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2016.03.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類

京都には、徳川に関係する遺跡が多いです。

過日の金地院に東照宮が建てられているように

徳川家康には、側近の僧として金地院崇伝そして南光坊天海がいました。

家康75歳で亡くなった後、神として祀るため贈り名に「明神」は

先に秀吉が付けているので【権現】(菩薩の世を救う仮の姿)ときまったそうです。


御所の近くに徳川幕府は朝廷との交渉しやすく二条城を築城し

伏見城は廃城となりました。徳川幕府は15代続き

現代に至るまで、文化財は世界文化遺産の評価を得られるほどに

脚光を浴びています。

本日は、修学旅行生では、欠かせぬ二条城です。

【二条城】  世界文化遺産登録

 修学旅行生が、近年タクシー観光を各社利用される学校が

増えて来ました。一見贅沢の様ですが、安内による【見所】貴重

な時間の有効性、迷わずに目的地が、多く観られます。そして何

より大切な事は、【安全管理】父兄の方が一番我が子の安全を心配。

要所に先生方が、待機して生徒さんたちに、安堵感を与え、

微笑ましい光景が、見られます。

P1010560.jpg

二条城の外周

 二条城の周囲は、2km(京都御苑は4km)ジョギングされる方を

多く見かけます。それだけに、観光コースも三通り

1.二の丸御殿

の内部だけ見て帰られる

2.二の丸御殿と池を廻って帰る。

3.本丸庭園も観られる方、でしょうか。

 二条城のあらまし

•1.      徳川家康が、上洛の際の宿所として、1603年造営

•2.      徳川家康と豊臣秀頼との、二条城会見がここで行なわれ

ました。

•3.      家光の時、後水尾天皇をお迎えすることで、外堀の西半分

を拡大し、城郭として、盛大な宴が、模様されました。

後水尾天皇の中宮が、家光の実の妹で【和子】(まさこ)後の

【東福門院】で尚更に盛大にお迎えの設備が整いました。

•4.   家光以降は、将軍の上洛もなく、幕末14代家茂の上洛

が有りました。

•5.      1750年落雷で、天守閣焼失。1788年天明の大火で、

建物一部焼失しました。

•6.      1867年(慶応3年)15代将軍徳川慶喜の【大政奉還の儀】

が二の丸御殿大広間で行なわれました。

•7.      1884年徳川幕府の終幕で、宮内庁の所管となり、

二条離宮と改称されました。現在は、京都市管轄となりました。

•8.      【国宝・二の丸御殿】

•9.      【特別名勝・二の丸庭園】小堀遠州作庭

順路

•1.      駐車場前の受付。

•2.      東大手門(重要文化財) 暴れん坊将軍によく出てきます。

P1010562.jpg

東大手門

•3.      .番所 江戸から毎年2組(1組50人)が、4月に交代で

派遣されます。裃姿(かみしもすがた)が上役の人形です。

坐姿は、番士の人形です。

•4.      土塀に5本の筋が見かけられます。【筋塀】と称し

、門跡寺院等寺格を表すと申しますが、京都では殆ど5本です。

寧ろ「飾り」と思えます。

P1040142.jpg

国宝唐門

P1040147.jpg

•5.      【唐門】二の丸御殿の正門。西本願寺の唐門と同じく

、「伏見城」から移築されたとの伝えです。良く観ますと「雲龍」

「竹に虎」「牡丹に唐獅子」等

豪華で鮮やかで、盛んにシャツターを切って居られます。

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国宝・二の丸御殿

•6.      二の丸御殿の入り口前庭、プロの写真家が記念写真を

と待機しています。

 他でも、シャツターチャンスと考えてよいでしょう。

国宝・二の丸御殿は、二条城訪問で最も貴重な見所です。

旅で時間の忙しい人は、此処だけを観て帰る人が多いです。

時代劇・特に徳川幕府のお城の御殿の雰囲気と襖絵の絵画は

美術館を訪れた感激を覚えます。

全て写真撮影禁止で残念です

 お城の中って、どんな構造に成っているのでしょう。下級武士

から、殿様まで、そして「大奥」と、テレビで紹介されますが、

実際に目の前に、見せてくれますのが、ここ【国宝・二の丸御殿】

です。玄関には、龍安寺で、ご紹介した【懸魚】(げぎょ)が、目立

ちます。下足を脱いで、スリッパに履き替えます。

順次各部屋ごとに、説明付のボタンが、設置されています。

短いですからね利用されると面白く見られます。

【二の丸御殿】(国宝)桃山時代武家風書院造りの代表的な建物です。

•1.      【車寄】(くるまよせ)・遠侍に付けられた御殿の玄関です。

      欄間を見上げますと鶴・牡丹・鳳凰が見られます。聚楽第

      の遺稿といわれています。豪華ですね。

•2.      【遠侍】(とおさむらい)・柳の間・若松の間・勅使の間 

      お城に参上した大名や外来客の控え室と成っています。

      柳の間・若松の間・襖の絵により名付けられました。

      共に「目付役」が、来殿者の受付をする所で、来殿者の

      心を和らげる雰囲気があります。

      虎の間・三部屋に分かれています。大名の控え室で、

      虎と豹の絵が描かれています。説明では、当時生きた

      現物を見たことがないので。虎を雄・豹を雌との構想で、

      微笑ましいです。城の威厳。武将の厳しさを表現したので

      しょう。何れも【狩野派】の絵とされています。

3.【廊下は鶯張り】知恩院でも、紹介させてもらいましたが、皆様

  が廊下を歩かれると、「きゅつ・きゅっ」と音がします。「忍びの

  者が、潜入してきても直ぐわかる仕掛けとも言われています。

  後ほど、庭園に出られたときに、建物の廊下の下部を覗きますと、

  仕掛けが解かります。

4.【式台】式台の間・老中の間。老中の間

  老中と参上した大名と挨拶を交わした場所

  【狩野探幽25歳】豪華な老松が襖(ふすま)に描かれています。

  「切手」に登場しました。

  東入り口の杉の戸の【八方睨みの獅子】何処から見ても正面を

  向きます。

5.【大広間】

 「一の間・二の間」将軍と緒大名との対面所。最も大切な場所

 です。人形がずらりと並んでいます。将軍は、小姓と、上座に

 控え、「武者隠しの部屋」も控え、「桃山時代」の「武家風書院造り」

 典型をなします。違い棚・付書院、天井は二重折り上げ格天井

 (ごうてんじょう)

この部屋で、【大政奉還の儀】が行なわれました。265年間の

徳川幕府でした。

徳川家康の亡くなった日は 元和2年4月27日(太陰暦) 1616年6月1日

何でも鯛の天ぷらに食中毒してその後75歳でなくなったとか。

たまたまその前の年1615年6月に大阪夏の陣で豊臣勢力を滅亡させた

直ぐ後でした。

豊臣秀吉 醍醐の花見行列4月の後慶長3年8月18日(1598年)

62歳にして伏見城でなくなっています。

両者とも当時としては天寿を全うしたともいえます。

朝廷より 神号を賜る

豊臣秀吉 豊国大明神

徳川家康 東照宮大権現

織田信長 建勲

大広間を過ぎますと、更に奥に、【黒書院】と【白書院】があります。

【黒書院】は、奥御殿で、将軍と親しい諸藩の大名の内輪の対面所

です。特に紀伊・尾張・水戸の「御三家」で、「大政奉還」の審議は、

この部屋で行なわれたといわれています。注目すべき襖絵は、

「狩野探幽」の弟 「狩野 尚信20歳」の桜の絵 が、描かれ、兄の豪壮

に対して、とても和やかな、優しい 落ち着きを感じさせる襖絵です。

【白書院】いわゆる、【大奥】で、将軍を囲み、将軍にお茶を運ぶ

「女官」控える「局」と控える「女官」が、人形で表しています

。襖絵は、狩野兄弟のお師匠「狩野興以」の「山水画」です。

此処より、折り返し、牡丹の間・ソテツの間そして、二条城から

手渡される、パンフレットに「鷹」の図がありますが、大広間の裏

「四の間」に豪快な「老松にとまる鷹」の絵に、目を輝かせてくれます。

この部屋の左方の欄間には、牡丹、往路大広間の三の間が

その裏側になり、同じ欄間に「孔雀」が彫られている事に、

ご注目下さい。厚さ35cmkの幅で、異なった「彫刻」がなされています。

老中の間そして最後に「勅使の間」を見て、下足した場所に戻ります。

部屋数33室・畳数800畳余り有るそうです。

 とても広くって、第一段階ここから時間がないので、引き上げるが

多いです。

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特別名勝史跡【国宝】・二の丸庭園


更に、玄関の出て、右手に「庭園入り口」があり、

【二条城二の丸庭園】(特別名勝・国宝並み) 小堀州遠作庭

豪壮な石が並び、瀧が流れ、石橋・鶴島・亀島と配置良く、

庭園の「要素」を備えています。 庭園入り口を入って、直ぐ右

手に、先ほど巡った「二の丸御殿廊下」の軒下をのぞいて

みますと、「鴬張りの仕組み」が見えます。

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本丸への門

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内濠

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本丸

此処で、引き返す方も有ります。堀の橋を渡りますと第三段、

【本丸御殿】天明の大火で、焼失、現在は京都御所に在った、

旧桂の宮御殿を移築されました。

庭園は明治時代に作庭、精洋風に作られています。

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天守閣があった跡地

【天守閣跡】天明の大火の直前、落雷で焼失しました。現在

平坦な空き地に、なっています。

帰路。【清流園】江戸時代に「角倉了以屋敷」から建物の一部

と庭石800個を譲り受け全国から名石300個と集め、

「和風庭園」と「洋風庭園」を作庭。茶室もあり、大茶会とか、

国賓の接待所に利用されました。

土蔵。収納庫(米蔵)そして台所・御清所には、人形が有り

、「お毒見役」も、見られます。 

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清流園

四季に季節の花が彩り、時間にゆとりがあれば、広域に散策を

楽しめる市民の憩いの場所でもあります。

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国宝二の丸庭園の桜

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二条城の苑内

明日は 西本願寺に参ります


















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Last updated  2016.03.14 08:38:44
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