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金型職人のみならず、微細加工を必要とする職人は、指で触れただけでわずかな狂いが解ると言います。技術で補える部分は、知恵と工夫で対応しています。しかし、市場が大きくない場合、または費用対効果を考えた場合、まだまだ、人の感覚に頼る世界は残す必要があるようです。脳は発達しすぎたため、全てが利用されないで、寿命を迎えると言う話を読んだことがあります。つまり、脳は私たちの現在の生活水準では一生かかっても使いきれないほど、能力を秘めているということです。また、脳は、各人の環境に合わせ構築されるとも。外国人が日本人の感覚を理解できないのも、逆に我々が外国人のことを理解できないのも当然なんですね。例えば、子供の頃からずっと竹刀を振り回していると、それが体の一部として組み込まれ、使い慣れている竹刀にわずかな変化があっても、その違いがわかり、まるで、自分の手足の如くなるそうです。私たちの脳は、自分の五体だけではなく、道具も自らの身体と同じレベルで感覚の一部として取り込み、使いこなすことができるということです。そう言った観点から見ると、何十年も職人を実直にこなして来た人が、常人が感知できないミクロン単位の微細な違いや変化に気づく能力を身に着けるのは、我々凡人からすると超人的に見えても、生物学的には意外なことでは無いようです。脳は学習し、記憶し、そして、思考し、判断するのですが、五感というセンサーに偏りがあれば、自ずと結果は異なってくるでしょう。情報過多やストレスにより、五感というセンサーが偏って機能している場合、軌道修正はままならないかも知れません。それ故に、自分の感覚を改めて見直し、触れて、感じることで、より精緻な情報を取り入れます。握手一つで、その人が感覚として掴めるように、視て、聞いて、そして触れることを他人に対して行うように、自分自身に対しても行うことは可能です。視ること、音を聞くことだけではなく、触れることでメッセージを発信し、また受け取ることで、私たちはもっと潜在力を活かすことが出来るはずです。
2013年03月24日
セルフセラピーに必要なモチベーションは、本人の動機付けです。対面セラピーと異なり、自らが明確な目標(問題の明確化とそれを乗り越えるメリット)を持たない限り、三日坊主にも成りかねません。著名な心理学者の中には、セルフ・セラピーに対して、「自らの髪の毛を引っ張って、自分自身を吊り上げようとするようなものだ」という見解を出されています。その意味するところは、自分のビリーフ(信じ込み)で自分を見るのだから、曇ったレンズで、自分の問題点を正しく見ることはできないということです。一見、「なるほど!」と思えるのですが、そのように考えている人は、それまでです。「できるのではないだろうか?」と考えている人は、それを見出すことができます。その理由の一つは、釈迦や達磨、その他、様々な人々が見事に達成している歴史があるからです。現代の心理療法家の中にもそう言った人は存在します。「何を感じ、どのように想うか?」は、人の意識であり、気づきや修正も自分自身が行なっているのであり、セラピストは、それを補助しているに過ぎません。自分の人生を決めているのは、所詮自分自身です。人に依存するのも、結局は自分が決めいることに変わりはありません。何時も、依存していると、無意識に依存するようになります。考えることをやめ、自分の考えは二の次になり、支配されて行きます。マインドコントロールという言葉があります。マインドコントロールした人が悪いように世間では受け止めます。確かに、成人になっていない子供はそうかも知れません。しかし、ひとかどの大人であれば、マインドコントロールされる方にも問題があるのは確かです。自分の虚栄心や恐れ、不安様々な執着がマインドコントロールの遠因にあるからです。自信を喪失(自分を疑っている)している時、恐怖心が芽生えている時などは、どんな人間でも、人の信条を受け入れてしまいます。(自ら、考えることを放棄し、本人不在の状態で、他人への依存状態になっているのですが。)TVのコマーシャルや番組は、視覚と聴覚を効果的に活用し、目的のイメージに誘導します。至る所に、無意識にリーチする手法が此処かしこにあり、意識が汚染されることさえ気づくことは、難しい昨今です。自分が何を気にしているのか、どんな行動をしているのか?そして、何が遣りたいのか?自分自身に目を向けることで、そんな意識の汚染から逃れ、何時もの自分であり続けることができます。無条件に委ねるのは、時として役立ちますが、拘りとは違う目覚めた感覚が重要です。
2013年03月14日
アドラー心理学、その影響を受けているTAWでは、被害者意識というキーワードを多く活用しますが、被害者意識が存在すると何がまずいのでしょうか?自分は悪くないという立ち位置にいる限り、自分を変えようとはしません。そのような人は、人を変えようとします。時には、攻撃的になり、落ち込み、悲しんでみたり、理解できなくなったり、情動や無意識に絡む行動により、人をコントロールしようとします。望む結果を得る方法は様々です。絶対的に人をコントロールできる環境は、子育て時に現れます。子供は、本能や情動、無意識に絡む行動により、親をコントロールします。特に、人間の赤ちゃんは、無力で生きるために必要な行動です。(赤ちゃんが、親をコントロールすることが悪いわけではありません。人は、無力で生まれます。これは、動物と異なり、適応環境を後天的に整える能力を有する為の結果です。)しかし、大人になった時点で、それは通用しません。子供時分には、通用した方法が大人になるに従って、通用しなくなります。(親が子供の自立に向けて、上手く育てた場合、大人になって苦しむことが少なくなります。)望む結果を得ることが難しくなり、それは、自立と対極に存在するものです。※自立とは環境適応能力心理や意識学を魔法のように考える人も居ますが、当たり前のことを遣ってるだけなのがお分かりになると思います。人の心は、信念(執着)に左右されており、当たり前のことが解らなくなる(幻想の中に居る)のです。親から甘やかされた人(甘やかされた人とは何かに依存する人です。共生の関係ではない。)は、自分は特別な存在であると勘違いします。大人になっても、それを掴んで離さない人は意外に多いのです。(褒めてくれる人だけを好きになる。好き嫌いが激しい。煽てると別人格が現れる。他人は駄目な人であると信じる。常に、自分は間違っていないと信じている。自分が出来る範囲はこれだけだと信じている。などなど)それら執着をなくす方法の一つがパナシアです。パナシアは、例えば、 【対象物】 【波動】 「悪いもの」 = 「悪い気分」 「良いもの」 = 「良い気分」と考えて説明したと思います。(表現が正確ではありません。良い悪いという表現は適切ではありません。ゼロ化とは、良い悪いの中庸であり、反応を消し去るものです。)悪い気分が減れば、その分、良い気分に使えます。悪いと思っていたものが、単なる幻想だと気づいたとき、また、悪いと思えたものが、良いものとして活用できると気づくことは、マイナスが減り、プラスが拡大することを容易に想像できます。(アークの遊行禅という技は、プラスを容易に増幅させることを目的としています。「良いものが増える」という技でもあります。) 常に良い気分 ⇒ 雲門禅師の『日々是好日』となる※良い気分とは居心地の良い状態(アドレナリン全開とは違います)スポーツ選手であれば、目の前の競技に集中することが自然にできるようになる。(余計なことは一切考えない状態。気負いもなく、心地よく「いま、ここ」になる。)物事や自分自身をありのままに観る能力 正しく見る、正しく思う、正しく話す、正しく行なう・・・八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)です。そして、同じ波動は、同じものと共鳴し、類は友を呼びます。(共鳴の法則)昨今は、環境(情報)がめまぐるしく変化するため、ストレスは発生しやすい状況です。人は、過去を背負い生きています。時代の変化が乏しいときは、役立つのですが、過去の経験が通用しにくい変化の激しい現在では、成功体験や失敗体験、教育、世間とのシガラミ等が、環境適応能力の妨げになっています。行動パターンに変化を及ぼすには、その元になる自分自身を変えていくことが結局は、近道です。ただ、それには、苦痛やコストが必要です。それを正面から受け止める自らの決意がなければ、その道は閉ざされていると考えても良いでしょう。(おわり)
2013年03月02日
-------後半--------また、TAWの話に戻りますが、TAWでは、360度自分、相手は鏡という概念がありますが、鏡の中の人を変えたければ、自分を変えれば良いというふうに解釈していますが、間違ってはいませんか?間違いがないとして、話を進めますが。この仕組みは、理解ができるのですが、パナシアでは、問題意識をゼロ化にする事で、悪い物が減り、良い物が増えていく、という表現をどこかでみました。この辺りは、何故そうなるのか、その仕組みを知りたいのですが、よろしくお願いします。(パナシアについてまだまだ、理解できていないかもしれませんので、的外れな質問でしたらすみません)。-------------------TAWは、自分が全てを創っているという考えが基本です。そこから生まれるドグマは、「この世は自分一人」という思想です。(一元から生まれた個という考えであれ、それは言葉の遊びです。)アークは、自と他の調和によりこの世は成り立っているという考えです。従って、自分が変わることで、再秩序化が起こると説明します。(自然の摂理)また、アークでは、 「自分が変わる」 = 「波動が変化する」と考えます。難しく考えることはなく、同じ人物でも、機嫌が悪いとき、機嫌が良いとき、声を掛けたくなるのは、後者だと思いますが、微細な変化も人は同調し共鳴し、行動に変化を及ぼすのです。(自分の行動(波動)が変われば、他も自然と変わります。空気を読むという言葉は良い例です。)自分も他も存在し、その調和の中で生きている。そして、調和が乱れれば、それに従って他が適応する。(自分が存在するのは、他があり、他と分離しているからこそ自分が存在する。生命は、細胞膜を作り外界との分離から始まりました。)従って、TAWのような、この世は自分一人という考えでは、導けない考え方です。この考え方の違いが、大きな違いを生み出します。現象化論の内容も当然違ってきます。どちらの考え方を選ぶかは自由です。私は、再秩序化を支持します。それ故、再秩序を前提として話を進めます。多くの心理本で言う、相手は鏡というのはメタファです。相手の嫌な部分を見るとき、それは、自分の中にある意識が動いていることは、お分かりになると思います。自分の中にある意識が外界の対象に反応している訳です。それ故、相手に映っているもの(観ているもの)は、自分の意識の中に反応するプログラムが存在し、鏡のように映しているようなものだということです。(外界から己の内なる姿を観る。)そして、360度自分というの言葉は、メタファとして使われるべきです。自分が認識できないものは、無いものと同じですから、自分の意識(五感)が認識できるものしか、人は解釈(反応)ができません。しかし、自分が認識できないものは、存在しないということにはなりえません。ところが執着がなくなると、視野が広くなり、観ていなかったもの(無意識に避けていたもの)が見えるようになります。(人であれば相手の無意識の考えが見えてくるようになる。一見ネガティブな行動でも、深い意識には肯定的な意図が存在します。)これらは、意識の仕組みが肌で解るようになると理解できるようになります。上記の内容を十分に知ることができれば、対人のみならず、モノ、環境、全てに応用できることになり、現象化のヒントを得ることができるでしょう。(つづく)
2013年03月01日
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