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というか、このブログ1年に1回の交信記録じゃないか(*_*)(*_*」予定では東国3社めぐりを・・・と考えていたのですが、311の震災の影響と放射線の状況に寄り切りかと思い、現在は検討中です。いくならば、線量計持参しての報告になると思います。
2012年01月05日
早いですね。一年が過ぎるのは。ことしも、東国3社へ行きましたのでその内容を懲りずに掲載したいと思います。全閲覧者のみなさま、本年もどうぞよろしくお願いします。今年は、新年の参拝はしていません。地元の神社のみ。厄明けなので、油断していたら大変な事態になってしまい、悪夢な日々を過ごしています。
2010年02月04日
今年に入ってから、地元の神社と茨城県・千葉県にある東国3社しか行っていない。寺社仏閣の参拝がどうも進みが悪い状況になっている。原因は、体調が芳しくないのと、趣味が広範囲になりすぎて、資金調達に時間がかかっているのだ。昨年の11月から、もらい事故で体調を一気に崩し、2月後半に8年前に発病した病に侵され、もともと持っている持病が、拍車をかけた。そこへ、本業が激務になり土日のフィールドワークが困難になっている状況。これも後厄の限りなのかもしれない。
2009年03月26日
正月にいくつかの寺社仏閣を参拝して参りましたが、どのおみくじも今年は「中吉」のようだまぁ、昨年末に大きな出来事があって、バタバタしたので厄落としになったと勝手に解釈している。近日中に4度目の鹿嶋神宮へ参拝する予定。
2009年01月10日
今年も、全アクセス者に敬意を表してよろしくお願いします。昨年もほとんど更新がないままに、月日ばかりが流れています。懲りずに適当にアクセスしていただけると幸いです。たまに更新していますから…まぁなにはともあれ、みなさまの素晴らしい一年を願って、新年のご挨拶をさせていただきます。
2009年01月05日
今回と前回の鹿嶋神宮の「要石」の携帯ストラップだが、参拝して購入した方にご注意!!要石のストラップのひもが非常にもろく切れやすいので、くれぐれも取り扱いには気をつけてください。1回目はひもが切れて、紛失し、2回目は切れそうな箇所を瞬間接着剤で固定して使用していたが、これも無惨に切れてしまう。。。。。結果、思いこみだがそれ以降御利益が…幸運、不運のバランスが崩れるので(要石だけあってか^^:)緊急情報でした。
2008年11月09日
昨年2度の参拝をしたが、今年も昨年同様、鹿島の東国3社へ出向いた。今年の目標は、厄年の厄除け祈願と昨年手に入らなかった神社グッズの購入だ。有料駐車場へ車を止めて、参拝へ。今回もラッキーなことに本殿には神前式、結婚式が執り行われた。昨年の香取神宮以来、2回目の遭遇。もちろん、一部始終便乗して幸福のお裾わけをいただく。参拝終了後に速攻で御手洗池の茶店に直行し、3色だんごを食する。去年は、そんなに混んでいたかったので、自家製のつけものやおこわなどを頂いて、待ったりした時間を過ごすことができたが、今回は状況が違った。店内は団体客が占めていて、なんとか席を確保できたが、店員のおばちゃんが忙しすぎてテンパっている。注文を受け間違ったり、厨房で愚痴っているのが店内まで聞こえて笑いを取っていた。
2008年04月03日
行ったけど。昨年に比べて幻滅。。。。。。。今年の開花は約6割弱の咲き具合。昨年よりは早いような気がする。駐車場も今年は、たくさんの人のブログをチェックして無料で駐車できる場所をゲットしてそのブン、食べ物に予算を回した。昨年は、花火は見ることがきなかったが、初めてということもあって十分楽しめた。しかし、今年は昨年の楽しい印象が強かったせいなのか、それとも時代の流れなのかなんだか予算を大幅に削った内容だった。入場記念に無料でもらえたはずの木札が有料だったことに軽いショックを受け、電飾のちょうちんが消滅したこと。さらには梅大使が不在だったことで深いショックを受け、ろうそくのイルミネーションが昨年より寂しかったこと。茶会の券が昨年より早く完売したことで、かなりのマイナスが浮き出る形となった。反面、商工会議所の職員?(青年部だと思う)の方々の熱い応対は好感触だった。水戸観光協会のホームページの紹介には、水戸の梅まつりは、明治29年、水戸・上野間に鉄道開通を機に、観梅列車が運行されたことに始まりました。 むかしは、観光客が梅林を散策したり、好文亭であたりの風景を賞しながら歌を作ったりしたものです。当時は、あまり人々が訪れていませんでしたが、上野から水戸にいまの常磐線が開通すると、一躍水戸の梅が有名になり、開通した汽車を利用して訪れる人々が多くなり、訪れる観光客へのおもてなしを考え、梅まつりの始まりとなりました。てなことが書いてあった。へぇ(^o^)♪悔し紛れに夜店の露天でたこ焼き、広島焼き、オムライスフランクフルト、イカ焼きを買い込んでほお張りながらの、鑑賞になったのは言うまでもない。ライトアップの梅の少なさにはかなり幻滅。来年は実行委員会の人たちにがんばってもらいたいものだ。最後のフィナーレの花火は初ながら感動を覚えた。ただ、どこに打ち上げるのかわからず、観光客もあちこち見渡していて、打ちあがるまで花火の所在を確認できなかったのが痛かった。ついでに言うと、歩道橋通路でおじさんが、自前の花火を披露して観光客の目を引いていたいのが印象的で、ほほえましかった。
2008年03月09日
順調にパソコンから雑記文を整理中。4月になると職場からのアクセスができないので、今後は自宅からの更新しかできないようです。職場のシステムって時代と逆行しているから、なんでネットが自由に使えない環境になるのかわからない。調べごとも、いちいち自宅でやらないといけないのか!某が調べるサイトは、このシステムだとフィルタリングではじかれるものばかりだから。スキル下げられる結果になる。どうにかしてもらいたいものだ。
2008年03月09日

東国3社めぐり。恒例行事となりつつあるこの参拝は、パワースポット散策で超自然エネルギーをいただくのと、御利益をあてがって3時間近い鹿島神宮への参拝を水戸偕楽園の夜梅祭と抱き合わせで茨城まで車で散策。鹿島神宮はこのブログでも紹介した通り、東国3社巡りの一つで、今日の目的は先月の祈願成就御礼と先日無くした要石のお守りを再購入することだ。携帯電話のストラップにつけていたが、気がつかないうちにお守りが切れてしまっていて無くしていた。これにはかなりのショックで、この後の勝負ごとがぼろぼろで話にならないくらいだ。というわけでひと月も持たないうちに再購入の経緯をたどることになる。 鹿島神宮へは毎年出向いているので、迷うことなく無事に到着。途中で道の駅で寄り道をしたので、いつもより参拝時間が短かったが、目的は達成できたのでよしとする。参拝時間がよく判らなかったが、ぎりぎりで駐車場へ滑りこむ。そんなに参拝時間がないのに、駐車料金とるのかよ!オイ!(怒)しぶしぶ払って本殿へ参拝。なんだか、いつもと様子が変。というのも、翌日に祭りが控えていてその準備が境内ところどころに伺える。祭事の様子がわからないが、とにかく翌日の参拝者は多そうだ。またまた、祝詞を聞く機会に恵まれ、便乗して払いを受ける。この後、お約束のお守りをゲットして一度境内を抜けて、3色だんごを再び食する機会へ。なんと、ここで裏技発見。でも非公開。パワースポットに行くたびに何かの変化を感じ、運気アップをはかる今年の目論見はとりあえず達成。帰りに水戸まで出向いたので、鹿島サッカー場を横に眺める。でっかーい。
2008年03月08日

昨年の初夏に行った記録を残しておきます。栃木県鹿沼市にある由緒正しき神社を二つ紹介します。まずは、加蘇山神社。栃木県鹿沼市西南にある古い神社。徳川埋蔵金伝説が裏技的にささやかれている場所。山岳信仰の修験場だったようで、歴史はかなり古い。およそ1200年以上とも言われている。現在は、中規模の登山コースが存在していて、軽装でハイキング気分で山に入ると危険。朱印をもらいたかったが、そばやさんしか判明できず、断念。情報不足で次の調査対象にしたい場所だ。昔から雪解け水が大芦側を流れ、山とその緑を豊かにしている。同じく古刹名所で、山岳信仰では有名な古峰神社。県内外から参拝客が後を立たない神聖な場所。天狗の面が奉納されていることで有名。この日は、ものすごく暑い日で、あったが、この付近は避暑地といえよう。本殿入り口の鳥居。写真では見えないが、左側に天狗の石造が奉納されている。一度ごらんあれ。この湯で茶を立てて飲むと、無病息災という、隠れたうわさが…。近くで見ることができます。
2008年02月01日
昨年は、更新をサボるくらい忙しかったので、昨年の分と、おととしの分をまとめて更新しますので、よろしくお願いします。
2008年01月06日

天候もよく、午後から出発して袋田の滝へ。この滝は高校の遠足以来で、記憶があまりない。滝がすごかったという印象だけで、細部までは思えていなかったから、ちょっと懐かしいよりは新鮮に近い感覚だ。車で1時間30分の道のりを快適に移動し、目的地である袋田の滝へ。道中は快適な天気だったが、目的地へ着くなり、雲行きが怪しい。そんなことを思いながら駐車場を探す。滝までの距離があり、滝の入り口まで車で乗り込んだが、予想どおり無料の駐車場は存在せず、滝の付近は茶屋や食事処で誘導の人が手招いている。駐車は無料だけど店で何か買え!って魂胆はミエミエ。不愉快なのでUターンしてもう一度無料駐車場がないかを散策。日本3大に数えられているのだから、自治体が無料駐車場を確保しているはず。単純な発想でも市の無料駐車場は確かに存在していた、が、あまりにも滝から遠すぎる!!タダなのでしかたない。徒歩で10分は許容範囲。もっと遠ければ考えるが。。。滝を目指して歩いて行くと、おみやげやが沿道にズラリとならび典型的な日本の観光地スタイルよろしく、生活がかかっているので仕方ないが、こっちも消費者なので沈黙を決め込む。雲行きが怪しくなってきてすぐに雨がぽつぽつ降り始まる。さっきまで晴れていたのに(-.-)滝を間近に見るたにトンネルを利用することになる。入場料100円と聞いていたが、改装費用捻出のためか300円に値段が跳ね上がっていました(高!!!)仕方なく料金を払い、トンネルを数十メートル進んで行くと、滝が目の前に飛び込んできた。マイナスイオンバリバリ(死語)観光客と三脚を持った中高年の男女が何かの写真ツアーで辺りを占拠し、にぎわっていましたというか「どけっ」て感じになりました。トンネル通行チケットに書いてあった内容によると、日本三名瀑の一つ”袋田の滝”は、高さ120メートル、幅73メートルの大きさ。滝の流れが大岸壁を四段に落下することから、別名”四度の滝” とも呼ばれ、一説によると大昔、西行法師がこの地を訪れた際「この滝は四季に一度ずつ来て見なければ真の風趣は味わえない」と、絶賛したことからとも伝えられているそうです。また平成2年には、日本の滝100選に選定され、人気投票で第一位に選ばれたらしい。迫力度はかなり高いが、展望テラスの改修中で少々勝手が悪い。おまけにツアーの3脚軍団が場所を占領してマイナスポイント。早々に滝を後にして、吊り橋のある別ルートへ移動。雨がだんだん激しくなってきた。ぬかるみの道をすり抜けながら茶屋で雨宿り。そこには先客がいて、例の3脚団体の一員らしい。世間話をして降りが弱くなったので、車で戻る決心。駐車場に着く頃には、すっかり雨はやんでいた。
2007年06月11日

出流山満願寺は、アクセスもよく東北自動車道・栃木I.C.で降り、看板の「←出流」に従って県道を進めば約20分程度で着く。つきあたりを左折し、川を越えた一つ目の信号を右折して、あとは道なり&看板に従って行き、道中石灰工場らしき道を通り抜けると、そば屋の集落を抜けてゴールイン。ここのそば屋の混雑にはまいった。時間帯もちょうどお昼だったせいで、マイクロバスや県外ナンバーが狭い道を切り返せなくて立ち往生している姿に遭遇。あ~あ(*_*)さすが年配の老夫婦。道路をふさいでも全然動じないや。強引に車を切り返していて少々遺憾な思いで横切って入山。ここでも駐車の仕方に少々疑問を感じながら停車。なんで、自分の車が止められればいいやって感じで、もう少しどちらかに寄せればもう一台、車が入りそうなものなんだけど…。最近は、どこでもモラルの欠如が身近に感じる。会社が問題を起こしてもうなずけるかもしれない。本堂の右手奥が奥之院への入口 木々が生い茂げ、ときおり落石があるので要注意の看板が…参道を上り本堂まで行き、右手奥が、奥之院に至る参道の入口となっている。飲み物をなどを持参しなかったことが誤算になるとはこの時は予想もしていなかった。ヒールで場違いな参拝客がいたが、足元も悪いので運動靴をすすめる。きつい山道が容赦なく向かってくる。歩けど歩けど…。しばらくすると幼児が両親と共に元気に駆け足で下ってくるのをみて面食らった。元気すぎるし、しかもこんな小さな子供が走りながら本堂へ戻ろうとしているのだ。圧巻!!!気を取り直して休息所まで黙々と足を運ぶ。はぁ~運動不足を実感♪途中には山が崩れた跡が生々しく残っており、聖天堂へ至る石段はロープが張ってあって通行止。大悲の滝 奥之院拝殿を見上げる。失礼ながら、栃木再発見というべきか、改めて歴史の古さを実感。約15分くらい行くと、やっと休息所の屋に着く。休息所→小屋→茶店というイメージだが、実際は修験者が着替えたりする場所のようにも思えたが、実際のところは鍵がかかっており不明。 その小屋すぐそばに「大悲の滝」があり、修験者はここで21日間滝に打たれ、日光山へ備える。想像しただけでも厳しさが伝わってくる。今ならば車で麓まで行き、すぐに参拝できる時代に感謝。滝の入り口を見ると、現在でも修行僧がここで滝に打たれる修行が継続されているようだ。見上げると絶壁の上に奥之院拝殿がそびえ、圧倒されながらもよく建立したものだと逆に感激する。最初に鍾乳石を発見したときの感無量さが目に浮かぶようだ。石段の数は99段?息を切らしながら急な石段を一気に登ったはいいけど…全身汗でシャツがびっしょりになり冷たい冷気がかなり涼しく心地よい。小屋が小さく見える。かなりの高低差があるのをおわかり頂けることであろう。目の前には、山の稜線のみで視界は広くはないが修験道場には景観必要ないと思われる。朱塗りの拝殿には子授け・子育てに御利益があるという十一面観世音菩薩像がある。造りは古く、何度も補強の後が見られ、傷みも相当で、柱?の一部がおれている。縁起によれば、天平時代にこの下野の国司であった若田氏高は、妻・明寿が子宝に恵まれなかったことを嘆いて、この十一面観世音菩薩像に祈ったところ、男子を授かったことから、そのいわれがある。なお、この男子は後の勝道上人その人であり、この出流山を開山する人となったとのことである。菩薩像の横には、上人の像も祀られている。この菩薩顔が3面になっている。罰当たりかもしれないが、失礼してフラッシュを閃光させ撮影。暗い洞窟→スイッチ!押してね♪がなんとも粋な気遣い。これがなければそこで鍾乳石を見ずに終わってしまうかも。→幻想的な雰囲気を出してのご登場。奥之院は洞窟になっており、電気をつけると中が見られるようになっている。奥行きはそれほどない…鉄格子が見える。その奥には!鍾乳石…延びるのに時間がかかるんだ 解説図 十一面観世音菩薩 後姿祀られているのは、この十一面観世音菩薩の後姿という鍾乳石である。鍾乳石は100年に1cm程度しか延びないってそこの看板に解説がある。ここまでの長さになるには5万年必要。栃木県の天然記念物となっている。奥の院を見てしばらくここで足休め。下を見ると改まって高い所でよく見つけたな!って再認識する。帰りは下りなので行きよりも軽快に戻ってこれた。これで300円の拝観料は、どこぞの滝よかましかもね。ものすごく古刹を感じた時間を過ごすことができました。
2007年06月06日

鹿島息栖と続いて、東国3社巡り最後の場所は香取神宮へ。ナビでチェックすると検索に引っかからない。おかしいと思いきや、携帯を駆使して現住所を確認。でも何故か地図検索に出てこない。仕方なく適当に感を頼りに車を走らせた。しばらくすると、ナビが反応して目的地である香取神宮が出てきた。(・・;)ほとんど狐につままれた感じだ。後で確認すると息栖神社から最短距離で移動していたことが判明。気を取り直して、駐車場へ向かうかが、参拝客がたくさんいて駐車場が開いていない。駐車場を数周迂回しているうちに空きがでたので、そこへすかさず駐車。車の間隔が非常に狭くて大きい車の横にはマイカーが止めにくい。ぎりぎりで駐車していざ。梅のつぼみがふくらんで今にも咲きそうな気配。参道までは緩やかな坂道になっている。道中仲見世があって「厄除けだんご」が販売されている。ご祭神は(ふつぬしのおおかみ)鹿島神宮の祭神と同様、東国を開拓した偉人らしい。駐車場から最初の鳥居を抜けると、本殿に向かって左側に護国神社と要石と奥宮への入り口の案内板が。本殿へ参拝してから帰りに向かうつもりで、そのままスルー。そこから軽く勾配のある道へ。総門をくぐって手水舎で清め、楼門を見たときに京都の上賀茂神社を思い出した。建物の形状が非常によく似ていた。参拝客と偶然にも本殿で結婚式を執り行っていた。巫女さんや神職がたくさんいてなんだかうれしい。びっくりしたのは、巫女さん?神職?女性の職員が色の違う袴で忙しそうに走り回っていたのがものすごく気になった。これって?位置関係はどうなんだろう?????巫女さんの舞をぼんやり見ながらご神木を眺める。ずいぶんと大きな木だ。本殿を一回りした後。奥宮へ向かう。護国神社は誰も参拝者がおらず、貸し切り状態。ちょっとご挨拶をして要石のあるところへ。鹿島と対になっているが、ここも本殿より離れた場所にある。殺風景で不気味な感じを受けた。御朱印と一緒にもらったパンフレットには現本殿は徳川綱吉公による建立らしい。仲見世の途中に細い道らしきものを発見。来たついでなので、行くことに。奥宮が見つからないのでもしかしたらここにあるかもと思いきや急な登り坂になっている。自転車の通行注意って看板があったのが納得。ここで自転車で移動するとブレーキが壊れそう。途中ギョッとした!なんと。防空壕が二つほどぽっかりある。ここから冷たい風が吹き込んでいてものすごく寒気を感じたというより霊気を感じた。そそくさとその場から急ぎ足で上へ向かう。読み通り、奥の宮らしき入り口が見えてきた。ここも参拝者が全然いなくて、かなりのパワーを感じ、同時に霊気も感じる。ここだけ入り組んでいて、荘厳な造りになっている。参拝するのをためらったくらいだ。簡易な鳥居をくぐって本日のご挨拶。本当に人を寄せ付けない空気を漂わせている。こんな感じで、東国3社参りが無事に済んだが、神水を息栖・香取と汲み忘れたので、再度行くことになる。続編があるので、ご期待ください。
2007年04月04日

毎年梅の季節になると偕楽園の咲き具合が気になっていたが、今年も気になって仕方がないので、行くことに。東国3社巡りで神水の汲み忘れも含めて再度茨城へ。某は遙か昔に言った記憶があるが…はたして前回行った記憶は梅の断片的な(5分先位)の時、眼病に効く泉と竹林。さらには仙波湖から歩いた記憶しか持っていない。もしかすると、このほかにも行ったかも。時刻は夕方に近く、車や観光客がたくさんいて、駐車できるかどうか心配だった。水戸駅方面から来たので、駐車場も仙波湖東側からの進入で混雑は避けられたが、通常の駐車場は梅祭りのために有料化していて、無料のかけらもない。仕方なく有料駐車場へ向かい、夜梅祭りまで時間があるのでちょっと休憩。仙波湖の昼と夜。偕楽園への道のりは、500mほど徒歩で移動し、帰りの団体観光客とすれ違いながら入り口を目指す。入り口へ向かうとたくさんの露天の食べ物の臭いがあたりを漂い、空腹感が増す。この後の夕飯に備えて我慢我慢(*_*)神社の方から猿芸を始めるとのアナウンス。いよいよ夜梅祭りの始まり。碑文より偕楽園は「民とともに楽しむ」遊園として水戸藩主徳川齊昭烈公が自ら造園計画の構想をねり創設したもので、好文亭についてじゃ烈公が自らその位置を定めたといわれており、天保13年に本園・桜山および丸山が開園されました。当時の偕楽園には梅を中心に竹・霧島ツツジ宮城野萩などを飛び地になっている。桜山と丸山には桜を植え、周辺の湖水(先波湖)と田園風景を採り入れ自然との調和をはかり、四季の風情や明暗に富んだ趣のある造りで広大そのものです。明治6年に常磐神社建立に伴い、その敷地として梅林の一部を割愛したため、規模が縮小され現在に至っています。大正11年に国の史跡・名勝の指定を受け、「常磐公園」とも称し、日本3公園の一つに数えられており、春には約100種3000本の梅の香りが満ちあふれています。DATA:偕楽園の面積 156,008平方メートル 偕楽園 127,995平方メートル 丸山 2,098平方メートル 桜山 25,919平方メートル先に神社へご挨拶に。この常磐神社は夕刻でも参拝が可能なんだ^^猿回し芸が神社で奉納されるなんて、しばしの笑いを提供していた。暗くなる前に園内を一周することに。梅の咲き具合は満開のピークを過ぎたくらい。2.3日前から天気が悪かったので梅が散るのではないかという心配があった。鈴なりになっている梅。満開で心地よい。夜間になる前に職員がひとつひとつローソクに火をつけて歩いていました。ライトアップされる梅。6時から始まる夜梅祭で木札がミス水戸から順に配布される。この時、横から心ない観光客が30分前から並んでいるのに割り込みでもらった輩がたくさんいてムカついた。ちょうちんも配布?していたのかなぁ~あちこちで木札とセットで持っていたお客さんが見られた。京都を思い出すような竹林。ちょっとお気に入りの場所。ろうそくのイルミネーションにたくさんのカメラが向けられていて、中々写真が撮れなかったけど、根性で撮影。ちなみに、帰りの夕食は地元では有名な「グルービー」でパスタを食してきました。つくばと水戸の2店舗目だったが、個人的には客層がつくば店の方が落ち着いたかな。水戸店は慌ただしくてパスタの味が半減した気分。ギャル多し。
2007年03月30日
東国3社巡りの2番目は「息栖神社」である。3社の中では唯一「神社」格なのだが、詳細は調べていないので不明。鹿島神宮から車で約20分。ナビが一発で検索できたので、迷うことなくすんなり到着。ひっそりとしていて、参拝客もゼロ。タイミングがいいのかどうなのか、ほとんど神社の貸し切り状態。祀ってあるのは、アメノトリフネノカミ、クナドノカミ。歴史は鹿島、香取同様に古く、よく言う「鎮守の森」って印象が強かった。ちょうど風が強くて、某が参拝するのを拒否するかの如く、春一番のような風が終始吹いていた。と、同時に梅が神社入り口の鳥居付近で咲いているのを発見。本当に暖冬なんだって実感しましたよ。梅と言えば、水戸の偕楽園が有名ですね。息栖神社の一の鳥居は常陸利根川に面していて、ほんとに水がすぐそこまで来ているようでしたが、帰り際に気づいたので肝心な鳥居の下にある忍潮井(おしおい)の井戸を見ることも、霊水を採取することをすっかり忘れてしまった。息栖神社は岐神(くなどのかみ)を主神とし、住吉三神、天鳥船神を相殿のかみとして祭られてある。 古くから国史にも見え鹿島香取両神宮とともに東国3社の1社として上下の進行の篤い神社である。岐神は厄除け招福の神であり、住吉3神は海上守護に、天鳥船神は交通守護の神としての御神徳が顕著で神前に祈念する者にその限りない恩守護くださるものである。(神社の由来より引用)時間的に香取神宮が次に控えていたので、次回のお楽しみにすることにした。早速境内に入ると、不気味なくらい静まり返った場所で、風と砂利を踏む音だけがしている。手を洗って正面まで行こうとしたときに、社務所が途中で視界に入ってきた。が、神主らしき人は、神社長発行の機関誌を読みながら、テレビを見ていた。ちょっとリアルに引いた自分がいた。あまりにも参拝者が少ない上に、神主も平和そのものだ。社殿の作りは数年前に改装したのか、古くささがなくて少々がっかりした。が、作りはさすがにしっかりしている。後ろに他の参拝者が待っているので、焦りながらも参拝。神社を一回りして、梅の咲いている木を発見!すかさずデジカメで記録した。本当に春一番のような強い風である。御朱印をもらおうと、社務所へ再び出向く。やっぱりこちらの存在には気づいていない?それともスルー?されている?3分くらい社務所の御朱印受付前で立ち止まってアイコンタクトを試みたが失敗に終わる。なんだぁ????仕方なく窓を軽くコンコンと叩くが、これにも気が付かない。ちょっとムッとしてしまったが、堪えて再度挑戦すると、やっと気が付いてこちらに向かってきた。どうにも要領を得ていなくて仕方なく朱印の申し込みを行ったが、この神主、朱印の在処がわかっておらず、しばらく待たされる羽目に。待つこと数分。やっと目的のモノが手に入ったが、いつもこんな感じなのだろうかと不審に思ったのは私だけではないと思うのだが・・・・。朱印を無事手にした某は、帰り道までとっておいた力石と、ご神木を拝見。後で気がついたが、神水をいただいてくるのをこってり忘れてしまった。そんなことで、また次に行くことを決意。
2007年03月26日

益子に別の用事があってついでの参拝(?!)と言っては失礼。真言系のお寺なので興味津々で参拝することになる。職場に益子在住の同僚の薦められるまま、行きたいとは思ってはいたが…穴場だった……こんなことになるなんて( ̄0 ̄;)意表をつかれたような衝動♪訪れた日の午前中まで雨が降り続け、今日は行くのを辞めようかと思ったくらいでしたが、偶然にもお昼を過ぎたあたりから、太陽が出てきたので参拝を決行。正式には真言宗豊山派獨鈷山普門院西明寺(とっこさんふもんやまさいみょうじ)行基により天平9年(737年)開山された由緒あるお寺。辺りの景色は栃木百景にも選ばれている大変景色の良い場所。子供の頃に遊んだ風景によく似ていて懐かしい情景を思い出した。益子駅から車で10分弱で共販センターより手前の交差点を右に入る。そこからは大変のどかな細い道を行くこととなる。車一台がすれ違うにはちょっと、無理があるので譲り合いで向かいましょう。県の施設が近くにあるので、どうにかしてもらいたいものだが…。早速狭い道をなんとかやり過ごして行くと、芳賀自然の家と全く同じ方向。カーナビがないので、"感ナビ"で到着。急な山道を車が悲鳴を上げそうな傾斜でイケイケのノリで突き進む。ここは「坂東二十番札所」になっているので、参拝者集団とすれ違う。山の頂上にあって景色が最高に良い。すぐさま車から降りて辺りの景色を見下ろす。はっきり言って、ここは風情があって凄く自分的にいい☆修復の気配もなく(しているのかもしれないが)茅葺き屋根が気に入った。遙か昔、子供の頃に同級生に茅葺き屋根の家の子がいたが、いじめのターゲットになっていたことを思い出した。今考えると羨ましいかも^^;全体では、楼門、三重塔、本堂内厨子(これらは国指定)本堂、鐘楼、本堂厨子内仏像群8体、木造千手観音立像、木造千手観音坐像、木造閻魔大王坐像・両脇侍像、梵鐘、こうやまき、椎林叢(こちらは県指定)閻魔堂、大師堂(いずれも町指定)等の文化財が点在している。ちょうど参拝の谷間なのか社務所には誰もいない。デジカメを持っていざ参拝!社務所向かいが参拝者休憩所となっていて、湯茶が無料で飲めるらしいが、シャイな某にはとても無理!遍路の時には平気でお接待受けていたのに…。正面には参道への急な石段。向かって右には粋な休憩所と竹が沢山同行していた連れは先に石段を上がって行くのを尻目に、あちこちデジカメで古刹を激写する危ないカメラ小僧と変身していた。西明寺桜門(重要文化財指定:S25.8.29)基礎を設け柱は三十二角造り。左右の側室は前後に区切られ、前室に金剛像・仁王像を安置している。背面腰組下蟇股は形態珍奇、彫刻手法、細部模様絵など精美である。柱間を飾る中備(箕束)、匂欄出組の唐様斗拱、頭貫木端の繰形彫刻は特徴のある渦形文様で室町時代の特徴をよく表している。(益子町観光協会のホームページより引用)西明寺三重塔(重要文化財指定:同上同日)高館城主益子家宗の建立で、三層とも柱間が三間、初層間に・二層は和様尾垂木、三層は唐様、軒廻りは初層繁垂木、二・三層扇垂木、隅木は初層のみ和様、他は唐様、木割等の手法は優美でそれぞれの建築様式の特徴をよく表している。屋根は軒の出が深く、勾配や反りもきついがバランスのとれた安定したものである。相輪の材質は青銅で九輪の水煙が雲形の連続模様で、伏鉢に「天文七歳二月吉日」の銘がある。関東甲信越四古塔 ひとつである。このお寺で地元でも人気がある「笑い閻魔」【押さえておきたい情報】o(`^´*)本尊●十一面観世音菩薩開基●行基菩薩創立●天平九年(七三七)住職●田中雅博●詠歌●西明寺 ちかひをここに 尋ぬれば ついのすみかは 西とこそきけ納経時間 午前8時~午後5時。所在地 : 栃木県芳賀郡益子町大字益子4469拝観料 : 無料交 通: JR真岡線益子駅から益子行きバス終点下車駐車場 : あり車 : 宇都宮方面から国道123号線で約40分 電 話: 0285-72-2957ホームページ http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/付記情報:(益子町観光協会のホームページより引用)木造聖観音菩薩立像 像高 178cm木造馬頭観音菩薩立像 像高 170cm木造勢至菩薩立像 像高 92.5cm木造准胝観音菩薩立像 像高 114.6cm木造如意輪観音菩薩坐 像 像高 63cm木造延命観音菩薩立像 像高 177cm木造毘沙門天立像 像高 78cm木造十一面観音菩薩立像 像高 105.3cm桧材、寄木造り、彫眼、鎌倉時代作(ただし如意輪観音菩薩坐像・延命観音菩薩立像は室町時代作)これは県指定の文化財になっています。実際にはみられませんが(汗)博物館で日の目をみるか、何かしらのご開帳待ちかなぁ( ̄▽ ̄;)
2007年03月12日

伊勢神宮での参拝が済んでいないまま、東国3社参りに行って来ました。西の「伊勢」東の「3社」というほど昔からメジャーな参拝で歴史も古いし、謎も多い。もしかすると、深い謎があるのではという説も浮上しているくらいで、ホームページや謎解き歴史マニアの間では、話題を集めている。そんなことも知らずに、久々の遠出ということもあって気合い十分な参拝記録をみなさまにお知らせしたいと思います。東国3社って?その前に、これを言ったらキリがなく、ページも膨大な量を稼いでしまうので、詳細は他のホームページに譲るとして基本的な常識の範囲でのご提供とさせていただきます。で、もう一度東国→つまり、東日本での3社で歴史がものすごく古いモノという解釈で、紀元前よりさらに前に縁起がある神社(神宮)を表す。西日本では伊勢神宮、出雲大社などを指す。東日本では今回ご紹介する茨城県にある「鹿島神宮」「息栖神社」そして千葉県にある「香取神宮」の3つの神社等を一気に参拝する昔で言えば一大イベントであったと考えられる。なかでも歴史が古い「鹿島神宮」は紀元前660年前に建立された社のようで、由緒あるもっとも古い神宮の一つであって、参拝客も後を絶たないくらい。ここまでの道のりには国道沿いには結構コンビニなどが点在しているが、息栖神社や香取神宮から地元へ帰るときの経路がものすごく寂しいところで、コンビニも民家もなかった。(一体どこを走ってきたんだ(~_~メ)後で知ることになるが、こぶのような小高い山がたくさんあったのは、どうやら古墳群らしい(国立歴史博物館史料より)なんだか途中のローカル線は、カメラを構えた、マニアの方が場所を問わずに望遠レンズを引っさげて、写真を撮る姿があちこちで見受けられた。途中で併走していた一両のかわいい電車がたぶんターゲットなのだと気がついた。電車の横に「ありがとう」ってペインティングされていたので、それがなかったら見向きもしなかったのだが(汗)もう一つ、ありがとうにひっかけて「SMAP」の「ありがとう」を思い出して吹き出していたのも否定できない。偶然にも道中を楽しくさせてもらい、もしかしたらラッキーな兆候?なんて淡い期待をしがなら、鹿島神宮へ向かった。 また、あるホームページには、「パワースポット」「レイライン」などという神秘的なお題目をつけて公開している位、力がみなぎってきそうな不思議な領域でもある。この3つの神宮・神社を直線で結ぶと2等辺3角形がちょうどでき、鹿島神宮から香取神宮まで直線で12Km、鹿島神宮から息栖神社まで直線でkm、香取神宮から息栖神社まで直線で9km。これが偶然とはいえない気がする。他のページ曰く、皇居、富士山、伊勢神宮、高千穂と一直線に結ぶことができる。これは歴史的偶然に考えるのはもったいない。失然的とはいえ、何かものすごいモノを感じる。自然の営みとして、もしくはパワーの在処を知っているかのように並んでいるのが面白いし、興味深い。でも、これだけに研究しているととっくに爺さんになってしまうので、ほかの研究者に任せることにして参拝の本題へと入ることにする。鹿島神宮サッカーで有名な「アントラーズ」の本拠地。しかも駅から徒歩5分で着く好条件。歴史は2600年を越える国宝級の歴史的な建造物なんだけど(汗)指定は重要文化財レベル。御祭神:タケミカツチノオオカミ(漢字が難しすぎ) 東国開拓の先駆者らしい鎮座地:茨城県鹿島市宮中(常陸国鹿島郡) 水郷筑波国定公園に含まれる鹿島台地は怒濤逆巻く鹿島灘を 東に配し、西は水煙芒々と広がる北浦、霞ヶ浦や水郷地帯を 望むことができる。 この台地の千古の森に有史以来の歳月を重ねて大神は鎮まられる。社 格:勅祭社 旧官幣大社(現別表神社)常陸国一の宮 (全国の鹿島神社の総本官)御事歴:神代の昔、天照大神の命を受けたタケミカツチノオオカミは香取のフツヌシノオオカミと共に出雲国に向かわれ、国譲りを成就し、皇系(すめみま)の国たるべき日本の建国と建設に挺身された。とりわけ東国における神功はきわめて大きく、関東開拓の礎は、遠く大神にさかのぼる。神武天皇はその御東征になかばにおいて思わぬ窮地に陥られたが、大神の「ふつのみたまのつるぎ(国宝)」の神威により救われた。この神恩に感謝された天皇は自らの御即位の年、大神を鹿島の地に勅祭された。皇紀元年、即ち紀元前660年の頃といわれる。 (鹿島神宮パンフより引用)神宮に着いたのはちょうど10時頃。車の渋滞もなく、非常に快適な道中だった。神宮正面へ駐車場を散策していると、正面にあることに気づく。ちょうど前を走っていた自動車の後に続き、駐車することに。駅付近の駐車場は一日300円前後だったが、正面は200円とリーズナブル。基本は神社系は無料なんだけど・・・。まぁいいか。車を止めてさっそく参拝開始。なぜか枯れ草を燃やしている風景に出会って、その燃やした煙が異様な様相を示し、神秘的な空間へと早変わりしていくのがわかる。思わずデジカメで記録。すると、参拝客がそれにつられて携帯で写メをとっている。なんだか共感してもらっていい気分。正面から2番目の桜門をくぐって本殿へ。ちょうどどこかの団体が集団儀礼(?)を執り行う場面へ出くわした。が、以外にもあっさり系なのでがっかりした。来ただけに手ぶらでは帰らないぞと、本殿でご挨拶をして、本殿の建物チェック!さすがに由緒ある建物だけあって、綺麗にまとまっている。ほかの参拝客と違う場所にデジカメを向けているので端から見れば変な参拝客だったかもしれない。そこから更に仮殿前の結界が張られたところへ足を運ぶ。普通の人は何も考えずにその先の古いお札納めの段ボールが置いてある場所へ一直線に向かうが、某は恐ろしくて中へ入れない(お前は化け物か?って突っ込まれそう)思い切って中へはいると、やっぱりからだに多少のしびれを感じる。出ると感じない。入ると感じる(+_+)ん???まあパワースポットを人為的に作っているのだから、それはそれでいいと思うということにしよう。 もちろん、神宮内の森は聖域というほど静まり返って逆に不気味さを感じる。看板には「森林浴」のススメがあるくらいだし。実際にウォーキングしている人も居たくらいだから。山道が広すぎて寒さすら感じ、ぞっとするような雰囲気も隠しきれない。何せ道のりが整備されているとはいえ、ヒールの付いた靴はおススメできない。御手洗池付近の急な坂道にはとうてい対応できないからだ。アップダウンが厳しくて運動不足の某には息切れをした位。池自身は非常に綺麗で、透明感溢れ澄み切った水の中で鯉が悠々と泳いでいる。デジカメなどの写真で撮影すると水の色が変化しているのがよくわかる。ペットボトル持参で水も汲むことができ、地元住民の生活用水として利用されているようだ。たくさんのペットボトルを持ち込んで水を汲む姿や、近くの売店でポリタンクを購入して水を汲む姿がたくさん見られた。ただ、売店で購入すると千円弱の費用がかさむので参拝のさいには、大きなペットボトルを用意した方が無難かもしれない。荷物としてかさばるし、参拝目的ならば売店の自販機の飲み物を購入したペットでも十分である。今回は水を神水として持ち帰るように持参してきた。奥宮はひっそりとしていて、閉店した店のように静まり返っているし、要石はずいぶんと離れた場所で本殿から歩いても10分はかかる距離。要石の鳥居はものすごいエネルギーを感じた。解説は上の看板で^^;この他に香取神宮にも要石があったし。他のホームページでも指摘があったが、対になっているのでは?という疑問があるようだ。写真下の丸い石がこの要石だけど、中心が軽くくぼんでいて、浄財が2枚乗っているのがわかりますか?くぼみの石は古代から女性のシンボルとして象徴されていましたけど・・・。関係あるのかな?よくわかりません。太古このとですから。詳しい人はコメントくださいね。さて、タダでは帰ってこないので、御手洗池の売店で3色だんごをげっと。本来の参拝は、鳥居を抜けて再度飲食するとかなんですが、もぉ寒くて暖を取りたい衝動に襲われて、つい団子を食してしまいました。このだんご、3色で上からみたらしやきだんご・くさだんご・きびだんごの順で、香ばしいにおいと共においしくいただきました。
2007年02月15日

正月の参拝の続報です。時間がなかったので記載していませんでしたが、続きを記します。拝殿から更に奥に行く道があってそこは有料なんですが、是非一度はご覧あれの場所です。なんと言っても強力な霊水(神水)が身近に手に入る場所です。ここはかなりのパワースポットで、中へはいると体がピリピリした緊張感に襲われます。これをゲットして悪い場所へひとまきして清めたいです。こんな感じで誰もが入手できるようになっています。自身、常に携帯していて来たるべき時()によく使っています。ご神木です。この木からもの凄いパワーを感じ、肩が重かった気がします。ご神木の近くに恋愛成就の木を発見!御利益のほどはわかりませんが、写真は掲載しませんので、ご自分で参拝くださいねもうひとつの縁結びで有名な大黒様。ここには沢山の大黒様がいらっしゃいます。このほかにも沢山の大黒様がいるのですが、掲載しない方がいいと思うので。ここにはちょっとした遊び心があって、お菓子のルーレット占いや輪投げなどがあって、カップルの憩いの場へと転じていました。
2007年02月14日

私のお気に入りの場所です。仕事で嫌なことがあったりすると、自然にここに足を運んでいるようです。ある場所の敷地内にひっそりとあって、誰もここには来ません。夏は涼しくて、蚊もいません。冬は日陰になるのでそれなりに寒いのですがそれでもまったりしています。ここを管理している人と、何度か話をしているうちにわかったことですが、すべてここで作られている庭園は廃材を利用して造ったそうです。この時期は秋の写真ですが、もの凄く風情があって京都を思い出します。最近忙しくて京都もご無沙汰なので、ここで我慢しているって状態。でも春には行きたいと考えています。この場所もあと少しでお別れです。残念ですがもっと良いデジカメがあれば綺麗に撮れるのかも知れません。私の腕前ではこれが限界です。この撮影した日には、半日近くこの場所にいました。自宅にもあるといいけど、掃除や手入れが大変そうです。なんてたってプロの卵がつくっていますからねぇ。
2007年02月13日

日光二荒山神社へ新年の参拝をして参りました。参拝客は三が日を過ぎていたので、以前正月に参拝したときほどでもなく、週末に観光客や団体ツアー客がいるような位の人数で、ストレスもなく参拝ができたことは、うれしい限りである。元旦早々、近所の神社へ新年の挨拶をするのが恒例になっているが、毎年馬鹿にできないほどの参拝者で結構ストレスが溜まるほどの人だかり。それに比べ・・・・・話を元に戻すことにする。地元ではそんなに寒くはないので、完全防備までしなくても良いだろうと甘く見ていた。が、やっぱり日光だ。寒いのなんのって薄着で来たことに後悔し、近くのコンビニに飛び込んでカイロを買ったのは言うまでもない。暖冬も甘く見てはいけないのだ^^;昼食を済ませ、東照宮の参道から横切って二荒山へ直行する。本来ならば、神社は基本的に駐車料金を取らない方針なので、ダメもとで付近の駐車場を利用する前に確認して欲しい。結構空いているので駐車料金の分を賽銭にするのもよし。お守りを買うのもよし。さすが、神社庁管轄。無料がうれしい。どこかのぼったくりお寺とは雲泥の差ですね☆余談だが、その寺は駐車料金を1000円徴収した上に800メートルも歩かなくてはならず、さらに本堂へ行くには拝観料500円と500mの急な坂道のおまけ付きである。昨年、神橋が改修されて一般に広く公開されたのでそれにちなんでか、インターネットからライブカメラでその様子を伺うことができるありがたい状況になった。それに付随して、中禅寺湖の中宮祠でもライブカメラを追加し、さらには二荒山の参拝状況もライブカメラで確認ができるようになった。これはITユーザーにはとても好都合で、混雑状況や、雪の状況なども自宅で見ることができる。http://www.shinkyo.net/index.shtmlで、行く前にネットで神社のホームページを確認すると。。。1月4日(木)午前8時15分現在晴れ> ■神橋受付付近 気温2℃湿度70%寒いわけだ。で、基本的な情報をおさらいしておくことに日光二荒山神社御祭神 二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ) →親子3神を祀る 大己貴命(おおなむちのみこと)→父 田心姫命(たごりひめのみこと)→母 味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと)→子古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)→標高2,486mを神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。境内は、日光国立公園の中枢をなす、日光連山をはじめとて、御神域は、3,400haにおよぶ広大な境内地です。 華厳の滝や下りのいろは坂、重要文化財の神橋など 日光市内に3社鎮座しています。 男体山山頂→ 奥宮 中禅寺湖畔→ 中宮祠 山内(市内)→ 御本社※ホームページより由緒を引用今年はいち早く厄除けの参拝をしようと気合い十分で、参拝。早速、社務所へ出向いて厄除けの申し込みへ。知ってました?神社でお金を払うときには「初穂料」っていう言い方をすること。神社には、その年に初めて収穫された稲穂が、豊作の感謝の心で奉納されます。初めての稲穂、つまり「初穂」です。時期や時代の移り変わりにより、それが金額に置き換えられてきたのですよ。さて、社務所の神職さん達がたくさん集まっていたので、ちょっと緊張。袴集団のなかにいると武道を思い出すのは私だけだろうか?そんなことを考えながら、申込用紙に氏名と生年月日を記入する。歳を書くのに抵抗を感じる歳になってきたとあらためて実感。おいおい!雑念ばかりじゃん!!!!巫女さんに待合いどころまで案内されてそこで順番待ち。その間に飾ってある皇室参拝の写真を眺めて待つことに。あれ?もう呼ばれてしまった早っ!!神主が迎えに来てくれて、一人緊張の趣で神殿に入る。巫女さんがタイミングを合わせるかのように太鼓を叩き、いざ厄除け祈願の始まり。まずは2礼2拍手1礼のご挨拶。はじめの祝詞で頭を下げて、お祓いと祓い詞を読み上げる。おおお!一人だから住所と名前と年齢まで言われている背後から賽銭の音と、柏手の音が神殿に響き渡る。なんか神様を独り占めにした気分とまたまた雑念。お裾分けを頂き、メインイベントの玉串奉納の儀礼。神主より玉串を頂き神殿正面へ奉納。判っているつもりでもかなり緊張~。無事に終了し礼をする。もう一度2礼2拍手1礼で終了。神殿から控え室へ向かおうと思った矢先に失態。ああお札を頂くのを忘れて戻る。巫女さんがなんともいえない苦笑で出迎え。超恥ずかしい時間にすると約15分くらいで厄除け祈願が終了した。帰りに気がついたのだが、神橋のテーマソングがあるなんて!CDが出ているんだすかさずゲットしてしまった。何しにいったのだろうか?この後は、神聖な領域に足を踏み込んで自爆する巻へつづく
2007年01月09日
今市宿七福神めぐりで、四季感があふれるゆたかな自然に触れ、370余年の歴史がある日光街道杉並木を含んだ名所旧跡が多いこの土地に宿場町であった今市市を訪ねることになる。七福神の信仰の歴史は古く、江戸時代には地元の地場信仰と習合され、お伊勢参りが盛んだった時期が発祥と考えられる。いうまでもなく七福神は仲良く宝船に乗って、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。一般には恵比寿、大黒天、毘沙門天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋の七柱の神とされる。但し、寿老人と福禄寿はともに南極老人の化身とされることから、この二者は本来同一のものとみなし、寿老人の代わりに吉祥天や猩猩が入れられたことがあった。これは関西から始まったもの。誰がいつこの顔ぶれに、と定めたのかは不明。時代によってこの顔ぶれに異同がある。猩猩、稲荷が外れたのは、人間の姿ではなかったためとも言われる。おめでたい存在とされ、七福神めぐりが行われたり、正月に枕の下に七福神の乗った宝船の絵を入れておくと良い初夢が見られるなどとされている。しかし、人間の欲望を神格化したものでしかなく、中に人間も含まれていることから厳格な神社や一部有識者の間では「神ではない」とする見識もある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部抜粋まあ、このような信仰の影響で、全国どこでも七福神めぐりが可能になった。この近辺でも下野七福神や我が聖地、京都でも沢山の巡るスポットが点在している。「なかきよのとをのねふりにみなめざめ、なかのりふねのおとのよきかな」と、上から読んでも下から読んでも同じ意味の歌が記され、この絵を正月二日の夜に枕の下に入れて寝ると幸福をもたらすといって人気を呼んでいる風習は、現在でも多く見られる。最古の七福神めぐりは、やっぱり京都の京七福神参りが有力である。ちなみに、今市宿七福神めぐりは、一年中巡礼が可能です。七福神巡礼には、色紙を用意してスタンプラリーしまひょ☆また、その場でも調達が可能です。ただし、仏閣等の法要などの行事にぶつかると時間がかかるので時間に余裕を持ちましょう。瀧尾神社 大黒天 栃木県今市市今市春日2-531 0288-21-0765 瑞光寺 毘沙門天 栃木県今市市平ケ崎374 0288-21-1623 如来寺 弁財天 栃木県今市市今市東郷710 0288-21-0105 明静寺 福禄寿 栃木県今市市瀬尾791 0288-21-2847 徳性院 布袋 栃木県今市市平ケ崎230-2 0288-21-0429 本敬寺 寿老人 栃木県今市市今市大谷向1430-15 0288-21-1566 追分地蔵尊 恵比寿 栃木県今市市今市117 0288-22-4804 報徳二宮神社 二宮尊徳 栃木県今市市今市743 0288-21-0138←元締めなので最後か最初に行きましょう。
2006年06月05日

ゴールデンウィークなのに、参拝客は皆無に等しい。時間が午後を過ぎていて、中日だったという状況を関係しているのかもしれない。本殿に向かう前に、青銅の剣が奉納されており、誰もが自由に手で触れることができる。この青銅製の剣は「平和の剣」と呼ばれ、「平和の剣」は白鷺神社の御鎮座1,220年を記念し、12m20cmの巨大な青銅製である。神社によると、世界平和のメッセージを白鷺神社から「戦いの世紀」といわれた20世紀、この地球に住まう63億人の共通の思いは、21世紀こそ「平和の世紀」にしたいと強く願っており、世界平和のメッセージを白鷺神社から世界に向けて発信し、たくさんののご協力を頂いて「平和の剣」を白鷺神社の御祭神である日本武尊のご神徳のシンボルとして、奉納した経緯があります。静かな県道沿いにあって、さらに少し行くと閑静な住宅街へと続く場所に鎮座されている。
2006年05月05日
同じ日に国道沿いの出雲大社に参拝した。ここには2度目の参拝で、拝殿には大きな縄しぼり(!o!)?があって、そこに参拝者が硬貨を無理矢理突っ込んでいた。何か御利益があるのだろうか?知っている人がいたら、ゲストブックに書き込んでねって誰もこのページ見てねーって。話は本題に戻って、拝殿でも丁度お清めをしている参拝者がいたので、祓詞・大祓詞を聞くことができたが、前に触れた稲荷神社のとは若干手順が違っていた。今後の研究対象であるが、この若干の違いは何なのだろう?不思議だ。近々、東南の位置に大きな白い鳥居がそびえ立っていた。前回の参拝時にはそれがなかったが、数年後にはさらに境内を拡大する計画のようである。すばらしい。今後も要チェックのスポットである。
2006年03月13日
久々の書き込みでした(^o^)諸般の事情で書き込みが困難な状況でしたので、更新を楽しみにしていた方ごめんなさいね!鷲子山(とりのこやま)っていう栃木県と茨城県の県境にある神社に行ってきました。たまたまの偶然行き当たりばったりだったんですが、丁度その日はお祭りの日で、山車が道路を練り歩いていたので気が付きました。その前にも馬頭の道の駅でパンフレットを発見したので、それを貰って眺めてはいたのですが、まさか道路規制をしているとは予想もつかなかった。…ということでUターンをして鷲子山の神社に出向くことになったのである。国道293号線を水戸方面にひたすら向かうと、国道沿いに馬頭の道の駅がある。そこから県境まで向かうと、看板が出ているので、そこの山道を10分ほど車で移動する。国有の保有林の急な山道を上り詰めるとそこには神社がある。駐車場があまり広くないが、参拝客はぱらぱらで、お祭りの方にみんな行ってしまっているからである。神の不在中に参拝をしても仕方がないのだが、気にせずに本殿へと向かう。先にも述べたが、県境なので神社の鳥居の中央に県境の看板があるのが面白い。鳥居を正面から見て右側は茨城県左側は栃木県というもので、神社の宮司もそれぞれ2人いるようで、管理も茨城・栃木の両県で管理を分割して行っている非常に例を見ない珍しい神社である。今回訪れたときは、茨城県のお祭りで、茨城側の氏子さんや、宮司さんが山車を引き連れて練りあるっているようだ。主な祭祀神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみことを祀っており、社殿の保守については古くは源頼朝などが奉納しており、周辺の地方豪族も深い信仰があるようです。建物は本殿をはじめ、桜門安養閣、鐘楼、奥山稲荷、本宮などがあり、老杉古木に囲まれ、樹齢1000年以上の古木もたくさんみうけられるせいか、霊峰などとも呼ばれているのである。また、各所には神仏混合の跡が見られることも特徴になっている。 2002年07月24日 12時33分24秒
2006年02月14日
東京に行く機会があったので、たまたま宿の近くに亀戸天神があり、そこへ行ってきました。総武線亀戸駅で下車して、そこから北口に向かい、亀戸天神の看板を頼りに徒歩でうろついて15分(遅すぎ???)商店を横目に見ながら、てくてくと汗をかきながら天神さんまで向かう。丁度、その時の東京の気温が連日35度で体温並みの気温で体力がない某にとってはキツい参拝だった。着くことにはTシャツがビッショリになっていて、ちょっと気持ち悪かった。正面から参拝をしようと思ったのだが、間違って、東門の方から入ってしまった。当然、正面まで戻って正式の参拝に切り替えることにする。手と口をすすぎ、正面の本殿へ向かう。正面に向かって左右に合格祈願の絵馬が飾ってある。その時に強い風が吹いていて、一時の夏の暑さを忘れさせてくれるほど心地よかった。京都で熱風を浴びたときよりは…。 言うまでもなく、天神様こと亀戸天神は正式には、東宰府天満といい、大神(菅原道眞公)、天菩日命(菅原家の祖神)相殿に祀っているのである。由来は、寛文2年(1662)道眞公の末裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したのを起源としています。 爾来、亀戸宰府天満宮とも称され信仰厚く、また、朝野の信仰も厚く、行楽の名勝地としても喧伝され、江戸庶民信仰の本源として関東天神信仰の中枢を占めています。(亀戸天神由来より引用)参拝後は、定例の御朱印を頂いて、正面に大きな赤い鳥居に向かって帰ろうとしたが、弁天池があって、そこには亀戸名物となっている。亀が、縦横無尽に池の中を泳ぎ回っていた。人間に慣れているようで、音がしたとたんに、池の亀が集まってきた。亀をしばらく見ていると、怪獣映画の『ガメラの逆襲』を思い出して、一人でにやついていた。参拝者は、平日なので、パラパラ程度だったが、北野天満宮に続き、後は、本命の九州太宰府天満宮に行く機会ができることを祈願して宿に向かった。 2002年08月29日 12時04分39秒
2006年02月12日
久しぶりに博物館へ出向いた。天気がよくないせいか、来場者がいつもより多く感じた。今日の目的は企画展「下野の仏画」である。パンフレットによると下野の国は古来より東北経営の要地として栄え、仏教文化も大きく花開きました。また、下野では、日光・男体山が古代より修験の一大聖地として発展し、中世には宇都宮氏や足利氏が大きく勢力を広げ、また近世には日光東照宮の造営が行われて現在でも多くの宗教遺物が伝損しています。今回の企画展ではこれまでまとまって紹介されることのなかった下野の仏画に焦点をあて、県内に残る宗教絵画のうち、代表的作品を一堂に会してその全貌を紹介するものである。日光や足利地域、そして県内各地の社寺の名宝を始め、博物館蔵水墨画コレクションを加えた重要文化財8件、県して文化財15件を含む約80件で構成される大規模な展示会になっているのである、人々の敬虔な祈りによって、長い月日のわたって守り伝えられてきた精華が堪能できる。 実際に印象的だったのは、仏画がほとんど中央に存在する模写が多いこと、絵画が若干雑なこと、さらには風化(?)のせいか保存状態がイマイチなことが残念であった。得筆するならば、最後に展示してあった。涅槃図の刺繍画がすごかった。2メートル四方の大きさで涅槃図すべてが刺繍で作られていることだ。江戸時代後期の作品だと記憶しているが鳥肌が立ったのはいうまでもない。時間的に1時間弱だったが久しぶりの鑑賞に有意義さを感じた。
2005年10月29日
ようやく、悲願の京都行きが今日決定した。2年ぶりにいくことになるので行きつけのお店があるかどうかが少々心配。でも東京と違って回転が早くないので隠れ家でまったりを希望します。昨年は個人的にも行くことができずに仕事でも阻まれて結局連続訪問記録にストップをかけられてしまった。わずか半日ではあるが、充分ほっこりできる準備をして、このページに所感を書き込みたい。また、当時では曼荼羅展がギリギリで開催しているようなのでそこにも足を運ぶ予定。
2005年09月27日
UFOキャッチャーでどハマリで始まった2004年。もうすぐ年度末で新しい年度が始まるのに、たまたま行った某所でビギナーズラックの洗礼を受けてから、3月は調子に乗って痛い目にあう。最悪なことに金欠警告がもう10日も発令中だ。どうにかならんかこの状態…京都の資金もなくなった(><)
2004年03月28日
いよいよ今回のメインである清水奥の院の三面千手観音!と思いきや、前座の12神将が薄暗い通路の所で観音像を守護しているかのように出迎えてくる。鎌倉時末期の作らしく、慶派の秀作らしい。パンフによると、清水寺は開創1200年余にわたる霊場で、平成12年の本道ご本尊御開帳に続き、平成15年が奥の院ご本尊の御開帳である。この観音様は、普陀洛浄土におられるすべての観音菩薩の教王ということらしい。確かに浄土信仰が当時高まってきた時で、しかも本尊にも観音さまの手から”ご縁”ということで参拝者までにひも(何ていうか名称不明??)来ていてそれを掴むと一体感が味わえるという。自分もミーハーよろしくでしばらくそれを独占していた。鎌倉初期では、臨終の時に導師と一緒に観音菩薩の絵の書いてある屏風などにさっき書いたひもがくくりつけてあってそれを掴みながら最後のときを待つという。風習があったのは有名な話である。それにしても、観音様との一体感は快感である(*^o^*)ちなみに、夜の清水も結構いいらしい…夏の場合は、8月14(木)~8月16日(土)時間は午後9:30まで入場できる。前々会に夜の清水をうろついたが、時間切れだったのは記憶に新しい。あっ!ヤなこと思い出したなぁ~
2003年07月05日
清水に来たとたん、雨が降り出してきた。さっきまでは晴れていて雨の気配もなかったのに(><)山の天気だからとか、梅雨だからという理由を無理やり自分に押し付けて腑に落ちないことを考えながら正面から右側の出口の方から進んだ。その2に書いたように修学旅行生の流れには逆らえないからである。適当に歩きながらデジカメで写真を取り、本命の243年ぶりの奥の院3面千手観音ご対面の時間を待つばかりとなった。50分以上時間が余っているので、地主神社へと向かう。前回の出張の時にお世話になった巫女さんにお礼を言おうと行ったが、巫女さんどころか、宮司さんも姿が見えない。仕方がないので清水に戻ることにした。女子中学生の混雑ぶりはいうまでもないですね!(-。-;)雨が激しく降る中で恋愛成就に勤しんでいる中学生を見るとなんだか微笑ましい→つーことはおじさんの傾向????だったり(×。×)時間まで舞台所をうろつくと、修学旅行生の格好の餌食になってしまう☆理由は清水の舞台前での記念写真の「はい!チーズ」役なんっすね!何度シャッターを押したことか… 時間どおりに中へ入ろうと本殿入り口に向かい、拝観料を払って中へ入る。拝観料100円はものすごく良心的な価格だ。つもながらに感心します>清水寺の人たち。
2003年07月01日
朝マックをとりあえずクリアして、早速駅前のロータリー付近へ移動する。平日の7時台では通勤・通学の京都っ子がバス停に列をなしている。ちょっと観光してます~!て状態なので、その列に入ることにものすごく抵抗を感じたので、いったん列から離脱して市バス一日乗車券を確保して列に戻った。京都に行ったらまず最初に東寺か清水に行くことにしているので、清水ルートの206系バス停の前で並ぶことにした。学生とサラリーマンの中に混じってバスがくるのをひたすら待った。携帯が無いので待っている時間をつぶすのに少々苦労した。IT機器を持っていないとなんだか不安になることはもはや中毒症状になっているらしい。。。。 バスになること10分、清水付近で下車したのは言うまでもなく観光の人間ばかりである。でも、寄り道okの一人京都は目的地がだんだん遠くなる習性がものすごく楽しい!おなじみの裏道を歩き出し、朝のろーじを冒険することにした。しばらくすると六道の道という石碑を発見して早速デジカメに納める。お寺に入ろうとしたがあまりにも静かすぎてためらった。せっかく来ているのにと思いながらも先へ進む。しばらくすると銭湯を発見した!。こんなところに銭湯を発見するとなんだかうれしくなる。しかも営業中だし”ゆ”ののれんが入口に掛かっているのが情緒あふれていた。早速デジカメに納めてその場を通り過ぎる。浅草の銭湯を思い出した。 突き当たりまで進むと清水の坂の入口になっていて、観光客の人混みに紛れて開店準備をする。参道を抜けながら、見慣れた清水寺へとたどり着く。そこには時間で動いている修学旅行生がたくさん群がっていて、いかにも中学生ですっていうスタイルが視界に飛び込んできた。ふと、引率の先生は大変だろうなぁ~とかさりげなく脳裏に浮かんでくる(?????)
2003年06月25日
昨年の出張に次いで、半年ぶりの京都。今年は大学の調査で京都入りした。嬉しい反面、費用がかさむけど、なんだかこの後しばらく京都に行けそうにない気がしてきたから無理にでも一日多めにとって京都へ夜行バスへ飛び乗った。 地元からでの高速バスは、東京からの移動と違って非常に至れり尽くせりだった。ノンストップで走るので、停車ごとに睡眠を邪魔されずに済むので朝まで快適だった。おまけに湯茶はもちろん、飲み物の無料サービスには感激したし、飛行機ではおなじみの座ったまま音楽が聴けるなど快適さが全面に出ていて、京都までの旅路をより楽しいモノへと後押ししてくれることになる。ただし、後ろに乗った初老のオバちゃんたちが朝早くざわめくのは勘弁して欲しかった(><)人が寝ているのにカーテンを開けて車窓を眺めるのは早朝にはやめて欲しい~4時台に話をするのも勘弁だぜ!! 朝6時丁度に懐かしの京都タワーが見えてくるとどきどきワクワクの小学生になってきた。バスから降りてはじめの一歩!!!! 悲劇なことに携帯がバスに飛び乗ったせいで水たまりに着水し、お陀仏になっているので、付近の情報や天気予報が皆無に等しい。情報を網羅している自分としては情けない始末…拝観時間まで仕方なく朝マックしていた。
2003年06月21日
今回は特別編として、広島・神戸・大阪方面へ出張したついで(?!)に京都へ足を伸ばして参りました。(^^ゞ大阪から27分で行けることは知っていたが、まさか自分がそのケースで行けるとは夢にも思えなかった。新快速という電車に乗って快適な京都への思いに年甲斐にもなくワクワクしながら見慣れた京都駅に来たときの感動は言うまでもない。前回、伏見駅からの電車移動で奈良線を利用したが、伏見稲荷駅を越えたあたりから、気分が高揚している自分に気づいた。京都駅を素早く出てから、目的の清水寺へタクシーで向かう。修学旅行シーズンなので学生が道一杯に溢れていた。そんな学生達をすり抜けるかのようにかわしながら、目的地の場所を検索する。ガイドブックでも有名な地主神社へ向かう。自分の用事ではなくて知人から頼まれたお札を預かって納符へ行く所である。しかも前述したとおり、恋愛関係の祀り所で女子学生がウヨウヨしている。気にしないで目的を果たして、徒歩で祇園へ向かう。前回時間の都合で行けなかった辰巳神社と辰巳橋の場所を確認してから京都の電器商店街(?!)を練り歩き、偶然にも欲しかったパーツが出ていたのでゲットする。その後は、タクシーを拾って定番の晴明神社へ向かう。びっくりしたのは、神社の境内が若干変化していた。一条戻橋のミニチュア版や休憩所の新設、巫女さんが常駐している風景は、たった数ヶ月で変化していた。晴明ブームもここまで過熱しているとは…しかも、隣には陰陽師グッズのお店が出来、神社と境内の間に通っている小さな道が西陣祭りと重なって地域振興に一役を買っているようだ。新しい代物を調達してから急いで大阪の待ち合わせ場所に向かった。短時間の京都小旅行だったが、湯豆腐セットも食べられたし、頼まれモノの【ようじや】のイオン化粧水も1ダースゲットして大阪の帰路についた。
2003年01月17日
すっかり様変わりした京都駅を散策していると、なんだか天王洲辺りをうろついている気分になる。近代化されて斬新なデザインの京都駅はまるで、別世界のようだ。新幹線の改札口から京都タワーの方へ向かう。左には長ーい階段、右には空中通路があって、はじめてきた人には迷子になるような錯覚する印象だ。空腹だったことに気がついて構内の階段を上りながら適当な食事ができる場所を探し歩く。しばらく歩いているうちに、見慣れたバーガーやさんやら、ゲーセンやら見えてきて、見物しながらセットを注文してパクつく。腹一杯なったところで今日の宿を確保しなければならない。観光協会の運営している案内所に向かって、宿泊施設の斡旋をしてもらうことにした。ちょうどシングルが空いていたのでそこを予約してもらって駅を後にした。前から興味を持っていた弘法大師ゆかり(?)の場所である。東寺にいくことを考えて、場所の確認をするが、バスもたくさんでていてどこから乗ればよいの見当もつかなかった。仕方なく、バスの定期券売り場に向かったが、人だかりで列をなしている。並ぶのが嫌いなので観光案内でもらった地図で場所を確認して駅の反対方向ということに気づく。う一度、駅に入って反対側の八条方面と向かう。しばらくすると、駅の反対方向へ出て、徒歩で向かうことにした。
2002年08月28日
何でもかんでも無作為に行ってしまったものの、宿泊の予約も全然していない!まあ何とかなると思って乗り込んだがやはり不安になってきた。そんなことを考えているうちに京都に着いてしまった。速いもので、のぞみ(たぶん)になってから京都の距離感覚が麻痺するような時間に着いてしまい、学生の時の着くまでの長い時間の感覚が懐かしく思った。そんなに急ぎ足で行かなくても考える時間ぐらいあると思っていたので誤算が生じてしまった。仕方なく、すっかり様変わりした京都駅を適当にブラブラするように構内を練り歩いた。
2002年04月25日
そんなことで、社会人になってからも京都の興味関心は普通の人と何ら変わりないほどの認識で、別に行こうとも思ってもいなかった。が突然、5~6年前から無性にあの独特の京都の風情に関心が高まった。最先端のテクノロジーの仕事を連日連夜の徹夜で仕事漬けの毎日に何だか嫌気がさして急に何も考えたくなくなった。ある日長期の休暇が取れたので、無計画に行ってみようと考えた。本当に旅行なんて日帰りでも行かないのに無鉄砲としか言いようがない行き当たりばったりで、鞄一つで新幹線に飛び乗ったのである。
2002年04月24日
某のキャラからいうと、どうも京都と結びつかないらしい。いつも自己紹介で京都へ行っています。っていうと必ず「え~なんで?」か「いいな~」のどちらかが聞こえてくるのだ。京都のイメージは"お寺"や"神社""歴史"らしく(個人的見解によるデータ統計より)きっかけはそんな昔のことではないのだ。中学や高校の修学旅行に京都が必ず日程に入っている。定番で教育的にも重要らしく、個人的には学校での旅行にはあまり入れて欲しくなかったのだ。でも、ちゃっかり、当時は旅行の係を申し出て、自分の好きな場所をピックアップしてクラス別・判別行動には全部網羅したものだ。もちろん当時中学時の同級生には京都は興味がないらしく、どこでもいいやというのを狙って自分の意見を付きとおした(今だから言えるけれど…)まあそんなわけで学生の時は京都には興味がなかったわけではないが、今ほど好きな訳でもなかったんです!ハイ★
2002年04月23日
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