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気ままな日記 2025年8月30日木村武雄建立「石原莞爾分骨記念碑」顕彰祭開催木村武雄が生涯の師と尊敬した石原莞爾の遺志をもって「戦争反対とアジアの平和」を標ぼうしていました。この分骨記念碑の建立の経過を「木村武雄の最後の書生」でもある伝承会事務局の尾形源二氏氏はこの建立に次のように解説をしています。「ようやく、日中国交正常化を実現するための環境が生まれてきた。石原莞爾先生の悲願をいまこそ私か成就させなければならない。 木村武雄はそう決意したに違いない。昭和四十六(一九七一)年八月十五日、木村は石原莞爾に誓いを立てるべく、米沢の御成山公園に『石原莞爾分骨記念碑』を建立した。昭和二十四(一九四九)年八月十五日に石原が亡くなると、木村は石原の遺骨を分骨し、米沢に持ち帰って埋葬していたのである。」前置きが長くなりましたが、木村武雄の誕生日(生誕123歳)でもある8月30日に御成山・分骨記念碑前にて今年度の顕彰祭が執り行われました。当日は暑い日にも関わらず、米沢市長様はじめ約40人の木村武雄を偲ぶ方々によって、石原莞爾分骨記念碑顕彰祭が執り行われました。全員による献花。木村武雄伝承会会長野村研三氏の挨拶。来賓各位のご挨拶。そして記念講演「石原莞爾と木村武雄」を木村武雄研究家の落合拓磨氏が行われました。謝辞は木村武雄次男の木村莞爾氏が述べ、「父…木村武雄とその父が尊敬してやまなかった石原将軍の思いを今こそ皆様で守っていただきたい。それは隣の国同士が仲良く平和で助け合うことです」と締めました。炎天下の中の開催となりましたが、あらためてアジアと世界の平和を祈る式典になりました。
2025年08月30日
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令和7年度、木村武雄建立『石原莞爾分骨記念碑』顕彰祭のご案内 発会式の中で決定した事業として、御成山の『石原莞爾分骨記念碑』顕彰祭を下記日程にてとり行います。昨年は10月に開催しましたが、今年度より木村武雄生誕の日(8月30日、今年生誕123年)に因んで実施することと致しました。お誘いあわせの上ご参集下さいますよう、ご案内申し上げます。 7月 吉日木村武雄伝承会会長 野村 研三木村 莞爾 令和7年度「石原莞爾分骨記念碑」顕彰祭 日時 8月30日(土)、 場所 御成山・分骨記念碑前にて 午前9時30分 集合 御成山公園駐車場・人繊工業発祥之地石碑米沢市舘山町 舘山公園より上になります 午前10時より 顕彰式 ※ 駐車場は、御成山公園駐車場・人繊工業発祥之地石碑をご利用ください。駐車場より、現場までシャトル輸送を致します。 お問い合わせは、伝承館館長・木村征四郎 090-4713-3935迄 メールでのご連絡は次にお願いします。 hajimemirai21@yahoo.co.jp (井上)石原莞爾と木村武雄
2025年08月25日
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「ある惑星の悲劇」2025また8月6日がやってくる。世界で初めて原子爆弾が落とされた広島。その被害の恐ろしさは1954年生まれの私にも断片的にしかわからないくらい、報道などはいまと比べられないくらい少なかった。小学校4年生の時には春の上杉まつりの会場にサーカスや見世物小屋が建ち、その呼び屋がシャム双生児の絵や火傷の人体写真を棒で叩きながら、原子爆弾の被爆者が放射能の影響で可哀想な悲劇を嘆き?ながら、「寄ってらしゃい見てらっしゃい」と叫んでいました。私はとても怖くなったことを覚えている。中学2年生になるとある日の土曜日に、担任の春日先生が「今日のお昼からNHK教育テレビを見なさい。アメリカが回収していた広島被爆地の映像が公開される。早く帰ってみるように」。テレビは焼きつくされた広島の風景が続いた。月曜日に春日先生は「みんなに本当に見てもらいたかったのは原爆や放射能の人体に与えた影響だった。残念ながらその映像は一切放送されなっかった。その後少しずつだったがテレビや雑誌にも人体に与えた影響が映画やドラムとなったが、ほとんどが白血病などで苦しみながら死に向かう悲劇だった。そこには被爆者への差別なども描かれていた。1969年、高校1年生の時に「少年マガジン」に短気連載で劇画「ある惑星の悲劇」に遭遇する。ある惑星とはこの地球でした。悲劇とは戦争であり、初の原爆投下による人類史上初の大規模な破壊行為を表していました。当時、戦記物の英雄的なマンガはあったものの、広島に投下された原爆を正面切ってテーマにし、原爆の惨たらしさと、生き残った被爆者のさらなる悲劇を描いた。それだけにこの作品は私だけではなく、多くの読者に衝撃を与えたと当時の毎日新聞では大きく取り上げられるほどだった。原作は草川達夫さんという被爆者だった。この草川さんの書いた詩集を偶然に発見した旭丘先生が取材を重ねて劇画化したのが「ある惑星の悲劇」だった。この作品の連載2回目から出会い、3回目を読み終えて興奮冷めやらずに埼玉の旭丘光志先生宅に電話し、衝撃をうけたことを伝えた。先生は興奮気味の私の感想をフンフンと相槌を打ちながら聞いていただた。この作品はぜひ広島平和祈念館に永久保存と展示をお願いしたい。Amazon Kindle版で読むことができます。ある惑星の悲劇
2025年08月04日
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木村武雄伝承会発会式2025年5月25日日曜日に山形県米沢市では「木村武雄伝承会」発足式が行われました。木村武雄って誰?というくらい、米沢市民にも忘れられています。元衆議院議員でもあり、文筆家でもあり、書道家でもあった明治生まれの気骨のある政治家として名を残されています。特に戦前戦中戦後と中国や東アジアとの関わりが深く、本人自体は石原莞爾と共に「東亜連盟」を組織し、戦後はパージにあって衆議院議員にも立候補できない期間もありました。東亜連盟は今でこそ有名無実名存在ではありますが、当時は後の社会党委員長となる佐々木こうぞう氏や柔道家の牛島辰熊氏など日本だけでも10万人の組織だったといいます。東アジア各国の独立運動や解放にも影響を与えたといいいます。木村政治には「権力を作り、権力を倒す」という政治信条があり、日中国交正常化を実現するためには佐藤内閣に見切りをつけて、田中角栄を総理の座に。また、木村武雄は名誉よりも実利を執ることを重視し、表舞台には上がらずプロデューサー的な目立たない存在であったといいます。ただ一度だけ日中国交時には、右翼対策のために国家公安委員長に就任し、(同時に建設大臣にも就任するなど)日中国交に万全を尽くしました。小選挙区制になってからは党公認の候補者が多くなり、国民のための政治を行う人が少なくなっているといいます。官僚や役所の手先が政治家の本来の姿ではないという、強い信念の木村武雄の意思や政治観を知っている人がいるうちに、その意思や東亜連盟などの構想を学ぶ機会を作ろうと立ち上がった人たちで「木村武雄伝承会」を作りました。6月23日月曜日には山形放送テレビに木村武雄伝承会を紹介しながら木村武雄の偉業が紹介されます。「YBC ニュース・エブリィー」(夕方 6時15分から7時)『戦争の語り部』 木村武雄にスポットを当てた特集を放映予定「木村武雄伝承会」が米沢市で発足、会長に野村研三氏https://www.yonezawa-np.jp/html/newsmovie/2025_1H/20250529mov1.html木村武雄の功績、後世に・米沢出身の政治家「伝承会」発会式https://yonezawakojokan.info/2025/05/29/t9kimura-2/石原莞爾の遺徳しのぶ・初の「分骨記念碑」顕彰祭https://yonezawakojokan.info/2024/10/30/t9kimura-s39nomura/木村武雄伝承会が設立、石原莞爾分骨記念碑で顕彰祭https://www.yonezawa-np.jp/html/newsmovie/2024_2H/20241028mov1.html2025年6月19日木曜日 祖父 井上長吉の命日に書く。
2025年06月19日
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今日6月6日は「ほんの木」の創立記念日。40周年になりました。ほんの木通販サイト「自然なくらし」創業者のひとりである柴田敬三氏は、小学館で数々のヒット作を放し、1986年に独立して出版社「ほんの木」を興す。現在の社長である髙橋利直氏も創業者のひとりである。小学館時代からミュージシャンとの関係が深かった柴田氏。創業記念にと人気絶頂のA嬢から写真集の企画を受ける。これが大ヒット。次に日本の政治や儒教的な社会に風穴をあける雑誌「アップデート」を発行した。1988年、当時では先進的な雑誌として注目を集めた。その後も数々の政治経済、メディア、教育、市民運動などの先端を走る者たちの単行本を出版する。親友、岡田正嗣氏らと企画会社「パン・クリエ-ティブ」を設立。他にもミュージシャンたちのマネージメントなどにも乗り出す。1991年にはこの岡田氏が山形県米沢市にバードアルカディア計画なるゴルフ場開発を基盤にした“日本版シリコンバレー・・ソフトウェア中心よる新工業団地を企画〃したことで、私は岡田氏の紹介でほんの木柴田氏と高橋氏と出会うのだった。1992年には通販事業「自然なくらし」を開始し、翌年には薬湯「芳泉」を発売し、これが大ヒット。ほんの木の屋台骨となる。同時に柴田氏は当時の「政治改革」にも市民運動の立場から地方自治や国政に首長や議員候補を送り出す。また、産直会社らでいしゅぼーや生活クラブなどにも顧問的立場となる。私たちは、阪神淡路大震災時に衆議院議員高見裕一氏らの要請で災害ボランティア「ボランティア山形」の結成。これにもほんの木は大きく関わっていた。各方面に活躍を拡げていったほんの木も、柴田氏が物故されてからは教育方面と通販に特化していく。「社会運動」や地味ながらも確りと社会を築くために働いている人たちの著書を出版している。柴田氏は生前私に「歌や音楽で世界を変えることを真剣に考えていたこともあったんですよ」と照れながらも、真剣な眼差して言われたことがあった。柴田氏の原点だったかも知れない。ほんの木はかけがえのない大切な教師的存在として私は支えていただいている。さあ、次は45周年を目指して一緒に歩んで行きましょう。(2025年6月9日記)
2025年06月09日
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10月24日火曜日に世田谷区長保坂展人氏が東日本大震災以来12年ぶりで米沢を訪問されました。米沢の商店街を見学し、その後、飯豊町にある「ながめやまバイオガス発電所」を見学。肉牛によるバイオガス発電の成功事例は少なく、食品残渣に地元銘酒「東光」の酒粕を添加して発酵を高めているという東北おひさま発電後藤博信社長の説明に、「バイオガス発電の規模と機能がここまで徹底されているとは想像以上でした」と感想を述べられました。当日は東光の小嶋総本店小嶋社長様、飯豊町後藤町長様をはじめ、米沢市議会議長相田克平様、米沢市市民環境部部長佐藤明彦様も同席され、おきたま新電力の関係者と一緒に保坂氏による「世田谷区のエネルギー政策」を学びました。自治体どうしによる地域電力の産直を行っている世田谷区の実践事例に「置賜の電気をおきたま新電力を通して、世田谷に産直を考えてみてはいかがでしょうか」と保坂氏や後藤社長らは熱心に語り合いました。
2023年11月08日
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1970年8月8日、山形県山形市八文字書店で「手塚治虫サイン会」が開催されました。漫画集団が沖政宗の招待で花笠踊りに来県された手塚治虫先生は、サイン会後、私たち「ぐらこん山形支部」というマンガ家予備軍のメンバーと交流会を催してくださいました。マンガ界のことやご自身の作品のこと、そして私たちとの今後のことなど3時間以上の交流になりました。秋田に行く特急電車をキャンセルしてまでも長時間楽しいひと時でした。あの時、ホテルオーヌマに宿泊されて描いていた作品が「トキワ荘物語」と「アポロの歌」でした。私は「アポロの歌」の下書きを見せてもらいビックリしました。あまりに簡単に省力されているからでした。あとはアシスタントが描くのだと、お付きの大村さんが申していました。あれから半世紀たち、あの天才手塚治虫先生との出会いで人生が導かれたひとりとして、心から感謝しています。1970年8月8日の熱い熱い夏の日が今も忘れられません。(当時のことをホームページに書かせていただきました)http://mangadaisukidas.web.fc2.com/atuinatu-3/atuinatu-3.html?fbclid=IwAR2r2OFQVcACTFuYzhYvBNhtDCMKfZH45dOeEce4x1tDHxrOtdvVOl36mcU
2020年08月08日
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2020年7月7日 火曜日 祖母の命日7月7日は七夕だが、私にとってこの日は祖母ふみの命日である。1999年93歳まで一週間という日に、米沢市立病院で息を引き取った。明治41年1908年生まれの祖母の人生は、幸せには恵まれなかったかもしれない。それでも賢明に生きようと努力の人だった。仮死状態で生まれ病弱だった私、いまも元気で生きていられるのも祖母の深い愛のお陰だと感謝している。天国に逝ってから21年。幸せに暮らしていてほしい。
2020年07月07日
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2020年7月1日 水曜日 中村喜四郎 氏今日の山形新聞に中村喜四郎衆議院議員が対談で登場。姜尚中氏の「政治の器量・ウェーバー再考」の6回目のお相手だった。(共同通信の企画か?)中村議員の一言一言が重い。そしてウェーバーの言葉から、現政権と官僚の問題をえぐりだしている。国民を向いて政治をしているか。政治は命がけの仕事。与野党緊張感を持つには投票率。野党だと党を渡り歩く。有権者との絆ができていないなど、ゼネコン事件以来表舞台から去り、いまは強い野党つくりにまい進する中村喜四郎氏に注目したい。
2020年07月01日
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2020年6月30日 火曜日 万年筆を買いました手紙を書くときは太文字の万年筆がいい。数年前、新幹線の中に忘れてしまい、それ以来、中文字の万年筆で書いていた。今日は文具店に買い物に行ったが、太文字の万年筆がないかと尋ねると、とても使いやすそうな万年筆を紹介された。贅沢かと迷ったが思いきって購入してみた。早速、手紙を書く。やはり格別な書き心地だった。気持ちよく手紙を書く。文章も格別だった……かな?
2020年06月30日
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2020年6月27日 土曜日 「久米宏ラジオなんですけど」最終回長年続いたTBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」最終回を迎えた。この番組では全国の偉人たちが紹介された。米沢出身の便利屋さん、ほんの木の「上お向いて話そう」の著書桝井論平さん、城南信用金庫元理事長吉原毅さん、長井市の菅野芳秀さんなど、毎回小さな力を寄せ合って地域や専門分野で汗をかいている人たちを紹介してきた。1964年の東京オリンピックの資金を世界開発銀行へ返済が終わったのが、開催から30年後だったこと。地下組織に資金が流れていったことなども、この番組では紹介されていた。最終回は伊集院光さんがゲストで大声で自説を喋りまくっておられたが、私はこの時間をいつものように久米宏さんと堀井美香さんのやり取りで回を閉じて欲しかった。またひとつ好きな番組が無くなってしまった。久米宏さん、若き日のように赤坂の街を街頭中継 「ラジオなんですけど」最終回 毎日新聞より
2020年06月27日
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2020年6月26日 金曜日 清酒錦爛きんらん今夜は親しくさせていただいているYさんと、同じ職場のKさんと小料理花藤へ行った。YさんとKさんは早速、高畠町後藤康太郎酒造の清酒「金爛」(きんらん)を頼む。お互いに「通ですね」とほめあう二人。この金爛はひと肌が美味しいのだそうだ。時々水を飲みながら何本も銚子が並ぶ。話は弾み、新型コロナウイルス後の新しい日本を語る。再生可能エネルギーの地産地消と社会貢献事業を進めているだけに、SDGsをどう生活に根付かせていくのかと、小さいけれど危機感と同じくらい希望の光を追い求める三人だった。美味しい清酒は、夢とロマンのプラス思考の話になっていく。しかし、私はずっとウーロン茶だった。日本酒物語 金爛イラスト・たかはし よしひで 先生
2020年06月26日
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2020年6月25日 木曜日 さくらんぼ山形県東根市の齋藤さんから「さくらんぼ」が送られてきました。品種は「佐藤錦」。東根がルーツです。甘くて美味しく、娘夫婦にも明日分けてあげよう。齋藤さんに感謝です。ありがとうございました。
2020年06月25日
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2020年6月24日 水曜日 国のカタチとナカミを変えないと。午後から仕事で山形市へ。しばらくぶりに行く。国道も県道もクルマの混み具合はもとに戻りつつある。しかし、マスクをしているドライバーは10台中2,3人。窓は締めていく。エアコンをしているからだろう。外気を室内に入れているだろうか。たまに窓を開けて走っている車は20台中1台だろうか。歩いている人もほとんどがマスクをしていない。しかし、事務所の中で仕事をしている人たちは、まだまだマスクをしている。新型コロナウイルスはしぶとい。ラジオでは東京で55人の感染が伝えられた。人の健康や福祉よりも、経済優先がありありの日本。税のあり方や人命保障を真剣に考えなければならない。国のカタチとナカミを根底から変えていかないと思う。
2020年06月24日
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2020年6月23日 火曜日 沖縄伊江島沖縄本土決戦から75年。この沖縄伊江島の戦後も知ってほしい。戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2013年度「地方から見た戦後」「阿波根昌鴻と共に生きて」謝花 悦子さん第1回 沖縄 “焦土の島”から“基地の島”へ2010年夏にこの伊江島で謝花さんから直接お話を聞いた。沖縄は日本からのアメリカへの生贄なのだろうか。https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/shogen/movie.cgi?das_id=D0001810024_00000
2020年06月23日
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2020年6月22日 月曜日 マンガを描こうか最近、マンガを描きたくなってきた。しかし、ペン使いや背景を描くのが苦手だ。しばらく描いていないからだ。絵も下手くそだし、どうしようもない。この数年は下描きをして、たかはしよしひで先生に仕上げてもらっている。自分しか描けないマンガを描きたいが、どうしても時間がなく仕事の延長の内容になるのは仕方がない。今年の後半期の挑戦だ!
2020年06月22日
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2020年6月21日 日曜日 たかはた漫画館午後から「たかはた漫画館」へお邪魔してきました。館長の高橋新一郎さんと2年ぶりの再会となりました。どんどん漫画単行本が増えています。玄関を入るとNHK朝の連続テレビ小説「エール」のモデル小関裕而の作曲したレコードやCDが飾ってありました。それに1964年の東京オリンピックに関する珍しい映画「東京五輪音頭」のポスターもあり、昭和時代にタイムスリップする昭和館でもあります。「こんな漫画家のこんな作品が面白かった」というと、すぐにその作品を差し出す高橋館長さんです。約1時間半の間にたくさんの漫画家と作品の話をして来ました。今度は私の漫画の恩師たかはしよしひで先生と一緒に訪問したいと思います。たかはた漫画館のホームページは次のとおりです。https://takahatamangakan.com/
2020年06月21日
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2020年6月20日 土曜曜日 自宅に、高橋均様からご自身の著書「競争か連帯か 協同組合と労働組合の歴史と可能性」旬報社刊が送られてきました。帯には「分断と孤立を蔓延された市場万能経済を創りかえるために!」「社会のありようを一変させたコロナ禍は、四半世紀にわたって過度に強調されてきた自己責任者会から人間どうしが支え合う連帯社会へ、大きく転換させるチャンスでもある。労働組合と協同組合の果たすべき役割はますます重くなってくる」協同組合の歴史や労働金庫、信用金庫、全労済、県民共済、農協や生協まで、創立から今日までの軌跡をこれだけ公平公正に書かれている著書は珍しい。どうしてもイデオロギーが歴史を広く捉えることなく、セクト主義で描きがちな世界だからである。山形県米沢市出身者の平田東助は、明治に国務大臣として協同組合を法制化してきた。同じ出身者の河上清は、数少ない日本の社会主義協会の設立に関わっているジャーナリストだった。早稲田大学生協から労働金庫へ移籍した杉本時哉は、大学生協を核に民青を利用して市民生協を共産党の活動拠点化を図った。晩年はよく米沢に来られたものだ。戦前の消費組合は木村武雄元帥の弟が米沢で、農民運動から関誠一が福島消費組合を創設した。米沢はある意味では、そのような協同組合や革新運動の巨人を生み出した土壌の地でもある。高橋均様の著書は、協同組合運動の歴史を学び、SDGsをどう生活に根ざすかを学ぶ上で貴重な教科書になると期待できる。楽しみだ。https://www.amazon.co.jp/%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%81%8B%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%81%8B%E2%80%95%E2%80%95%E5%8D%94%E5%90%8C%E7%B5%84%E5%90%88%E3%81%A8%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7-%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%9D%87/dp/484511643X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%81%8B%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%81%8B+%E5%8D%94%E5%90%8C%E7%B5%84%E5%90%88%E3%81%A8&qid=1592658219&sr=8-1
2020年06月20日
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2020年6月19日 金曜日 祖父の命日今日は祖父の命日。1977年(昭和52年)6月19日に73歳で逝去した。私は23歳で喪主を務めた。あれから43年になる。礼服は佐々木賢一さんからお借りした。佐々木さんも北澤幸昌さんも兄のようにずっと寄り添ってくれた。祖父からは沢山のことを学んだ。「社会学を学べ」といつも言っていた祖父は、連れ合いからは「きびちょ(急須のこと)」と呼ばれていた。祖母に言わせると、祖父はなんでも横から口を出すからきびちょと同じ。他人の困ったことには馳せ参じ、ありがたられるのならわかるが恨まれると。短気だったから、すぐに怒る。そんな祖父だったが、正義感が強く、曲がったことは大嫌いだった。私はそんな祖父の生き方を理解できたのが30歳を過ぎたころからだった。自分が責任のある役割が多くなってからだった。祖父の教えがよみがえってきたのだった。今日は息子と一緒に墓参りをした。 愛犬ジョンと散歩する祖父の長吉
2020年06月19日
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2020年6月18日 木曜日 個浴が魅力私たちのデイサービスセンター結いのきは食事が美味しいと喜ばれています。創業以来それが売りになっていました。そんな中で「お風呂もいいのに」と職員から教えてもらいました。「結いのきのお風呂は『個浴』が魅力」だということを忘れていました。一人でゆっくり入れる個浴をもっと大事しなければならないと思いました。 結いのきのホームページをチョッと見てください。結いのきデイサービス
2020年06月18日
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2020年6月17日 水曜日 歳のせいか、読書力が明らかに著しく落ちている。根負けしている。その分、最近は映画をテレビで、特にCSとDVDで観る機会が増えた。「ひまわり」、「ドクトル・ジバゴ」、「八墓村」、「ウエストサイド物語」、「007シリーズ」、「ニューシネマパラダイス」、「水戸黄門」、「男はつらいよシリーズ」、「ゲルニカ」、「フェーリー」、「15時17分、パリ行き※ダイヤモンド行き」等々と、どれもが娯楽作品と一口で済まされない名作ぞろい。感心するほど台詞が重い。時には泣かせ、時には自我を目覚めさせてくれる。絵が見せる。迫力と優しさがこころを洗う。映画は面白い。
2020年06月17日
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2020年6月16日火曜日娘からポロシャツのプレゼントがありました。間もなくの父の日のプレゼントだということです。うれしいです。とてもうれしいです。親バカと言われそうですが、このうれしさは格別です。人はこんなうれしさを味わうことで生きる力が自然に湧いてくるのでしょうね。
2020年06月16日
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2020年6月15日 月曜日「アベノマスクをお譲りください」と私の勤務する認定NPOで呼び掛けたところ、たくさんの方々からご協力をいただきました。しかも、アベノマスクどころか、手作りのマスクもあります。今日は息子がお世話になっている福島市のSさんからもマスクが送られてきました。いつも息子を気にしていただいているSさんには心から感謝していますが、今日は本当にうれしかったです。また、岡山に住む姉からも手作りのマスクがとどきました。器用な姉さんなので、特に洋裁はプロなので出来栄えが素晴らしいでした。まごころマスクを備蓄して、新型コロナウイルスの第2波に備えます。まごころに感謝します。
2020年06月15日
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2020年6月14日 日曜日 お久しぶりです。新型コロナウイルスウィルスは下火になったようで、第2波がいつくるのかと不安はおさまらない毎日です。生活も大変になっている方も多いでしょう。東京都は新たに47人の感染者です。都知事選挙のどころではないでしょうに。なんとかならないでしょうかね。
2020年06月14日
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私は5月17日、18日朝4時5分過ぎからNHKラジオ「ラジオ深夜便」に出演します。災害ボランティアの話です。もちろん生活協同組合のことも。早朝ですが起きていたらお聴きください。ラジオ深夜便5月17日(木)、18日(金)の2日連続、それぞれ午前4時台(16日(水)、17日(木)深夜)明日へのことば「新しい時代の災害ボランティア」ボランティア山形代表理事 井上 肇さんhttp://www.nhk.or.jp/r1-blog/050/119433.html結いのきトピックス NHKラジオ深夜便に出演新しい時代の災害ボランティアhttp://topics.yuinoki.or.jp/?eid=1232581
2012年05月15日
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訃報です。山形県米沢出身(満州生まれ)CMデレクター佐々木隆?信氏が4月15日夜9時30分頃にお亡くなりになりました。ピッ?プエレキバン、エバラ焼肉のたれ、象印ジャーなどのCMで次々に?ヒット作を作られました。平成に入ると米沢市を中心にした昔の1?6ミリフイルムを新たに再生して、老人ホームなどで「回想療法」?をあみ出すなど、意欲的な活躍をしておられました。ここ数年は東?京杉並の本応寺で住職をしておりました。こよなく米沢を愛されて?いた監督でした。合掌
2012年04月20日
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名優の死が続いています。この人を知らない方はいないでしょう。左右田一平さん。つい最近では1月27日のBSフジ「新・座頭市物語」第18話「酔いどれ川」で演技を見せました。(再放送)左右田一平さんもに2月10日にこの世を去られてしまいました。ご縁があってお付き合いをさせていただき、しかも2009年8月26日には米沢市・伝国の杜にて一人芝居「月山が見ている」(演出・相澤嘉久治)披露されました。結果的にこの芝居が左右田さんの最後の主役舞台となってしまいました。そして翌年9月には米沢市花沢町のグループリビングCOCO結いのき・花沢を訪問され、みなさんと会食をされました。物静かな左右田さんは紳士でした。ご冥福をお祈りします。左右田一平さんがグループリビング結いのきで交流http://topics.yuinoki.or.jp/?eid=1217551左右田一平さん最後の舞台一人芝居「月山が見ている」が米沢伝国の杜でした。http://topics.yuinoki.or.jp/?month=200908
2012年02月18日
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あれから17年。いまは東日本大震災の支援活動をしています。 阪神・淡路大震災から17年になりました。 あの日は朝から神戸の友人からファックスでSOSが入り、ボランティア山形を結成するきっかけとなりました。 そのボランティア山形は、今、東日本大震災の支援活動をしています。 12月31日には石巻で31人のメンバーが松厳寺(しょうがんじ)で除夜の鐘のお手伝いでした。 10円バザーは好評で第6回が終わったばかりです。 2月には兵庫県から研修旅行で米沢・石巻。気仙沼・岩手を縦断しながら、現地で多くの被災者からお話を聞く企画をしています。 3.11には復興と追悼の集会を企画しています。 ボランティア山形がまさか東日本大震災のために活動するとは17年前には想像もしていなかったのです。 しかし、一日も早い復興と福島原発事故の終息を願って今日も活動をしている私たちです。 あれから17年。阪神・淡路大震災の経験はボランティア山形の活動にはしっかり活かされています。 12年 1月17日 火曜 記
2012年01月17日
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東日本大震災の災害ボランティア「ボランティア山形」の活動の記録の対談集「市民の力で東北復興」が1月15日に発売されます。ぜひご購入をお願いします。3.11のその瞬間からの出来事や原発事故で福島からの避難者を迎え入れた山形県米沢市の行政と市民の助け合いはこれからの災害時の参考になると思います。出版・発売は「ほんの木」です。定価1400円です。
2011年12月15日
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7.29豪雨災害による被害者へのボランティア活動 参加者募集の件 ボランティア山形では、この度の豪雨災害による被害を受けた住宅の片付け等のボランティア活動を実施いたします。 つきましては、参加していただけボランティアを募集いたします。 詳細につきましては、下記のとおりです。 記ボランティア実施場所:福島県只見町(米沢市から車で約4時間)実施日時:2011年8月3日(水)~7日(日)参加集合場所:米沢市役所 正面入り口集合時間:午前5時(予定)現地終了時間:午後5時現地受け入れ団体:NPO法人 ハートネット福島(責任者:吉田公男)参加費:3,000円参加ご希望の方は、ボランティア保険に加入していただきます。持ち物:長靴、マスク、ゴーグル、手袋、タオル、など参加ご希望の方は、ボランティア山形 丸山 (TEL:090-2974-8702)上記つながらない場合は:井上(090-5358-7232)*「ボランティア山形」とは、1995年の阪神大震災の時に結成された団体。生活クラブやまがた生活協同組合がベースになっている。災害発生時に自己責任にて集まったメンバーで構成されて活動を行っている。代表理事は井上肇(生活クラブやまがた生活協同組合 前理事長)。「結いのきトピックス」http://topics.yuinoki.or.jp/「結いのきコラム」http://column.yuinoki.or.jp/「結いのき会員企業情報」http://member.yuinoki.or.jp/http://member.yuinoki.or.jp/「生活クラブやまがた」http://yamagata.seikatsuclub.coop/「まるがけ日記」http://ameblo.jp/marugake お問い合わせは次にどうぞ。電話0238-37-0960fax 0238-37-0961info@yuinoki.or.jpデイサービスセンター結いのきホームページlhttp://yuinoki.or.jp/04day_01.htmlグループリビング「COCO結いのき・花沢」のホームページhttp://yuinoki.or.jp/05group_01.htmlたくろう所のホームページhttp://yuinoki.or.jp/07takurou.htmlグループホーム 結いのきのホームページhttp://yuinoki.or.jp/06group_home.htmlNPO 結いのきのホームページhttp://yuinoki.or.jp/
2011年08月02日
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東日本大震災 避難情報 11年 4月12日 火曜原発事故による不安の方で避難所でお困りの方はご相談ください。山形県米沢市でよければご相談に応じます。行政との橋渡しもいたします。お問い合わせは次にどうぞ。電話0238-37-0960fax 0238-37-0961info@yuinoki.or.jp「結いのきトピックス」http://topics.yuinoki.or.jp/「結いのきコラム」http://column.yuinoki.or.jp/「まるがけ日記」http://ameblo.jp/marugake
2011年04月12日
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●東京大学現代社会研究会・新歓講演会マンガ規制―「有害」図書と表現の自由日時:4月13日(水)18:00~ 開始時間を変更しました(最新情報は、現代社会研究会サイトでもご確認ください。)会場:東京大学駒場キャンパス5号館523教室(2階)講師:保坂展人参加無料主催:東京大学現代社会研究会問い合わせ:090-3527-3475(須藤)
2011年04月08日
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神戸の災害ボランティアとボランティア米沢4月13日午後3時15分からNHKテレビで神戸の災害ボランティアが結いのきに来て、生活クラブと米沢を拠点にボランティア活動するまでが全国放送されます。45分の特別番組です。(NHK大阪局制作)「結いのきトピックス」http://topics.yuinoki.or.jp/「結いのきコラム」http://column.yuinoki.or.jp/「まるがけ日記」http://ameblo.jp/marugake
2011年04月08日
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東日本大震災明日のNHK「クローズアップ現代」に結いのきが?3月28日月曜日午後8時からNHK「クローズアップ現代」で米沢市や結いのきを背景に災害ボランティア吉椿さんを紹介。ぜひご覧ください。意外にしられていない「被災地災害援助」を目的としたNGOやNPO、そして石けん派生活協同組合同士の連帯。この東日本大震災ではいち早く神戸のNPO2団体が動きました。そして多くの災害援助ボランティアが山形県米沢市のグループホーム結いのきを本部に活動を展開しまた。その一端を被災地NGO協働センター 吉椿雅道さんの行動を追って、災害援助ボランティアのあり方を紹介する番組です。米沢市民も多く登場します。ボランティアとは何かを考える番組になることを期待しています。ぜひ、ごらんください。
2011年03月27日
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東日本大震災の災害ボランティアに応援を!山形県米沢市に全国からのボランティア団体のリーダーが結集しています。その中から神戸出身の丸山弘志さんが米沢市営体育館で活動している「ボランティア米沢」の事務局長に就任していただき、福島からの避難者のみなさんへケアをさせていただいています。また、米沢市を拠点に石巻や名取へ災害ボランティアが行っています。この動きを作れたのは生活クラブやまがたの支援があります。行政と共に動くようにしていますが、活動資金がありません。この生活クラブやまがたへ活動資金のご協力とボランティアへの登録をお願いします。お問い合わせは下記へお願いします。info@yuinoki.or.jp
2011年03月23日
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緊急対応生活クラブやまがた+ボランティア山形 本日未明に米沢市からの緊急物資供給の要請がありました。福島県相馬市と宮城県亘理町に向けて「水」と「毛布」を届けるのが使命です。 市の職員も同行しての運搬作業です。 午前5時30分頃から準備をはじめ、7時45分に山形県米沢市を5台のトラックと10名の職員とボランティア軍が出発しました。 相馬のみなさん、亘理のみなさん、どうぞお大事にしてお待ちください。
2011年03月12日
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村野守美先生逝くマンガ専門誌のCOMとガロにエネルギッシュな作品を数多く発表していた漫画家でアニメターの村野守美(むらの・もりび)先生が3月7日夜に心不全でお亡くなりになったと、今日の夕方にマンガ関係者からご連絡をいただきました。あの「ほえろボボ」(後にほえろブンブンに改名)やトランペットボーイ、オサムとタエシリーズなどの名作で根強いファンがいた村野先生でした。短編が得意で、1960年代後半から漫画アクションをはじめ青年コミック誌での活躍が目立ちました。叙情豊かな内容も得意でした。ご冥福をお祈りいたします。合掌昔、村野先生から頂いた色紙です。「ほえろボボ」と「トランペットボーイ」そしてサインです。
2011年03月08日
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雪灯篭を受継いで 5年ぶりの大雪で2月12、13両日の「上杉雪灯篭まつり」は縮小することなく、白い街を灯篭がにぎやかに飾っている。 私は12日の夜に仙台と山形から取材のお客様を上杉神社にお連れすることにした。ご高齢のIさんは会場まで30分の雪道は歩けないだろうと、上杉神社の近くに自宅を構える職員の冨田さん宅へ自動車の駐車をお願いをした。 冨田家の前にたくさんの雪灯篭が並んでいた。 冨田家の雪灯篭はバケツに雪を入れて、逆さにしてかたどるのが特徴だった。 私はそれを見て思い出した。 このバケツによる雪灯篭を毎年作っていたのは冨田家のおじいさんの実さんだった。その実さんは昨年11月にお亡くなりになった。一体誰がこの雪灯篭を作ったのだろうか? そうすると長身の冨田家の娘さんの姿があった。 彼女は一つひとつの灯篭に灯を点けていた。 娘さんは埼玉におりこの連休に帰郷していた。 この冨田家の雪灯篭は娘さんが作ったという。 なんだか胸が熱くなってきた。 この雪灯篭と娘さんの写真を撮ろうとしたが、胸の熱さに負けてしまい立ち往生してしまった。 おじいさんが毎年作っては孫や家族を楽しませていた。その役割を実さんのお孫さんが受継いだのだ。 上杉雪灯篭まつりは前の戦争で亡くなられた御霊を祭るために行われたという。冨田家の娘さんの雪灯篭はおじいさんの供養になったことだろう。 娘さんの目がクリクリと炎に光っていた。 2011年 2月13日 日曜 記
2011年02月13日
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朝刊を見てびっくり。内閣府の「2月7日は、北方領土の日です」の広告が1面に掲載されていました。写真には少女の顔。その少女の右ほほにあざが!?よく見るとそれは北海道から北方領土を描いていました。企画者は注目をあびせるつもりでしょう。でも、私は「あざ」に見えました。複雑な気分になりました。民主党政権はこんなものかと本気で思いましたよ。
2011年02月07日
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まさに王道人生……チャンピオン!1999年1月31日はプロレスラージャイアント馬場さんの命日である。今年で13回忌を迎える。馬場さん亡き後のプロレス界はどんどん縮小しており、馬場さんをしのぐスター選手も生まれていない。しかも、皮肉なもので馬場さんの後継者といわれていたジャンボ鶴田や三沢光晴の各選手もこの世を去っている。あの豪快な巨人ファイトのインターナショナルヘビー級チャンピオン時代。小さなパートナーアントニオ猪木とのタッグのお手本を見せてくれたインターナショナルタッグチャンピオン時代。老獪さとテクニックで相手を倒すPWFヘビー級チャンピオン時代。世界一とは強さよりも受身と器用さが求めれれることを教えてくれたNWA世界ヘビー級へのチャレンジと3度の奪取。自ら前座に登場し、強くなければメインは取れないことを選手やファンたちに教えてくれたプロレス道への悟り。ジャイアント馬場さんの命日は「王道プロレス」の命日でもあったようだ。もう一度馬場さんのファイトが見たい。合掌2011年1月30日記
2011年01月30日
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追悼 みやわき心太郎先生 「なかなか納得しないと描けない作家だけど、すばらしい作家です」石井文男さんみやわき心太郎先生と私は、昨年の8月2日に虫プロ商亊発行の「COM」(コム)についてのシンポジウムが京都で開かれた時に、パネラーとして同席させていただいた。東京駅銀の鈴で待ち合わせをしてから一日一緒の旅となった。みやわき先生は大家らしからぬ人懐っこい笑顔で話かけてくれた。私はみやわき先生に一冊の雑誌を出した。「ういずY」昭和53年12月号。山形のタウン誌だ。その雑誌には「特別座談会 まんが-現在・過去・未来 石井文男(元COM編集長)VS井上はじめ(漫画集団ボボ)」が掲載されていた。その誌上座談会の後半に石井文男さんはみやわきさんの漫画家として、人間としての姿勢を語っていた。東京から京都に向かう中、みやわき先生はその雑誌を熱心に読んでいた。みやわき先生の顔がだんだん雑誌で隠れていくのがわかった。眠っているのかと思い、よく見ると先生は両目をカッと開き雑誌を静止して見ていた。そして私に言った。「この頃は僕はたいへんだった。子どもも生まれるし、原稿料は入ってこないしね……石井さんはお元気になられましたか!?」「他でお金もうけて描いている人は、まだ救われるけど、僕のために描いていくれて、、それでお金が払えない……僕はどういい訳したらいいのか……。(略)彼は(なかなか納得しないと)描けない作家だけど、すばらしい作家です」誌面での石井さんの言葉だった。みやわき心太郎先生のお人柄を表している石井さんの言葉だ。みやわき先生はこの言葉を読んできっと喜んでいたのではないだろうか。202010年10月 8日 金曜 記写真:2009年8月2日 国際マンガミュージアムにて(撮影:筆者)追記 明日のお通夜には石井さんと参列します。
2010年10月12日
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みやわき心太郎とCOMそして石井文男10月10日の夜9時45分、私の携帯電話に漫画家 みやわき心太郎 先生の死去のメールが届く。メール発信者は「次女ひよこ」さんと書いてあった。「昨夜、亡くなりました」と、そしてお通夜と告別式の日時と会場が記されてある。信じ難かったが、まさかと思い、COM編集長だった石井文男さんに電話をした。みやわき心太郎先生は1970年代にCOMや青年誌、少年誌などに精力的に作品を発表していた。地味な絵と抒情的なストーリーはフランス映画を感じさせた。ほとんどが短編漫画でそしてラブストーリーだった。少年ジャンプに「ゲバラ」を描いた時が例外だった。COMの石井さんには、COMの廃刊後もちょくちょくお会いしていた。石井さんはいつもみやわき先生を気にしていた。「心太郎は漫画を描くこと以外は不器用だ。飯だってろくに食べていないはずだ。それでもあいつは漫画や絵を描く。本当に研究熱心だ。ほっとけないよ」「心太郎は僕のために『あたたかい朝』をCOM復刊号に描いてくれた。心太郎には珍しい69ページというあいつにしたら長編さ。でも、虫プロ(商事)が倒産して原稿料が払えなくなった。僕は心太郎にあわせる顔がないよ」石井さんは後に主婦の友社から編集を依頼された「ロマン・コミックス」シリーズに「みやわき心太郎・ハートコレクション風花」を連ねた。そこには「あたたかい朝」も掲載された。みやわき先生にはようやくわずかでも原稿料が支払われた。13日のお通夜には石井文男さんも参列する予定だ。合掌*あたたかい朝 1973年8月「COM」掲載2010年10月11日記
2010年10月11日
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訃報です。漫画家みやわき心太郎先生が10月9日夜ご逝去されました。67歳。通夜は13日18時東上セレモニーホール新座(埼玉県新座市野火止7-3-32)告別式14日11時30分同会場。喪主は妻久美子さん。兵庫県尼崎出身16歳「顔」(街)でデビュー。代表作「ハートコレクション」「ゲバラ」。みやわき心太郎先生は今年が漫画家生活50年。昨年と今年と「COM同窓会」での進行役は楽しそうでした。お茶目で人を大事にする先生でした。合掌
2010年10月10日
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沖縄住民の抵抗を描く戯曲「戯曲 沖縄県伊江島を思う」 アメリカと伊江島の農民の闘いを描いています。相澤嘉久治・作月刊素晴らしい山形4月号定価300円お問合せ023-641-9888 ぜひお読みください。
2010年05月20日
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~もっと歌謡曲!? 第7回 悲しくてやりきれない~ 第1069回 2009年11月2日そうだよ悲しいよ!加藤和彦さん高校3年生になって公務員試験を受けようと勉強をしていると、夕方のNHKラジオ「リクエストアワー」から歌が流れてきました。いのちかけてと ちかったひからすてきなおもいでのこしてきたのに あのときおなじはなをみてうつくしいといったふたりの こころとこころが いまはもうかよわないあのすばらしいあいを もういちどあのすばらしいあいを もういちどとても悲しい出来事の歌なのに独特のテンポが新鮮でした。加藤和彦と北山修の歌でした。そして曲は加藤和彦さん、詞は北山修さんの作品でした。その歌は、「素晴らしい愛をもう一度」といいました。ふたりにとっても、若者の歌から大人の歌への脱皮でした。なぜか「フォーク・クルセーダーズマイナス1」でした。マイナス1ははしだのりひこさん。当時のはしださんは北山修さんの詞に曲をつけて、自らのグループで歌い、ヒットメーカーとして活躍していました。だからあまりに気にもしていませんでしたが、後で聞いた噂では、「加藤和彦とはしだのりひこは音楽観が違うので、一緒に演奏はしないんだ」と。加藤さんの曲を次の順序で聴いてみましょう。「家をつくるなら」次に、「結婚しようよ」(よしだたくろう・編曲 加藤和彦)三曲目に「素晴らしい愛をもう一度」なにか共通するベースがあるような感じに聴こえませんか?私たちの世代にとって、新しい音楽への息吹が感じ取れる「洒落た歌」がこれらの曲でした。もちろん加藤さんはもっともっとたくさんの曲や歌を作りましたが、この三曲は特別な曲として心に焼き付いています。私にとっては「フォーク・クルセーダーズ」がいたからこそ、マンガを描くことができたと思っています。マンガといえば私とマンガ同人の仲間である、たかはしよしひでさんやあおきふみおさんはマンガの次にそれぞれがフォークグループを作ります。「三羽赤ガラス」と「影法師」というグループです。どこか加藤和彦に似ているあおきふみおさんは、いまも長井市で活躍しています。加藤和彦さんのご冥福をお祈りしています。合掌おわり加藤和彦さんに関するニュースや歌はまぐまぐニュース! Webサイトでご覧いただけます http://news.mag2.com/archive/20091019100000
2009年11月01日
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~もっと歌謡曲!? 第6回 帰って来たヨッパライ~ 第1068回 2009年10月29日帰って来いヨッパライ!!加藤和彦さんニッポン放送の「オールナイトニッポン」でDJ糸居五郎さんが「帰って来たヨッパライ」を紹介すると、深夜放送族の反響はすさまじく、次の週からのリクエストはベストテンに入ったといいます。そしてテイチクとクラウンを除く各レコード会社がレコード化に動きました。しかし、その時にはフォーク・クルセーダーズは解散しており、加藤和彦は北山修と一緒に別のフォークグループのリーダーだったはしだのりひこを加えて、急遽「新生フォーク・クルセーダーズ」を結成しました。それも1年間限定の結成でした。レコードの売上げは200万枚を超え、史上初の売上げを更新し続けました。フォークル(フォーク・クルセーダーズの略)の成功は大学生らを中心として活躍していた関西フォークにも脚光を浴びせます。コンサート中心でありながら音楽事務所を構えていた「受験生のブルース」の高石友也さんなどはビクターからデビューします。そして「破廉恥」がフォークやイラスト、マンガなどに描かれて「アングラブーム」が一世を風靡します。私もヨッパライをモデルにマンガを描き、「アングラくん」というキャラクターが生まれました。 加藤和彦の逸話は数えたらきりがありません。しかし、あのひょうひょうとした風貌と、あまり物事にこだわっていないようなイメージとは正反対に、彼は誰よりもナイーブだったのでしょうね。そうでなければ、あのような名曲の数々は生まれてこなかったでしょう。つづく加藤和彦さんに関するニュースや歌はまぐまぐニュース! Webサイトでご覧いただけます http://news.mag2.com/archive/20091019100000
2009年10月29日
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~もっと歌謡曲!? 第5回 あの素晴らしい愛をもう一度~第1067回 2009年10月25日 あの素晴らしい歌をもう一度加藤和彦さん加藤和彦さんの自殺のニュースにびっくりしました。私がまだ中学2年生から3年生になった時にフォーククルセーダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットし、「アングラ」、「深夜放送」、「フォーク」が社会現象となっていきました。それまではいわゆる「フォーク」は「フォークソング」という呼び方であり、まだ「フォーク」とは呼んでいませんでした。当時、アメリカから渡ってきた「フォークソング」は大学生の芸能関係者の二世たち(森山良子さん、寺尾聡さん、黒沢久雄さんら)が歌って話題になっていました。一方では浜口庫之介さんなどのヒットメーカーが「バラが咲いた」などをヒットさせていた時代でした。流行歌もテレビや有線放送が主なヒットの点火先でしたから、ラジオの深夜放送という受験生に限られた聴衆者の支持で素人が作ったLPレコードから社会現象になるほどの大ヒットが生まれるとは誰が想像したことでしょうか。あの「帰ってきたヨッパライ」から「アングラ」や「ハレンチ」という単語が素人「フォークシンガー」の代名詞となっていきました。グループサウンズに夢中だった若者や女の子たちは「フォーク」に切り替えていき、グループサウンズは見事に姿を消してしまうのでした。加藤和彦さんがフォーク・クセーダーズを作るまでのお話がいぜんテレビで紹介されたいました。「メンズクラブ」という若い男性を読者にした雑誌の読者のページに「フォークソングコーラスメンバー募集」が掲載されました。1965年9月号のことです。募集したのは当時京都の大学に通う加藤和彦さん。そしてフォーク・クルセーダーズが京都に誕生したといいます。メンバーへのポジションも加藤さんが決めたそうです。大学卒業と同時にフォーク・クセーダーズは解散することになりました。解散記念にレコードを自主出版することになり、レコードは「ハレンチ」というタイトルになりました。そのハレンチは全12曲。その中の1曲が「帰ってきたヨッパライ」です。加藤さんのアイデアでテープの早回しを思いつきます。「帰ってきたヨッパライ」の誕生です。レコードは全部で300枚。みんなで手売りをしたそうです。ラジオ局にも持ち込まれ、そこからこの「帰ってきたヨッパライ」は話題になっていくのでした。(ここまではテレビ朝日放映「驚きももの木20世紀」で知りました)つづく加藤和彦さんに関するニュースや歌はまぐまぐニュース! Webサイトでご覧いただけますhttp://news.mag2.com/archive/20091019100000
2009年10月25日
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~午前中のたたずまい喫茶「穂高」~第1066回 2009年10月17日ご隠居マスターの時局談義JR御茶ノ水駅、聖橋口駅近くに「穂高」という喫茶店があります。私はこの5年間で3回くらい入ったことはありませんが、珈琲がとても美味しい喫茶店です。昔懐かしい喫茶店ですが、イメージはズバリ「午前中のたたずまい」です。お店の客層は年配が目立ちますが、静かなお客さんばかり。それと対照的なのはにぎやかでインテリなマスターです。年齢は70代でしょうか。「ご隠居」といった印象が強く、若いボーイやウェイターを相手にずっと「時局談義」をしています。もっと静にして!と、思っても、耳に入ってくる「ご隠居」の話はどれもが感心する話ばかり。「JRはよく停まるねぇ。最近のJRはお店までやっている。JRの若者が、移動で「お店に行け」と云われたら、オレは店員がしたくてJRに勤めたんじゃないって文句言った奴がいるって。そうだよね。JRって本来の仕事がなんだか忘れていないかって、その若者は偉いよね」こんな調子の談義が次々と飛び出す。それを上手に洒落や愛嬌で受け応えする若いボーイやウェイターの巧みなこと。一度、「午前中」に行って見てください。
2009年10月17日
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旬恵祭が始まりました。開会では吉村知事もあいさつされました。天気も晴れて人もだいぶ集まっています。goto特派員山形県に根付く「スローフードの精神」を県内外に情報発信やまがた旬恵祭(しゅんけいさい)9月19日(土)11:00~16:009月20日(日)10:00~15:00山形駅西口広場生活クラブやまがたも出店します。ぜひ、ご家族やお友だちを誘っておいでください。
2009年09月19日
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山形県に根付く「スローフードの精神」を県内外に情報発信やまがた旬恵祭(しゅんけいさい)9月19日(土)11:00~16:009月20日(日)10:00~15:00山形駅西口広場生活クラブやまがたも出店します。ぜひ、ご家族やお友だちを誘っておいでください。
2009年09月19日
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