2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
全2件 (2件中 1-2件目)
1
昨日はブログの立ち上げで 張り切りすぎて日付が変わってしまった。タイトルの締括りとして、好きな時に、無理をせず、気楽に、書き込みしていきます。
2005.01.31
コメント(0)
2003年3月20日に突然の腰痛で救急車で病院へ。(52歳と2ヶ月余り)---やむなく、4月初旬の北海道への納品旅行は断念し、治療に専念する。おかげで20日程度で退院する。3ヵ月後、2003年7月中旬、脳梗塞で入院する。翌日の友人の長男の結婚式はやむなく欠席。(ゴメンナサイ)。8月には退院できた。年が明けて、2004年3月26日(53歳と2ヶ月余り)--- 。早朝から息苦しいので新川のTクリニックの駐車場になんとかたどり着く。時を移さずT院長の指示で救急車にて医師会立アルメイダ病院へ----。アルメイダ病院のY部長他2名の先生方とスタッフの用意万端且つ迅速な施術(カテーテル及びフーセン治療)のおかげで一命を取り止めた。(アルメイダの先生方ありがとう。感謝。)T院長の適切な判断と処置のおかげで今回も危機一髪で命拾いをする。(先生ありがとう。感謝してます。)迅速且つ適切な治療は、後遺症もなく翌4月17日には退院できた。腰痛に始まり、脳梗塞、心筋梗塞とこれといった後遺症も無く退院ができ3ヶ月が経過した。7月15日に県が尽力して、大分ー上海便の再開となったので大分県ベンチャー協議会の一員としてビジネス目的で中国に行く予定であった。当日を目前にして、貧血気味で体調が優れず、中国行きは他の者と交代した。(本当の闘病生活が8月から始まる事は知る由も無い。)中国でビジネスチャンスとなるかも---。会社のメンバー3名(息子のK、M土木部長及び通訳のOさん)が中華科技大及びMKソフトと商談を進める話を持ち帰った。8月7日に2回目の中国行きが先方と決まり2泊3日の予定で僕も同行するつもりで航空券の手配も終えていた。渡航前の体調がいまいちだったので、8月5日の10時頃かかりつけのT院長の診察室にいた。そこでT院長から中国行きは今の健康状態では命にかかわるから止める様にと、いわれアルメイダで3度目のカテーテルを受ける手配をしていただいた。その日の夕方は、アルメイダ病院で、10月に予定していた、3度目のカテーテルを受け、3回目のフーセン治療で、3個目のステントを施術していた。今回の施術が終わりY部長から施術の成功を告げられこれで心臓は大きなところは大丈夫といわれ一安心。うまくいけば7日の中国行きは可能かも。。。(などと考えながら、妻がDrに手術のお礼を言うのと貧血気味だから調べてくださいとお願いしているのを聞きながら眠ったきがする。)7日になると担当医が血液内科のG先生(感じの良いきれいなDr)に変わっていた。その時点で妻は骨髄異形性症候群であろう旨を告げられ10日迄の4日間ひとりでどれだけ悩み、苦しんだであろうと思うと、今でもせつない。。。。。8月10日に娘と息子と妻と僕の4人に骨髄異形性症候群であろうと病名が告知され、疑問点に答えて戴き、本格的な闘病生活が始まるであろう事を、覚悟した。G先生には自分の見解に信念を持って告知とアドバイスをしていただき感謝している。おかげで、入院迄の最短日数(20日)でなすべき事ができ否応無く入院準備が整った気がする。G先生に移植設備の完備した県病のO先生に紹介していただいた。以来、迷う事無く骨髄移植に向けて、まっしぐらに治療に専念している。後日知った事だが、僕の主治医となったO先生は骨髄移植に関して有名なDrで、娘の高校時代の友人もO先生に骨髄移植をしていただいて今では社会復帰している。2005年の1月6日で54歳の誕生日を病院の無菌室で迎えた。3回目の抗癌治療を終え白血球が250から次第に立ち上がり1月28日には630に増えていた。明日は1000に増えていればいいなあ!少しづつ治療にもなれて、有難い事にドナーの見通しも明るい。(感謝。感謝。感謝。感謝。感謝。。。。。)
2005.01.30
コメント(5)
全2件 (2件中 1-2件目)
1


