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故人について、たくさんの方から話を聞きました。皆さん 故人を愛していて、生前の故人にとても愛されて ・・・切なくなるたくさんの素敵な思い出たち。でも、中には 故人に対して失望をさせられる といったような そのようなエピソードもありました。いや、故人の名誉のために言いますがもちろん、中傷とかスキャンダルとかそんなものではないのです。でも、故人に対してあまりにも素晴らしいイメージばかり抱いていた私はある方から聞いた故人の姿は ちょっと受け入れられるものではありませんでした。「そんな人だったなんて!」「ひどい!がっかりした!!!」突然 ものすごい怒りが湧き上がってきました。今まで悲しみに打ちひしがれていた心の部分がすべて燃え上がる感じ。怒りのエネルギーはかなり大きなものでした。「死んじまえ!」なんて死んだ人に言ってもしょうがないのに・・・とにかく文字通り3日3晩 私は彼に対して怒り続けました。死んだ人にこんなに怒るなんて・・・私の中では彼はまだ生きていたのですね。怒りに怒ったその挙句不意に私は 彼はもうこの世にはいないし、 生きている間 決して彼に会うことは出来ない。 彼の声を聞くことも 彼に触れることも 絶対にありえないのだ。ということを理解しました。それが悲しいとか、虚しいとか 仕方がない とかそう思ったわけではなくただ、その事実を すとんと 受け入れました。これが、ロス氏のいう「受容」の段階 なのだなぁ と思いました。きっと、怒りのエネルギーが私を力づけ現実と向き合うことが出来るようにしてくれたのだと思います。だから 怒りは大切なプロセスです。故人に(または慰めてくれる人など怒りを誘発したものに)対して失礼とか思わなくていいと思います。愛しているから、悲しみが大きいから、怒りに変わってしまうのです。今は、「どうしてあんなことでそんなに怒ったのだろう?」と不思議に感じるほど。もちろん 故人が大好きで 心から尊敬しています。でも、また ふとした局面で怒りが燃え上がったりするのかな?そしたら またまた 故人と本気でケンカをしよう。思いっきり怒りをぶつけさせてもらうつもりです。
September 27, 2007
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『テンダー・ラブ』 日野原重明著(ユー・リーグ社)の中にこのような記事があります。 愛児を失うと、親は人生の希望を奪われる。 配偶者が亡くなると、ともに生きていくべき現在を失う。 親が亡くなると、人は過去を失う。 友人が亡くなると、人は自分の一部を失う。 親しい人は、複合的な役割をなすときもあります。私にとって故人は師であり、親であり、友人であり、毎日のように会い、ケンカもたくさんしましたから大きな兄のようでもありました。存在が大きければ、喪失体験も大きくて当たり前。日野原先生の言葉に、私は悲しみを受け入れてもらいました。とても慰められました。
September 24, 2007
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愛する人の死後喪失は色々な形で何度も繰り返される気がします。葬儀にはたくさんの方がお集まりくださいました。また、その後も本当に大勢の方と故人をしのぶ話をさせていただきました。故人は生前愛する方々と心をこめた深い交わりをしていたため、彼と関わった方々皆様がその別れを心から惜しんでおられました。故人の素晴らしい生き様に改めて感嘆すると共に私は 自分の気持ちが ずぶずぶと沈んでいくのがわかりました。引きずり込まれる ・・・他者の悲しみが 私の中に何度も入り込んできました。まだ、境界線をひく余裕がなかったのですね。激しい喪失感。癒されつつある傷がべりべりと引き剥がされる感じ。日曜日が来るのが怖かった。礼拝のたびに故人をしのぶ話で持ちきりになる教会。そして それは他人の思い出であり自分の全く知らなかった故人の顔を見せられることで彼がひどく遠い存在に思え、それはとても寂しい作業でまたここで、今まで愛していた彼の姿を失うという体験をしました。そして「自分のほうがもっと悲しいのですよ」 とそうアピールしたくなる気持ちが生まれました。「悲しみのパワーゲーム」です。それは おそらく自分自身を守る心の働きなのだと思います。
September 22, 2007
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愛する人を失って2ヶ月。一言で「悲しみ」と言ってもそこには複雑な要素が絡み合っていくことを知りました。また、一人の人の死による喪失というのも一種類ではなく、繰り返し繰り返し失い続けるという感覚を味わっています。カウンセラーの立場からみますと、今の私の心の状態は まさに「宝の山」(笑)です。ゆっくりと、時間をかけて書いていこうと思っています。この2ヶ月間「死」に関する本を読み漁りました。そして、たくさんの素晴らしい発見があったことを感謝します。「永遠の別れ」 (エリザベス・キュープラー・ロス著) の中で書かれていますが、悲嘆には次の5段階があります。 1 否認 事実そのものの否認ではなく、象徴的な否認。 たとえば、葬儀を執り行いながらも「死んだはずがない」と感じる。 麻痺状態 無感覚 ・・・ 心を守るための恩寵 2 怒り 怒りは感情の嵐の最前線にあるもので、怒りの背後には様々な感情が隠れている。 治癒のプロセスに必要不可欠な状態。 思う存分出し切るほうがいい。(周囲の人は、止めずに怒らせて上げてください) 怒りは何度も顔を出す。 3 取引 ありとあらゆる「もし・・・だったら」(神との取引) 「○○をするから故人を返してください」 「夢でありますように」 「せめてこれ以上の悲劇が起こりませんように」 「故人が天国からいつも見守っていてくれますように」 「天国での再会を約束してください」 など。 現実に適応するために必要な時間 4 抑うつ 引きこもり 虚無 無気力 憂鬱 恐怖 孤独 精神的疾患でもなんでもなく、 当たり前の状態であることを本人も周囲も理解することが大切。 治癒に必要な大切なステップ。 5 受容 現実を受け入れ、その新しい現実が今後永久に続く現実であることを認める。 この5段階はあくまで枠組みのひとつで、 すべての人がこの五段階を通過するものではなく、 またこの順番どおりに通過するというわけでもないということです。死別を体験した方の本に共通して書かれていたことは「悲しみは必ず治癒される」ということ。そして、悲しみを超えた先には必ず大きな幸せ、喜びがある という言葉でした。それは大きな励ましです。 やがていつの日か心の晴れる時がこようとは、今は夢にも思えないことでしょう。 けれども、それは思い違いというものです。 あなたはきっとまた幸せになれます。 この確かな真実がお分かりになれば、今の惨めな気持ちが少しは和らぐはずです。 私は自分自身の体験から申し上げているのです。」 アブラハム・リンカーンの言葉 『愛する人を亡くしたとき』(春秋社)より) by はなみづき
September 21, 2007
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久しくブログをお休みしていました。少しずつ 復活です。私たちはこの夏 大きな悲しみを経験しました。このカウンセリングセンターの責任者であり我々の指導者であり、また教会の牧師である人物を、天に送りました。それは本当に突然のことでした。私が最後に生きている彼を見たのは、亡くなるわずか9時間前。その時は 元気にキビキビと また、いつもどおりの明るい笑顔でそこには別れの予兆のかけらもありませんでした。それから2ヶ月。私たちの中には様々な葛藤がありました。このたび、その心の内を記録に残しておきたいと思うようになりました。自分の心を探ってみたい。それは、私自身にとって大きな慰めであり、新しいステップであり、また、たくさんの気付きを得ることになるのではないかと思うのです。私は、当カウンセリングセンターの一員であり、責任者ではありません。個人的な日記になると思います。ご了承の上、お読みいただけたら幸いです。多くの人にとってそうでしたが、私にとっても、彼はとてもとても大きな存在でした。11年前、私は彼との出会いによって大きく人生が変わりました。自分を心から愛せるようになり、また、人を自分と同じように愛することが出来るようになりました。彼は 本当に太陽のような人で、いつも穏やかで優しく、謙遜で献身でした。私は 心から彼を愛していました。彼を支えにして生きてきました。その彼が 突然 死んでしまった。信仰者でも、カウンセラーでも、いきなり 死に向かい合ったら 震え上がります。ましてや 私など 本当に未熟な者。悲しみに押しつぶされて、胸がつぶれそうでした。2ヶ月間 一体どれほどの涙を流したことでしょう。今でも、涙が止まらなくなるときがあります。悲しみには底がないのかも ・・・ ずぶずぶと底なし沼に沈みこみ、永遠にそこに身を浸していられたら、なんて、そんなことを考えることもあります。おそらくこれは「抑うつ」の状態。悲しみには段階があります。次回は 少しそれに触れたいと思います。 by はなみづき
September 20, 2007
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人ってさ勝手だよね~~結局みんな自分のことしか考えていないんだもの普段優しい顔をしていても一枚剥けば エゴばっかり「何でも言ってね」なんて言ってるくせにいざとなったら 逃げちゃうんだ「愛してる」っていうのは「愛して欲しい」って意味みんな みんな 自分が 自分だけが可愛い人は 自分の寂しさを支える道具で、それでいいんじゃない?だから素敵なんじゃないの?
February 20, 2007
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人はみんな「確かなる居場所」 を求めているような気がする。自分がそこにいていい場所。自分が望まれていて、自分もそこに居たくて何をしても 何もしなくても 責められもせず、引け目も感じず快適で安心で間違いのない そんな場所。どこにあるんだろう?ほかの人にはあるのかな?両親のそば?確かにお母さんは子供をかなりありのままで愛してくれる存在だけどやっぱり条件がついたり、期待が見えたりあきらめや転嫁や 色々なものが鼻について時々逃げ出したくなる。それにね もし、完璧に理想どおりのお母さんだったとしてでも、お母さんって普通 自分より先に死んじゃうよね。そしたらどうするの?じゃあ、恋人?うん。恋人と居るととても幸せ。満たされて豊かで至福のときでもでも、ずっとそのままではいられない。求めるものと受けるもの求められることと与えられることの違いに、時には孤独のふちまで追い込まれてしまう。なら どこにあるの?確かなる居場所って どこにもないの?ううん。ちゃんとあると思うよ。それはねそれは 「自分自身」 自分を受け入れてくれる自分自身の自分への愛。そこがあなたの本当の居場所。確かなる居場所。そんな風に私は思うよ。
February 1, 2007
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素敵なドラマだと思います。ご覧になっている方も多いのでは?草なぎ剛君が自閉症の青年に挑戦。見事な演技力です。主人公、輝(てる)君にぐいぐい引き込まれてしまいます。輝君は動物園の飼育係。はじめは同僚たちから馬鹿にされたり、邪魔にされていたのにいつの間にか、皆 輝君の味方になってしまいました。輝君の存在で皆が変わったのです。いや、変わったのではなくて、本来の自分を取り戻したのかも知れません。優しさを自然に表現できるようになりました。私たちは強く、また優秀でありたいと願いますが、強さでは人を包むことはできないのかもしれませんね。弱さや恥ずかしいほどの人間らしさ そういったものが、誰かを救うぬくもりに変わるような気がします。「バカになる賢さ」 そのようなものを身につけられたらいいな と輝君を見ていて感じました。 BY まっちぃ
November 30, 2006
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久しぶりで日記を書きます。季節は すっかり秋から冬の初めになりました。暑い夏の日、太陽に向かって一生懸命、彩ってくれたポーチュラカの花が、もう咲くのをやめた。赤、白、黄色、ぼたん色、ピンク 色とりどりがほんとに美しかった。ありがとう。また来年よろしくね。ゆっくり休んでください。今度は春に向かってチューリップを埋めよう。それまではスミレかな。花が好き。だんごもいいけど、やっぱり花がいい。華やかな花も、道の片隅に咲く花も、同じ美しさを感じさせてくれる。ふしぎなこと。かなしくて心が潰れそうになる時辛くて力づけてほしい時むなしくて勇気が出ない時 一輪の花がそこに在るとすべてが消える。 そしてそこにもったいないほどの心が座っている。 神の秘密というのでしょうか。花に、人は水をやり、肥料をあげることは出来る。 でも、人の手の及ばないところで完成させて花咲かせてくださる方がいる。花はそれを良く知っていて、咲ける間だけ精一杯咲き続ける。喜びを身に一杯感じながら。今日も花に教えを請う。そんな気持ちになりました。 byななかまど
November 21, 2006
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自殺しないで!つらいとき 苦しいとき思い出してあなたは一人じゃない本当にひとりきりだと思ったらここに電話してきて待ってるから死なないで!
November 9, 2006
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マザーテレサさんの詩です。主よ、私は思いこんでいました。私の心が愛に漲って(みなぎって)いると。でも心に手を当ててみて、本音に気づかされました。私が愛していたのは、他人ではなく、他人の中の自分を愛していた事実に。主よ、私が自分自身から解放されますように。主よ、私は思いこんでいました。私は与えるべきことは何でも与えていたと。でも、胸に手を当ててみて、真実がわかったのです。私の方こそ与えられていたのだと。主よ、私が自分自身から解放されますように。主よ、私は信じ切っていました。自分が貧しい者であることを。でも、胸に手を当ててみて、本音に気づかされました。実は思い上がりと妬みとの心に、私がふくれあがっていたことを。主よ、私が自分自身から解放されますように。あのマザーテレサさんでもこんな風に思っておられたのかと思うと少しほっとしますね。私たちは誰でもいつもとても愛されたい気持ちでいっぱいです。愛されるために人を愛するのかもしれません。自分を受け入れてくれる人を探して、いつも一生懸命。いい人のフリをすれば、誰かが愛してくれるかなぁ~ なんて。まずは自分を解放してあげましょう。自分が自分を愛してあげましょう。心から自分を愛することができれば、他人の愛を求める必要はなくなるかも知れません。マザーテレサさんの言う「自分自身からの解放」ってそういうことではないかな?と思いました。
November 3, 2006
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先日 『ちいろば余滴』(榎本保郎著)という本の中で次のような詩を見つけ、とても感銘を受けました。 病まなければ 病まなければ ささげ得ない祈りがある 病まなければ 信じ得ない奇蹟がある 病まなければ 聴き得ない御言葉がある 病まなければ 近づき得ない聖所がある 病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得なかった 河野進 「祈りの塔」より 病むことはとても辛いことです。なぜ自分だけがこのような目に…と思うこともしばしばでしょう。しかし、この病、苦しみは病む者だけが知りえることのできる大いなる恵みに出会うためのものと信じています。河野進さんの詩は、私達に励ましと喜びを与えてくれました。 「先生。彼が盲目に生まれついたのはだれが罪を犯したからですか。 この人ですか。その両親ですか。」 イエスは答えられた。 「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。 神のわざがこの人にあらわれるためです。」 (聖書より) BY まっちぃ
October 27, 2006
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ダニエルパウターの『Bad Day』今でも根強く人気がある曲ですね。もともとはオーディション番組のエンディングに流れていた曲だとか…ダニエル自身も泣かず飛ばずで今まで下積みが長かったそうですね。とてもすてきな歌 メロディも歌詞も… プロモーションビデオも暖かドラマです。ここで観られます。 Tell me your life's been way off lineYou're falling to pieces every timeAnd I don't need no carrying onCause you had a bad dayYou're taking one down人生なんて止まったまんまだとあなたは言うすっかり疲れてしまったんだねそんなこと続ける必要ないのに今日はひどい日だったからあなたはがっかりしてしまったんだYou work on a smile and you go for a rideYou had a bad dayThe camera don't lieYou're coming back down and you really don't mindYou had a bad dayYou had a bad dayあなたはは本当の気持ちを隠して笑顔で働くひどい一日だったのに…でもカメラには写っちゃってるよまたすぐ元気になるよ そしたら何も気にならないはずひどい一日だったね今日がひどい日だっただけ。つたない訳でごめんなさいダニエルの力強い声 とても励まされますね。「今日はひどい日だっただけ。 たまたま今日はついていなかっただけ。」ダニエルはこう言ってくれてます。「明日はきっといいことがあるよ」たとえ悲しい結果が出ても自分自身を否定しないでねたまたまついていなかっただけ。あなたはいつもすごく頑張ってる。弱音も吐かず、笑顔で。 だからいっぱいいっぱい 自分を誉めてあげてね。明るい未来を信じてあげてね。 ↓教会のお庭の花です
October 19, 2006
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10月になって私たちの地域でもごみの分別回収が始まった。分別を始めてみて 今迄のごちゃ混ぜのごみに こんなにも沢山の資源が捨てられていたのかと 今更におどろいた。 本当のごみの数倍にも膨らむ 資源ごみの袋。きれいとか 重宝とかの名のもとに 沢山の資源を使って工夫を凝らして色々な包装がされる。 本当に必要なものは中身だけなのに しかし資源の無駄遣いと思いながらも 私たちはそれを買う。 そうせざるを得ないのかもしれない。そう思うと 人は 私は 沢山の無駄に助けられて生きているな。人間関係の中で ありのままの自分を生きようとするとき 生きづらさを感じることがある。それで生き易くするために工夫を凝らす。自分を守るために、飾ったり、嘘をついたり、知恵を尽くしてそうせざるを得ない事柄に身を包む。不本意ではあるけれど どんなにか助けられ、支えられているかである。~無くてならぬものは多くはない いや一つだけである ~ のことばを思い出す。無くてよいものに囲まれ助けられているけれど やがて それらを少しづつ取り払って ただ一つの大切なものによって 楽で、愉しい、実に不安の無い日々が来るであろうと思う。今日も秋の風が嬉しい。 by ななかまど
October 11, 2006
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私は自然が好きです。だからテレビの自然観察ものなどをよく見ます。先日も昆虫の生態記録番組を見ていて感心しました。木の葉にそっくりなカマキリ、木の幹と区別のつかない蝶、特に感動したのはランの花にそっくりなカマキリ。ここまでくるとそれはもはや芸術!『擬態』は虫の世界だけではないようです。私たちの心の中にもさまざまなカムフラージュがあります。「このことは彼に相談できない。彼がパニックになってしますから。」本当にパニックになってしまうのは誰でしょう?彼と、それから自分自身!自分の中に 自分も気づかないもう一人の自分が隠れている。カムフラージュに気づくと今まで見えなかった別の世界が見えてくることがありますね。 by ラスカル
October 5, 2006
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毎週木曜日 午前9時から12時まで「電話カウンセリング」を行なっています。電話をかけてくださる方々 本当にありがとう。今までお電話下さった方々おひとりお一人のこと、覚えています。いつも祈っています。心の中は見えません。まして電話で少しお話しするだけでいったい何が分かるというのでしょう?でも、心の耳を澄まします。必死に 必死に 小さな小さな声を 息遣いを ため息を追いかけます。見えてくるもの それは私自身の心。あなたと寄り添いたい あなたを知りたい。なぜならそこに私がいるからです。「よく生きる」って難しいですよね。「悪く?生きる」方がずっと気が楽。でも、きっと本当は自分自身が「よく生きる」ことを望んでいる。だからその道を手探りで探すのです。耳を澄まして 私を聞くのです。あなたの声が聞きたい。お電話 待っています。(by まっちぃ~)
October 2, 2006
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朝、目が覚めて ふと このまま目が覚めなかったら楽だろうなって思うことがある。 これは信号だ。心のどこかでSOSが発信されてる。 そんな時私のやることはこんなこと。 深く息を吸って一気に吐き出す。プラスもマイナスも全部吐き出してしまえ! それからもう一度。今度は、もっと深く一杯に息を吸う。 そしてゆっくりゆっくり吐いていく。 頭のてっぺんから、おでこ、目、鼻、口、首、胸、腹というように段々下に息を吐き下ろしていく。 最後には足のつま先から地の奥深く、地球の裏側まで届くつもりで吐ききってしまう。 何度か繰り返してると大宇宙と一つになれる・・・と聞いたことがある。 けさ、同じように呼吸をしていたら、こんな不思議な心が座っていた。 「私は道具」 私は私が健やかに生きる為に大事な働きをする道具だということに気付いた。 私の周りにある生活のありとあらゆる道具と同じように。 全ての道具に「よろしくね、お世話になります。」と言っていた。 さあ、起きよう。 そして鏡の中の私に、「おはよう、今日もよろしくね」 と笑顔を送った。
September 27, 2006
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ここ2週間くらい、いっぱいいっぱいいっぱい泣きました。自分でもあきれるほどです。「もうだいじょうぶ。立ち直ったぞ!」と思っても次の朝 ふとしたきっかけでまた涙が出て止まらなくなってしまったりしました。泣くと疲れますね~~頭も痛くなるし、顔も最悪です。それでも出かけなければならないし、仕事でたくさんの人と会えば当たり前に笑顔になれるから不思議でした。さてさて 私も心の勉強をしている者の端くれですからそんな風に泣きながらもそれなりに自己分析をしてみたりします。どうしてこんなに泣くのでしょう?もちろん悲しいからです。では、どうして悲しいのでしょう?悲しいことがあったから…喪失感 孤独感 「どうしてこんな目に?」と思う気持ちもうこの先 いいことなんてないだろうという思い。誰がそんなに私を悲しませるの?・・・それは私の思いです。痛手を、不幸を、何度も何度も自分に吹き込んで失くしたものを大きく美化してさらに未来の苦しみまでもシュミレーションして自分にうんとうんと「かわいそう」をインプットしているもうひとりの私自身です。そうかぁ 私を泣かせるにっくき犯人は私なのか~~でもね、泣くのもいいと思う。「デトックス」っていうんでしょ?体内浄化?かなり すっきりしましたよ。涙って心のゆがみを取ってくれる物だと思うんだ。(by まっち~)
September 22, 2006
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電話カウンセリングを行なっています心の病、人間関係、不登校などでお悩みの方、一人で悩まないで電話でお話ししませんか私たちはそれらの問題を解決するためのお手伝いができたらと願っています無料の電話カウンセリングは毎週木曜日 AM9:00~12:00まで行なっています番号は042-770-1882希望される方には予約制の有料のカウンセリングも行なっています。
September 21, 2006
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