喘息の子供を持つ親の会

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さあこの病気歴


そして 秋生まれのさあこの初めての冬
本格的な風邪 熱が上がり気管支炎にかかる。
そのときも「胸の音バリバリ言っているから大きい病院に行って来て」と開業医に言われる。大きい病院からは「喘息様気管支炎ですね。哺乳量が落ちたら入院しましょう」と言われたが 幸い お乳は良く飲み 機嫌も良かったので入院はしなくて済んだ。
ただ 薬はその頃から嫌いで一切飲んでくれなかった。

1ヶ月に一度に風邪を引いて そのたびに「胸の音が悪い」と言われ続ける。
が、そのときは 喘息だとは思いもよらなかった。

確か1歳2ヶ月くらいの時。
私の不注意で さあこが主人のタバコを口にしてしまった。
大急ぎで 大きい病院に行くと すぐに 吐かされた。
私達夫婦は 外に出され 泣き叫ぶさあこの声。
それから さあこの極度の病院嫌いが始まった。

そして、その冬。
39度ー40度の発熱と ひどい咳。最初は開業医にかかっていたが お乳を受け付けなくなり 大きい病院に入院する。肺炎であった。
ひっきりなしに 咳は一晩中続く。小児科病棟のない病院で 4人部屋に入れられ
さあこの他 10ヶ月 7ヶ月 2歳の子供か入院していた。
どの子も機嫌が悪く 泣き叫ぶ。夜中さあこの点滴がもれてしまったが医師がいないと言うことで 翌朝まで ほっておかれた。
翌朝 また痛い目をして 点滴を入れられる。
4人部屋なので 一人がインフルエンザにかかってしまった。さあこはまだ37度代であったが CRPが下がったと言うこと、インフルエンザにかかってはいけない・・・ということで すぐさま退院させられた。
その時 2度とこの病院には来たくない・・・と思ったほど心も身体もぼろぼろだった。

その後も 風邪 咳を繰り返し 気管支炎で熱が下がらず 何度も入院する。
その病院は個室のある病院(今の病院)だったので かなり親子共楽であった。
気管支炎で 何度入院したであろうか?2度や3度ではなかったハズ・・・・。

その後 インフルエンザで39度の熱が14日続き 入院。
そのときは 弟のまあにも一緒に入院させてもらう。
インフルエンザかどうかの血液検査をするが 結果はマイナス。その時 私以外の家族全員が高熱に倒れた。しかし、肝心のさあこはインフルエンザが陰性だった。
当時の主治医は「お母さん ごめんなさい、ぼく 誤診してたかもしれない マイコかもしれないから エリスロシンのまして・・・・」

しかし 当時の主治医が息を切らして 病室にやってきた「お母さん まあにくんの結果が出たよ A香港て出ているから インフルエンザだったよ よかった 誤診じゃなかった!!」ととてもうれしそうにしておられたのが印象的だった。

その後 幼稚園に入園し 夏にまた、高熱が続く。喉に水泡が出来ているということでヘルパンギーナと診断。
一安心するが 熱は下がらない。おかしい。
その時 まあにが 喘息で入院していたので 一緒に入院させてもらう。
熱の原因がわかった。ヘルパンギーナからの2次感染でCRPが11まで上がっていたのだ。飲み薬(セフゾン)では 効かなかったのである。
そのときに 当時の主治医がついでにIgEを調べてくださっていて、その時340ほどあり、初めて「さあこちゃんは 気管支喘息と診断します」と当時の主治医より、言われた。
それから 本当の意味での さあこの喘息との戦いが始まったのである。


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