5月27日、ついにその日はやって来た。
わずか48分間の滞在とはいえ、かつその中のわずか17分間とはいえ、原爆慰霊碑前でのオバマ大統領の演説は感動的だった。
「われわれはいま、広島の中心で、原爆が投下された時のことを思う。子供たちが目撃した、声なき叫び声に耳を傾ける。無辜の人々が、残酷な戦争によって殺されたことを記憶にとどめる。過去の戦争、そして未来の戦争の犠牲者に思いをはせるのだ……」
民放の記者が広島市民にインタビューしていたが、ある老人が声を詰まらせながら、答えていた。
「ここまで来るのに71年かかったが、謝罪はなくとも、自分が生きている間に、ついにこの日を迎えられた」
日本側からすれば、この日のイベントは「日米和解」という言葉に収斂された。1951年の日米安全保障条約の締結や、1972年の沖縄返還などとともに、2016年のオバマ大統領の広島訪問も、戦後の日米和解の象徴的な出来事となった。
この感動的なイベントを見ていて思ったのは、日米和解はここまで進んだのに、日本とアジア、とりわけ日中の和解は、なぜ遅々として進まないのだろうということだった。
日本は1931年に満州事変を起こし、1937年に日中戦争を起こし、1941年に太平洋戦争を起こした。戦争を起こした時期で言えば、対中戦争の方が対米戦争よりも先だったのだ。
それにもかかわらず、戦後71年が経っても、相変わらず日中対立が続いている。今年3月に内閣府が発表した世論調査によれば、日本人の実に83.2%が、「中国に親しみを感じない」もしくは「どちらかというと感じない」と回答している。
日本人は中国に対して、実に冷ややかに見ていて、それは中国側も同様である。日中関係を振り返ると、和解は進むどころか、むしろ後退しているのである。
文/伊勢崎賢治
沖縄で、また悲劇が起こってしまった。
被害者への思いは当然だが、ある怒りが、静かに、こみ上げてくる。それは、米軍属の被疑者へというより、我々日本人の「不感症」への怒りだ。
今回の悲劇を、同胞女性を守れない男子の"男気"、もしくは凶悪犯罪の"比率"の問題に置き換える向きがあるが、非常に遺憾である。
これは、 国内に国内法が及ばない世界を内包する という、一つの異常事態をどう捉えるか、の問題である。
いわゆる外交特権の話ではない。外交官が享受する外交特権は、その在留国の国内法による訴追の免除であるが、大使館を置き合う国同士が、それぞれの外交官に対して、「互恵的」、つまりお互いに認め合うものである。つまり、関係は、対等。
日米地位協定は、互恵的、つまり対等ではない。軍事基地を置き、同協定で定める特権を受けるのは、アメリカのみで、その逆はない。日本の自衛隊がアメリカ国内に基地を置き同じ地位協定の特権を得られる、という話ではない。
今回の沖縄の遺体遺棄事件は、日米地位協定上の「公務外」のものだ。それに対して「公務内」の事件であれば、軍事業務上の過失であるから、アメリカに第一次裁判権があり、軍人であれば米軍法で。今回の被疑者のように軍属(米軍と契約関係にある米国籍の民間人)であれば軍事域外管轄権法で裁かれる。
「公務外」つまり軍事業務上の過失でない場合は、軍人も軍属も、日本に第一次裁判権があるが、米軍が被疑者を先に確保したら、身柄は日本側に渡さなくてもいいことになっている。
つまり、被疑者にとっては犯行後即座に基地に逃げ込むのが一番なのだが、今回の事件では、米軍より先に県警が身柄を確保したので地位協定特権が壁にならなかった。それは単に、この仕組みのお陰なのだ。
だから、今回の事件を、日米地位協定の問題ではないという言説は、根本的に間違っている。
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