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2009年08月31日
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 序章

 斬った張った、などという血生臭い世界など絶対的に無関係。あまりに関係ない出来事なので、関係あるという仮定すら思ったことも無かった。

 だが、そんな思いと現実とを仕切る壁は、あまりに脆く唐突に崩れ去っていく。

 後になって思えば――その日は朝からおかしな事が起こっていたのだ。

 しかしその前兆に気付く事も無く、優樹航太はいつもと変わらぬはずの日常を送ろうとしていた。



 湊夕美は鞄に忍ばせていた二本の脇差を素早く抜くと、振り下ろされた細剣をクロスして受け止めた――

 突然目の前で始まった戦闘に、航太は身動きが出来ない。しかしそんな航太など関係ないとでも言うかのように、夕美と見知らぬ男との戦闘は続いた。

 航太の存在はこの二人に無視された事になるのだが、航太はそれで構わなかったし、現在のこの状況をどう受け止めればいいのか分からずオタオタするばかりで、まったくそれどころではなかった。

(一体何なんだよ……)



 そしてここにいる事の意味など、この時の航太に理解出来るはずはなかった。

 優樹航太という存在は、クラスではこれと言った意味を持たない。そういう少年である。

 クラスですらそうなのだから、学校、町と範囲を拡大させても、存在が薄れはすれども、際立つ事などありはしない。そして人の多くはそんな人生を送るモノであり、それ自体が意味を持つことも無い。

 そんな意味で言えば、湊夕美という同級生は、航太よりも少しばかり知名度の高い少女であった。

 ただし勉強が出来るとか美少女だとかいう事ではなく、不登校気味の病弱な少女として。故に群を抜く知能も、他を逸脱する容姿も“病弱な少女”を形容する言葉にしかならない。

 もっとも、そんな事で皆に知れ渡るのと、あまり存在を認めてもらえない事、そのどちらが幸福なのか? そればかりは誰にも答えは出せない。

 それを決めるのは本人だけで、本人がそれで納得しているのなら、それはつまり幸福であると結論付ける事が出来よう。

 ただし少し前から現在までの航太の状況は、不幸と言っても差し支えないだろう。

 ほんの数十分前――突然暗くなった空が轟き、夕立が滝のようにアスファルトに叩きつけられ、雨粒が一足飛びに夜に突入した周囲の風景を混濁させていく。

 これでは傘はあっても地面から跳ね返った水滴に足元は濡れそぼリ、わずかな隙を突いて、横殴りの雨滴が上半身をも濡らしてゆく。

 しかも少し前に通った車が、地面の水を容赦なく跳ね上げていったので、この時の航太は傘を指し続ける意味を見失いかけていた。



身体が弱く欠席がちのクラスメートの湊夕美が、こんな日に傘もささずにいるというのも、おかしな出来事の一つだったのだろう。

 しかし特に親しいわけでもないばかりか、喋った事すらない上に、なにやら訳有りそうな格好の男と向き合っているのだ。航太にとって今の彼女の存在は困惑の原因以上のモノではなかった。

 声をかけてもいいものか?

 それとも、かけない方がいいのか?

優柔不断に思い悩むうちに、二人はついに斬り合いを始めたのだ。



 ――そう、ふたりは対抗していたのだ。

 夕美は男の攻撃を巧みに受け流し、目にも留まらぬ速さで彼に肉薄する。

 だが彼もまた夕美の踏み込みに反応し、間合いを取って彼女の攻撃を避ける。

 次手までのわずかな対峙。

 彼女の周囲に何か霞みのようなものが掛かり、視界をさらに悪くしていく。

(湯……気?)

 夕美を包む霞みのようなモノは湯気だった。

(湊さん、熱があるんじゃ……)

 だが助けに入ろうという気は起きない。

 いやそれ以前に、航太は突然始まった戦闘を認識するのに、数秒ばかりかの時間を必要とした。

 なんで通りかかっただけの男が夕美に細剣を抜いて斬りかかるのか、そしてそれをなんで夕美は事も無げに脇差で受け止めたのか。航太の思考回路は、目の前で起こっている事象の演算に追いつかない。

 やっとこの状況が危険なのだと、航太が理解した時――二人は動いた。

 男が突いて来た剣を夕美は一歩踏み出すことで右手の脇差で押し返すと、滑らせるように引き抜いた左の脇差を男の首に突き立てた。

 そして喉元に突きつけられた刃が、下腹部へと駆け抜ける。

 夕美は男を蹴り飛ばすと、軽快なステップで後方に飛びのくと、ぐったりと肩を落とした。

 上下に揺れる背中が、彼女の疲労を物語っている。

 赤い泥が身体から零れ、雨の雫に混ざり側溝へと流れていく。

 ただ呆然とその光景を眺めているしかなかった航太の視線と、刀についた血を振り落とす夕美の視線とが会う。

刹那、航太は衝動的に走り出していた。






「炎帝の紋章」


「長編小説「たなぼた」と「炎帝の紋章」 を

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最終更新日  2009年09月01日 01時10分32秒
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