よく練れてますね、これ。楽しめたわー。見ていて思い出したのだが、公開当初、とても仲のよい友人にお前はほんと猟奇的な彼女と同じだと言われたものだ。何がと尋ねると、顔とスタイル以外全て。とのことで。その時は映画のヒロインだし、顔は似てなくても、似ていて悪くないだろうと内心まんざらでもなかった。つーーーーーーーーーーーーか、これ、顔が可愛くてスタイルがいいから許されているんじゃねーか。これ、外見が丸で似てなかったらただの横暴な女じゃねーか。と、今更気がつきました。そして、胸に手を当ててよーく考えてみたら。出てくること出てくること。身に覚えのある横暴の数々。乱暴の数々。そういや、似ていると言われた時も奴は「どこがって、極当たり前の顔をして 強暴なことをし、しかもその後 満面の笑顔。似ていないわけがない」と。ああ、誉め言葉だと思っていた自分がなんとも単純で愛しい。そういえば、居酒屋で隣に座った団体に説教したことあるなー。泥酔して道端で倒れたことあるなー。更に泥酔して電車の窓からはいたなー。表参道の植え込みにもはいたなー。下北近辺の路地で3時間ほど寝てたなー。UFOは未来のタイムマシーンだって力説したなー。ああ。酒癖の悪さと横暴さと思いこみの強さ。ああ。みんな。酔って絡んでごめんなさい。蹴ったり噛んだりして殴ったりしてごめんなさい。もうしません。たぶん。
2004年10月08日
コメント(0)
瞼の裏に浮かぶよなそんな浅いイメージじゃなくて開いた目の前にしっかりと浮かぶような消えない影に脅かされる。ならばきっと目をつぶりさえすればその影も瞼の裏の暗闇にオレンジ色に溶け出すのではないのか。けれど影はオレンジよりも薄くてまるで光のようにオレンジを浸食する。消えない影に怯えて瞼の裏のオレンジを嫌いになってしまった。明るい朝の黄色い光も影によってわずかに濁り起き上がる頭を枕に縛り付ける。さようならをきちんと言えばよかった。いつのまにか心から消そうとしても影がこびりつく。だったらさようならときちんと言えばよかった。もう二度と近寄ることのないその心と握手して笑い合ってさようなら。瞼の裏の影にそう説明しても影は聞こうともしない。夕暮れの中で影を同じ色に溶かしてこのままどこかへ置いていきたい。それが出来ないならせめて夕暮れの色の中で少しでも消えない影を忘れてしまいたい。この街の夕暮れは潔すぎて色がないから。染めるべき色がないから。瞼の裏のオレンジをほんの僅かにでも明るくしたくてうっすらと目を開ける代わりに白い空を思い浮かべた。オレンジが白くにじんだ。
2004年10月07日
コメント(0)
晴れた空を見上げると大きな月群青色をオレンジに染める街の明かり月の中のウサギはウサギには見えなかった懐かしいあの餅つきをするウサギは地球の裏側にいるのだろうかウサギのいない月を見てここが家族から遠く離れた異国だと実感したアルファベットの飛び交う景色もありがとうの言葉への懐かしさも私を淋しくするものなんて一つもなかったのにウサギのいないあの月がこんなに心をくすぐるなんて群青色の空の左隅で薄緑に輝くウサギのいない月月の右下は消えることのない街の明かりでオレンジ色に染まっている青よりも蒼い空の下で月の裏側を思っているあなたが見ているはずのウサギがはねる月君が見上げているはずの同じ群青色の空風が肌を撫でていく冷たい指先が通りすぎていくレンガを這う蔦がわずかに色づく寒空の下でも青いはずの蔦が凍える手を温めてくれるうちにかえろうウサギのいない月を眺めてうちにかえろう
2004年10月06日
コメント(0)
雨だけれど、肌寒いけれど温かい日がやってきて、身近なものを手に取るだけでこみ上げてくる柔らかさがあって。けれど同じくらい恐くなる。手にしたと思った瞬間から人は何かを失っている気がするから。今感じたこの柔らかさは次の瞬間にはもう目の前から消えているかもしれないから。恐くなる。温かさも柔らかさも自分では得られない。誰かが与えてくれるもの。そしてそれは私が人に与えられるもの。自分では得られない悲しみと人に与えられる喜びがいつも同じ場所にあるように。この時間の満たされた思いとそれを失うことへの恐れは同じ場所にある。どちらをより味わい、どちらを見つめるかで世界の色が変わる。匂いが変わる。逃げられないことならばこの温かさを喜ぼう。自分では作り出せないのならば与えてくれる人を見つめよう。そして、同じものを同じ柔らかさと温かさを人に差し出せる自分でいよう。人を傷つける心と同じ心できっと誰かを温められる。人を傷つける言葉はきっと身体を温める火を起こせるだろう。今ある恐れを、楽しもう。それはこの柔らかさと同じなのだから。この温かさが落とした影に怯えているだけなのだから。同じ世界も見る心で色を変えていく。匂いを変えていく。雨の日はここで。
2004年09月08日
コメント(0)
全288件 (288件中 1-50件目)