吹雪の如く 第4回 小川明と多田昭男・出



 あれは20年前のことだった。小川明は山形県立米沢商業学校を卒業後、山形県労働金庫に就職した。当時の労働金庫は設立まもなく、なかなか就職を希望する者も少なかった。というのも労働金庫は金融機関としては銀行や信用金庫と違い、貧しい勤労者を対象にした福祉金融機関としての性格が強く、当時は社会的にも低く見られていたからだ。
 労働金庫の設立は地元の大手労働組合が中心で行われていた。山形県労働金庫の設立には米沢市の国鉄労働組合が中心に行われた。労働金庫は「労金」という愛称で、労働組合のある大手会社や自治体、国鉄、郵政省など国の出先機関の職員を相手に会員の開拓をしていった。  
職員になった小川も利用者開拓と集金に走り回る毎日だった。小川が月に1回だけ朝4時起きして一日がかりで職場訪問をするところがあった。米沢市街から南へ約40キロ先にある西吾妻鉱山の労働組合であった。バイクを走られていくが途中からの急な登り坂では、坂を走ることができなくなる。バイクを押しながら坂道を歩く。たまにバスやトラックが通り過ぎると、砂利道の埃が煙幕のように小川を覆う。白布温泉(しらぶおんせん)の3軒の旅館を過ぎると間もなく、夕べのうちに準備した焼飯を食べる。腹ごしらいをした後は、バイクを置いて急な山道を歩いて登る。この鉱山は標高1300メートルにあった。
鉱山に着く頃はちょうどお昼の時間だった。労働組合事務所を訪ねると、数人の労働組合幹部が打ち合わせをしている。これがこの労働組合のいつもの光景だった。
小川が「お世話になっています。労金です」と挨拶を深々とすると、「おおっよく来たなあ。ご苦労様」と気持ちよく迎えてくれる。積み金を預かっているのは労働組合書記長の多田昭男だった。
多田はきれいな標準語で話し、物腰も柔らかかった。とても鉱山で働くタイプには見えない。映画俳優といっても通用する二枚目な顔で、脚の長いスタイルのよさが目立った。小川は初めて会った時から、妙に好感を持った。多田も小川のまじめな性格に引かれていった。
冬になると雪山に変わる。小川の訪問は2日掛かりになる。そんな時は組合事務所に留めてもらう。夜は多田に誘われて酒を飲み交わす。多田の酒の量は半端でなく、しかも強い。酔えば酔うほど多田は雄弁になり、労働運動へのロマンを語るのだった。小川はそんな多田をますます好きになり、ふたりは何でも話し合える親友になっていった。

吹雪の如く 第4回 完

 次回は12月15日に更新予定です。またお読みください。


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