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1月は25日、京都では初天神さんの日として縁日が立ちます。
延喜3年(903)2月 25日
、道真公はその清らかなご生涯を閉じられました。
弘法大師は承知2年(835)3月21日に亡くなられました
菅原道真公は学問の神様として受験者の方々は熱心に祈願に訪れられます。
京都の昔からの慣わしに、「弘法さん」と「天神さん」とはとても仲が 悪くって、東寺の弘法さんの21日が雨だと、25日天神さんは晴れると 云っています。
【北野天満宮】 祭神 菅原道真
中将殿(道真の長男)
吉祥女(道真の夫人)
学問の神様として【菅原道真公】が祀られて居ます。修学旅行では、
日程に欠かさない貴重な参拝する場所でもあります。車中生徒さん
に「祭神は?」と聞きますと返答に困る子が居ました。折角進学祈願
するのに、お願いする相手の名ぐらいはと。
【菅原道真公が雷神にも】
菅原道真公 は平安時代の 公家であり「右大臣」まで成られました。
11歳で詩を詠まれるほどの文才がありました。
醍醐天皇の時代、左大臣「藤原時平」の讒言により、
右大臣「菅原道真」は、
朝敵として、京の都から、福岡の大宰府に左遷されました。
「道真公」の無念は、推し量ることが出来ないほどでしょう。
北野天満宮には、臥牛の像が多く置かれています。
その訳は、丑年の説と、今ひとつ流される途次、備前岡山の辺りで、
道の真ん中で、牛が臥せて動きませんでした、従って道を変更されました。
後で判ったことは、時平配下の刺客が待ち臥せて居たのを、その難を 逃れられたと言う伝説も有るようです。
都を離れられるときに、菅神社(私邸)の梅の花に向かわれて、
東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ
都の真の春を忘れないで良き香りを東風に乗せて送ってくれ。
とも受け留められる、菅公の歌でした。
その後、雷神として、京の都は雷と稲妻が激しく襲いました。
時平は、恐れおののいて道真の怨霊が襲ったとして、狂い死に
したそうです。
左大臣は、右大臣の上位に位置することで、権限を悪用した
時平の疾しい心が、道真の怨霊と思いつめての結果で、
地震・雷・火事・・・大自然の怖さが重なったと思われます。
北野天満宮では、学問の神様と同時に、雷の神様ともされています 一の鳥居の側に【影向松】(ようこうのまつ)が有ります。
道真公が、初雪の日に、この松にご来臨あり、歌を詠まれるとして、 社紋の梅と同じく社紋の「三蓋松」(さんがいまつ)の
由来とされています。
良心の呵責により、怨霊と思うのでしょう。
歴史には多く現れてくるようです。
現代も、学問の神様として、崇敬され親しまれています。
また日本三怨霊として
祟道上皇・菅原道真・平将門 ともいわれています
悔しさも人一倍だったでしょう
初雪 に天神さんがこの松に降りて来られる
三葢の松(さんがいのまつ) 北野天満宮の家紋の一つ
【本殿】【国宝】8棟の形式は「日光東照宮」にも継承され
【権現造】の 本源とされています。
【北野天満宮の祭礼25日の由来】
845年承和12年6月25日誕生・延喜1年1月25日大宰府に左遷・
延喜3年2月25日逝去
【菅原道真】と【臥牛】(がぎゅう)本殿の拝殿の大鈴の上の欄間だけ 立っています。
1.道真の誕生の年が,丑年。
2.道真左遷の途中牛が道の真ん中で坐って動かず、避けた道を
経ることで、時平の刺客から免れましたとか。
3.道真が亡くなって、棺を引いた牛が墓に行く途中、へたりこんで
動かなくなりましたので、
近くの「安楽寺」に葬られました。即ち現代の【大宰府天満宮】でした。
【三光門】(中門)太陽・月・三日月の装飾が観られます。星は
「大極殿」から拝殿に向かうと 「北斗七星」が見える仕組みと 成っていますそうです。
梅も家紋
三光門
【伴氏社】(ともうじしゃ)祭神が道真のお母君「伴氏」祀られて居ます、
京の三珍鳥居の一つ
鳥居の足許が、蓮の花に成っています。外に、
「蚕の社」・「京都御所」
道真は親孝行でしたから、母上の「伴社」(大伴家持の子孫)に
先お参りすれば、合格出来るかもといいますと、小さい社に
真剣手を合わせていました。
【御土居跡】本殿の西側に豊臣秀吉が洛中を囲んだ御土居跡の
公園が見られます。
【梅園】
道真が都を去るときに詠まれました。
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」
その道中、現場の近くに至った時、喉がかわき、とある小さき寺に
「おい、茶をくれ」と言ったのでしょう、尼僧は体よく断ったそうです。
そこで、秀吉は怒ることもなく、「湯たくさん 茶くれん寺」と名付け
現代に至って居ます。
北野天満宮の境内の表側に、「北野天満宮・大茶会の跡」の石碑
と「太閤井戸」が示して有りました。
次回は三十三間堂に参ります