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大ヒットアルバム『The Joshua Tree』(1987)に収録。オフィシャルサイトでオーディオとビデオの試聴ができます。http://www.u2.com/av/index.php?album_id=7&type=lpユニバーサル・ジャパンのサイトにバイオグラフィがあります。http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/u2/歌詞の和訳は、こちら。http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3010#istillhaventfound
2006/01/21
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1968年にデビューしたエルトン・ジョン(Elton John)。セカンド・アルバム『Elton John (僕の歌は君の歌)』(1970年)から翌年シングル・カットされたこの曲でブレイクしました。作詞担当のバーニー・トーピンとエルトンとのコンビが持つ純粋さ・繊細さがストレートに出た名曲ですね。歌い方も、間にハニカミ笑いや "well"(ためらう時に使う"えぇと...") などをはさんで語りかけるような感じです。試聴(HMV)http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=411425歌詞の和訳http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3010#yoursongこの歌詞、淡い恋心という解釈が一般的なのでしょうがバーニー・トーピン(Bernie Taupin)は少年2人の物語として詞を書いたとインタビューに答えていました。同性愛という意味ではないですよ(エルトンがカム・アウトしてるので話がややこしいですが)1967年、ソングライターのオーディションをきっかけに知り合った20歳のレジ・ドゥワイト(エルトンの本名)と17歳のバーニー・トーピン。意気投合した2人はコンビを組みデモ・テープが認められ、年末にはレコード会社と契約を結びます。2人はレジの母親が再婚した家庭に1年半ほど居候しバーニーが完成させた詞をエルトンが受け取ってすぐに曲を付けるという分業体制で次々に作品を完成させていきます。「Your Song」もその中の1曲。2段ベッドの部屋で成功を夢見て曲作りをする姿を想像して歌詞を読み返すと新しい発見があるかもしれませんよ。バイオグラフィ(ユニバーサル)http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/elton/
2006/02/15
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(承前)2曲目は「I Look To You」。早すぎるラスト・アルバム(年齢的にもリリースから間が開いたという意味でも)となった『I Look To You』(2009年)のタイトル曲です。訃報を知って最初に聴いたのが、このアルバムです。その時はいいアルバムだと思うんですよね。リリース時に買って聴いた時もそうでした。「あの」ホイットニーという事をいったん意識の外に置けば。しかし、そこから改めて過去のアルバムを聴き直して比較すると声の劣化に愕然としてしまいます。その印象をダメ押しするのが、この曲。トリッキー・スチュワート(Christopher "Tricky" Stewart)とハーヴィー・メイソン・ジュニア(Harvey Mason, Jr.)の共同プロデュース。作詞・作曲はマイケル・ジャクソンの最後のビルボード1位曲も手掛けたR・ケリー(R. Kelly)。 (葬儀で歌った!!)磐石の布陣ですがアレンジがシンプルなので、誤魔化しようがないんです。(ほかの曲は、その辺りを巧く処理している)かつて聴き手に幸福感をもたらした美しく艶やかで強さのある、「あの」歌声はどこにも無くざらついて不安定な苦しさを感じてしまいます。「I Look To You」ミュージック・ビデオ(YouTube Whitney Houston VEVO)http://www.youtube.com/watch?v=5Pze_mdbOK8楽曲の良さやアルバムにおける位置づけはともかくとしてこういう歌唱の重要度が高い曲をどうしてリード・シングルにしたのか訝るほどでしたが何度も聴き返して(なぜか心に残る)ようやく納得しました。それこそが、この歌のメッセージなんだと。墜ちるところまで墜ちてたいせつな物を失ってしまって。そこから前に進むために必要なものを苦しみながら求めている姿をありのままに晒しているんだと。「I Look To You」歌詞の和訳http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3023#looktoyouしかし、他人の書いた歌詞とはいえ最終的に彼女の命を奪った心の弱さを露呈しているとも言えます。(20代までが、あまりにも恵まれ過ぎだったのかもしれません)彼女と同時代に脚光を浴びたソロ歌手で現在まで常に第一線を走り続けているのはおそらくマドンナだけですがマドンナがそうである大きな要素としてハートの強さがあると思います。もともとの路線の違いはもちろんありますが下から這い上がって来たマドンナは、たとえ低迷したとしてもこういう歌詞は歯牙にもかけないでしょうね。---- --------After I lose my breatheThere's no more fighting leftSinking to rise no moreSearching for that open door息が切れてしまって闘う力はもう残ってなくて沈んでもう浮かべないの抜け出る所を探しているのI Look To You / Whitney Houston (2009)ホイットニー・エリザベス・ヒューストン(Whitney Elizabeth Houston)August 9, 1963 - February 11, 2012。 エグゼクティブ・プロデューサー Clive Davis (1932-) 母 Emily "Cissy" Houston (1933-) 従姉(シシーの姉の娘) Dionne Warwick (1940-) 名付け親(ホイットニーが生まれた頃、シシーがバックコーラスを勤めていた) Aretha Franklin (1942-)父 John Russell Houston,Jr が2003年に亡くなったくらいでみんなご存命ですよ...
2012/02/19
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「サラ・スマイル」「プライベート・アイズ」「マン・イーター」など数々の大ヒットがありますが、僕の好みで、ヒットしなかった(ビルボードのトップ20にようやく入った)この曲を採り上げます。初期の「MTVアンプラグド」に彼らが出演しそこで披露した新曲にジョン・ボンジョビが補作とプロデュースを担当したものがシングル版です。アルバム「チェンジ・オブ・シーズン」には1曲目にシングル版がラストに原曲が「So Close・Unplugged」として収録されています。シングルもアルバムも僕の中では彼らのベストなのですが80年代の代表選手だった彼らはアンプラグド時代の先駆けとなると共に時代が彼らを追い越して行くんですね。彼らについての良くまとまった(すこしほろ苦い)解説はこちらシングル版の和訳(逐語訳)はこちらです。
2005/04/25
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シャーリーン(Charlene) は、1950年生まれ。幼い頃は病弱。16歳で学校を退学して結婚し、子供を生みますが結婚生活は長続きせず、ドラッグに溺れるなど生活は荒み、離婚してしまいます。ようやく1974年に、デモテープがベリー・ゴーディ(Berry Gordy) の目に留まり彼が経営するモータウン(Motown Record) としては珍しい、白人女性ソロ歌手(しかもポップス)としてアルバム『I've Never Been To Me』(1976年)を発表します(ベリー・ゴーディ自らプロデュースを担当)。しかし、まったく反響はなく(シングル・カットされたタイトル曲の最高位は97位!)忘れられた存在になってしまいます。ところが1982年に、あるラジオ局で「I've Never Been To Me」を流したところ問い合わせが殺到。再録音する事なく、そのまま再発売されたシングルは全米で3位、全英では1位という大ヒットになります。確かに、この曲はきっかけさえあれば受け入れられる要素を数多く持っています。楽曲のすばらしさ、歌声の美しさ。そして英語圏の人なら当然聴き取れる、歌詞の内容。和訳は、こちら彼女の公式サイトで、フルサイズの試聴ができます。http://www.charlenesmusic.com/never.htmlこのページに書いてありますがもともと男性用に書いた詞を、シャーリンのために書き直してるんですよね。興味がある方は、訳してみて。日本では、椎名恵によって1986年にカバーされますがその際、曲の美しさだけを活かして歌詞の内容はまったく違うものに変えられ("日本語詞" は麻生圭子)タイトルも「LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~」となり、ドラマの主題歌として使われ、ヒットしました。http://www.himekuri.net/d01/yossy/20031/12.html(下のほうに書いてある内容は、事実と異なります)
2005/10/10
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80年代を代表するロッカ・バラードの名曲...という書き出しでいいのかな?カイリーミノーグさん@楽天広場の記事に便乗してみました。REO Speedwagon(アール・イー・オー・スピードワゴン)。1971年にデビューしたものの、売れない期間が長く地道にライブ・バンドとしての実力を蓄えます。そして、1980年にライブ盤を含めると10枚目のアルバム『Hi Infidelity(禁じられた夜)』(全米15週連続1位・年間1位)で一気にブレイクします。「Can't Fight This Feeling (涙のフィーリング)」は次々作『Wheels Are Turnin'』(1984年、全米7位)からのシングル・カットでもちろん1位を獲得。しかし日本で「涙のレター」がヒットしたからって (『禁じられた夜』収録。これは、まぁ、そういう曲です)「涙のフィーリング」って邦題はヒドイ。失恋ソングみたいじゃん。抑えきれないこの想いって感じの歌詞です。歌詞の和訳は、こちら。http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/3010#cantfight公式サイトのディスコグラフィ。http://discography.speedwagon.com/database/showalbums_new.plアルバムの順位が書いてあるので80年代前半の勢いがひと目で分かりますね。アルバム・タイトルをクリックすると歌詞の閲覧、右端の[amazon]をクリックすると試聴がそれぞれ出来ます。彼らはボーカル(作詞・作曲担当、ギターとピアノも弾きます)の甘~い声とハード・ロックなサウンドとの間にギャップがあるんですよね。それがヒットまでに時間がかかった理由の1つでしょうしツボにはまった時の爆発力だったのでしょう。そして80年代後半になりちょうど入れ替わるように登場したのがよりハードで、(ルックスを含め)より洗練されたボン・ジョビなわけです。
2006/01/24
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昨日と今日の選曲のせいで何だか支離滅裂なブログになって来ましたがいいんです。好きな曲なんだから。「J. ガイルズ・バンド」はボーカルの「ピーター・ウルフ」(アメリカのミック・ジャガーなんて言われ方をします。駆け出しの頃にフェイ・ダナウェイのハートを射止めたスゴイ奴(でも74年に離婚))キーボードの「セス・ジャストマン」(音楽面の主導権を握っているのは、彼。プロデュースも担当)ハーモニカの「マジック・ディック」(イントロはアンプを通したハーモニカとキーボードのユニゾンですよ)ギターの「J. ガイルズ」(バンド名になっちゃったせいで、ひとりだけ税金が高かったとか?)ベースの「ダニー・クレイン」、ドラムの「ステファン・ブラッド」の、6人組ブルースロック・バンド。1970年にデビューし、評価は高いもののセールス的に恵まれない時期が10年続きましたがポップ寄りのアプローチのアルバム「フリーズ・フレーム」(1981)からシングルカットしたこの曲が13週かかって1位に登りつめ、6週キープします。1982年のビルボード年間ランキング、5位を記録。シカゴの「素直になれなくて」より上です。ただ、ピーター・ウルフは、この路線に不満を持ち、翌年脱退。バンドは一気にパワー・ダウンし、85年に解散します。歌詞の解説はできません。ニヤっと笑う曲なので、ネタばれになってしまいます。とりあえず、和訳を読んでください。こちらです。とか言いつつ、僕が好きになった理由を言うと・ピュアなんだか、そうじゃないんだか分からない、男ってこうだよね。の歌詞(こういう立場の人は世の中に確実に存在するんですよね)・単独で聴くとカッコいいんだけど、歌詞のおとぼけ感を助長するコーラス(この部分が発泡酒のCMで使われました(しかも女優さんを起用して)が、選曲者はともかく、OKを出した人は歌詞を分かっていたのでしょうか?) http://www.suntory.co.jp/enjoy/cm/log/br44.html・お茶目なエンディングあと、最初の3行は女の子を「お人形さん」のように思っていたという事ですね。男って、ウブな頃はそんなもんですよ。
2005/06/20
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