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2007年03月04日
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カテゴリ: 生活
仏教では49日なのだが、キリスト教では50日に記念式をする。1月に母が亡くなってから週末には実家で過ごしていたが、それもそろそろ一区切りだ。ふぅ…50日かあ。

あまりに早かった娘の死。それを知って訪ねてきた知り合いから「あんなにいい人が」とお悔やみの言葉をかけられていたらしく「あんなにいい子を……神様はいないのかもしれない」とつぶやく祖母。自分の命を10年ぐらいやったのに。長生きしてるといいことなんてない、と。
うーん、だけどねぇ。私は、やっぱりこれは神様の賜物で「いい人だったから早くこの世での人生をクリアさせてもらったんだなー」とかたく信じるようになっているんだよね。母にとっては64年というのはちょうどよく、そんなに悲観する人生じゃないよねー?と思う。なにより、老後にはますます手を患わせるであろうあの父の面倒をみなくていいんだから、そりゃなにより幸せだわ(笑)←と、心底思うんだけど。


とはいっても、50日を前にいろんなことが思い出される。
3年前の春休み、急な腹痛で救急にかつぎこんだら大腸癌が発見されたこと。もう肝臓に転移して、手術の後すぐに「もう長くはないかも」と言われたこと。大腸癌の摘出は成功だったのでそれは告知、肝臓癌のことは伏せていたのに看護師さんがカルテを置き忘れて母が知ることになった戸惑い。告知の難しさや癌保険のありがたさ、抗ガン治療の苦痛、副作用、先生からの説明のたびに陰で涙したこと。脳に転移した癌のための最後の入院で過ごした病院での日々、回復したことばで「ありがとう」を言われたこと、「帰れば数日の命」を承知で連れ帰った日の決断。お世話になった先生方がみんなで見送ってくださった退院。大きな病院の一患者なのにと感謝で涙がこぼれてしかたなかったなあ。そして、寝たきりになった母をすべて自分たちで介護した3週間余りの時間。
動けない人のオムツを替えることがどれだけ大変だったか、でもなんでか家族みんな笑いながらやってたんだよねー。燕下が難しくなった母にどうしたら食事を楽しんでもらえるか3食ごとに随分頭を悩ませた、その結果、今まで作ったこともない大満足のポタージュスープが生まれたりして。お風呂に入れられない状態でどう快適に過ごせるのか、動かせないからだを向きを変えて足湯をしたり、交代でマッサージをしては「私の方がうまい」と自信持ったり……24時間気の抜けない在宅介護・看護はフツーに考えればすごく大変なんだけど、私の人生においてもいい経験になったし、後悔のない看取りができたしね。

もう書ききれないほどいろいろ、いろいろあったけど、50日ですよ。あともうひと踏ん張りだわ。おかあさん、がんばるからな。












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最終更新日  2007年03月04日 23時30分38秒
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