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もう7日正月になりましたどんどん月日は待ったなしで進むようです
正月気分を一新して元気に日常生活に戻りたいです
八代足利将 軍義政は、政治を 忌とみ 詩歌に興ずるため将軍職
を譲ることで、京都の不幸な出来事応仁の乱がおこりました。
その戦が終わった頃に、財政苦しい中、銀閣寺が建てられました
従って銀箔は張れなかったとも
銀閣寺の全景が眺められます。
手前が「吉田山」遥か奥が「愛宕山」
真ん中が「双ケ丘」仁和寺
【銀閣寺3.】
【洗月泉】 の瀧の側から、山道が始まります。その坂を見て、
登るのを諦めて平坦な帰路に向かわれる人が、多いです。
思い切って登ってみましょう。苦労した甲斐が、待っています
苔の庭
坂を登り詰めた所に、石組みの崖が、眼前に広がります。
ある人は、「何だ瓦礫の山崩れの様だ」とガッカリする人も
有りますが、
枯れ山水の瀧石組み
瀧石の麓
実は、 「枯山水の瀧」を敢えて作成されたもので、 「西芳寺の
庭園」にも、存在している貴重な石組みとして、観察して欲しい
のです。側には義政が茶の水を汲んだとされる、「お茶の井」が
存在しています。
近年、開発された順路として、更に平坦な山道を辿りますと、
先ほど観た、銀閣寺庭園を眼下に全景を観る事が出来ます。
その他前方に、「三高校歌」で有名な、「くれないもゆる・・・」
の吉田山が眼下に眺められ、京都市街の一部の
景観も眺められます。吉田山の向こうが、京都大學が広がります。
苔の庭
大文字は、この位置の真上となり、如意が嶽と称し、同様の
眺望とも考えられます。
道なりに、下山、真正面に、「錦鏡池」に映し出された「銀閣」
が見所で、
千円札の逆さ富士のデザインに登用してます。
【銀閣】(観音殿)国宝屋根には「宝形造・杮葺(こけらぶき)」
金銅製の【鳳凰】(ほうおう)が輝き、
上層を「潮音閣」観音坐像が祀られ、下層「心空殿」千躰の
地蔵尊が祀られて居ます。
此処も、禅宗のお寺の雰囲気として、掃き清められ、訪れる人
への癒しともなるでしょう。
【応仁の乱】
京の都で、最も悲劇は、一女性から発端。11年間の戦火で
殆どの文化財と言える物が、焼失してしまいました。数少ない、
社寺に対して、「応仁の乱を免れた」と添え書きしています。
足利家の奥方は、代々「日野家」(伏見区醍醐の南部日野)から
選ばれています。義政の正室「日野富子」に男子が死産。義政は
政治を嫌い、文化的方面に興味を持ち、将軍職を実弟「義視」 (よしみ)に
譲ると約束した、矢先に、男子 「義尚」 誕生。富子は、黙っておられず
わが子を次期将軍にと、
実弟「義視」は「細川勝元」そして、「富子の押す義尚」 「山名宗全」
との戦が、11年間続きました。勝敗の尽きぬままに、双方の将が、
夫々病死。幕は閉じました。
跡目相続問題で、一人の女性のエゴが
罪なき多くの庶民を犠牲にしました、そして街と社寺は
焦土化してしまいました。
結果義政は、義尚(よしひさ)に九代目将軍職をゆずりました。
義政【観音殿】起工式 1489年
母の留めるのも振り切って、義尚25歳戦死(近江の国で先陣として)
その霊を弔う為に、大文字を設置(詳細不明・一説に拠れば)・
義尚の初盆1490年不思議と
同じ年の7月 父義政55歳逝去。歴史は悲しいことも、物語っています。
次回は、金閣寺・銀閣寺の本山【相国寺】を訪れます