幼幻記5 福島行きの汽車の中で





福島行きの汽車の中で

 幼幻記 5



 それは暑い日の夏だった。

 ぼくは父と母に連れられて汽車に乗っていた。丸くつばが着いた白い帽子を被ったぼくは、汽車の窓から遠くの風景を見ていた。

 ぼくの左に母が腰掛け、ぼくの向かいには、知らないおじさんがいて、父はその隣の通路側に席を置いた。

 父と母はいつものようになかむつまじくニコニコして話をしていた。ぼくはそれが恥ずかしくとても嫌だった。
 汽車に流れる外の景色は青空に白い雲、緑の山と濃い緑の林。ふたりの話が聞こえない振りをしても、楽しそうにしているとイライラしてしまう。

 ぼくは煙草の吸い殻入れに手を出していた。すると吸い殻入れの下方から吸い殻と灰が落ちた。黒い灰と吸い殻はすぐに向かいに腰掛けているみしらぬおじさんの両膝を襲った。
「はじめ~なにをしてるのぉ!」、
「あっ!どうもすいません」
と云う声が同時に起きた。
 ぼくのイライラがピークに達しての行為だった。

 片付けが終り、しばらくすると、また父と母が微笑みながら話をしている。
 ぼくは知らんぷりをして景色に目をやるが、耳に入ってくるふたりの声にイライラを繰り返していた。

 トンネルに入り暗くなった瞬間に「アッ!!」と叫び声がした。トンネルを抜けて車内が明るくなると、吸い殻入れから再び吸い殻が落ちて、向かいに座っているおじさんのズボンを汚していた。

 父はぼくをにらみつけて
「チェッ」
と口を鳴らした。

 母はぼくの右手を取り、甲をつまみあげて、つねった。
そして
「悪い手だね」
と言った。

 ぼくは泣いた。手の痛みではなく、ぼくの気持ちを感じてもらえない悔しさに泣いた。

 まだ三歳になっていなかった頃の思い出だ。

 2005年8月5日記


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