第8回 早坂茂三さんの遺言 その1



 あれは昨年の11月下旬のことでした。相澤嘉久治さんにお誘いをうけて米沢市の老舗蕎麦屋・粉屋小太郎に伺うと、相澤さんとご一緒に早坂茂三さんがおられました。

 笑顔の早坂さんの傍には相澤さんの次女の久美さんと久美さんの娘さん(確か2歳か)が一緒でした。すっかりおじいさんスマイルになっている相澤さんと早坂さんでした。
 早坂さんは「いつもお世話になって済まないね」と私に挨拶をしてくださいました。

「私の家は新庄でね。呉服屋を営んでいたので親父は米沢織を仕入れに、米沢にはよく来たものだ」「本屋の若旦那はどうしている?エッ倒産?そうかエンタケ(米沢出身遠藤武彦衆議院議員)がついていてもダメだったか」と米沢との思い出を語るのでした。

 米沢の景気を気にする早坂さんに私は、「いまや米沢の工業団地の出荷高は東北第3位とはいいながらも、雇用の実態は派遣会社依存になりつつあります。そして人口に占める60歳以上の割合は30%です」というと、「なんだ、それは!?」と唖然とされました。
「中国は日本の下請けから技術を学び、いつの間にか下請け脱却を始めた。このしたたかさと
ひとのよい日本の体質がひさしを貸して母屋を取られる結果となった」と早坂さんが言いました。

「それでは景気が悪くなる一方ですね。でも、全国歩いていると農業や観光事業でそこそこ成功しているところがあるんだなあ。そこには個性のある経営者が必ずいる。誰かがモデルを見せてやらないとひとはついて来ないでしょう。小さな成功を見せて真似をさせる。地方で成功している独自事業はそこから始まっていますよ」

 相澤さんが「はじめさんたちの生協はグループホーム建設中です。高齢者事業で地域に貢献しています」と私たちの近況を紹介してくださいました。「ほほほお、それはたいしたものだ。60歳以上が30%では深刻ですわな。施設は待ちが多いことでしょう」と言い、「自治体(の財政)は大丈夫ですかね?」と私に訊ねました。
 どこもたいへんな状況であることと、ちょうど今市長選挙真っ只中であることを話しました。三人の市長候補者のプロフィールを話すと早坂さんは「エンタケは誰を応援しているの?」と訊き返してきました。私は「わかりません。前助役と塾長でないことは確かです」と答えました。

 市町村合併についての話になりそれらの話をするうちに「賢明なのは前助役さんでしょう。その理由は、常識からすれば市町村合併は避けて通れないはずです。置賜の負債をどう解決していくかは他人事ではないから行政手腕がある方がいいと思いますよ。まっ今回の市長選挙はエンタケが最後にどう動くかでしょう」

 その後の市長選挙は、確かにエンタケさんの動きで決まりました。エンタケさんは安部三十郎さんを選択した結果でした。

 2004年6月23日記

追伸 早坂さんとの出会いは、相澤嘉久治さんを通じてのことです。あの11月の2日間、おふたりとご一緒させていただき、私の心に焼き付いたことがありました。
 早稲田大学で先輩後輩の関係であった早坂さんと相澤さんの会話は、相澤さんと私のような関係にも見えてくるのでした。マスメディアは見せない素顔の早坂茂三さんと相澤嘉久治さんを目の当たりにして、ふたりの関係はほんとうに深いものだと思いました。
 私が2日間に感じたことや学んだことを書いてみたくなりました。今、相澤さんにお許しを得て、ここに掲載します。

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