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題名:流産 もう一人で苦しまないで 流産・習慣流産の最新知識と心のケア 監修:藤井 知行(東京大学医学部附属病院女性診療科・産科(産婦人科)講師) 出版社:東京図書 2003年 第1章 なぜ流産してしまったの 流産を経験したあなたへ 第2章 なぜ何度も流産するの 流産を繰り返してしまうあなたへ 第3章 流産体験者の手記 『流産』というそのものズバリの題名に、1度目の流産後に本屋さんで見つけたものの、「私はまだ大丈夫!」と購入には至りませんでした。きっと認めたくなかったんだろうな。 2回目の流産直後、迷わず購入。 この本が私の病院選びのきっかけにもなりました。 今まで藤井先生とはお会いした事ないですが。。。 流産全般について詳しく、解りやすく書かれています。 ・流産は頻繁に起こるもの。でも600~700人のうち1人は習慣流産の人がいる。 ・反復流産の人のうち、43.6%は流産因子保有者である。 ・習慣流産(3回以上流産を繰り返している方)は、現在の医学では原因が分からなくても、 何らかの流産因子があると考える。 ・検査法や習慣流産の原因に応じた治療法がすべて書かれています。 抗リン脂質抗体症候群についても記載がありますが、正直、3~4回読んでやっと解ったという感じでした。免疫系のお話は難しいですねf^_^;。 流産体験者の手記は原因不明、抗リン脂質抗体症候群、染色体異常など原因は色々でしたが、それぞれに自分と重なるところがありました。 特に最後の方の手記は身につまされる思いがしました。 私は不安になった時、何度も読み返しています。 ちなみに・・・、 イワナくんは妊娠・妊婦関係も含めて、こういう類の本は一切読みません。 旦那さんって、みんなそうなのかなぁ・・・。
2006年01月30日
2005年4月から個人情報保護法が施行され、医療機関は患者に対しカルテのコピー・開示が義務付けられました。 私はその事はあまり知らなかったのですが、2回目の流産後、改めて1回目の流産の時の事を思い返した時、流産をした日にちがあやふやなのに気づき、 「もしかしたら、カルテに書いてあるかもしれない。」と思い切って当時の担当病院へ電話をかけてみました。 その時、習慣流産の検査をする為、転院を考えていたという事もありました。 「すみません。カルテをコピーしていただきたいんですけど。」 「担当の者に代わります。少々お待ちください。」 「はい。カルテのコピーが欲しいとのことですが、どういった理由からですか?」 「流産したんですけど、その時の記録を手元に置いておきたくて。」 「あ。。。カルテのコピーをお渡しするには院内の審査が必要なんです。 そういう理由でしたら、大丈夫。通ると思いますよ。」 後日、病院へ出向き、書類(A4 1枚)に必要事項を記載し、「審査の結果は2週間程度で出ると思いますので、またご連絡差し上げますね。」 と言われ、病院を後にしました。 ほぼ2週間後、すべてのページがコピーされたものを頂き、コピー代として1枚につき10円を支払いました。 私は初期流産だったので、カルテを見ても新たな発見はありませんでしたが、『ここにすべてが載っている。自分の言葉ではなく医療関係者がみても大丈夫なものがここにある』とカルテが手元にあるだけで、とても安心しています。 カルテってちょっと行動するだけで、手が届くんです。それも少ない費用で。 ご自分の流産の経過を改めて見つめなおしてみたい方、転院を考えている方、一度病院へ問い合わせてみてはいかがでしょうか。 ※これが、時が経って埋もれてしまうのは勿体無い気がするので、 後日フリーページへUPしたいと思ってます。
2006年01月29日
先日のポリープの検査結果を聞きに不育症個人医院へ行ったら、待合室に20人はいる! うっわ~、こりゃ大変だわ ^_^;)。 受付けの方に「1時間以上待ちますよ~。」と言われたので、近くのスーパーで買い物をし、いったん家へ。 しっかし、個人医院で1時間待ちってのも、すごいな~。先生稼いでんな~と妙なところで感心しつつ、再び医院へ。 ポリープは悪性のものではないとの事、ひとまず安心♪ 気になっていた「血が止まりずらいのでは?」という疑問には「今回のポリープ切除で止血までに5日かかったとしても、 それが異常かどうかはわからないからねぇ。凝固系の検査もやってるよね。」 とちょっとイラっとしながらも、答えてくださいました。 先生~、1日で止まるって言ったじゃん!と、心の中で思ってはみるものの、先生疲れてるみたいだったので、そのまま帰ってきちゃいました。 帰りに「土曜日っていつもこんなに混んでいるんですか?」と、受付けの方に聞いてみたら、「市の健診が1月末で終わるからねぇ。」と言われ、あっ、なるほろ~と納得。 しかし、一日中ひっきりなしに女性の診察するのも、うんざりだろうな~。お医者さんも大変ね。。。 皆さん、健診は早めに受けましょ~う(^-^)/~。
2006年01月28日
2回目の流産をしたのが、2005年5月12日。 そして1回目の流産の一周忌が6月28日でした。 ただこの日付、1日ずれているかもしれない。 流産したのは「形がいびつだから流産に向かうかも」と医師に言われて、やっぱりな。。。と思いつつ、でも何かしたくなって、『わたしの安産ダイアリー』という本を購入し、妊婦日記を付け出した直後でした。 妊婦日記は6月27日で終わっています。それ以上日記を付けられませんでした。 だから、もしかしたら27日だったのかもしれないし、28日、29日だったかもしれません。 よく覚えてないんです。第一子、ごめんよ~。 こんな中、迎えた昨年の6月28日。 あ~、あれから1年経ったのか。。。 何かしたいな、と思った私は小さな花束を買って家へ帰りました。 今まで花なんて買った事ないんです。 帰ってきたイワナくん;「花なんて買ってくるの、初めてじゃない。珍しいね。」 けやき;「流産して1年経ったからさ。。。」 イワナ;「なんじゃそりゃ?!」 あ~、やっぱりオトコとオンナは違うんだなぁ。。。と思った瞬間でした。 それからというもの、我が家には花を飾る習慣ができました。 ・・・って、私が買ってくるだけなんですけどf^_^;。 花がある生活っていいな、と今では思ってます。 何というか、花に元気を貰っている気がしています。 大体2週間程度で花を交換しています。 ごみと一緒に捨てては申し訳ないけど、捨てる所ないんだよな~と思い紙に包んで「ありがとう。」と言ってから捨てるようになりました。 「あれ?花がかわってるね。」 次々に花を買って帰ったら怒られるかもな~と思ったけど、イワナくんは何も言わず私のやりたい様にさせてくれています。 それがまた、嬉しいです。
2006年01月26日
このブログを始めたきっかけ それはもちろん流産だったんですが、両親とのことを整理したかったというのもあるんです。 流産をした時、「神はまだ私に試練を与えるのか~。。。(クリスチャンではないけど)」と正直思いました。 でも、これが自分を見つめ直すいいチャンスでもあるんだな。と感じてます。 生きていれば人それぞれ誰でも辛い事、苦しい事、悲しい事、いっぱいあるのは分かっています。 でも、『王様の耳はロバの耳~!!』ではないけれど、自分が今まで誰にも言えず、心の中に溜めてきた事をこのブログに吐き出して、いい加減、後ろではなく前を向いて歩きたい!そんな気持ちです。 どよ~んとした日記になってしまうと思いますが、ごめんなさいね。 事実等長くなってしまいそうな事はフリーページに記したいと思います。 《どよ~んとしたくない方!!》 右上に『整理したい両親とのこと』が出ていたら、目を閉じて画面を消しましょう。 フリーページの『夫婦別姓について』の下にページが増えた時も要注意です!
2006年01月26日
2回目の流産後、以前住んでいた街で知り合った、不妊治療の技師をしている友人にメールを送った。 「不妊症と不育症は違うと分かっているけど、どこかいい病院とか情報持ってない?」 との問いかけに、 「まだ2回だけだから、色々検査されて疲れるより、次の妊娠を望んだほうがいいのでは?」 という返事。 私は母が膠原病(SLE)で、この病気は流産が多いと知っている。 膠原病は遺伝しない事も知っているけど、何らかの体質は受け継いでいるだろうから、2回目で早いかもしれないけど、きちんと検査を受けておきたいと説明した。 「あとで電話するよ。」 夕方携帯電話が鳴った。 友人は一緒に仕事をしている医師からの不育症(習慣流産)情報を一通り説明してくれたあと、 「実はさ~、うちのお母さんも膠原病なんだよね。SLEではないんだけどさ。」 友人はぽつりと言った。 「・・・え??」 私は次の言葉が出てこなかった。 今まで膠原病の患者さんやご家族になんて出会った事なかったから。 だから今まで独りで考えて、独りで何とかしてきた。 あまり長く話さずに電話を切った。 電話を切った後、自分の感情を抑えきれずにメールを送った。 「今までお互い大変だったね。でも、もし神様がいるとしたら、 私は○○ちゃんに会わせてくれた事を感謝したい。」 「今までこんなに気持ちを分かってくれる人なんていなかったから、 これから出かけなきゃいけないのに泣いちゃったよ。」友人からはそんな返事が返ってきた。 私も大泣きしながらメールを送り続けた。 この友人の近くで暮らしていたのは2年間ほどだったが、お母さんの話はした事がない。 ただ、私も友人も親元から離れた所で就職・生活しているので、自分の状況と重ね合わせ、何か状況が似ているなぁ、何かあるのかなぁ。とは感じていた。 しかし、まさかこんなに近くにいる友人が、同じ様な思いをしていたなんて思いもよらなかった。 私が流産して、友人に連絡をしなければ、全く分からなかった事。 子供達が「かーさん、もう独りで考え込まなくてもいいんだよ。」と導いてくれたんだな。 今はそう思っている。 この友人とはその後もさほど親しくなるわけでもなく、以前と同じようなペースでメールの交換をしている。 たまに私が「膠原病の検査してきた。」とか「おかーさんが躁でしゃべりっぱなしでさ~。」と愚痴ることはあっても、友人から膠原病の話をしてくることはない。 「私も自分の身体に不安は感じるけど、お母さんと同じような状況になるって解るのが怖いから、今は目を塞ぎ、耳を閉じている。」友人はそう言っていた。 この気持ちはとてもよく解る。 だから、あえてあまり聞かないようにしている。 何か困った事があった時、私がいる事を思い出してくれればそれでいい。 この友人は『友達』というより『同士』という感じがする。
2006年01月25日
昨年テレビ朝日で放映していた『菊次郎とさき』で心に残るシーンがありました。 たけし「かーちゃん、子供ってどうやって作るんだい?」 さき 「えぇっ??」と一瞬戸惑う さき、思い直して「たけし!お前は間違ってるよ!」 (ん?と心の中の私) さき 「子供は作るもんじゃない。授かるもんなんだ。」 「お前もねえさんもまさるも、みんな授かったんだよ。」 その後、ドラマは続いていきますが、よく覚えていません。 私は『子供は授かるもの』と聞いたとき、とても衝撃を受けました。 流産してからは特に、子供が欲しい欲しいと思い、作ろう作ろうとしていて、どうしてこんなに欲しいのに、排卵日まで気にして頑張ってるのに、なんでできないの?とずっと悩んでいたからです。 このドラマで子供ってそうやったってできるもんじゃない。授かるもんなんだって教えてもらいました。 欲しい欲しいと思っているものがいつまでも手に入らないととても辛い。「何でよ!!」って叫びたくなる。 でも、いつかは授かると信じていれば、いつかは叶うかも。 そう思ったら、ちょっとだけど気持ちに余裕ができました。 昔の人って色々言葉を的確に使っていたんだなぁ。
2006年01月23日
「あれ??今、くまさんが目を閉じたよ!!パチパチって!びっくりした~。」 突然イワナくんが言いました。 いつものように、イワナくんと3人の子供達(ぬいぐるみ三兄弟)と5人で遊んでいた時でした。 心霊現象はもちろん、非現実的な事なんて全く信じていないイワナくんです。 「やっぱり!!」私は心の中で叫びました。 やっぱり流産した子供達が中へ入って遊んでるんだ! そして、ぬいぐるみ三兄弟をぎゅっと抱きしめました。 でもさ~。とーさんにだけ見せるなんてずるいよ! かーさんも見たいよ~。。。 イワナくんが羨ましいです。
2006年01月22日
ポリープを切除してくれた先生、「出血は1日ぐらいで止まるからね~。」って言っていたのに、ちょぴっとだけなんだけど、今日も出血してます(T^T)。 今日は午前中しか診療やっていないし、出血も茶色くなってきたので、月曜日まで様子を見てみて、それでも止まらなかったら病院行って来ま~す(T@T)/。 ちょっと気になっているのは、昔、歯の神経を抜いたとき、出血が止まらなくて、治療に半年かかったんですよ(普通なら2週間程度の治療なんだとか)。 治療してたら痛み出して結局神経抜いた二本目もそうでした。。。 そして今回の出血。。。普通に怪我をした時や採血した時とかはすぐ止まるんですけどね~。 そういう血管とはまた違うのかなぁ。 凝固系の検査はまぁギリギリだったけど正常範囲内だったのに(TOT)。 こんなんで、出産したら出血止まらなくなるんじゃないのかなぁ。。。 なんて素人的発想で、そんな心配までしてしまうけやきでした。 今度先生に聞いてみよ♪
2006年01月21日
私は20歳まで自分の心情や状況を人に話すことなく生きてきた。 両親が婚姻届を提出していないことも、 戸籍と違う姓を名乗って日常生活を送っていることも、 母の病のことも。 病を患っている母に心配かけたくなかった。 父に対しては、ものすごく大きなわだかまりがあった。 そして私にはきょうだいがいない。 独りで考えるしかなかった。 泣きたい時は独りで泣いた。 周りの人達はみんな幸せそうで、私のような状況にある人なんて誰もいない。 話したって解ってもらえない。 だから話さなかった。 独りで悩んだ。「どうして私だけこうなんだろう。」 20歳のある日、突然吹っ切れた。 これが私なんだ。それでいいんじゃないか? それからは、周りの人達に自分の状況を話せるようになった。 意外な事に自分が重大で思い悩んでる事だとしても「あ、そうなの?」と軽く受け流す人が多い。 そんな時は、「私が思い悩んでいることは、側からみればそんなに大した事じゃないか」と思い直してみた。 そして、話すことによって色々な人がとても心に残る言葉を戴いた。 それが、何物にも変えがたい私の宝物だ。
2006年01月20日
皆さん。私のブログへ遊びに来てくださってありがとうございます(^O^)/! 確実に皆さんから『元気』を戴いています!ありがとうございます。 私は今、平日4日はフルタイムでバイトをしています。 チャリンコで20分ぐらいの職場です。 そしてイワナくんが帰ってくるのは・・・18時前です(>O_
2006年01月19日
寒中見舞いの返事を葉書で頂きました。 『けやき、おハガキありがとう。 なぁんにも知らず、のう天気なハガキ(子供さん写真入り年賀状のこと) 送りつけてしまってごめんね。』 書き出しからそう書かれています。 すみませんが、 私にはこの葉書ほうが能天気に見えるんですけど。 『なぁんにも』ってどういう事よ?? 『こんな調子で皆さんに迷惑をかけながら、なんとかかんとかやってます。 でも、さすがにもう年度末の徹夜も体力的にできなくなり、 そろそろ身の振り方考えなきゃなぁ・・・。と思う今日この頃です。 けやきの都合がつけば、ランチとか行きたいです。 ホントは温泉とかでボーっとのんびり語らいたいなぁと思いますが、 とりあえずとっておきの一枚で(大分の温泉の絵葉書だった)気分だけでもあったまって』 最後は温泉マークで締めくくられ、下にメールアドレスが書いてありました。 申し訳ありませんが・・・。 ランチをして何を話してくれるんでしょうか? 「流産して大変だったね。」となぐさめてくれるつもりでしょうか?←そんなのいらない! そのすぐ後に、「でもさ~、子育ても大変でさ~。」なんて始まるんでしょうか? それとも「仕事も大変でね、どうするか迷ってるんだよね。」なんていう人生相談でしょうか? 『気分だけでもあったまって』なんて、もう気分が温まることなんてきっとないですよ。 言葉って恐ろしいです。 流産してからよくそう思います。 この葉書の返事をどうしようか。 この方と今後どうするかは、私の中で固まっています。 今までだって年賀状ぐらいの付き合いだったし。 貰ったハガキを同封して、今の想いのたけをぶちまけようか、でも、それだと切手代もったいないな。メールにしよっか。でも、この人メール出しても返事くれないし。 悪気がないのも分かる。 ひがんでいるんだと言う事も自分でも十分分かっているつもりです。 経験した事のない人に自分の気持ちを解ってもらえないのも、十分知っているつもりです。 でも、やっぱり怒りがこみ上げてくる。 人間なんだもん、仕方ないよな。 あ~だこうだと色々考えているけやきでした。 自分が撒いた種とはいえ、怒りがこみ上げてきたのでこのブログで発散してしまいました。 もう少し考えてから、撒いた種を刈らせていただきます!
2006年01月18日
ババくさいんですけど・・・。 私は前から盆栽に興味があるんです。 でも、樹木を育てると『その土地に根づく』といわれているので、躊躇してたのです。 今住んでいるところは大きな街。 田舎育ちのイワナくんとけやきは、仕事の関係とはいえ、この街に住んでいる事に少なからず違和感を持っています。 「ん~、この街に根づくのはなぁ・・・。」と思ったりしてました。 街に住んでいて思うのですが、季節の移り変わりが全く分からない。 春には桜が咲き、新芽が出て夏になり、紅葉の秋に移り変わり、そして雪が降る。そんな当たり前の事が感じられないって、私にはとてもおかしな事なんですよね。都会に出てきて8年ぐらいになりますが、おのずとストレス溜まってます。 そして、ついに! 1ヶ月程前にホームセンターで見つけて気になっていた『富士桜(別名:マメザクラ)』の苗木を買ってきてしまいました♪ 幹がそんなに太くないので若い木だと思うんですけど、すでに2mmほど葉っぱが1枚出ていて威勢がよさそうな木を購入。 ワイルドストロベリーも3年程育てているのですが、やっぱり草と木は違いますね~。「いつ芽が出るかな~。」「今年咲くかな~。」なんて思うと今からわくわくしてきます。 「盆栽買いたいの。」とイワナくんに以前言ったら、 「すぐ枯らしちゃうんじゃないの~。」 なんて言われちゃったので、←確かにワイルドストロベリーは何度も窮地に陥っている・・・f^_^;。 イワナくんにはまだナイショ。 いつの日かベランダに出て見つけることでしょう。へっへっへ。 樹木とはいえ、大切な生命。 心して育ててみたいと思いま~す。 ・・・と、言っておいて枯らしちゃわないか、かなり不安なんですけどね・・・。
2006年01月18日
不育症個人医院で診て頂きました。 不正出血の原因はポリープでした。 他の部位にできたポリープとは違い、これから癌へと発展することはほとんどないけど、一応検査に出しておきますね、とのことでした。 切り取ったポリープを見せて貰った私はひと言。 「へ~、面白~い)^O^(。」 先生、マスクしてたので心情は分かりませんでしたが、 ・・・無言・・・。 でした。。。 検査の結果は10日後です。 しかし、30年以上生きていると色々なものが現われますな~。 でも、これでひと安心です♪ しかし、5mmのポリープを切除するだけでも『手術』になるんですね。 そして、思っていた以上の診察料・・・。 今日お金おろしたばっかりなのに! イワナくんごめんよ~。 実は、昨日イワナくんに不正出血の事を話したら、 「また、ダメだったんじゃないの?」 なんて言い出すもんですから、基礎体温下がって生理もきていたし、そもそも高温期が短かったので、それはない!!とは分かっているものの、言われるとやっぱり色々脳裏をよぎってました。 なので先生に基礎体温を見せながら「今月は高温期短いみたいで気になってたんですけど・・・(とさりげなく聞いてみる。)」 「うん。短いね!」とあっさり言われ、あ、そうですか。って感じでした。 先生は私が東大病院で不育症の治療をすると思っているので、あえて治療の話にはなりませんでしたが、東大病院は「治療はここでなくてもいいですよ~。」という感じだし、担当医制ではないようで、行く度に先生が変わるので、ちょっとな・・・と思っているのも確か(妊娠して治療が始まればまた違うのかもしれませんが)。 今日、受診した不育症個人医院の先生は、とてもよくしてくださるし、私との相性も良いと私は思っている(先生は分からないけど)ので、この先生に治療をして頂きたい思いもあるのですが、個人医院なので入院・お産は取り扱っていないのです。・・・で、こちらのほうも躊躇しているんですよね。 ・・・ということで、 どこで治療を受けるかは、やっぱり城西病院へ行ってみてから考えようと思いま~す。
2006年01月17日
先月、採血した膠原病の検査結果はすべて陰性でした♪ 今回も抗核抗体は40未満でしたが、内科的には160以上を要治療域とみているようで、このくらいだったら問題ないでしょうとの事でした。 「1~2個数値から外れているものがあっても、あんまり気にしないようにね。」と言われてしまいました。←でも気になるんだもん! また「正直言って、抗フォスファチジルセリンIgM抗体(抗リン脂質抗体・保険適応外)弱陽性だけでは、本当に流産の原因になっているとは言い切れないんだよね。」と言われました。←私もそう思うところがあったので、大きく頷いてしまった。 やはり内科的な治療というより、流産防止のため妊娠してからのアスピリン服用ぐらいの処置しかないとのこと。 今通っている総合病院は今のところ産科がないので、自宅近くで膠原病内科と産婦人科がある総合病院の名前を伺い、膠原病内科の診療は終わりました(その後、内分泌系内科へ直行したんですけどね)。 3月に不育症で有名な名古屋市立城西病院へ初診で行く予定です(また病院をさすらい始めちゃったρ(.. )。) 城西病院ではないのですが、その際ついでに母の主治医と面談する事にしました(私の実家は名古屋近郊なんです)。 流産後母が私の事を話してくれたようで、少し情報も頂いたりしているのです。それに母の病状が分かっている先生ならまた違ったお話が伺えるのかな~とも思ったりしています。 最近、病院へ行くのが何だか楽しくなってきちゃいました。 追記: 血圧は今日も180/110で、今度下がらなかったら薬を処方といわれてしまいました(>O
2006年01月17日
私には会えなかった弟がいますが、実質的には一人っ子だったので、小さい頃から目で見える、手で触れられるきょうだいが欲しくて欲しくて仕方ありませんでした。 だから、自分の子供は一人っ子にはさせない!と強く思っていました。 そんな気持ちとは裏腹に流産を2回経験し、時間だけが刻々と過ぎ、高齢出産の年齢近くまで歳を重ねてきて、正直いって「一人産めればいいほうだな・・・。」とへこんだりします。 でもやっぱり自分の子供には、この世で生きているきょうだいを作ってあげたい! これが今のわたしの夢です。 夢は大きく持たなくっちゃ そして夢は叶えるもんだ です! よ~し。元気が出てきたぞ~♪
2006年01月16日
この『楽天広場』もそうですが、ジャンルやカテゴリーで分けなければいけない時、『流産』や『不育症』、『病気』をメインテーマにしている場合のジャンルって何でしょうか? 一番近いのはやはり『出産・子育て』なんでしょうが、私の場合、出産も子育てもしてないし、出来ないし。 果たして同じジャンルに入れて頂いていいのかどうなのか、私にとっては大きな悩みどころなんです。 悩んでいると同時に、『同じに扱って欲しくないな~。』という思いもあって、今のところ、このブログは『そのほか』というジャンルに入れています。 でも、『そのほか』ってもねぇ。ごちゃまぜってことですから。 そこで皆さんに質問! 皆さんはどのジャンルに入れていますか? また、どのジャンルに該当すると思われますか? そのジャンルにしている理由があれば伺いたいです。 他の方がどうしているのか、色々な方のブログへ遊びに行ってみようと思います。
2006年01月15日
先日文章を考えた寒中見舞いを昨日投函しました。 正直言って、投函するかとても悩みました。 流産した事を自分からわざわざ報告しなくてもいいんじゃないか。 年賀状で寒中見舞いなんて常識外れな事しちゃいけないんじゃないか。 色々な思いが頭をよぎりました。 でも、昨日投函しました。 『私が子供を授かり、そして流産した』という事実をみんなに知ってほしかった、という思いが勝ったんだと思います。 そして『年賀状』で寒中見舞いを出すことで、私の複雑な心境を表現したつもりです。相手には伝わらないと思いますが。 自分の身内が亡くなったとき、喪中のはがきを出してお知らせします。 しかし、自分の子供を亡くしたという事実は変わらないのに、流産した事は隠そうとしますし、あえて報告はしません。 現に私も自分からはあまり言いません。 でも、それが私にはやるせなかった・・・。 どこかで『誰かに聞いてほしい!』という気持ちもあるんです。 「会う事ができなかったけど、私のお腹の中にはちゃんと生命が宿っていたんです!」って。誰かに伝えたい。分かってもらいたい。 だからきっと私は、「子供さんは?」と聞かれたら、「授かったんですけど、育てられませんでした。」と、これからは答えると思います。 その後にどんな言葉が返ってこようとも。
2006年01月14日
今年の年賀状で、もう一枚心に残った年賀状がありました。 カレンダーのような紙をはがき大に切って、手書きで『年賀』と書いてありました。 定規などを使って正確に測って切っていないのは一目瞭然。 それを見たイワナくんは「なんだこれ?こんなの初めてだ。」と言っていました。 差出人は古くからの友人で、ずっと鬱病に悩まされながらも、今では2児の母です。 最近は年賀状のやりとりだけのお付き合いになってしまっているので、詳しいことは分かりませんが。 他の人からみれば、滑稽な年賀状なのですが、その人が一生懸命作って私に出してくれたんじゃないのかなと私は思っています。 もしかしたら、年賀状を買いに行けなかったのかもしれない。 でも、私に年賀状を出そうと思って。 その物の形ではなく、物に込められた気持ちを大切に汲み取れる人間になりたいな。と改めて思った瞬間でした。
2006年01月13日
以前から好きだった俳優さんなので、とても楽しみでした。 拝見していてびっくり! 『青年海外協力隊』『一人っ子』『人ごみが嫌い』などなど、今までのゲストの方々の中で、一番共通点があるように感じました。 この回は私の秘蔵版になりそうです♪ 私も腰が立たないんですよね・・・。 姿勢よく座ろうとしてもすぐ疲れちゃうんです。 でも、悪霊退治のため(?)なるべく、姿勢をよくするように心がけよっかな。
2006年01月12日
自転車通勤の途中にけやき通りがあります。 古くからある神社の参道なので、けやきさん達は大きく成長しています。 もう少しでけやき通り 私は思いっきり自転車をこぐ あともう少し! けやき通りの下で大きく息を吸う そして空を見上げる 心地よい光と共に 大丈夫だよ。今日も元気に行っておいで! けやきさん達がそう囁いてくれる ここが街路じゃなく森林だったらなぁ けやきさん達もここが本当の居場所じゃないんだよね でも、こうして私に安らぎをくれる よし!今日も一日頑張ってみるか!
2006年01月11日
ずっと子供さんに恵まれず、昨年やっと男の子を出産した年上の方から、今日、子供さんの写真入り年賀状を頂きました。 元旦に着くよう投函した、私からその方への年賀状に流産した事を書いて送ってありました。その方の詳しい事は分かりませんが、きっと色々あったんだろうなぁと思っていた方からの心待ちにしていた年賀状でした。 子供さんの写真を見て、『私だってこんなにかわいい子供を授かれたんだから、けやきさんも頑張って!』と言って戴いている気がして。そして、最後に『会いたいです』と書いてくださっているを見て、独りで泣いてしまいました。 これが同い年の人だったら、私の心情も違っていたと思います。 写真入り年賀状で励まされる事もあるのですね。
2006年01月10日
昨日、以前勤務していた会社上司宅で新年会がありました。 子供づれの方のいらっしゃる事が分かっていたので、あまり乗り気ではありませんでしたが、大変お世話になった上司だったので、思い切って夫婦で出かけました。 2~3歳の頃会ったことのある子供さん達は、小学2年生と年長さんだそうで、大きくなったんだなぁと感心しました。 ただ、子供さん達のはしゃぐ姿やお父さん、お母さんと遊んでいる姿を見ていると、どうしても「私の子達も産まれてきていたら、こういう感じだったのかなぁ。イワナくんもこうやって遊べたんだよなぁ。すまないなぁ。」と思ってしまい、いたたまれなくなってしまってその場を離れました。 その時、子供達のお母さんが「子供なんて犬猫と一緒だよ!」と言っているのを聞いて、ん~と思ってしまいました。 お母さんは『ダメな事はダメだとちゃんと教えなければいけないから』という意味でおっしゃったようですが、どうも・・・。 でも、冷静になって考えれば、こういう風に言えるだけの愛情があるという事なのかなぁと思ったりしましたが。 以前、「うちの子バカだから。」と言っていた人に出会いましたが、自分が愛情表現で言っている言葉だとしても、言葉って選ばなきゃいけないよな~と思います。 会の終わり頃になって、ある方に 「けやき、子供は?」と聞かれたので、 「2回授かったんですけど、育ちませんでした。」と言いました。 こちらから言う事ではないけど、皆さんに知ってほしいという気持ちもあり、その場にいる事がいたたまれない気持ちになっていたのもあったので、話すことができて少し気持ちが治まりました。 「最近は女の人のもともとの体力が低下しているから、流産も多いみたいだね。」 「うちのカミさんなんて、すごいスポーツマンだから、お産もすごく楽だったけど。」という事を言われ、スポーツマンと妊娠維持できるのとは違うけどなぁ。と思いつつ、説明するのもめんどくさかったので、「そうですね~。」と言っておきました。 最後にその方に「けやき、頑張るしかないよ!」と言われ、確かに頑張るしかないよな~と、妙に納得して元気づけられました。 そういうちょっとした言葉に、傷ついたり励まされたりするものですね。
2006年01月09日
昨日から基礎体温が下がり始め、昨日の夜中から生理が始まりました。 あ~ぁ。 こうなることとは判っていましたが、流産後、やっと次へチャレンジしようと思って前向きになった最初の期間だったので、撃沈でした。 イワナくんに「もしかして・・・。」と言っていたので、今日の朝、「ごめんね~。生理始まっちゃった。」と報告しました。 イワナくん「いいよ~。でも生理だって判るの?(流産の出血じゃないの?)」 「基礎体温下がったから。」 「そっか・・・。」 生理が終わったら、頑張らない程度に気持ちを立て直していこうと思います。
2006年01月08日
ブログを開設した事は、まだ誰にも言っていません。 私の身近にいる人々にも、今のところ言う気はありません。 誰にも言わないからこそ、色々な事が書けていると思うし。 もしも、万が一、このブログに共感して戴ける方がいらっしゃったら、その方にだけ見て戴ければいいかなぁとも思うし(いないかもしれないけど・・・)。 このブログのお蔭で、今まで独りで悩んでいたことを吐き出せているので、とても楽になりました。 だから、このブログはしばらくの間、私だけのひみつです。
2006年01月07日
うちにはぬいぐるみ3兄弟がいます。 イワナくんも私も、抱いたり遊んだりしているうちに、外出したりして家に置いていくと「何しているのかな~。」「ちゃんとお留守番しているのかな~。」なんて思ってしまうようになってしまいました。 たまには流産した子供達が中に入っているのかもしれません。 イワナくんは時々、一番大きなぬいぐるみを肩車したり、高い高いをやったりしています。 普段は子供が欲しいとかは何も言わない人ですが、そういう姿を見ると、待ち望んでいるんだなぁと思って切なくなってきます。 昨年イワナくんの友人の奥さんが妊娠したと聞いていたので、「そういえば、産まれるのいつだっけ?」と聞いたら、「ダメになるかもしれないから、聞けない。」という思わぬ言葉が返ってきました。 夫は夫で口には出さなくても、色々考えるところはあるのでしょう。 イワナくん。すまないねぇ。
2006年01月06日
色々考えた挙句、今回は寒中見舞いで出す事にしました。 テレビを見ていたら、「1年に一度の便りですから、ご不幸があった方は寒中見舞いでもいいですから出してくださいね。」とおっしゃっている方がいて、それもそうだなぁと思ったので。 今年も写真入りの年賀状が届きました。 とてもいたたまれない気持ちになって新年早々落ち込みましたが、こちらの状況を相手に伝えていないんだから仕方ない。 相手にされた事に悶々としているよりも、いっそのこと事実を伝えてしまおう。それでどうするかは相手次第。 もしかしたら、「実はね・・・。」なんて話も聞けるかもしれないし。 知らないということは、時に残酷な事をしてしまうものですよね。私だってそうだと思います。気づかないだけで。 《寒中見舞い申し上げます》 年賀状で寒中見舞いも何ですが、 一昨年に続き、昨年2回目の流産をしまして、 どうしても年賀状としてお出しする気になれませんでした。 この様な形でご容赦ください。 (もしかしたら何か当たるかもしれないし?!) 授かれば当然子供の顔が見られると思っていましたが、 私にとっては難しい事のようです。 これもまた修業かな~。 お子さんを育てるという事は、 私には分からないご苦労が色々あるのでしょうが、 毎日子供さんの顔を見て生活できる方々が、 正直言ってとても羨ましいです。 お子さん達を大切に育んでいってください。 来年はちゃんと年賀状出せるかな。 では、皆様のご活躍をお祈り申し上げます。 平成18年 1月
2006年01月05日
寝る前にトイレに行ったら、おりものがピンクっぽい?? ん~、びみょ~。 今まで不正出血は妊娠時の着床出血ぐらいしかないのです。 そうはいうものの、その後後流産へと向かったので、着床出血かも定かではないのですが・・・。 ただ、私は生理以外の出血はないと言っていいくらいなのです。 元旦に微量だったが出血した事もあっていたたまれなくなり、イワナくんに「昨年妊娠している時と何となく似ているから、明日検査薬使ってみる。」と言ったら、「まだ早いんじゃないの?」ととても冷静な御意見。←確かに。 オトコといえども3回目ともなるとだんだんと分かってくるものなのかなぁ。。。とちょっと申し訳ない気持ちになった。 「でも今の体温、37.3℃ぐらいなんだよね。」と言ったら、とっても嬉しそうでした。 「夏じゃなくてよかったね。」なんて言ってくれたりして、ちょっとカンド~。 イワナくんには万が一妊娠していた時の事を考えて、「これからイライラしてくるかもしれないから、大目にみてね~。」と一応言っておきました。 本当に授かっているといいのにな。 でも、実をいうと私としては不安なのである・・・。 授かったら授かったで育くめるのだろうか。
2006年01月03日
最近、色々なことを諦めることにしたの。 おかーさんは人より体力がないのに、人並みにやろうとして無理をしてきた。それで身体が悲鳴を上げたんだと思う。 と母が言っていました。 私が実家を離れてからはよく電話で「けやきも頑張ってね!おかーさんも頑張るから!!」と言われて心が重くなっていました。 今思うと、母は自分に言い聞かせていたのかもしれません。 こう言われなくなったのはいつ頃だろう。 ふと、考えてしまいました。 母がこの言葉を口にしなくなった時、母の中で何かが変わったのでしょう。 諦めるという事は簡単なようで、難しいと思うのです。 色々な執着心もあるだろうし、見栄とかもあるだろうし。 私は子供を諦めることができるかなぁ。 ん~、まだまだ難しい・・・。 もう少し悶え苦しんでから諦めることにします。
2006年01月02日
大晦日恒例の紅白歌合戦。 昨年も観てしまいました・・・。 でも年々他のチャンネルにする時間が長くなっていくような。。。 だって、分からない人ばっかりなんですもの。 こうやって、流行から離れていくものなのね。 大好きな『涙そうそう』『世界に一つだけの花』など、色々な曲がありましたが、 十何年ぶりに聞いた『My revolution』が一番印象に残りました。 さよなら Sweet Pain 頬づえついていた夜は昨日で終わるよ 確かめたい 君に逢えた意味を 暗闇の中 目を開いて … きっと本当の悲しみなんて 自分ひとりで癒すものさ わかりはじめた My revololution 明日を乱すことさ 誰かに伝えたいよ My Tears My Dreams 今すぐ 夢を追いかけるなら たやすくない泣いちゃだめさ 君が教えてくれた My Tears My Dreams 走り出せる
2006年01月01日
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