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子供を送り出した後、体調不良の私は布団の中へ。これまでのいろいろな哀しい想いが次々と溢れてくる。家族は出て私一人だし、雨も降っていることだし、ここは泣いちゃえ~・・・と言うことで思い切り泣いた。泣き過ぎて鼻がつまり、15分ほどずびずびやっていたが治った。泣いている時、自己問答。私A:そんなに悲しい?私B:うん、悲しい。悲しい体験ばかりしてきた気がする。私A:だったら人生やり直したい?何歳から?それとも最初から?私B:・・・やり直したいと思うけど・・・もういい。私A:なんで?私B:いろいろ悲しいことを沢山経験してその分、人の心の痛みを理解できるから。私A:それでいいの?引きずらない?私B:いろいろな夢を持ちながらも、大して果たせず、 全然ぱっとしない地味な人生という点ではひっかかるけど、 それもまたいいかも。 きっとそれがこのテーマかもしれないね。 心は豊かになったから。それを大切にしてこの先活かしたい。・・・と、こんな様子で繰り広げているうちに心が浮上してきて元気が出て来て夕飯の支度にとりかかる。英語教室から帰宅後に直ぐに食べられる様にだ。今月も子供は休まず幼稚園に通った。体調も少しずつ回復してきて喉の痛みや咳や胸の息苦しさもいくらか収まってきた。でも、また目はかゆいな~。
2009年01月30日
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今日見た夢も本当に疲れた。ある街をさまよっている私。すると駅のプラットホームが見える。それは実家の最寄り駅によく似ているが、なかなかホームに辿り着けず、変な建物の内部に入り込んでしまう。その内部からは3本のチューブが接続されている。それぞれ、希望の電車が到着したのみ、外のホームと連結されるが、絶えず動いており、タイミングが悪いと、接続部から外れ、体が歯車に挟まり、砕かれてしまう。最初はどきどきしながら、タイミングが合う時を待っていたが、次第にこれが無意味に思えて、この中から出ることに。最も安易な方法であるスライダーが付いているチューブに入った。・・・そこはやはり実家のある町並みのようであるがどこかが違う。薄暗く、モノクロの色彩だ。夢の内容もここから一気にホラーチックになる。人々が次々と襲われ、襲われた人は皆化け物となり、自分の心の安らぎを得るために人を殺す。しかも襲われた人間は分離をして複数になるのだ。けれども本体の魂が穢れていなければ、襲われていても無事で、分身がさまよい人を殺す。・・・こんな状態なので町中は化け物だらけ。正常な人が次々と襲われていき、追い詰められていく。そしてついに私の子供が襲われ、分離し、2体の分身が私を襲う。本体を探して逃げるが執拗に襲ってくる子供の分身。子供に殺されるか、自分の身の安全の為に子供を・・。いくら化け物とはいえ子供には手を出せない。化け物と成り果て、分離していてもそれも子供の一部。私がとった手段はもう一つの「欲」である「食欲」を満たすべく、彼女の口いっぱいに固焼きせんべいを入れて、「これ食べててね。」と言ってその隙に逃げて、本体を探した。と、今度は暗闇の中、乳白色に光る体を持つ青い目の鬼みたいな人に襲われた。と、かばってくれる若い男性が居た。その人は私に「逃げろー。」と言って私を逃がし、自分が襲われた。逃げながらそのことを悔やむ私。何故、人を犠牲にして私は逃げてしまったのだろう。どうしてその「鬼」に立ち向かわなかったのか。そもそもその「鬼」は普通の人の変わり果てた姿。何故私は・・・・と後悔ばかりしていた。今度こそ、今度こそは逃げずに立ち向かい、本当の姿を中から出さなくては・・。と夢の中で思い続けやがて目が覚めた。どーして、こんな夢を見たのでしょう??????本当に疲れました・・・。こんな夢を見るときは本当に体調が悪くなっているのです。
2009年01月29日
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月曜日こそ元気に登園したものの、その後は薬の副作用なのかとにか眠いらしく、ボーっとして火曜日は寝てしまいバレエを休んだ。この時は何と14時間も眠って起きたのは翌朝5時半。続いて水曜日も、この日は月末で午前保育だったため12時には帰宅。昼ごはんを食べた後やはり寝た。夜6時半には起きて夕飯を食べて入浴し、夜9時には眠った。そして木曜は元気に登園したが、昼過ぎに携帯電話がなり、微熱があり食欲もないとのこと。預かり保育をキャンセルし、午後のフラメンコレッスンも休んで子供の帰りを待つ。電話がかかった頃は37度5分あった熱が徐々に下がり、帰宅直前では平熱の37度2分。子供は昼間はいつもこのくらいの体温だ。逆に36度5分位だと体調を崩す前触れになる。食欲が無いといっていたが、おやつを食べ、ミネラル水で煎じた麦茶を飲み昼寝をする。鼻の薬を飲んだので、先ほどトイレに起き、その際水分補給もしたが、今も眠っている。抗アレルギー剤の副作用は本当に強い。これでも1日2回服用を1回にしている。鼻も良くなって来たので様子を見て服用を止める予定だ。そして子供と一緒に昼寝をしている私。薬は飲んでいないがとにかく眠い!!昼間が眠い。おまけに、昨日から喉が痛くなり、目もかなりかゆくボーっとしている。ついに花粉症デビューか???毎日こんなに寝ているので変な夢も見てしまう。これについは後日・・。夫にも苦言を呈してしまう。更に、「気持ち」に対してかなり鈍感な夫に怒る!これで這い上がるか、それともいつものように、私のせいにして片付けるかは様子見だ。夫は私とは異なり、家族からは何も言われず自由に育ってきた。でも、私から見れば放任で、両親がいるのに・・・と思うことも多々ある。それ故なのか、「責任」をとりたがらない傾向がある。そして遺伝もあるのか、「気持ち」を軽んじるところ。(簡単に説明すると、夫と義父、 更にその祖母は人の感情を理解するのか不得手。 その場の空気を読むことが出来ない。義祖母はその傾向が顕著で 夫はそうした義祖母に育てられ、義祖母と義母で長らく確執があった。)今回の苦言と怒りは私からの愛情の一つだ。でもそれをどう受け止めるかは夫次第である。こっちだって、体調不良の中言ったのでよりパワーを使ったのだ。・・・今日はこれで寝よう。
2009年01月29日
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完全に石鹸シャンプー&リンスに切り替えてからかれこれ2年半が経つが、この度、髪質の変化を実感した。使用しているのはポンプ式パックスナチュロンシャンプー&リンスだが、細くて猫っ毛の髪が太くなってきたのだ。乾かした後は髪が根元からふっくらと立つ。石鹸シャンプー&リンスを使用続けると旅館や日帰り温泉施設においてあるシャンプーなどがひどく石油臭く感じる事がある。勿論、考慮して自然派の物を置いてある施設もあるが、まだそこまで達していない所もある。またリンスをつけると髪のすべりは良いのだが、その分、髪が元気をなくす。やっぱり石鹸シャンプー&リンスが良い。何しろ、髪と地肌が喜ぶ。もう一つ。都心に居たとき、水道水に対する不信からずっとミネラル水を購入し、妊娠及び授乳時も飲んでいたが、引っ越してからは浄水器に切り替えていた。が、このたび再びミネラル水を購入し再び使用。すると、一週間も経たないうちに肌にまず劇的な変化が!愛用しているのはクリタのうまい水だが、何もつけなくともすうっと滑らかなのだ。普段は防腐剤なしのUVクリームのみをつけているが、より滑らかに滑るようにつく。つるつるでツヤもある。やはり、良い水が一番だ♪料理やお茶、子供に毎日持たせている水筒の麦茶もミネラル水からだ。子供も「美味しい♪」と言っているのでどうやら「違い」がわかるらしい。その感覚は大事にしよう。
2009年01月26日
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明け方まで鼻づまりと咳で寝苦しそうだった子供も一度起きると元気で咳も出なくなる。朝1番で小児科へ行き、これまでの経過説明と受診。鼻関係の薬のみを処方され、そのまま幼稚園へと自転車を走らせる。今日は年中全体の欠席が多かったとのこと。午後帰宅した子供と共に昼寝をする。最初は「遊ぶ~。」とぐずっていた子供も15分ほどで寝息を立てる。そのまま子供は18時近くまで夢の中・・・・。その後、起きて夕飯と入浴、再び布団の中に入ったのは8時半過ぎ。でも、寝付いたのは9時過ぎだ。私はその後、明日の準備と洗濯物干しとクラス委員のおしごと。たっぷり寝たのでまだ眠たくは無いが、明日も早いのでそろそろ休まなくては・・・。
2009年01月26日
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23日午後から何となく子供の様子がいつもと違っていた。起きているときも咳き込み、鼻づまりも悪化している。でもそれだけではなく、反応が鈍っている。英語教室からの帰宅後、急いで夕飯を食べさせ、いつもなら6時半には入浴するところをドラえもん視聴後に入浴し、洗髪はせず直ぐに寝かせる。そして23時半過ぎ・・・急にぐずりだす子供。鼻づまりで苦しそうだ。関節も痛いと訴える。何度もトイレに起きて布団に戻っても眠れずぐずる。枕を布団の中に入れて高くして、子供の負担にならないように腕枕をして添い寝する。日付も24日になりそして午前5時前・・・ついに発熱、その直後に腹痛と吐き気を訴えて4回嘔吐。でも、飲んだお茶しか出ない。熱は38.2度。実に8月下旬のサザンライブ直前に発熱して以来だ。吐き気と腹痛を訴え、うんうんうなる。幸い夫が休みの為、8時半には車で小児科へ移動。診察と薬処方。吐き気止めと胃腸の薬とアレグラ錠とムコダインの粉。また26日に受診することになった。医者へ行き安心したのか、子供はすうっと眠りにつく。夕べはほぼ一睡もしていない私も一緒に3時間くらい寝る。起きてもまだ苦しがっていたが、吐き気はおさまり、薬や麦茶を飲んでも吐かなくなったがまだ腹痛はしているらしい。それでも夜の10時過ぎには呼吸も静かになり眠る。25日になる頃に熱も平熱に下がり朝までそのままだ。25日は一転して元気になり、食欲も普通に戻る。が、消化の良い物を食べさせる。(子供は嫌がりますが・・・)明日は幼稚園に行くことも楽しみにしている子供。さて・・・どうなりますやら・・・。無理は禁物だしね。子供は明確で、具合が悪いときは横になり反応も鈍いが、元気になると途端にあらゆる活動開始となる。親は疲れるけど、子供はやっぱり元気なのがいいね。
2009年01月25日
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今日は何だか忙しい天気だった。朝は冷たい雨が降り、10時には止んでさあっと日が射す。気温は思ったほど上がらず、夕方には冷たい強風が吹く。午前中は今年度最後のクラス委員定例会で議題は学年別親睦会の日程と当日の内容、そしてクリスマス祝会を含む1年間の反省と感想だ。お約束のケーキも出て和やかに進むが、親睦会の日程が決められたのが今日であと3週間しかない。この時期に3週間しかないのは正直つらい。しかも、年長は予め決まっていたので尚更だ。案の定、候補の店の幾つかがダメで仕切りなおしだ。クラス委員は携帯メールでやり取りを現在も行っている。2月の金曜日の何れかに学年別の親睦会が開催されるのは毎年決まっているのだから、12月中に告げて欲しかった。更に、年中の親睦開会日は幼稚園のママサークルの会合及び食事会があり既に数十人は親睦会の食事会には出られない。せめてもの救いはあと1年あるということか・・・。明日中には店が決まるといいな・・。そうしたら即、案内状の発行及び出席確認。また同時に、担任の先生にお世話になった印に寄せ書きファイルを渡すのでその準備と原稿渡し及び回収をしなければならない!ばたばたと忙しいが、これでホントに年度末と言う気持ちになる。なんだかんだいってクラス委員の仕事は楽しかった。これも幼稚園だからかな?小学校は殺伐としているらしい。川崎や横浜と比較して遅れている気がする。小学校の親睦会欠席者は除外されるなんておかしい!!出席しても欠席しても立場は同じ。また委員長決めも1年から6年の保護者全てが対象なんて更におかしい。まして、子供が初めて入学する保護者も対象なんて尚更だ。実際、過去に子供が初入学後、直ぐに委員長になってしまった保護者がいて何とストレスのあまり入院してしまったそうだ・・。それでもやらされたという。・・・幼稚園は平和だと改めて実感。小学校入学は親にとっても新たなストレスの原因となるものだ。・・・でも、こんなのおかしいし、何かヘン!ま、とにかく今は年度末に向けての準備。1年は本当に早い!!食事会は楽しく、美味しかった♪
2009年01月23日
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これも年末年始の何れかに見た不思議な夢である。白く何かの気流が渦巻く空間を歩いている私。ふと見ると球体の大きな建物が浮かんでいる。その建物の前に行くと大きな扉がある。扉の傍らには白い服、地面まである白く長いひげを生やした人物が立っている。「どうぞ、普通に押せば開きますよ。」と言われ、扉を開く。中央に大きな階段があり、幾つものフロアに分かれている。各フロアには書物らしき物がびっしりと並んである。ここは図書館だった。案内されるまま、内部に入って行く私。館内は広く明るくパステル調の色彩である。綺麗な色のビー玉やタイルが所々にちりばめられている。その色彩は濃淡の青系と緑系だ。館内のフロアはジャンル別に分類され、調べたいテーマごとに移動して書物を探すのだが、その書物にはランクがあり、全ての人々が閲覧してよいものもあれば、ある一定の年齢に達しないと開くことすらかなわない物もあるという。更に、ある役目を担っている人しか立ち入ることが出来ないエリアもあるという。私もあるエリアに案内され、個室のような場所へと通される。そこは、先ほどの空間とは異なり薄暗く、ブルーグレーの色彩である。だが、不思議と落ち着くことの出来る空間だ。薄暗い理由は、秘密裏に活動する象徴であるという。裏があるから表が存在できる・・・表裏一体であると言われたが後は忘れた。ま、裏方に徹してね~という事なのでしょう。ゆっくり閲覧できるようにテーブルと椅子が並べてあるが、4人ごとにブースで仕切られている。しかも、本を開くのではなく、何か水晶のような球体の物を作り出し、その内部に映る映像や文字を読み取っている。一人一人、それは違う映像で熱心に見続けている。私もあるブースに通される。既に3人座っており、国籍も年齢も性別も異なる。私もどうやらある役目を与えられたらしい。それは・・・この球体図書館はセキリュティがしっかりしているがそれでも不正に侵入し、情報の書き換えを企てる一味があるとのこと。書き換えられた箇所の発見及び修復や侵入者を捕らえるのが私の役目。しかも、訪れる人々や侵入者に悟られないように隠密に行う様にと言われた。侵入者たちは巧妙でごく一部の人にしか見えないという。一通りの説明を受けて、それぞれ任務に就く私たち。すると、フロア内を瞬時に駆け抜ける黒い人影を見つけた。その人影が通った後の書物はやはり一部が書き換えられている。2件発見し、修復した私。侵入者は残念ながら捕らえることが出来なかったが、実態が無い場合も多いという。「今日はもういいよ。自由時間だ。」と言われ、明るいフロア内を散策する私。ふと窓から外を眺める私。外には綺麗な芝生の庭園が広がっている。この図書館は居心地が良く、ずっといたいと思った。でも・・・・(あれ、私・・・そろそろ帰らなくっちゃ)と思う。すると、「またいつでもいらしてくださいね。鍵は開いてますよ。」と言われ、名残惜しんで、窓からすっと出た私。そこで、目が覚めた。記憶している書物の中身は・・・見たことも無い不思議な文字でした。そしてページを読み終え、理解出来ると文字がスゥーっと消えていくのです。年齢制限があるのですが、その年齢は現在の年齢では無いようです。もう一度行きたい(見たい)と思いました。
2009年01月22日
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アメリカ初の黒人大統領が誕生した日、私は1本の映画を見た。「チェ 28歳の革命」だ。もし、彼が生きていてこの就任式を見ていたらどう思うだろう。更に・・・「9・11」から今日までの出来事、そしてあれほど彼が嫌っていた資本主義の瓦解という現状をどう捉えるだろうか。愛の重要性を説き、「偉大なる見えざる力」を信じながらも彼は武力闘争の道を選び、多くの犠牲を出していく。キューバ革命は古く、日本で言うと明治維新の頃から起きていた。キューバの人々自身が「変えたい」という想いがあったのである。その下地があるからこそ、多くの命が犠牲となる武力闘争を受け入れていく。彼自身、きっとわかっていたのだろう。ウソや邪な事に惑わされない強く正しい信念を持ち、何が今必要なのか、即行動する。しかも地位も富みも持たない無名の多くの人々であることが大切。無名の多くの人々の意識を変革し、形に成すことが本当の革命であると。21世紀、物より心が大切だと気づいた今は一段階上がり、別の方法があるだろう。今日の「スピリチュアル」ブームもその一つだと思う。でもあくまでも地に足をつけることが大切。彼が尊敬した農民のように。男性であるが故に武力闘争にこだわってしまったのかもしれない。女性ならもっと違う方法を考える。彼も託していったのだろう・・・。二人の女性の間に5人の子供をもうけた彼。凄いなぁ!!!映画の後半から2番目の妻となるアレイダが登場するが自分もいつのまにかアレイダの視線で映画を見ていた。現在、妻が綴った回想録が出版されているらしいが機会があれば読んでみたい(日本語訳があれば)。私の28歳と云えば・・・転職して平塚から銀座へと通勤するようになり、生活が激変しました。・・・彼と比較するとホントにささやかですが。
2009年01月21日
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今朝は大いに反省させられた。自分のふがいなさとまだまだ心に闇を持っていることに。昨日、子供を思い切り叱ったことが何度かあった。昨日の子供は心身ともにいつもとは異なり、それ以上に夫の態度が違っていた。夫はいつもは多少シニカルな所はあっても温かい人なのだが時折、人が変わったように冷たく、意地悪く自己中心的な部分が強調される場合がある。何故、その対処方法ついては課題の一つだが、これはまた別の機会に。とにかく「冷たい心の夫」と年頃の「我侭放題」の子供に囲まれたのだ。で、当然私の心は大噴火を起こし二人に撒き散らす。救いといえば、子供の気持ちの切り替えの素早さだった。でも、寝言で「うるさい!」と言って叩かれた(-_-;)そして私も夢を見る。私らしくいつもの奇想天外なストーリーであり、これまたよく出てくる「何かと戦う」場面。決まって私は攻撃が弱く、防御のみ。それも自分ではなく守るべき人達への防御で当然自分は傷だらけ。攻撃してくる者をどうにか無力化することが唯一の対処。それでも、必要以上に私を狙ってくる存在達がある。そして、夢の中ではあるが銃や剣等で殺されそうになる。その時私がとった行動は・・・自分のみを守る為にボスらしき相手を殺めたのだ。目覚めてからも何となく気分が優れない。夢なのに感触が残っているほどだ。(夢の中で結構壮絶な行動に出たので・・・)いくら夢の中とはいえ、自己防衛の為に「殺める」という行動に出るなんて。これでは現実の社会で起きている事と変わらない。私の中にもそうした、醜く闇の心があるのだと反省させられた。潔く受け止めよう。・・・そんなわけで(?)今日は家にこもって伝票整理。子供と夫は映画の前売り券の買いに外出。映画は春公開の映画、プリキュアオールスターズ長編。お昼は義母宅で食べるそうで私の分として一時帰宅し、パンを食べ切れないほど買っておいていった。夫の明日の朝食にとっておこう。
2009年01月18日
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あくまでも5歳児の言うことなので「微笑ましく」読んで下さいませm(__)m去年秋から「ドラえもん」を見るようになった子供。11月頃から「ドラえもんが遊びにやってくる」と言うようになった。現われるのは夕暮れ時が多いそうだが、昼間の幼稚園にも時々やってくるそうだ。かなりの恥ずかしがり屋で他の子には見られたくないそうで私の子供とこっそり遊ぶのだという。幼稚園にはその「ドラえもん」と二人だけの秘密の池があるそうでその池にはいろんな魚が泳いでいたそうだが、ある時、他の園児に見つかってしまいその池を隠してしまったそうだ。預かり保育の迎えに「あっドラえもんがやってきた♪」と言って遊具に走っていって一人で笑って遊ぶこともある。私はただそれを見守るだけだ。ちなみに、「緑星の住人たち」とは別だそうで、彼らは今も「緑星」と子供の側を行き来しているんだそうだ。子供曰く、「緑星」の人々は今、いろいろ大変な目にあっているんだって・・・。また、家の中でも出現する「緑星の住人」と違って「ドラえもん」はあくまでも野外に出現するそうだ。また出現するときの時間帯の多くが夕方だ。・・・私も小さい頃はよくその時間帯に不思議なモノをみたりした。しかも大抵が灰色や黒色の人型のモノでとても怖かった事を覚えている。おとなになってからも早朝に見ることもたまにある。(光り輝いているヒト型のモノ、透明で縁取りがヒト型に動く物体)子供の言う「ドラえもん」もその一種なのかなとも思うが定かではない。ただ、子供が「ドラえもんと遊ぶ!と言って走っていくときは私も子供の手を握り一緒に走っていく。「一人で行かないでお母さんも連れて行ってね。」と言っている。勿論、幼稚園ではお友達と元気に遊んでいるようで「今日はね○○ちゃんと・・・」と言った話も毎日聞いている。
2009年01月18日
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鏡開きも小正月も過ぎたので、デザインを変更しました。色としては・・桃色や青が混じったような紫が最近気になるのでそんな感じのものにしました。年中になってずっと緑に青や水色が好きだった子供がここにきてまたピンク色に懲りだし、更に子供が言うには私は紫なんだそうで・・。実は紫は小さいときから好きな色。5歳の頃、大人に「好きな色は?」と聞かれて「オレンジとむらさき!!」と答えたところ、「ま、紫なんて子供らしくないわ!オレンジにしなさい!!」と何故か怒られた事があります。でも、今の子供たちは紫色が好きな子が多いし大丈夫ですね。子供たちに人気のキャラクターの「ミルキィローズ」のシンボルカラーは紫だし!そして、もう一つ、気になる色が!!それは黄緑と黄色の中間色だ。何となく今年の春の色はその色と紫を合わせようかな・・と思っている。パステル系のふんわりとした色使いは子供に任せよう♪
2009年01月17日
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最近の日課として、子供は夜明け前の5時前後に目覚めてトイレに行く。当然、私も付き添いで行き、うがいをしてまた布団の中に入る。ここで起きれば良いのだが、バス2便だし・・・寒いし・・・夫の朝食は前の晩に用意しておくし・・・朝早く起きると子供も一緒に起きてにぎやか過ぎるし・・・ということでもう一度一眠り。最も冷え込む時間帯であるだけに、布団の中のぬくぬく感はたまらない!子供はぴったりと私にくっついて、やがて再び夢の中へ。その表情は実に満足げでリラックスしており、見ている私も心和む。と、えへへへ~と笑って「あ~ごくらく♪ごくらく♪」と言った。どうやら寝言を言っているらしいが、聞いていた私まで極楽気分になってくる。最も至福を感じるひとときでもある。この感覚は大切にしたい・・・。
2009年01月16日
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それは年末から感じていた事だった。私の周りに見えない壁・・・わかりやすく例えると結界の様な物があって周囲から遮断されている感じがするのだ。それは一人で静かで心穏やかに過ごすための空間。自分が「大丈夫」と感じたときのみ、一時外され受け入れ可能になる状態。上手く説明できないがそんな感じだ。場所や空間、人物に対しても少しでもある種の違和感を感じると「結界」(例えですよ^_^;)が働き、何からの隔離状態になる。「何となくいいかな」と思える時は、ふっと抜いてその場に溶け込むようにする。その際、なるべく目立たないよう極力控えめに・・・。と、ここまでだと何だか引きこもりの様であるがそれではない。「来るべき何か」に向けての準備期間かもしれない。現実的には、今年は子供が年長になり、数え七歳のお祝いをする予定。小学校入学準備もあるし、卒園の頃にバレエの発表会。そして入学後にはタブン、フラメンコの発表会がある。それとは別に「あうべき空間・人物」を探している感じがする。そしてその為の準備期間。今は黙々と、成すべきことを成しましょう。
2009年01月16日
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外に出るのがツライ日は家の中でゆっくり遊ぶ。晴れ上がれば、ガラス越しに射す日差しは暖かく昼間は暖房要らずだ。主な室内遊びはリカちゃん人形・トランプ・かるた、だ。リカちゃん人形では子供は靴からコーディネートを決めていく。可愛いリカちゃんの服も興味はあるのだが、靴の方が大切と決めているみたい。「足元を見られる」という言葉もあるし、小物もどっちがいいか聞いてくる。靴や小物まで配慮して服を決めていく。結構、丁寧に遊んでいるみたい。でも、1時間も経つとぐちゃぐちゃになって「やっつけごっこ」になっているが。トランプも「七並べ」「ババ抜き」「じじ抜き」「神経衰弱」と出来るゲームが増えた。負けると悔し泣きをするし、勝つと喜ぶ。「神経衰弱」は得意で本気でやっても子供に・・・負ける。記憶力が私より遥かによい。私が選ぼうとするカードが違うと「お母さん、ここだよ。」と教えてくれる所は可愛らしい。かるたも慣れた札は本当に速い。絵柄ごと覚えているみたいで、最初の読みで直ぐに取ってしまう。義母宅ではボードゲームも楽しんでいる。オセロはよく遊ぶ。ちなみに「チェスってどう遊ぶの?」と聞かれた。・・・どんなルールだったっけ?将棋なら実母が得意。ボケ防止の為にも呼んで相手をしてもらおう。
2009年01月14日
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このところ、月が冴え冴えとして本当に綺麗だ。こうした澄み切った月を眺めると、ちょっと不思議な話をしたくなる。まあ・・・月ということで遠い「記憶」の中にある話でもしよう。物心ついた時より、ある言葉が私の心の中にあった。それは「サンチャゴ」「カストロ」「1959」だ。まず「サンチャゴ」だが・・・「早くサンチャゴに行かなくちゃ。」という想いが何時の頃からかあったのだ。何処の「サンチャゴ」であるかは判らないが、「行かなくちゃ」という想いがあったのだ。小学校に入り、世界地図も読めるようになると、どうやら街の名前である事が判ったが、ピン!とくる都市はなかった。しかも「サンチャゴ」と「サンディアゴ」「サンディエゴ」とがあるが強い想いを抱くのは「サンチャゴ」だ。大人になると「聖ヤコブ」という意味であることも知った。年長の頃に通っていた幼稚園は教会付属の幼稚園だが、果たしてそのような話を聞いたかどうかは覚えていない。ただ、「サンチャゴに行かなくちゃ。」という想いのみ抱いているのだ。理由もわからない。二つ目の「カストロ」は朧気に人の名前であることは把握していた。そしてその人物の好きな数字が「4」と勝手に思い込んでいた。大きくなって実在の有名人がいることを知り驚いた。そしてその人物の誕生日に数字の「4」が少々関係している事も本で知り驚いた。「サンチャゴ」「カストロ」の二つの言葉は共にスペイン語。そして今、私はフラメンコを習っている。スペイン語は話せないが、言葉の響きは結構好きだ。「1959」はよく判らなかったが、ある程度大きくなり西暦というものを知ったときにこれは「1959年」だと認識するようになった。この「1959年」にある種の懐かしさを感じるのだ。何故だろう・・・。私はまだ生まれていないというのに・・・・。30歳になる年の1997年に関連性があることを知った。そしてそれは6歳の頃に繰り返し見ていた夢の風景ともつながる。だからといって今の私になる前の私がその地に住んでいた証拠は無い。でも、きっとそうなんだろうな・・・と自分が思えばそれでよい。どこの「サンチャゴ」かわからなくてもそれでいい。今は日本人だし、私は日本人に生まれたかったのだから。と、こんな類のブログを記すのも、月の光が碧いから・・という事で。
2009年01月12日
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ずっ~と良い天気だったのに始業式の日だけ雨。それもみぞれ交じりの冷たい雨。ま、雪にならないだけでもこれ幸い、でしょうか。この日から3学期、年中もいよいよ最後の学期だ。バスも2便で15分遅れでやってくる。私と子供はすっかり凍えている。やたらと多い荷物を抱えてバスに乗る。帰宅はお昼前。イケメンY君に無事年賀状を渡せたとの事。早速、一緒に遊んだそうだ。3学期は短い割には行事が多く休園の日も多い。あっという間に3月が巡ってきそうだ。英語教室も今日から開始。メンバーはいつも通りの顔ぶれ。同じ学年の女の子が久しぶりなのか興奮状態で元々、席に座って講師の言うことを聞くのが苦手なのだが、今日は何時にも増して興奮し、ずっと落ち着かず騒いでいた。温厚な講師も怒る寸前で何度も中断。私の子供は驚き、声が十分に出せなくなった。帰りのバスで(普段は自転車だがみぞれが降っていたので)「○ちゃんは○ちゃん。 ○○(子供の名)は○○のやる事をしようね。」と言った。さあ、3連休!・・・・たまった業務を片付けなくては・・・・。
2009年01月09日
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同い年(しかも同じ10月生まれ!)で同じクラスの園ママが妊娠した。第二子が如何しても欲しくて、二度流産の後に懐妊。まだ4ヶ月目なので出来るだけ無理はしないでほしいが現実的にそうも言っていられない・・・。この年齢になると子育てや妊娠は正に命を削る。第一子の時に既に削っている。授乳がまずそうである。其のママの子供が1歳半の時に断乳したが、理由は医師からの勧めだ。体力・免疫力が低下し、ママだけ風邪を引きいつまでも治らず、ダニに刺されまくり、疲れが抜けず、医者から言われたという。それから6年・・・再び始まるのだ。私の場合も同じようなものだった。何しろよく母乳が出たので2歳3ヶ月までは実によく母乳を飲み、食べ物ををきちんと食べだしたのはそれ以降・・・。授乳真っ最中の1歳5ヶ月の時に私と子供がインフルエンザにかかり、漢方薬(麦門冬湯)を服用したが、一向に治らず、子供は直ぐに回復・・・。その年の夏には子供を抱いたまま転倒し、子供をかばい、クッションになるようにアスファルト上に倒れ骨折。2歳7ヶ月を過ぎた頃より、とにかく体がだるく、全身がかゆくなり、力が入らなくなり、歯茎もかなり弱くなり、感染症にかかりやすくなった。体重も当然増えなかった。現在妊娠中の園ママも昨年暮れは体調を崩し、大きな口内炎まで出来てしまった。ご主人は毎晩遅く、平日は全て彼女がこなさなければならない。が、最も辛いのは産んだ後だ。出産後、直ぐに4キロ減って52キロになった私だが、それから2ヵ月後、何と42キロ近くまで減っていたのだ。(15歳以来の体重ですね・・・)園ママはそんな過酷な新生児の子育てを42歳になる年で迎える。しかも上の子供の世話もするのだ。「小学校を12年間通うわ。」と言ったがずしんと重みが伝わる。(6歳違いになるので)彼女は今年、自分の命を削って新しい命を生み育てる挑戦を開始させる。その晩、早速夢を見る。人間ほどの大きさの綺麗な白い猫が3匹の子猫を産み、お乳をあげる。子猫たちは勢いよく飲み、みるみるうちに親猫はやせ細り倒れてしまう。白い猫の傍らでお腹をすかせた子猫たちがにゃあにゃあ鳴いている。私は白い猫を抱きかかえ、自分の血をなめさせ、やがて母乳をあげる。すると、その白い猫の顔が自分の子供に変化する。「私のを全部飲んでいいから、元気になって!」少しずつ元気になっていく白い猫。(この子が元気になれば、子猫たちをちゃんと育てて命がつながる)夢の中でそう思っていた私。親って・・・そうなんだろうね・・。
2009年01月07日
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今日は子供にとっても今年初めての習い事の日。先ずはバレエ。昨年末に2009年度の年間予定表を頂いたが、本当に熱心な先生で祝日もしっかりとレッスンがある。これは本当に有難いことだ。フラメンコレッスン終了後、義母宅に子供を迎えに行く。子供は喜んで出迎え、レッスン着に着替えてスタジオへ。出席したのはいつもの8割程度。今日からまた新しいレッスン内容だ。バーレッスンもまた増えてより、バレエのレッスンらしくなってきた。今日は人数も少なめなので時間通りに終了。子供に聞くと晴れ晴れとした表情で「楽しかった♪」との事。うん、本当に良い表情だね。この日出席した皆が良い表情だった。今年も素晴らしき年になりそうだ!帰宅途中、自転車の後ろで子供が「金曜日は幼稚園に英語♪」と楽しげに歌っていた。
2009年01月06日
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今回の年末年始は不思議な感覚だった。起きている間が夢のようで、寝ているときが実は現実ではないか・・との錯覚が生じたり、時間の流れが不規則に感じたりしたのだ。実は時々こんなことが起きている。我が家のリビングと台所にある時計は電波時計だが時計の針の刻みや表示がおかしくなるのだ。リビングの時計はデジタル表示だが、おかしな数字をさしたり、秒が止まった様に動かなかったり、逆に飛ばして表示されたりする。台所の時計はアナログ形式だが、やはり極端に進むのが遅かったかと思うと突然、物凄い速さで針が動き、12時間位動いた所で止まり、従来通りのペースで時を刻む。電波の受信がスムーズに行われなかったのだろうと思うが、この年末年始の感覚を思えば・・実は時の流れは一定ではないのかもしれない。「しまった、寝坊した」「遅刻した」と慌てていても時計を見るとむしろ時刻が遡っていたり(見間違いだとは思うのだが)、時の進み具合がゆっくりしていたり、「今日1日」がたった数分、或いはなかったとしか感じられない日もあったりするが、案外、気のせいではなくて本当なのではないか・・と思う今日この頃だ。
2009年01月06日
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今年初のフラメンコレッスン。何しろフラメンコが25日以来、今日はソレアだったのでソレアは実に・・・3週間ぶりのレッスンとなる。年末は体調ダウンで体の調子が戻るまで随分かかってしまったし、年始は年始で何か・・こう・・・不思議な感覚で心が半分違う世界だったし・・・。(正月ボケといえばそうなのだが・・・^_^;)レッスンと言っても先生は産休なので自主練習。でも、私一人では到底無理。上手な方に教えてもらい、彼方に去っていた記憶を呼び覚ます。最初は実に頭の中が「?!」だったが次第に蘇り、「あーそうだったのかぁ。」と納得。これなら来週はわからない所を聞けそうだ・・・ん?そう、今日まではわからないところがわからない!!明後日はタンゴとティエント。今年のフラメンコもこうして始動!!先生が戻る2月に向けて追いついていけるように頑張りましょ~!
2009年01月06日
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4日から放映開始した天地人。早速我が家も視聴する。午後8時、家族3人でテレビを見る。(BS103放送時はアニマックスを子供と見ていました! 私より真剣に犬夜叉を見ていました・・・。あー続編を切望!!)今回は冒頭以外は主人公が5歳というので子供もずっと見ることに。やっぱり、同じ子供が出ていると地味な戦国物でも真剣に見るものだ。そして最後・・・父と母と弟と・・家族との別れのシーン。ブラウン管(液晶)の主人公と同じく子供の目からぽろぽろ大粒の涙が流れる。私が「仕える為には親元を離れて修行するんだね。」と言うと更にひっく・・ひっくとしゃくりあげる。「同じ5歳で親から離れていくんだね。」と言うと声を上げてうわーんと大泣きする。「まだいやだぁ~。」ドラマが終わるまで泣き続け、布団に入ってもまだ泣いている。お陰で鼻がつまり今度は苦しくて眠れなくなり何度も鼻をかむ。私はぎゅっと抱きしめて子供がすやすやと吐息をたてて眠りに着くまでそうしていた。そう・・・いつかはやがて離れていく。だから今は傍にいてしっかりと育て上げよう。こうしてお互いに傍にいられることに感謝して。
2009年01月06日
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年末年始の浮かれ気分も終わり、今日から通常の時間が流れる。夫を送り出し、家事を済ませた後、まだ冬休みの子供と電車に乗って大型スーパーへ。セールで安くなった子供用の冬の肌着とマシュマロパンツともうじき最終回でキャラ一新の為、やっぱり安いキュアレモネードの靴下を購入。ここでまだ11時なのに「お腹が空いた。」と言う子供に早昼を。子供はサンドウイッチとカレーパン半分と水。私はミルクロールパンとカレーパン半分とコーヒー。まだ帰りたくないという子供のリクエストで店内にある書店に。そこで「ひめぐみ」を購入。付録はヘアアクセサリーセットで本にはいろいろヘアアレンジの方法が写真入で掲載。最近、何かと「この髪型にして~。」とリクエストされ、「お母さん、違~う!!」と怒られているのでこれは便利かも。ついでに年末三店舗とも売り切れだったリカちゃん人形の「ハッピーコーディネート2」があったので子供とセレクトし、お財布と相談して購入。時刻は12時。「疲れた~。」と言うので帰ることに。が、隣の大型スーパー内にある木のおもちゃやさんに立ち寄りここで30分位過ごす。一人用の机と椅子もあり、小2位までならこれ位で十分だねと思う。そしてその隣のわんちゃんコーナーでまた20分ほど子供は釘付け。再び最寄り駅に戻ったのは1時40分頃。家に着いても子供はニコニコ顔だった。その後、4時過ぎまで子供と遊び夕食作り。作り終えた5時から30分間また遊び夕食。夜は、子供はにこにこしながら就寝。明日からまた節約しよう。
2009年01月05日
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正月三が日は「お正月ボケ」みたいな感じで実によく眠りよく夢を見た三日間だった。しかも、起きて意識がある間は天気もよくのんびりと穏やかに過ごしたのに対し、ひたすら何かと闘い抜く夢や、考えさせられる夢や、切なさや寂しさを感じる夢などを幾つか見て、非常に疲れていた。3日に見たある夢も非常に疲れる内容で起きてもしばらくぐったりとしていた。ある街のあるレストランでバイトをした。その界隈で有名なロシア料理の店。1階が入り口で客席が1階、半地下、地下1階と下に向かっている。そして下に向かう程、高級でステータスのある空間となる。しかし、実はとんでもない事実があった。その店に高級な客であることを認めてもらう為に何度も通う人々。地下深くに通される程セレブ度が上がるのだが、ある日バイトの後、うっかりと地下に迷い込む私。普通のバイトの身分では立ち入り禁止の場所なのだ。閉店後ではがらりと変わり、下に行くほど・・・朽ち果て、配管も露出しさび付き、よどみ濁った汚水もそのまま溜まっている。そして更にその下には・・・朽ち果てた人々が壁の一部となり石灰化していく。すると何処からとも無く声がした。「ここを綺麗にして。」と。どうやら、これが雇われた本当の目的らしい。あるとき、その店でキャンペーンが行われ、なかなか通してもらえない地下の客席へこの日だけは案内される事になった。人々はこぞって押し寄せる。まだオープン前なのに人が集まるので非番ではあるが私は待機。何故か私の子供も招待されていた。開店を待ちきれず店内に入り地下へ行く人々。その先にある事実を知る私は必死に止めるが、半地下に踏み入れると豹変し我先に下りていくのだ。半地下で留まった人の中には我に返った様に引き返し店を出る。・・・どうやら「半地下」が境界線の様だ。半地下でたむろしている人々を地上階へ戻そうと説得し、引き止める私。ふと見ると、私の子供も吸い込まれるように地下に下りようとする。がしっと腕を掴むが、地下へ下がろうとする人々がもう一方の腕を掴み連れて行こうとする。最初は普通に叫んでいたが、次第に何か呪文の様なものを唱え始める。すると、効果があったのか、引き返す人の数が増えて、私の子供もその流れに乗り、地上階へ戻り店の外へ出る。私は尚も人々を引きとめようとするが、引き返す一方で下へ行く人もいる。ついに地下へと続く階段の一つがシャッターで塞がり、残り一つとなる。階段の手前で横たわった人を起こそうとした時、その人は豹変し、黒衣の人物となり物凄い形相で私を睨む。血走り憎しみに満ちた鋭い眼、深緑色にただれた皮膚。夢なのに・・・ホラー映画やTVなんて見ないのに妙にリアルなエグさだった。そしてその人物が言う。「お前は誰だ・・・。」低くしゃがれた、けれども四方に響く声。でも私は何も答えず、その人物に対する一切の感情を持たず、ただ見据える。ずると、グロテスクな黒衣の人物は消えうせ、目の前には、10代のロシア系もしくは東欧系の少女が横になっており、気づいた様で自分で身を起こす。すると、もう一つの階段のシャッターも閉まり「境界線」との声がする。地下に行ってしまった人々はもう上がることが出来ないのだと悟る。半地下にいる人を店の出入り口に誘導し、次にやるべきことを悟り、心の準備をして臨む。そこで目が覚める。肩が凝り、どっと疲れが出る。目覚めて良かった~!この日は実家の母が来て、義母宅で1泊していった。3日4日と穏やかに過ぎていった。
2009年01月04日
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家族と夫の実家の家族で出かける初詣は今年は府中にある大國魂神社となった。夫は初めは何やらぶつぶつ言って挙句の果てに「初詣は電鉄会社が流行らせたんだ。」と言って意味が無いような事を言っていたが、(ま、確かに3日の番組でそうであることが判明したけどね)1月2日に出かけ、実際現地に着くと結構気に入ったようだ。混雑はしていたが、流れはスムーズで留まることなく人の流れに沿って拝殿に進むことが出来た。私は家族で今ここに参拝している事の感謝をして今年1年どうか宜しくお願い致しますと頭を下げる。この神社が気に入った夫はお札とあたり矢を購入。尚、私が近所に住んでいたという事で3歳頃まで家族でよく遊びに来ていた氷川神社は三之宮として合祀されている。大宮公園で遊んだ後に立ち寄って姉と私の七五三もそこで参拝した。大國魂神社はその親分みたいな立場なので「ご無沙汰しておりました」ということで家族達も気に入ってくれて何となく嬉しいかも。その後はスーパー銭湯でのんびりとして私は岩盤浴でたっぷり温まりました!
2009年01月03日
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今年の初夢の前半は何とも楽しげな内容だった♪大勢のイケメン達から次々とデートやドライブに誘われそれぞれ楽しいひと時を過ごす。その中で一人、気になる存在の人が現われた。全く見知らぬ人で西欧系の顔立ちではあるが何処と無く東洋系の面影もある。それは黒っぽい髪の色だからだろうか。そして綺麗な目をしていた。どこか懐かしいような気持ちになり、夢の中ではあるが切なさも覚える。その人の背中を追いかけるがいつの間にか姿を消してしまった。・・・夢の中で月日が流れて、イケメン達も年をとりいつしかおじ様達へと変わる。おじ様になってもカッコいい彼らだが、それぞれパートナーが出来て一組、また一組と成立し、手をつなぎ寄り添い何処かへと消えていく。だが、そのおじ様たちの中には私の探していた男性はいなかった。何処か遠くのあるべき場所へと帰っていったようだ・・・。寂しく、少し悲しみを感じる私。ふと振り向くとそこに夫が立っていた。二人で家に帰る事にした。子供が私たちの帰りを待っている家に・・・。家に帰ると、あのK君とK君のママとお姉さんが家にいた。何でもお姉さんの迎えの帰りに私たちの家に立ち寄ったそうだ。K君のお姉さんは電車で1時間もかかる私立の小学校に通っている。子供とK君は仲良く遊んでいる。まー初夢にまで登場するなんてご縁があるのかな?夫が3人を家まで送り、その帰りに二人でそぞろ歩きをする。夢の中の家の最寄り駅に程なく到着。各駅停車駅でほのぼのとした住宅街の中にある。「ここは変わらないね・・。」そこで目が覚めた。
2009年01月02日
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新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。2009年の幕開けはまたもや不思議な夢からだった。30日、31日の夜明けに見た夢の続きのようである。三日間も続きのある夢をみたのはおそらくこれが初めてだ。私はある街を訪れている。海の近くにある街にはある目的の為の港がある。それは旅人が旅立つための港で大潮のときだけ船が出る。やがて大潮が来て津波のように街を飲み込み、船に乗って人々が旅立ち、見送る私。旅立つ人の顔ぶれは知っている人もいれば見知らぬ人もある。私はある人に今の自分の想いを語り、今後について相談している。その人は全く知らないが、私が定期的に拝読している気づきのサイトの主宰者である。会話の中で私がそう呼びかけていたのだ。その人は「そうか・・。」と深く優しく頷いてくれた。大潮が去り、再び街が現われる。もう少しこの街に滞在したいと考えた私は港近くにあるホテル街へ向かうことに。太陽が昇り、ぬけるような青空が広がり、眩しい日差しが射す。まるで初夏の様に清清しく爽やかな風が吹き渡る。道路の脇にはパームツリーが植えられ開放感もある。あるホテルに入り、宿泊の手続きをとるが、何故かしばらく待つようにとのこと。エレベーターに乗り上場する私。表示された階は1階・3階・7階・9階のみ。エレベーターは7階と9階の間に止まり降りる。扉を開けると芝生が敷かれた広いベランダで、宿泊客の憩いの場にもなっている。そこから街を見下ろす私。人々や車が行きかい活気がある。すると、丸い虹色の光が出現し、その光はやがて白く眩しく輝き人々を照らす。光が人々を照らし、包み込むと消えていった・・・。広いベランダに居た人々の多くも消えていた。ホテルの部屋に行こうとしたが、一向に辿り着けない私。ホテルの従業員らしき人に呼ばれこう言われる。「ここは旅立つ人の為のホテル。見送る立場の貴方は泊まれない。」と。やがて視界が白くなり目が覚めた。元旦の朝日が既に上昇している。朝7時半には近くの神社に家族で初詣をした。その後、義母宅に出向くがずっと眠気がとれず、午後にとうとう昼寝することに。3時間近くも眠ってしまったがまた夢を見る。砂漠の町をさすらう私。もうずっと雨が降らず、全てが乾燥しきっている。雨乞いの為の踊りまで必死に踊るようになる。私と子供も一生懸命踊る。すると水が沸き、なおも踊り続けその度に少しの水が手に入る。その僅かな水を巡って争いが起きて襲われそうになる私。必死に逃げて高く飛び上がる。・・・・すると場面は一転して高いところにいる。眼下には氷と水が広がり、ゆっくりとある方向に流れている。みるとそこには子供が座っていた。子供が私に言う。「神様が分け隔てなく与えてきた時は終わった。 これからは本当に必要として大切に使ってくれる所に水を送る。」子供はその水の管理をするという。「お母さんはこれからどうするの?」と子供は聞く。私はこう答える。「私はまだ地上に留まって様子を見るよ。」そして歩き出し、目が覚めた。2009年、しっかりと地に足をつけて多くの恵みに感謝しながら巡ってくる大切な「今」を生きていこう!
2009年01月01日
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