MICHELのスケジュール

PR

×

プロフィール

MICHELKO2005

MICHELKO2005

バックナンバー

2026/10
2026/09
2026/08
2026/07
2026/06
2026/05
2026/04
2026/03
2026/02
2026/01
2006/09/11
XML
カテゴリ: 臨時ニュース
吉永正人 (よしなが・まさと)氏が11日午後0時51分、胃がんのため死去した。64歳。鹿児島県出身。通夜は13日午後6時から、葬儀・告別式は14日午後0時から茨城県美浦村美駒2500の2、美浦トレーニングセンター厚生会館本館で。
yoshinaga3.jpgyoshinaga1.jpg
喪主は長男で JRA騎手の護 (まもる)氏。
mamoru4.jpg

1961年に騎手デビュー。82年にモンテプリンスで天皇賞・春を制し、83年には後方一気の追い込みを得意としたミスターシービーとのコンビでクラシック3冠に輝いた。8大競走(当時は格付けがなく現G1レースに相当)で6勝を挙げるなど、2753戦で461勝(うち重賞37勝)を挙げた。89年から調教師に転向し、98年の中山大障害・秋を勝つなど199勝をマークした。
yoshinaga4.jpg
減量苦と闘い、ミスターシービーで3冠制覇の偉業を達成した不屈のホースマンが静かに逝った。吉永氏は1カ月前から千葉・柏の国立がんセンターに入院。胃がんの治療が続けられたが効果はなく、数日前に自宅に近い茨城県牛久市の病院に転院していた。

 前日の夕方、中山競馬の騎乗を終えた長男・護騎手が見舞いに訪れた際は元気そうな様子で、「そろそろ帰るよ」と病床の父に声をかけると「うん」と返事が返ってきたという。ただ、11日朝になって病状が急変。護さんや長女悦子さん、二女泳子さんら親族にみとられて安らかに旅立った。護さんは「痛みが激しかったのに、これまでよく頑張った。今はお疲れさまと声をかけてあげたい。3冠も獲ったし幸せな人生だったと思う」と静かに語った。

「気がつけば騎手の女房」の作家、吉永みち子さんは元夫人。 michi1.jpg.JPG

今日の久々KIE(1年ぶり)のライブの最中に義母みち子から電話がありお父さんが癌でなくなった。ガンセンターに移ったが発見された時はもう末期だったらしい。
護に代わるねと言われ電話に護がでたんだけど・・。

(はい!)
こうゆう時ってなかなか言葉がでない。
今日のライブにも競馬ファンや馬主さんらが来ていたが、そっと耳打ちしておいたわ。

義父とは面識はないけど・・。
このところ護も1着よくやってたし・・。先週11番人気で3着まで持ってきた事には父も喜んでる事でしょう。
護がデビューのころ落馬で骨折しているのに残りの騎乗するレースでろ!と親父に言われ涙ぐんでる護を見た母みち子は怒鳴り込んでやめさせた事。
学校帰りに犬に噛み付かれ血だらけになって帰ってきた護に (噛まれるお前が悪いんじゃ~) とビンタを食らわした事。
いろいろ聞いてるが、厳しい父だったそうだ。
護はその父を先輩・騎手としてはものすごく尊敬してたけど・・父親としてはものすごく嫌っていた。
護の母は彼を産んでから亡くなって、すぐに父親の実家の鹿児島にあずけられた。
この子をここにおいておいたらだめになる・・ と思って勘当覚悟で引き取ったそうだ。
姉も2人いるがばらばらになってたのを引き取りいきなり20代で3人の子持ちになった。
姉も飯食べるとき壁に向かって食べているくらいの狭心症になっていたそうだ。
いきなり3人の子供を育て自分の仕事もこなしてた義母みち子には関心するわ。

まだまだいろいろ昔の話を聞いたけど・・。護は本当の母の愛もわからず、父の愛・・すべてに対する愛がわからぬまま育ってきた・・。ただみち子の愛だけには受け入れていたようだ。


私には気を使わなくて付き合えると思ってたみたい。

喪主としてりっぱな姿をみせてあげる事が親父に対する最後の親孝行かしら??
冥福をお祈りします・・・。
おつかれさまでした・・・。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006/09/12 01:30:59 PM


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: