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2007年11月13日
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 妙法蓮華経観世音菩薩普門品(観音経、以下普門品)では観音の普現色身三昧より示現する三十三種の変化身により、衆生の悩みに応じて済度すると説く。



馬郎婦観音(めろうふかんのん)

中国の伝説より生じた観音。
馬氏の妻に応現した観音 の意。
妄念や煩悩にとらわれて仏教を信じない凡愚の人の心を開き教え諭してくださる、という観音さまである。
鎌倉時代にすでに信仰されていた。
なお、馬郎婦は『観音経』の婦女身に、配される。


婦女の身を現わし、天衣 をつけ、両手を重ねて立つ姿を示している
馬氏の郎の婦人となった化身であり、観音の変現する迹相とされる。



人の心を開き教え諭すため、妙麗な婦人となった観音様です。


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無盡意菩薩 白佛言 世尊 我今当供養観世音菩薩 即解頸衆寶珠瓔珞價直百千両金 而以興之作是言 仁者 受此法施珍寶瓔珞

(むーじんにーぼーさー びゃくぶつごん せーそん がーこんとうくーようかんぜーおんぼーさー そくげきょうしゅほうしゅようらくげーじきひゃくせんりょうごん)


無盡意菩薩 佛に白して言さく 世尊 我今当に観世音菩薩を供養す 即ち頸より衆の價直百千両金の寶珠瓔珞を解き 而して之を興えるを以って是の言を作す 仁者 此の法を受け珍寶瓔珞を施す


「無盡意菩薩(むじんにぼさつ)は、お釈迦様に言った。『世尊、私は今、観世音菩薩に供養いたします』と。そして、自分の首に下げたたくさんの宝の珠や首飾りその値は百千両金にもなるものを首からはずし、観世音菩薩にささげて言った。『尊い方よ、お釈迦様の教えを受けて、私はこの珍しい宝でできた首飾りを施したいのです。』


無盡意菩薩は、お釈迦様のこれまでのお話観世音菩薩の働きについての話に感動したのです。
「素晴らしい、何て素晴らしい方なんだ、観音様は。」
という事ですね。
で、感動したので、何か観音様に施しをしたい、と思った。
「世尊よ、私はこれから観音様を供養します」

世尊は、お釈迦様のことです。
「供養」とは、現在で使われている意味の「供養」ではなく、「尊敬をする方へ捧げものをする」という意味での「供養」です。
「供養」とは、本来、お釈迦様や菩薩に対して、布施をすることをいうのです。
なので、ここでは、無盡意菩薩が、観音様に捧げものをしたいのだ、と言った訳になります。

それで、無盡意菩薩は、自分が首から提げていたたくさんの首飾りを外すのです。

「瓔珞(ようらく)」は「飾り物」。
主に「首飾り」の事。
無盡意菩薩が下げていた首飾りは、宝の玉でできており、その値は「百千両金」にもなるものだったのです。
とても高価な物だったという事です。
それを、観音様に施そう、あげよう、というのです。

無盡意菩薩は、首飾りを持って、観音様にいいます。
「尊い方よ(仁者)、お釈迦様の教えを聞いて感動しました。どうか、この珍しい宝でできた首飾りを受け取って下さい。」
と。

これまでは、無盡意菩薩の「観音様ってどんな菩薩様なのですか?」という質問に対して、お釈迦様が具体的に観音様の働きについてお話しされてきた訳です。
その話に無盡意菩薩は感動し、施しをしたくなったのです。
傍らにらっしゃった、観世音菩薩ご本人に首飾りをプレゼントしようとした、という事が、ここでは描かれているのです。
観音様は、この場にいたんですね。
そのことがここで初めて解るのです。
これも驚きの一つ。
今までお釈迦様は、観音様を傍らにおいて、「この観世音菩薩は、こういう菩薩なのだよ」と紹介をしていたのです。

時に観世音菩薩之を受けるを肯せず 無盡意 復た観世音菩薩に言して白さく 仁者我等を愍むが故 此の瓔珞を受け(たまえ)

「その時、観世音菩薩は、それを受け取ろうとはしなかった。そこで無盡意は、再び観世音菩薩に言ったのだった。『尊い方よ、どうか我々を哀れんで、この瓔珞を受け取ってください』と。」
となります。つまり、観音様は、無盡意菩薩の申し出を断ったのです。
「不肯」は、「肯かない」という意味ですので、「断る」という意味になります。
慌てた無盡意菩薩は、懇願します。
「どうか、我等に慈悲を与えるつもりで、この首飾りを受け取ってください」と。
「愍(みん)」は、「哀れむ」という意味ですが、ここでは「慈悲の心を起こして」という意味になります。
何も、観世音菩薩に我等を哀れんでくれ、と言ってる訳ではなく、観音様が慈悲心を起こして、我等の願いを聞いて下さいという意味で言っているのです。

観音様の場合は、本当に断っていて遠慮や社交辞令ではありません。
何故なら、そうした宝物などには執着がないからです。
欲しいと思わないのです。
元々身に着けてますし、プレゼントしようとしてるのは同じ菩薩の無盡意菩薩で一般の庶民ではないのですから、「いや、受け取るわけにはいかないよ」となるのです。
これが、庶民ならば、その庶民が徳を積めるように受け取ったのでしょう。
なので、無盡意菩薩は、「慈悲を与えると思って受け取ってくれ」と頼んでいるのです。
我々菩薩にも、観世音菩薩の徳を下さい、ということなのです。


**********************


爾時 佛告観世音菩薩 当愍此無盡意菩薩 及四衆 天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦樓羅 緊那羅 摩喉羅伽 人 非人等故 受是瓔珞
(にーじー ぶつごうかんぜーおんぼーさー とうみんしーむーじんにーぼーさー ぎゅうしーしゅう てん りゅう やーしゃー げんだつば あーしゅら かーるら きんなーら まごらが にん ぴーにんとう こー じゅーぜーようらく)


爾時 佛観世音菩薩摩に告ぐ 当に此の無盡意菩薩 及び四衆 天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦樓羅 緊那羅 摩喉羅伽 人 非人等を愍むが故 是の瓔珞を受けるべし


無盡意菩薩と観音様のやり取りを見て、お釈迦様が、観音様に「受け取りなさい」というところの場面です。

「その時、お釈迦様は観世音菩薩に告げた。『ここにいる無盡意や四衆、天人、龍、夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦樓羅 緊那羅 摩喉羅伽、人、人以外の生き物などに慈悲を与える意味で、この首飾りを受け取りなさい』と。」
観音様と無盡意菩薩が、「首飾りを捧げます」、「いや受け取れません」とやり取りしているので、お釈迦様が、割って入ったのです。
「観世音菩薩よ、彼等に慈悲を与えると思って、その首飾りを受け取りなさい」
と。
ここでいう「彼ら」とは、無盡意菩薩をはじめ、「四衆、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩喉羅、人、非人」の事です。

「四衆」とは、「比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷(びく、びくに、うばそく、うばい)」の事。
「比丘」は男性の出家者・僧侶
「比丘尼」は女性の出家者・尼僧
「優婆塞」は在家の男性信者
「優婆夷」は在家の女性信者

つまり、お釈迦様は、観音様に、その場にいた人々や天人、菩薩、龍や他の神々、その眷属などに慈悲を与えるのだと思って、首飾りを受け取りなさい、と


即時 観世音菩薩 愍諸四衆 及於天 龍 人 非人等 受其瓔珞 分作二分 一分奉釈迦牟尼佛 一分奉多寶佛塔
(そくじー かんぜーおんぼーさー みんしょーしーしゅう ぎゅうおーてん りゅう にん ぴーにんとう じゅーごーようらく ぶんさーにーぶん いちぶんぶーしゃかーむーにーぶつ いちぶんぶーたーほうぶっとう)

即時 観世音菩薩 諸々の四衆 及び天 龍 人 非人等を愍み 其の瓔珞を受け 二分に作り分ける 一分は釈迦牟尼佛に奉じ 一分は多寶佛塔に奉ず

お釈迦様に促された観音様は、次のような行動を取りました。
「すぐに、観世音菩薩は、多くの四衆や天人、龍、及び、人、人以外の生き物などに慈悲を与える意味で、この首飾りを受け取った。そして、その首飾りを二つに分けると、一つをお釈迦様に奉納し、もう一つを多寶塔如来に奉納した。」
お釈迦様の言葉により、観音様は無盡意菩薩の首飾りを受け取ったのですが、自分のものとはしないで、神通力(不思議な力)により、その首飾りを二つに分けてしまう。
一つはお釈迦様に奉納し、もう一つは、この法華経を説き始めた頃から空中に漂っていらっしゃる多宝塔如来に奉納したのです。
法華経を説く時には必ず出現するという如来です。
その如来に二つに分けた首飾りの残りを奉納したのです。
ここは、そういう場面なのです。

無盡意 観世音菩薩 有如是自在神力 遊於娑婆世界
(むーじんにー かんぜーおんぼーさー うーにょーぜーじーざいじんりき ゆうおーしゃーばーせーかい)

無盡意 観世音菩薩は 是の如く自在なる神力があり 娑婆世界に於いて遊ぶ。
観音経の散文の部分の終わりです。

「無盡意よ、観世音菩薩は、このように不思議な力を自在に使って、この娑婆世界で人々を救っているのだよ。」
となります。








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最終更新日  2007年11月14日 00時21分06秒
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