第3回 大木仁さんに学ぶ「社会貢献



 太田建設の営業部長大木仁さんはかれこれ15年のお付き合いになる。以前に彼は某建設会社の取締役だったが、当時の社長が亡くなられたこともあり現在の会社に勤務する。
 大木さんと初めてお会いしたのは、私どもの団体でセンター建設プランが持ち上がった頃だった。彼と初めて会った時に「自己資本率は?負債比率は?」と質問を浴びせてきた。初対面者にこのようなことを質問されたでびっくりしながらも答えていくと、「そんな教科書みたいなバランスシートがあるものか」と失礼な言葉をはいた。私はまたまたびっくり。 
 後で分ったのだが「新築をしてから経営が悪化する会社とは付き合いたくない。建設投資をした効果が事業効果として出てくることが大切だ。私たちはその手段とお手伝いだ。だから私の会社では営業部は呼ばないで企画開発部と名のっている」と彼は会社の方針を述べるのであった。それからはお互い腹を割っての付き合いが始まる。
 今、グループホームを建設中だが、当初の企画から彼はいろいろ情報を集めて提供をしてくれた。この3年間というものは週に1、2回は現れては、こちらの希望する介護関連の人と物、そして土地を紹介してくれた。付合えば付合うほど、彼の熱心さとまじめさがこちらにも伝わってくるのだった。彼の妻である千津子さんもたくろう所のボランティアでおじいさんやおばあさんの相手をしてくれるようになった。千津子さんのおいしく珍しい手料理がたくろう所の食卓に並ぶ。
 大木さんはなぜにここまで一生懸命に協力してくれるのか。彼はある時照れながら私にこう言ったことがある。
「親父の仕事を子供たちが見てもおかしくない仕事をしたい。社会に役立ち、喜んでもらえる仕事をしたい」
 また、大木さんはお年寄りが大好きである。家でも実家でもおじいさんやおばあさんを大切にしている。たくろう所のおばあさんが亡くなると葬儀中はご夫婦でお手伝いに来てくれる。唄もお上手で慰労会では歌手にも変身する。
 大木さんは公私共に社会貢献が身についている。きっと何十年後もこんな生き方を繰り返しておられるのだろう。感謝の人である。

 11月5日記


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: