ああ…日本新党!?



 細川護煕さんの結成した日本新党が大きな注目を浴びていた。Aさんの発行していた「素晴らしい山形」(現在の同誌はバージョン2)に連載執筆していた武田邦太郎さんはこの選挙前の参議院議員選挙で日本新党から出馬して同議員になられていた。

 その当時の私はあるNGO事務局長Yさんや出版社HのSさん、そして人気ニューミュージックグループ元社長の故Oさんらと一緒に新しい政治を模索しながら学習会や話し合いを行っていた時期だった。
 OさんやSさんから日本新党を山形県に組織してみないという誘いがあった。しかも私が衆議院選挙に出馬する話も出てきた。最初は冗談と思っていたが、本人の意向とは関係なくトントン拍子に企画はすすんでいった。それは日本新党の中にいわゆる市民派と称される30代、40代の若い実践活動家を議員に揃えて、官僚政治打破に挑む企画である。そのリストに私の名前があがっていた。再三の誘いと話し合いの中では神戸の環境運動家高見裕一さんが立候補の意志を固めていた。私は高見さんからも「一緒に挑もう」と誘われたが、私は永田町に自分が乗り込むより、乗り込む人たちを送る立場になりたいのが本心だったので断った。細川党首との面会も断り、私はある元市議に出馬の打診をした。しかし、この元市議は衆議院議員より市長が魅力と断られた。

 中央の政局がこのみちのくでもダイレクトに感じられ、自分たちが唱えてきたことが今実現するかもしれないと本当におもったものだった。この日本新党によって、55年体制の政治を変えていくことが可能におもえた時代であった。
 あれから10年、細川さんも武田さんも高見さんも普通の人に戻った。私は今も生活協同組合で夢を追い続けている。

 11月8日記


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