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サニーMJQ

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2006.12.12
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カテゴリ: 舞台感想記
ロパートキナのオデット/オディールは、芸の力が作り出した舞台上での幻として実在し、ふたたび姿をあらわした。



1幕1場。まずここからして、今回の5公演でも最高の出来。(これで最後だという思い入れのせいかもしれないが。)1幕1場というのは、ふつうは白鳥が出るまでのつなぎぐらいにしか見えないことも少なくない。これだけでも十分に見せるというのは、さすがは本家の実力。

パドトロワの男性は近い将来の王子候補だな。女性のふんわりした手先足先も上品に綺麗。道化も存分に大回転を披露し、3日間で5回とも見事に決めたことになる。おつかれさま。

皆が楽しそうに踊っている気分までがこちらに伝わってくる。おかげで、このあとの2場の幻想的な世界がいっそう引き立つのかもしれない。



1幕2場。
湖のさざめきのような旋律に乗ってオデットが登場。同じ人間とは信じられなかった。彼女の肢体は違う素材でできているとしか思えない。たおやかなこと限りなく、触れたら消えてしないそうな風情。首、手先からつま先、全身の隅々に至るまで白鳥が乗り移ったかのよう。白鳥の真似をしているとか、白鳥っぽい動きということではない。白鳥でもあり人間でもあるオデットそのものが目の前にいると納得できてしまうのだ。

それに続く出会いの数分間。ここに、オデットの運命のすべてが、この演目のエッセンスが凝縮されているかのようだった。奇跡を目の当たりにしているとしかいいようがない。あれほどに抑制された動きでありながら、あれほどに激しい感情の動きが伝わってくるとは。まばたきをするのも惜しみ、息をすることすら忘れそうに引きつけられる。もうここで目が滲んでしまった。



夢のような2場が終わりオデットが上手袖に引っ込んでいくときは、完璧なシルエットがしだいに闇に溶け込んでいった。「彼女はこの姿のままで一晩中森の中を舞いつづけるのだな」ということまでが伝わってくる。

この味わいはもう、日本の伝統芸能的な世界だ。うろ覚えだが、能の「山姥」の山は一つの山ではなくどこまでも果てしなく続く山々で、山姥をつとめる者は舞台が終わってからも山姥が山々の中を永遠に舞いつづけるように演じるべし、みたいな話。



2幕。
ロパートキナのオディールは、王子のみならず満場の観客をもノックアウト。コケティッシュな魅力で女性が男性を誘惑するというレベルではない。もっと深いレベルでのまさしく魔法で、王子のみならず観客全員を心の底からがっちりと虜にした。

すべてを冷徹に計算し、王子が落ちることを確信したうえで誘惑したり拒絶したりのゲームを演じている。心の内をちらりと見せたと思われるのが2箇所。ひとつは、窓の外にオディールが現れたとき。「まずい!」というのが、一瞬だけ目の動揺に出る。あとは、王子が誓ったあとの反応。人によっては甲高く嘲り笑うようなやりかたもあるが、彼女の場合は「やっぱりきたか」という感じで、フンと立ち去っていく。これにより、かえって王子の愕然さが鮮やかになる。

さらにさらに、自信をもって王子を陥れる彼女のさらにその奥には何があるのかということまで思いをめぐらさせられる。彼女はロットバルトの何なのだ?手下か、愛人か、実は彼女自身も囚われの身なのか。王子を誘惑するのは、仕事なのか命令なのか?誘惑に成功したあと、オディールの身の上はどうなるのか?万一失敗していたら彼女はどうなったのか?ロパートキナのオディールでは、そこまで気になってくる。



それにしても、オデットとオディールの対照は実によくできている。

オデットでは、優雅で静かで滑らかな動きの奥から、運命への絶望や未知への不安や王子への希望が渦巻きながら熱いうねりとなっているさまが垣間見える。

オディールのばあい、派手な動きの裏側に虎視眈々と王子を陥れようという冷徹な意思が息をひそんでいる。



オデットは静の中からも動がたちあらわれ、
オディールでは動の中には絶対的な静が息を潜めている。

これは歌舞伎の「船弁慶」ではないか!
静御前は静中の動、平知盛は動中の静。

これをはっきりと分からせてくれたのは、ロパートキナの芸の力である。



3幕。
1幕1場のようにややもするとおまけの付け足し的にもなりがちなこの場面も、マリインスキーの場合には、そうではない。この「結」を決めることで、本家「白鳥の湖」の起承転結が完成するというものだ。

神韻縹渺たる序盤から、音楽も爆発的に盛り上がる対決へ。一転して、天上の音楽かのようなハープの調べと朝焼けの光に、幸せな二人のシルエットが立ち昇る。

カーテンコール。万雷の拍手というのはまさしくこういうものだろう。



ロパートキナの身体は手先から足先までコントロールされきって、すべて何かを表現するために動いている。オデットやオディールを踊っているのではない。演じているだけでもない。もはやオデットそのものとなって嘆きと希望と勇気を表現し、あるいはオディールそのものとなって自信と誘惑と冷酷とを体現しているのだ。

これぞ「芸」だ。

他のダンサーでもっとも優れた部類の人たちの場合でも、体操めいてしまう。すなわち、身体の動きが先に来ているような部分が多少なりともある。それはそれで十二分にすごいことであるし、動き自体の面白さや美しさというものはあるにしても。

そのような場合にはダンサー自身からエネルギーが押し寄せてくる感じがあるが、ロパートキナの場合には観客のほうがどんどん引き寄せられ吸い込まれてしまいそうになってくる。ただもう唸るばかり。



以上、ロパートキナの至芸を堪能。

ガラのときには、とにかく初めて見るロパートキナということでいっぱいだったし、金曜日はやはり初めて彼女の白鳥ということでやはりのぼせていたと思う。今回やっと、少しは落ち着いてじっくりと見ることができた。

結論。マリインスキーの至宝という看板に偽りなし。それどころか、バレエの至宝であり、芸術の至宝といえる。いまこの時期の彼女のオデット/オディールを見ることができたのは、幸せというに尽きる。

なお、音楽は、ここぞというところで2回ほど少し妙な音があったほかはさすがによかった。特筆しておきたいのがハープ。5回ともコンスタントに妙なる調べを奏でていた。

今回の日本ツアーの最終公演は、マリインスキー・バレエとしても来日チームの実力を出し切ったと言えるのではないか。

ふと、不安になる。こんな白鳥を見てしまうと、このあと何を見ても物足りなくなりそうで…。



マリインスキーが次回日本に来るのは数年後になろう。今回の若手がどれだけ成長しているのか。ロパートキナの芸もますます円熟しているはずだ。もういまから待ちきれない。






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Last updated  2006.12.12 10:05:21
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