in my heart of hearts

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May 26, 2026
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もうじき母の一周忌が来ます。

今日父から電話があって、来られるかどうか聞かれました。

母が生きているとき、実家に行くのが息苦しくて

10年以上も実家に行かない時期もあったり

それでも、と時々は立ち向かわねば、と思って行くときもありました。


母が亡くなって、もう母の愚痴を聞かなくていいんだと思うと

足取りは軽くなりました。

兄は私に、父と兄と私の3人で、再構築しよう、みたいなことを言いました。


そんなこと今さら言われても、無理じゃないかなと内心では思ったけど




母が亡くなって、兄とちゃんと会話したのがほとんど30年ぶりくらいでした。

祖父や祖母の葬儀で短時間同じ空間に居て、ちょっと挨拶したのは覚えてるけど

そもそも、昔から会話らしい会話をした記憶がないです。

兄弟なのに、不思議です。

今思えば、やっぱり普通の家庭じゃなかったんだろうと思います。


未だに思うんですよね。

家族ってなんだろうなって。

理想とする家族の姿を見たことがないのでよくわからないんですよね。

家族っていうのは、安心していろんなことを話せたり

弱みを見せても大丈夫でほっとできる、そんな感じなんじゃないのかなって思うんですけど

母は常に父の悪口を言い続ける人でした。



聞き役は、もちろん私でした。

兄は、昔から聞き役ではなかったので

これから3人で再構築しようって言われて、疑問に思いました。

兄も、私が知らなかっただけで、母から進路についていろいろ言われた過去があったようです。

だから最初、急に兄弟のきずなが出来たみたいで新鮮な感じがしたんだけど



だんだんと境界線を越えてくる発言をしてくるようになって

しんどくなったので距離をおくことにしました。



子供の頃から、人の感情の温度をほんの少しの目の動きや、ため息、戸を引く力加減なんかで

瞬時に察知することをしなければならない環境で育っているので

ずっと、人といると疲れやすいです。

自分では普通だと考えてきたことが、今になってわかるけど、全然普通じゃなかったということ。


持って生まれた能力ではなくて、後天的に鍛えられてきた能力が

この年齢になるまでに極限まで高められてしまった。

神経質って思う人も居るかもしれない。

大昔、芸能人が「夫がコップをトンと置く音がもうだめ」みたいに言って

すごくひんしゅく買ってたと思うんですけど、私はすごくよくわかるんですよね。

感情を吸収する役割みたいなものを、自然と背負わされ続けてきたから

習性になってて、自分では止められないんですよね。



境界線の話しに戻そう。

兄が境界線を越えてくるのは、超えて当然だと思っているから。

母が兄の境界線を越えたのは、超えて当然だと思っているから。

兄にも、母にも言い分はあるんだと思う。

相手のためを思って。 だよね。

境界線はほとんどの場合は、善意で超えられる。

私はずっと母の言いなりだった子供時代のせいで

今は境界線を越えてくる相手に対して、全く、1ミリも忍耐力がなくなってしまった。

ふいに超えてくる人に対して、感覚的に「この人との関係性は安全じゃない」って感じる。

感じることに対して、蓋をすることは出来ない。


境界線を越えてこない人も居る。

そういう人とは人間関係が長く続く。

例え、相手が私の事を都合よく利用してるだけだとしても

そういう相手には腹はたっても、安全じゃない、とまでは思わない。


昔は、人間関係の中で、あがき続けてた。

でも今は、静かなところでそっと暮らしてる感じ。

今の自分は嫌いじゃない。

穏やかな気持ちでいたいなと思う。


母の一周忌には兄も来るらしい。

やっぱり断ろう・・・。












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Last updated  May 26, 2026 12:44:21 AM
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