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季節のの変わり目、体調管理にご留意願います。
平家に対する哀話の遺跡をまとめてきました最終日は、
やはりこの方、【建礼門院】さまでしょう。
比叡山の麓にも、寺院が取り巻いています。
特に、京都観光でも、大原・三千院は、
嵯峨野巡りに次いで人気が高いです。
本日は、その前にNHK大河ドラマ平清盛に関係する
「寂光院」をご紹介してみます。
本堂
境内
参道の門
本堂参道の坂道
【寂光院】
(じゃくこういん)天台宗 開基 聖徳太子 山号 清香山
京都観光の嵯峨野巡りに次いで、人気のある大原三千院を
訪れる前に、「寂光院」に参りましょう。平家物語に登場します
「後白河法皇」の【大原御幸】の辿られた道は、「上賀茂神社」
から鞍馬街道を経て、市原・静原街道に入り、【江文峠】
(えぶみとうげ)経由大原の里に入ります。普通は「鯖街道」を
路線バスも走る道ですが、古を偲びつつ利用するのもまた楽しい
です。車も空いています。
594年と言いますから、平安京遷都794年の昔、聖徳太子か
父君の31代用明天皇の菩提のため、創建されたと伝えられて
います。「六萬体の地蔵菩薩」が祀られていましたが、
近代放火で焼失、現在新しく再建されました、本尊地蔵菩薩立像
の向かって左に「建礼門院像」右には侍女の「阿波の内侍像」が
安置されています。阿波内侍の姿は、「大原女」(おはらめ)の
モデルとなったそうです。
建礼門院は「徳子」と言い、平清盛の娘で、80代高倉天皇の
中宮(皇后)で、81代安徳天皇の生母で、源平合戦「壇ノ浦」で
平家滅亡の際、母子ともに入水されましたが、源義経に母だけが
助けられ、一時京都東山の「長楽寺」で、出家され、一説に寄れば
安住の地を求め山道を超え大原の里に辿り着かれ、
「極楽往生院」の「阿弥陀如来像」の優しさに触れ、「平家一門」
の菩提を弔うに相応しいと、余生を「寂光院」で静かに送られた
ということです。
村人達は、建礼門院を慰めようとして、畑で採れる野菜は勿論、
「ちそ」栽培で「柴漬け」を発案、お食事の進むように、親しく付き
合われたそうです。「京漬物・柴漬け」の発祥。
29歳の秋も深まるころ、「後白河法皇」が10人の侍女をお供に、
お慰めに来られたと言う平家物語・謡曲で有名な「大原御幸」が
当時を偲ばれます。
中宮・建礼門院の御陵
侍女・阿波内侍の眠る翠黛山
ご主人を常に見守っている
御陵への坂道の参道
建礼門院は中宮のため、院の東隣に御陵として、石段をかなり
登ると辿り着けます。
阿波内侍の墓
今回初めて辿り着け見つけました
翠黛山・墓地への階段参道
謎の苔道の階段初めて訪問
阿波内侍の墓は谷を経て向かいに位置す「翠黛山」(すいたいさん)
に階段を登った所で、ご主人を永久に見守りつつ眠って居られます。
千代の松
枯れてしまいました
雪見灯篭
庭園
境内には、「汀(みぎわ)の池」樹齢1000年の「姫小松」
「雪見灯篭」そして滝の流れる小規模の庭園を鑑賞する事が
出来ます。
湧き水
此処からは一般には入れなくなりました。
特別公開となりました。
庵室の跡の碑
奥に宝蔵庫
積み上げられた石垣は当時の姿を語ってくれそうです。
「建礼門院庵居跡地の碑」が有り、此処に入った途端、
静寂と霊気が身に染みて、「寂光院」を訪れたな、と
最高の雰囲気を味わう事が出来ます。
未だに「清水」が湧き出て、当時のお住まい方が偲ばれるよう
です 然し今年訪問しましたところ、「特別拝観」制としての扱いとされて
常時は拝観できなくなったようです。極めて残念です。
建礼門院は此処で採れた生花を摘み取り、仏前に供えられたと
聞きます。
この庵室で静かに息を引き取られる時に、西(極楽浄土)から
紫雲がたなびき薫香が庵室に充ち、空から妙なる音楽が聞えたと
「平家物語」に記されているそうです。 幾多の悲しみと苦労を
体験なさり、御歳59歳で御逝去なされました。
平清盛の娘として、幼くして高倉天皇の中宮として、迎えられながら
栄枯盛衰平家滅亡でわが子安徳天皇を救うことも出来ませんでした。