三河の住人の庵

三河の住人の庵

家康年表(3)永禄9年~

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参州平定~浜松入城
 
西 暦 
和 暦   
  歴 史(主な出典「改正三河後風土記」) 
場 所  
1566
永禄9年
牛久保の牧野家 家督争い 家康の裁定で 成定の子 康成が家督を継ぐ
豊川市 
1567 
永禄10年 
4月 後の15台将軍 義昭 越前一乗谷 朝倉義景の館で元服 
 
 
 
5月 家康長男 二郎三郎信康 9歳 信長の息女 徳姫と婚姻 
 
 
 
今川家では 氏真の寵臣 三浦義鎮が権勢を振るう 
 
 
 
武田家では 信玄が勝頼の讒言を信じ長子義信を討ち 家督は勝頼の子信勝に
 
 
 
定めた。勝頼は後見人として 武田家の実力者となった  
 
 
 
一方 織田信長は妹を猶子とし勝頼に娶わせ 武田家と誼を結ぶ 
 
 
 
この妹 濃州苗木城主遠山甚太郎との間に11人の女子を設け寡住していた 
 
1568 
永禄11年 
7月 織田信長 美濃の立政寺にて 足利義昭と対面 
 
 
 
義昭を奉じ 三好等逆徒誅罰を名目に上洛を決意 
 
 
 
家康は 藤井松平の勘四郎信一を大将に800余騎を付して派遣 
 
 
 
9月 信長 岐阜出陣。近江の六角氏を追い 義昭と共に上洛 
 
 
 
10月 足利義昭に第15代征夷大将軍宣下 
 
 
 
11月 信玄が大軍を擁して駿河に攻め入り制圧 今川氏真は掛川城へ逃れる 
 
 
 
信玄 駿府城を焼き払い 久能に城を築く 
 
 
 
12月 家康 井伊谷3人衆を懐柔 井伊谷城を菅沼定盈が攻め落とす 
 
 
 
故飯尾豊前守の居城 引馬城を守る家人が家康に帰服 家康 引馬城に入る 
 
 
 
家康が掛川に出馬すると 武田方の秋山信友が遠州に入った 
 
 
 
秋山は浜名湖に迫ったが 家康に攻められて信州へ帰った 家康も岡崎へ帰陣
 
1569 
永禄12年 
正月 武田と北条が 駿州で対陣 
 
 
 
正月 氏真の立篭もる掛川城攻めのため吉田へ着陣 
 
 
 
信玄に 大井川を境界にお互い手出ししない事を確約 
 
 
 
今川方に占拠されていた引間城に再び入り 3月 掛川城を攻める 
 
 
 
5月 氏真は北条を頼って掛川を退出 松平家忠に海路 送らす 
 
1570 
元亀元年 
正月 浜松引馬の地に新しい城が落成 家康は浜松城を居城とする 
 
 
 
岡崎城には 長男 二郎三郎信康を置く 
 

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