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わたしの中でつらかった記憶を消そうとする防御機能が働いているせいか、最初の流産のことはあまり思い出せません。自分では仕事を続けながらの治療は無理があると割り切ってやっているつもりでしたから、残念な結果に終わってもそれはそれと割り切る自信はありました。でも、流産という結果に終わって深く傷ついていたのかな。自分が考える以上に罪悪感がわたしの奥深くに根付きました。誰でもそうだと思いますが、初めての妊娠というものの喜びは、「ああ、女性に生まれてきてよかった」「わたしも母になれるんだ」という思いでいっぱいになる。わたしもそうでした。急に体温が高くなって、まさか?と思って病院に行くと案の定・・。治療を始めて五年でやっと授かった子。苦しい治療を続けてよかった。でも、あまりぴんときませんでした。長い間治療をしてきて、長い間子どもに恵まれなかったのに本当に出産できるんだろうか?これは何かのいたずらではないだろうか?何かの間違い?でもどうにかなるとそのときは思いました。みんな妊娠して、みんな無事に出産している。どうにかなる。親孝行な子でつわりもほとんどなく順調に進み、妊娠九週に入った時、仕事中に微量の出血に気づきました。わたしは恐ろしくなって早退して病院に行こうと思いましたが、不妊治療のために頻繁に早退させてもらった前科があり、書き入れ時に「早退させてください」という勇気は持てませんでした。仕事をしている人ならわかると思いますが、自分の都合でそんなことが言える雰囲気は職場にはないと思います。サービス残業が数日続き、その間病院に行くことができなかった。そして深夜、出血と激痛に襲われ、搬送しようとする夫の車の中で・・。普通、流産する子は遺伝子疾患をもっている場合が多いそうです。流産した胎児をセンターで調べてもらいましたが「原因不明」というお返事でした。わたしはその時、心に誓いました。今度妊娠したら仕事を辞めてでも病院に行こう。子どものために自分の体を大切にしよう。
Jul 16, 2005
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仕事をしている間だけ子どものことを忘れていられるわたしです。子どものことと言ってもわたしにはまだ子どもはいません。不妊治療で二度妊娠の喜びを知りましたが、二度ともお空に子どもを返しました。二度目の流産の時、もう子どもを死なせるための治療はたくさん、と思いました。こんなつらい思いをするくらいなら一生子無しでもいいと真剣に思いました。治療は痛い注射の連続で緊張とストレスは極限にまで達し、それでも子どもが授かればという一念でやってきましたが、結果は子どもに苦しい思いをさせてお空に返しただけでした。わたしは不妊治療による様々な心労から台所で倒れ、手が痺れるという事態になりました。今までにも治療の副作用で卵巣破裂を起こしそうになったことがあります。不整脈・冷や汗は頻繁でした。このままでは死ぬと思いました。わたしが死ねば、お空にいる子どもたちが悲しむ、こんなことをやっている場合ではないと気を取り直して自然妊娠を望むようになりました。それで現在にいたっています。妊娠の兆候はありませんが、おかげさまで仕事は順風満帆です。仕事は専門職でなんとか食べていけるだけの収入はあります。夫はいい人で、わたしのすべてを包み込んでくれる人です。夫婦関係に不満はありません。長年にわたった不妊治療にも嫌な顔一つ見せず付き合ってくれました。夫が悪い人ならよかったと思うときがたまにあります。夫が悪い人ならさっさと治療を打ち切って、二度の流産を経験することもなかったのにと。こんなことを思ってはいけませんが、我が子を死なせてしまった断腸の思いは経験した者にしかわからないと思います。お空にいる子どもが生きていれば、今年で二歳と一歳です。一番かわいい盛りです。健康に元気に生んであげられなくてごめんなさい。でも、お母さんは、いつまでもあなたたちのことを思っているよ。死ぬまで思っているよ。みんな一緒に歳を取っていこうね。お母さんとお父さんとあなたたち。縁あってこれを読んでいる人は、毎日精一杯生きてください。子どもを精一杯かわいがってあげてください。過保護・親馬鹿と笑われても子どもを愛してください。それがお空にいる子どもたちの願いだと思っています。
Jul 9, 2005
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