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坊主になりそこなって、家に戻ったウメキチは、高等小学校に復学することになるが、相変わらず、よく言えば「血気盛ん」のワンパク者・・・
本人曰く、「面倒臭い学問」であるからして、家や学校と問題を重ねる事になるが、兎にも角にも高等小学校は卒業。
高等小学校卒業後は「中学校に・・・」との声は聞かず、実社会に飛び出し、大阪朝日の京都支局に入り込んだ。
巡査 津田三蔵がロシア皇太子に斬りつけた有名な事件「大津事件」(1891年5月11日に日本を訪問中のロシア帝国の皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した、暗殺未遂事件である。)はウメキチがたまたま大津支局に居たとき突発したもので、その原稿を持って大阪朝日本社に駆けつけた逸話が残っている。当時、大阪朝日本社では初めての輪転機を備え付けたばかりであったと言う。
ところで、歴史に興味の無い方には「大津事件」など、どうでもいい話ではあるが、当時は東京に居た明治天皇が京都にお見舞いに行き、危険を顧みずロシア艦隊にまで乗船したという出来事である。庶民は大国ロシアとの戦争に怯え、ニコライに対し、全国から1万通を超えるお見舞い電報が届いた他、加害者の大津三蔵の名前を命名禁止とする条例を作った自治体まで現れた。
更に、死を以って詫びるとし京都府庁の前で剃刀で喉を突いて自殺し後に「房州の烈女」と呼ばれた畠山勇子のような女性も出現した。
向畑治三郎、 北賀市市太郎の二人であるが、英雄としてロシア、日本両国から勲章や報奨金、年金まで貰い「帯勲車夫」と呼ばれ一躍英雄として脚光を浴びることとなった。
しかし、ロシア戦争が始まると、スパイ扱いされて、年金は止められ不遇な生活を余儀なくされたと言う。