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みんな死んでしまうしかない、と。彼の聡明な頭脳は計算をはじきだした。生きる資格ある者のみ、生きよ。良き未来を作り上げるため悪しきを一掃するのだ。それが浅倉良橘大佐の結論。《伊507》は進む。帝国海軍に艦籍のない戦利潜水艦。乗員たちに軍人としての拠り所、すなわち、死んで護国の鬼となる気持ちはもう、なかった。「至誠に悖るなかりしか」絹見真一艦長は、その意味を噛みしめる。ねじ曲がることなき誠実さを自分に見出し、魂の安息をやっと、得ていた。帝都に原爆を。浅倉の計画に同意したアメリカは、3番目の原爆の目標を東京に設定した。《伊507》はテニアンに向かい、大規模なアメリカ艦隊を突破しながらも、原爆搭載機《ドッグ・スレー》を撃ち落とした。旗艦《タイコンデロカ》の艦長は、本物の脅威を《伊507》に見出していた。《伊507》、撃沈。ローレライの魔女が聞くのは、乗員たちが歌う『椰子の実』の旋律。《伊507》から切り離された特殊潜行艇《ナーバル》にはパウラ・A・エブナーと折笠征人上等工作兵がいた。まだ十代の男女二人は、艦長から、《伊507》から最後の命令を言い渡されていた。(おまえたちは生き残るために最善をつくせ)(ついてくれば敵前逃亡と見なして《ナーバル》を沈める)四分の一の日本人の血のために、ドイツの人体実験の犠牲となったパウラは、その途中で水を介し、物体と精神を把握する能力を得た。完璧な水中ソナーである。彼女は兄、フリッツとともに《伊507》に乗艦し、数奇な運命を得て、折笠と生き残った。二人は占領下の日本を必死でくぐりぬけて、結婚し、家を得て、子をもうけ、孫の顔をも見ることの出来る人生を得た。果たして自分の人生が、《伊507》の仲間たちに誇れる人生かと、いつも疑問に思っていた折笠征人。幸せを得るたびに、重荷を背負うような誠実さこそ、未来と託す種子として絹見たちが選んだ、人柄かも知れない、と思う。今、なお、世界のどこかで戦争が続く。それは生き残った悪しき者たちが引き起こした、というだけではないのだ。浅倉の計画が成功していたところで、平和な未来が訪れたという保証も、勿論、ない。《伊507》から離れた彼が感じたように、命令する者も、教えを請える者もいない、ましてや反発して食ってかかる者もいなくなれば、自分で考えるしかないのである。浅倉は、愚かな戦争を引き起こした日本人を憂い、自分で考える人間を残そうとした。若い甲板士官は、自分で考えなくてもいい軍隊に依存し、折笠の友人は、自分の納得できる死を探していた。さまざまな登場人物の存在は自分で考えることを、繰り返し語っていた。読書の愉悦があれば、ページ数の多さは苦にもならない。専門用語の羅列となる潜水艦の攻防戦も、ローレライと言う仕掛けのおかげで不慣れは私でさえもわかりやすく面白くさえ感じた。また、福井晴敏作品は、相変わらず、美男、美女の存在を感じさせてくれるのが嬉しい。内面の熱い人間たちも魅力的である。複数の作品を読めば画一的にも思えるが、デリケートなテーマをエンターテイメントにして、読者に伝える力量は凄い。自分で考えなければならない。それはやっかいで、苦悩と隣り合わせだ。だが、パウラは折笠と二人っきりの《ナーバル》で感じていた。人間は案外、頑丈なのである。
2005.03.11
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