第17回 早坂茂三さんの遺言 その10

早坂茂三さんの遺言 10   日中国交正常化秘話

「たいへんだったでしょうね。あの時期に中国と話を進めるのは?」と新関寧さんが訊きました。

 早坂茂三さんは「あの時代は日本と台湾の間で日台条約を結んでいた。なにしろ蒋介石への温情から親台湾派が自民党には多かった。昭和46年にニクソン米大統領はキッシンジャー大統領補佐官を秘密裏に中国に送り、大統領の訪中を決めた。佐藤政権にとっては寝耳に水だった。ベトナム戦争の泥沼化の解決を図らねばならないアメリカと文化大革命による経済的打撃が双方の利害と一致したのだから、世の中はわからないものだ」と言ってコップ酒をグイッと飲みました。

「田中総理になって数ヶ月で中国との国交正常化になるとは驚きでした。あの時私は大学1年生でした。私の親父は北京大学を卒業していまして、その後も何回も訪中をしていました。当時の訪中は並大抵ではないと記憶しています」と新関さんが言います。新関さんの舌も滑らかになってきました。

 相澤さんは「ご学友のお父上が北京大学にいってたとは初耳だ。それはいつ頃だい?」

 困ったのが新関さんでした。(ムムムム……思い出せない)

「ニイゼキさん!!親父さんの話を聞かせてくれ」と早坂さんからもせがまれました。
 早坂さんにそう言われた新関さんはなぜか硬直化してしまいました。

(めずらしいなあ、こんなに固くなる新関さんは初めてだ。よっぽどあがっているな)と私は感じました。人前であがる人ではありません。しかし、隣に座っているのは体格も大きく、声は太く、酒はグイグイ飲むし、天下国家の話から山形県の選挙話まですべてを知り尽くしている早坂茂三さんです。こんなに近くでしかも長時間にわたり話をしては、新関さんでなくともあがって当然です。それにこのときの早坂さんと新関さんは互いにお酌をしあいながら、かなりのお酒が体内に流し込まれていました。緊張も手伝って酔いはいつもよりも激しかったのかもしれません。

 ご学友の気持ちを察してか相澤さんが仲を取り持つように「まっ、話を戻しましょう」と言ってくれたので、ご学友も助かりました。

 すると「それで早坂先生(国交問題は)どうされましたか?」と懲りずに質問をする図々しさ?は流石に新関さんです。

 横目で新関さんをあきれ顔で見る早坂さんでしたが、(憎めないキャラクターだね)といった表情をして「クスッ」と笑いながらタバコを吸いはじめました。

 ふたりの酒豪の質疑応答は続きます。

つづく

 2004年10月3日記

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