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jun@ もう辞めましたw 精 子バンクに売るの辞めましたよ。 3mリット…
2007/09/23
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今から約150年以上も前、突如ロシアの帆船が伊豆の下田にやってきてその後停泊し続けた。船は砲艦も備え乗り組み員500人を擁する大きな帆船であった。当時はペリー提督が 下田にやってきて日米和親条約が結ばれた後でした。

その後間もなく安政年間に下田地方に大きな地震と津波が起き漁船の悉くが大破または沈没
してしまい、ロシアの帆船も大きな被害を受け航行できる状態ではなくなってしまった。
当時の船の艦長プチャーチンは早速下田奉行所に救いを求めてきたが、和親条約のないロシア船の救助を幕府に陳情することは出来なかった。

そこで、大破したロシア船を漁船を使って西伊豆の戸田(へだ)村まで曳航し、そこで修理
することになったが、途中嵐に遇い沈没してしまった。幸い乗り組み員全員は救助され、一行500人は戸田村にある寺を宿泊施設として与えられた。当時の戸田村の人口は3000人、
その中へ500人のロシア人が短期的に滞在することとなったが村人たちとのトラブルもなく、身振り手まねでで次第にお互いが打ち解け、心の絆が結ばれていった。

かって日本での洋船技術はなく設計図を作るのに約50日間を要した。当初30人の船大工

ロシアに到着した。その後、プチャーチンから当時の金で500万円が送られてきた。
その金で戸田村に資料博物館が建てられて今も当時の資料が其の侭陳列されているそうである。

「私の魂は戸田村にある」と言い残してこの世を去ったプチャーチンの志は代々家族に受け継がれ、孫からひ孫、やしゃ孫になった現在までも必ず戸田村を訪れてきているそうです。
これは人と人の絆が結んだ美談で、現在失われつつある心の問題を取り上げ、一石を投じるような話でした。









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Last updated  2007/09/24 11:25:47 AM コメント(1) | コメントを書く


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